ロンドンで活動するDJのblog

DJ ラズベリーシティの日記

会計に関する記事は、英国の会計基準、税法に基づいています。日本の会計基準、税法に合致するとは限りません。また記事の内容においては一切の責任を負わないものとします。


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久々の更新だ。既に2012年も1月が経とうとしている。

2011年は、日本に視点を合わせても、世界全体として総括してみても、やはり大きく負に振れた年であったと言えるだろう。しかもこの不穏な空気はずっしりと澱んでおり、2012年になったからと言って途端に晴れる様相を見せるものではない。これまで積み上げてきたものを根底からリフォームすべき時が来ていることに誰も疑いは持たないであろう。地中深くまで根を張った問題を改革するには、表面に現れた部分だけを刈り取っても何の解決にもならない。しかし、この地中を掘り起こせる筋力が落ちてしまっていて、足腰の弱った思想では、リフォームなどといった力仕事はできない。

ユーロ危機は、統一通貨の存在意義を疑うほど深刻化しており、小手先のその場しのぎ的な対策を打ち出すだけで、もはや手詰まり感がある。それでもラストリゾートともいえるユーロ債の発行について公に討議が進まないのは結局のところ、大きく強いヨーロッパ経済圏という理想に対して、各自国の利権確保と結束への妥協といった混沌が凌駕しているからだ。この問題は何も今に始まったことではなく、ユーロ誕生当時から、いやEU発足から常に付きまとってきているのである。だましだましやってきたものが、突如ギリシャやイタリアの危機的状況によって、目の前のテーブルに放り出されただけだ。ユーロの暴落によってドイツは嘗てない輸出の好機に恵まれ、この蜜のような甘い汁を吸ってしまった以上、簡単にはユーロを潰す訳にもいくまい。もしギリシャやイタリアを見捨ててユーロを崩壊させマルクを復活させれば、たちまち自国通貨は暴騰し、輸出は途絶え、インフレ率と国債金利もあっという間に上昇するだろう。だからといってユーロ債を発行し運命共同体の道を確定するほど肝も据えていない。この優柔不断かつ先送り的な方法は、どこか日本の政治を見ているようでもある。

一方その日本は、円高と震災ならびにタイの洪水でズタズタになったサプライチェーンによる輸出のスランプに加えて、震災によるエネルギー事情の変化から天然ガスの輸入量の急増が重なり、石油ショック以来の貿易赤字を記録した。これ自体はワンオフの出来事かもしれないが、この背後に潜む大きな問題はこれまでずっと見てみぬふりをして積み上げてきたものだ。まず内需縮小。少子化問題に対して大きな対策を取っているように見えない。カネをばら撒くなど幼稚な対策ばかりで、教育、女性の職場復帰、育児休暇、移民政策といった社会構造から変えるべきところの変化が遅すぎる気がする。また途方もない財政赤字を抱えながら、税収確保への大胆な対策は特になく、かといって無駄にばら撒かれる税金は一向に減らない。超低金利をいいことに次々に国債を乱発しているが、もし突然金利が上昇に転じたらどうなるか。日本人自身が国債を間接的であれ保有している構造が安全神話として信じられている理由であるとしたら、それは危険な発想だと思う。その日本人自身が国債を買わない方向に一斉に転じたらどうするのか。具体的に言うと、預金が銀行から引き出され続ける状況に転じたら、だれが国債を買うのかということだ。団魂世代がリタイヤし、これから預金を引き出し始めるが、その対策はとってあるのか。また膨大な借金を抱え超低金利を当てにする政府が真剣にデフレ対策を取れるはずもなく、デフレ脱却のチャンスを握り潰してしまっている。

