華舞う季節

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今日散歩をしていて近くの神社で風に舞い散る桜の花びらを見てあまりの美しさに泣きそうになりました。

ヤサグレまくっている私の心の隙間にスッと入ってきました。

あの映像は脳みそに焼きついて忘れられない物になったと思います。

これでいつ核兵器が飛んできても大丈夫です。

しかし、今年の桜の開花は遅かった。

でも、まだまだ舞い散る桜を眺めることができますね。

最近はそれを見るのが楽しみでもあります。

人間も桜のように美しく散ってい行ける様に引き際が大事なんでしょうね。

ここに貼りつけた曲は、最近事務所の仕事で仮歌をお願いしている人の歌唱です。

丁度今の時期の歌ではないかと思いまして貼りました。

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雑念を喚起する2

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前回の投稿でSNSは誠に時間の無駄だと書きましたが、思い返すとネット上で知り合ってそこで仲良くなった方も少なからずいる訳ですよね。

 

それを考えるとすぐに断ち切ることが困難である。

 

また、私の或る血縁者とはインスタでしか繋がっていない。

 

これらを考えるとえらく厄介である。

 

様は使い方の問題なのか。

 

まあ、こんな事で一々考え込んでいたのではどうしようもない。

 

こんな事では完成させるべき音楽も書けないだろう。

 

使い方を模索しなければならない。

 

 

 

 

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雑念を喚起する

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今の私にとってはSNSは雑念を喚起するだけの代物でしかない。

 

もうそろそろ、こんなものから足を洗おうなどと考えている。

 

正に時間泥棒。

 

人の人生をのぞき見する時間が有るのなら他にやるべき事が有るはずである。

 

昔はブログも否定的あった。

 

自分の生活をさらけ出して何が面白いのかわからなかった。

 

表現者としてはこういったものは最早必要不可欠のものになってしまっている。

 

表現者で無くても様々な人が様々な事柄を発信している。

 

発信しなければ自分の存在が消えてしまうのではないかと云う勢いである。

 

SNSだとよく投稿する人の生活を垣間見たりして楽しくもあるが、いつも合っている様な気になってしまって久しぶりにお目にかかっても感動が少ない。

 

投稿を見ているので積もる話も無い。

 

なんだかある意味人生を損している様な気がする。

 

友人とたまに会う喜びと云うのはかけがえのないものなのかもしれない。

 

私としても世の中に発信するものは音楽だけにしたいものである。

 

 

 

 

 

 

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今日は朝から今度新しくデビューすると云う偶像女子集団の楽曲の制作。

 

今回は仮の詩で良いと云うので自分で作詞。

 

どことなく戸川純さんみたいな詞になってしまう。

 

朝の八時から始め作曲自体は20分程で終了。

 

なんか良く分かりませんが軽音楽はすぐに出来てしまいます。

 

アレンジに二時間。

 

その後のミックスが長い。五時間。

 

いつもそうなんだけど、途中でどれが本当なのか分からなくなるのです。

 

これでいいのかな~ってところで、仮歌さんにデータを送信。

 

30分もしないで歌声録音して返してくれる。

 

素晴らしい。

 

そして、私のつぼを心得ていらっしゃる歌声。

 

歌声を聴いてアレンジとミックスが少し変わる。

 

まあ、締め切りまでに何種類かアレンジを変えてみようとは思っている。

交響曲を書いている。

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三年前から書き始めている交響曲をまだ書いている。

 

なるべくなら今年中に完成させたい。

 

別にどこからか注文が来た訳ではない。

 

言っておくと現代音楽の世界で交響曲の注文が来る作曲は皆無である。

 

それなのになんで書くのかというと純音楽の作曲家の生理現象とも言うべきものだと思う。

 

一生のうちに書かずにはいられないジャンルであります。

 

今書いているのはベートーベンのファーストシンフォニーと編成は大体一緒。

 

ただティンパニーが四台必要なだけ。

 

これからはなるべく週に一日でもいいので書き進めていければと思う。