このブログを含む本館HPです。
何か写真を置いていって下さい。
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posted by ransyu
テーマ:日々のこと
このブログも良かったんですが、いろいろの事情で次のブログに移ることにしました。
ここです。
http://ransyu.blog.eonet.jp/
レイアウト、写真などあまり詳しくないのですが、好みの
使いやすいところがみつかりましたので。
最近、携帯で見ることも多くなったのですが
携帯でも見やすいもので。
いままで訪れたいただいた方には申しわけありませんが
よろしくお願いいたします。
posted by ransyu
テーマ:遼寧省・営口
遼寧省の西北部の旅では営口にも立ち寄った。
昼食をとるためで短時間だったので
写真は駅前あたりとなってしまった。
営口駅はロシアが造ったもので、今でも健在だった。
大連港が整備されるまではここの港の方が地域の中心の
港だった。横浜正金銀行などの支店もあった。
満州国皇帝・溥儀も即位の前、混乱する天津から日本軍の
助けで脱出して船でこの営口に上陸、大連に向かった。
営口駅
営口駅内部。ドーム型の明り取り。
駅前広場。どこにもある地方駅の素朴な雰囲気。
よく見ればロシア風の建物だ。
posted by ransyu
テーマ:遼寧省北鎮県・崇興寺
遼の時代の塔は本来、八角の塔である。
前回の朝陽の延昌寺の北塔と南塔は唐の時代のものを
遼の時代にそのまま修復したので四角の塔となっている。
遼の八角の塔は本当に綺麗だ。この塔を見て
「遼」
という国に興味を持ったような気がする。
この遼寧省北鎮県・崇興寺は遼の時代に建てられ双塔も
八角の形をしている。
posted by ransyu
テーマ:朝陽
遼寧省西部に位置する朝陽市は遼の時代、中京道の県庁所在地の一つで、興中府と呼ばれており、さらに歴史を遡ると342年から燕国の都だったこともあるという。延昌寺は非常に古い歴史を有していて、5世紀に一人の僧がインドから経典をこの寺に持ち帰ったという言い伝えが残っている。これは、玄奘三蔵の求法の旅よりさらに200年ほども前のことである。この寺の北塔は、北魏、隋、唐時代を通じて、数回修復され、1044年、仏教に深く帰依した遼の興宗の手によって大改造され、今日の姿になったものであるという。(遼・金王朝 千年の時をこえて-阿南・ヴァージニア・史代-より抜粋)
まず、この延昌寺の北塔から。
朝陽の街から見た北塔北塔の12層部分の密室(天宮)と基礎部分の地下の密室(地下宮)から貴重な宝物群が発見されたという。この都市が契丹の歴史において重要な仏教施設だったことがわかる。続いて南塔。
延昌寺の境内の様子。
posted by ransyu
テーマ:興城
5月の連休に遼寧省の西北部を訪れた。その中で古城「興城」は、中国の城壁が良く残っている四大古城の一つ。西安古城(陝西)、荊州古城(湖北)、平遥古城(山西)とこの興城だ。
興城は明清代には「寧遠州城」とよばれた。明代、寧遠は遼東都指揮使司に属する「寧遠衛」であり、
山海関の外郭で辺境を守る重要な城であった。
1626年、明軍は攻め寄せてきた後金のヌルハチの軍を破り(寧遠城の戦い)、ヌルハチはこの時に紅夷砲の砲撃を受けた傷がもとで盛京に戻って間もなく死亡した。
風雨や戦争を経験したため外城は現存しないが、内城は修繕されて現在も使用されている。内城はほぼ正方形。城は四つの門があり各門は半円形の甕城で守られ上に二層の楼閣がある。城郭の四隅には砲台が置かれ、城内には十字型に大通りが走る。十字路の中央には三層の鼓楼がある。
興城古城の中央にある鼓楼。