國體護持 第六章 第三節 (第一次産業) | らすログ☆

國體護持 第六章 第三節 (第一次産業)

はじめに・らすかる☆より  http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277101543.html

目次・例言 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10277160853.html



第六章 萬葉一統

 第三節 自立再生社會の實現
  (第一次産業)



 さらに、食料の自給に關(関)連して、米(コメ)について考へる。當(当)初、米(コメ)の自由化要求に對(対)して、「一粒たりとも入れてはならない。」との主張があつたが、これは過去の「攘夷(じょうい・外敵を追い払って国内に入れないこと)論」のやうに、その後の政策展望を持たない情緒的なものであることは否めない。しかし、この主張は、連合國(国)の走狗となつて食料自給率をさらに低下させることに「寛容」な貿易立論者よりも、「危險(険)」にする本能的感性は優れてゐる。この議論は、實(実)は、前述のとほり、自立再生論へ轉(転)換するか貿易依存を維持するかの選擇(択)を迫られてゐる根本問題なのであるが、「食料安保」の中身が全く認識されてゐない不毛の議論でもある。しかし、この足下の問題は、自立再生經濟(経済)の理解を深める絶好の機會(会)であつて、その換をはかりうる好機なのである。


 ところで、米(コメ)だけに限らず、第一次産業の農業、林業、漁業の在り方については、現在のところ基本的には「大規模集中型」の供給體(体)制によることになる。それは、供給效(効)率や産業の性質による制約に由來(来)するからである。特に、日本の稻(稲)作農業は林業と一となつて水源を涵養(かんよう・水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること)し治水に貢獻(献)してきたものであり、現在の地勢や土地利用を大きく變(変)更することは國(国)土自の生態系を攪亂(乱)させることになる。そこで、農業、林業、漁業については、技術面、經營(経営)面などの直接的な側面の外に、農村・漁村の過疎對(対)策・後繼(継)者問題などの間接的・多角的な側面からも、農用地、森林及び漁場等の適正保護や流通部門の整備を含め、自給率向上のための總(総)合的な改善計畫(画)實(実)施が必要となつてくる。しかし、これと併用して、都市近郊地域や都市部の農用地を整備し、「小規模分散型」の食料供給制をも檢(検)討すべきであらう。觸(触)媒技術、發(発)酵技術、溶液栽培技術、養殖技術などの小規模分散型農業・漁業に適した技術開がなされれば、食料生産者と消費者の一化が現する。これは、これまで「農村の都市化」が進歩であるとした野蠻(蛮)なる西洋文明論を捨てて、逆に、「都市の農村化」へと劇的な政策轉(転)換を現することなのである。


 また、食料については、安全、安心、安定したものでなければならない。そのためには、「近くて遠いもの」といふ原則を確立する必要がある。「近くて」とは、生産地と消費地とが近いといふことで、「地産地消(地域生産地域消費)」のことである。食料の重量と輸送距離の積(フードマイレージ)を減少させることは、自立再生經濟(経済)への道について必要不可缺(欠)な課題である。また、地球規模での水資源の危機が叫ばれる中で、農畜産物の生産や製品の製造、輸出入することは、その際に必要となる水を購入者が間接的に消費したことになるに等しいとの認識から「假(仮)想水(バーチャルウォーター)」といふ視點(点)で考察しても、水資源の節約は水資源を含む資源の自給率の向上以外にありえないのである。農畜産物も水産物もこの原則であれば、自給自足の閉鎖循環系を極小化しうる方向であると同時に、食の安全において絶大な效(効)用がある。

 地産地消の方向へ進むと、生産物について、その生産者の實(実)像が消費者に知られることになるから、生産者としては消費者に安全と安心の供給を續(続)けることでなければ地域で生産活動と生活ができない。生産者もまた消費者だからである。これは效(効)用均衡理論に基づくものである。


 しかし、現在、樣(様)々な問題があるやうに、生産者や生産物が外國(国)とかの遠方であれば、食の生産段階での毒物混入などを監視することはできないし、輸送において、輸送距離が長いために燃料等の基幹物資の消費が增(増)え、しかも、輸送時間の長さからポスト・ハーベストなどの問題が生じる。原價(価)計算をして安ければよいといふものではない。


 また、「遠いもの」といふのは、肉食、乳製品に偏つた習慣から離れて行くことである。系統發(発)生的には人類から遠い生物をなるべく攝(摂)取する食生活習慣にすることが身體(体)と精神(神)の健康によいことは云ふまでもないことだからである。佛典に「身土不二」といふ言葉があるが、これとは全く異なる意味で、明治後期に食養會(会)(大日本食養)が「地元の食品を食べると身に良く、他の地域の食品を食べると身惡(悪)い。」といふ意味で普及させ、それが現在では韓國(国)で流行語ともなつてゐるが、これも同じ方向を示す考へである。



國體護持 第六章 第三節 (單位共同社會)-1 http://ameblo.jp/rascal-amb/entry-10304869964.html