ネガティブなことばかり書いてしまったが、これらはもう蓋を閉めて見なかったことにするわけにはいくまい。大切なのは、根本的な問題を皆が理解し受け止めることだ。ギリシャのようにデモを繰り返したり街を破壊しても何の解決にもならないし、アメリカのように不満の捌け口に金持ちを叩いたって何も出てきやしない。皆は政治が悪いと口を揃えるが、このように政党が乱立し、首相も大臣も次々置き換えられ、中長期視野の政策など誰も打ち出しやしないといったこの状況は、とりもなおさず国民の総意が滲み出た結果ではないだろうか。つまり日本人全体の迷いと弱った思想が今の政治に投影されているのであって、政治の批判は自身への批判とも考えるべきか。真のリフォームはまずは自身から変わらなければならない。古い体制という湯船でふやけた身体をリハビリしながら、再び重力と戦う筋力を取り戻していかなければならない。

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周知の通りギリシャのデフォルトリスクから端を発し、ユーロ危機にまで発展してしまった。顛末を見ていると、かつて古代ギリシャ文明やローマ帝国の凋落と酷似しており、戦慄をかすかに覚える。

自らの責任で招いた国家的債務超過に対し、当のギリシャ国民は責任を負う覚悟どころか、まるで他人事のようにすべて政府の責任とし、デモやストライキを繰り返しては自らの墓穴を懸命に深く掘り下げている。政府は政府でこの大衆の短絡的な動きに迎合し、一方でドイツなどのユーロ圏の国々から救済を取り付けるために八方に頭を下げるという有様だ。

遠い日本から、これを対岸の火と見ていては大間違いではないだろうか。債務超過の規模はギリシャなど比にならない途方もないレベルである。その90%以上を国民自身が負っているから騒がれていないだけだ。その政府は現在、大衆の近視眼的かつ感情的論に走った意見にいちいち左右され、誰かが失言しては首を挿げ替え、税金の話をするときは戦々恐々とし、批判を浴びそうな話題は先送り、各方面の利権の調整で手一杯である。

今や日本の首相の名を言えるイギリス人はどれほどいるだろうか。そろそろ責任の擦り合いに終止符を打たないと本当に日本の凋落を目の当たりにすることになる。ここでどの政党、どのマニフェストがどうだと議論するつもりはない。ただ、一字一句に一喜一憂、小さなレベルでのミスを糾弾しては、目だった人の揚げ足を取る。こんなことをしていたら周囲が怖くて何も主張できなくなるし、失敗を恐れて何も挑戦できなくなる。

議論をするのは良いことだが、それは皆が自身の意見でフェアに意見を交わせる場合だ。自らの頭で考え抜いた意見と論理をぶつけ合った結果、議論が決着すれば軽々しく方向は変わらない。今の日本の「国民の声」は議論ではなく、マスコミの駆り立てるシナリオに乗っかって騒いでいるようにしか見えない。それは国民の質が低いのではない、むしろ各国と比べても非常にモラルが高く総じて優秀な市民だと思う。問題は、国民がある扇動的なものに靡きやすく、その扇動的なものにモラルも高貴な思想のかけらもないことであろう。

古代ギリシャ文明の凋落期に見るデマゴーグと衆愚政治が、今の日本に重なって見えてならない。

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週末水泳を再開してから、10ヶ月が過ぎた。開始時は1時間で2000メートルしか泳げなかったのが、3000メートルまで引き上げることができた。内訳はクロール、ブレスト、バックそれぞれ1000づつとし、満遍なく鍛えることにしている。旅行などでロンドンにいないときを除いて例外なしに、全週末の土日を達成している。こうして休みなく続けてこられた理由は、自分なりに試行錯誤した結果、3つある。長続きできず困っている人がいたら、参考にしていただけたら幸いである。

一つ目は、1時間というカットオフを設けたこと。調子がいいと2時間くらい泳いでしまいたくなることもある。でもこれをやってハードルを上げてしまうと、調子のすぐれないときの落差が大きくなり、行く前から身構えてしまうことになる。どんなに調子が良くても1時間でパッと切り上げるようにすると、逆にどんなに調子が悪くても、二日酔いでも、まあ1時間だからいいかとプールに足を向けることになる。

二つ目は、あえて早朝にしたこと。週末なのに平日と同じ時間に起きるのは一見どうかと思われるが、週末早起きのおかげで水泳が週末の予定に影響することがなくなる。たとえカートレースが入っている日でさえ、朝に1時間の水泳をこなしているのである。また副産物として、週末も平日と同じ時間に起きる習慣がつくと、平日、特に月曜のの起床がぐんと楽になることが挙げられる。

三つ目は、無理やりでも楽しみをつくること。水泳はジョギングと違って景色が変わらないし音楽も聴けない。でも逆に言うと周りの刺激が少ないため考え事の時間に使えたりもする。また、僕はスピードにこだわるよりフォームにこだわっている。いかに水を効果的に捉まえるか、水の抵抗を低くするために上体の芯をどう置くか、など考えながら泳ぐとゲームみたいで楽しくなってくるし、無理なペースでないためそれほど疲れない。手ごたえがあったとき、ちょっとした快感を覚える。

人間は弱いもので、楽しくて仕方ないものでなければ、いつの間にか心の奥底で言い訳を用意しながら避けようとしてしまう。上記3つは言い訳をつくらせないための布石以外の何物でもない。この3つにあえてもうひとつ加えるとしたら、どうしても無理な場合を除いて、原則として例外をつくらないことであろう。ひとたび例外を設けると、際限なく次々と例外が発生し、最終的に例外がスタンダードを凌駕すること請け合いである。つまり、これも言い訳をつくらせないためのものである。

偉そうに続けるためのコツなんぞを語ってしまったが、実は自分に再度言い聞かせるための確認であったりする。しかも、こんなところで公表すると引くに引けなくなる。結局のところ、いかに自分の意思が弱いかうんざりするくらい知っているため、このように自ら逃げ道を塞ごうとしている次第なのである。

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昨日はカートのオープンレースでミルトンキーンズ遠征だった。結果から言うと、29台出走中、2位で初の表彰台だった。たかが草レースだが、一丁前に小さなポウディウムに立って小さなトロフィーをもらった。ミルトンキーンズのサーキットはこれまでに何度か走ってきたサンダウンやレイクサイドと比べて、より本格的なサーキットで人気も高いだけあって、初めは少々緊張気味であった。

特に、予選が始まったころは小雨がちらついており、一部の路面がハーフウェットと言った状況で、スピン車が続出していた。カートは後ろにエンジンが2発ミッドシップで乗っているため、限界を超えるといとも簡単にスピンしてしまう。ましてやスリックタイヤでコーナーの途中に急に路面の濡れた部分が出現するので、かなり慎重に行くしかなかった。

結局、予選は12位。本選は雨もすっかり上がり、路面はドライコンディション。目標である5位以内を目指すのであれば、最低でも7台抜かなければならない。頭の中でざっくりとストーリーを描いてみる。大きなミスをすれば、一発でいくつも順位を失う。かといって慎重に行き過ぎると、前回のサンダウンのように追い越しで手間取りすぎて、遅い車に何周も付き合わされて順位を上げられないという状況に陥る。安全マージンは残しつつも、思い切った攻めをしかけようと心に決めていた。

今回、何が良かったかと言うと、シナリオをしっかり描いておいたことだろう。予選中にどこが抜きどころかは大体把握しておいた。前走車のスピードと拮抗している場合は無理に抜くぐらいなら、ミスする場所を初めから予測して、その時用のラインを選んでおく。拮抗していて、しかもミスが少ない場合は、安全にインを突けるコーナーを予め決めておいた。

2年前にカートを始めて半年くらい経ったころ、レース中に他車に追突され肋骨を折って1年ほど出走できなかった。復帰後は周囲との接触を恐れる余り、追い越しに対して極度にナーバスになり、泣かず飛ばずの結果が続いていただけに、今回で少し吹っ切れたような気がした。たまたま参加者のレベルが低かったのかもしれないが、自信に繋がったのは確かだし、運転やレースの組み立てにイメージトレーニングが非常に重要であることを確信した。もっと速くなるための課題も満載だ。次回のレースが待ちきれない。

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先日イタリアの印象を良い面から語ったが、陽の光を浴びて輝くこの国を、その深く落とす影と合わせて改めて冷静に考えてみたい。

旅行で訪れると、この国の人々の明るく人懐っこい人柄に思わず笑顔が生まれる。このおおらかな人々の生活はどうなのだろうか。イタリアの街を歩いているとチェーン店や大型スーパー、外資系路面店をほとんど見ない。これは国が強力に個人商店を保護しているためだ。例えば、かの有名なベネチアのゴンドラ漕ぎはライセンス制で、数は規制されており新たな取得や参入は難しいとされている。つまり既存のライセンスを所有者から高額で買い取らなければ新たに開業できないのである。街でタクシーがなかなかつかまらないのは、同じ理由でライセンス数が守られているためだ。また薬局を例にしてみると、イタリア中で2店舗以上展開しているのは驚くべきことにたった64薬局しかない。ここから分かるとおり、共産主義顔負けの保護政策によって競争が阻害されており、逆に言えば利権を得ている市民は安泰といったわけだ。

では経済的にはどうか。2000年から2010年の過去10年間でみると、GDP成長率は実に世界で下から3番目。ちなみにイタリア以下の2国はハイチとジンバブエである。日本の「失われた10年」を凌ぐ経済停滞を嘗めていたことになる。失業率も高く、ルーマニアなどからの大量の移民による問題も軽視できない。ただ、興味深いことにPIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)と言われたEUの債務不履行危険国リストに名を連ねていたイタリアだが、「I」はアイルランドに取って代わられ、イタリアはデフォルトリスクのリストから外れた。これは債務超過ではありながら、その債権を負っている半分がイタリア自身であることが理由のひとつである(ちなみに日本は世界最大の債務超過国でありながら円高と国債の高い評価は実に90%以上の債権者が日本自身であることが主な原因の一つだ)。これはこれで問題であるが、かくギリシャのような危機を回避している大きな要因であることは確かである。

政治を見ると、少々やっかいだ。ベルルスコーニ首相はムッソリーニ以来、最長の任期を経ている。彼は在任中に多数の訴追を受けていながら、そのうち有罪判決はゼロ。未成年売春で起訴されたのは皆の記憶に新しいと思う。挙句にその売春相手の窃盗について警察に釈放を働きかけるなど、とても先進国の政治の頂点に立つ者とは思えぬ傍若無人ぶりである。なお、彼に楯突く反対分子はことごとくそのポジションを追われている。マフィアとの接点も取り立たされており、イタリアの将来を政治に託すのには大きな懸念があろう。しかし、これほどのスキャンダルを抱えながらも国民の支持を取り付けているのは、外交での存在感の誇示がひとつの要因でもあり、とりもなおさず長期政権のなしえた業でもあろう。豪腕で敵や不合理も多い一方、その権力により長期的な交際関係と国内政策が実行できるのは、今の日本の政治に最も必要とする性質かもしれない。

上記の3つを理由に優秀な人ほどイタリアを去るという問題も抱えている。才能がありながら、保護政策のせいで新たな人生への選択肢の限界や、自国経済への不安、政治への絶望がトリガーとなって国外にチャンスを求めて移住していく人が後を絶たないという。またイタリア各街を歩いて感じたのが妊婦の少なさ。出生率の低さは教育問題と経済不安などが招いているのは想像に難くない。確かにこういった点も踏まえると、イタリアで感じた心地よさに確かに一抹の疑念を覚える。

ただ一方で、過当競争が生み出す先進国特有の疲弊感から一歩距離を置きながらも決定的な経済危機を回避しているこの国に対して、少なからず畏怖の念も感じ得ることを付け加えておきたい。アメリカも筆頭とした先進国の資本主義政策に綻びが生じているのは明らかだ。

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