シーエー先生のつぶやき

             放課後のアート授業、ユニゾグラフ運動、日々の雑感


テーマ:
先日、生徒に私の吃音について話をしました。

やはり学校の先生みたいに淀みなくは話せない。それは自分が吃音障がいが原因であることを伝えておこう。

同時に身体障害で何か特別な人生になるのか。という話もしました。

結論から言うと、言葉が出にくいからといって、この普段の日常社会で特別な扱いは受けません。

さらにはメガネや補聴器、車椅子といった障害をサポートする器具もない。

20代半ばくらいまでは、こんな社会は嫌だな。誰か助けてくれないかな。と、いつも他力本願でしたが、それが妄想に過ぎないと実感してからは、自分でなんとかせな、いいこと嫌なことすべてが自分次第だなと考えるようになりました。

それまで音楽に縁のなかったわたしが、
バンドを結成し、ボーカルはじめたのも
その一貫。

ボーカルは歌を歌うだけでなく、
MCもやらんといけません。

吃音障がいの人間には、
大変なハードルでした。

事実、22歳の初ライブでは、あまりの緊張で終了後そのまま、胃痛で病院送りという体たらく。

こんな調子なので、30代前半までは、
丸裸の自分を見せるライブが
怖くて仕方なかった。

ところが20年後の今では
マイクを握るとスイッチが入ったように
プレゼンもスピーチもMCもできるように
なりました。

子どもの頃は、親が危険、面倒、難しいことを先回りして、負担かけないようにしてくれます。

ありがたい親心であります。

が、その親でもどうしようもない、
身代わりにはなれない事態があります。

それが障がい者の苦難で、健常者との
壁を作ってるようにも思えますが、
ひとくちに障がいといっても、
いろいろあります。

視力、聴力、言語と客観的に測れる障がいばかりが障がいとされてますが、
思いやりや道徳心、自分を律する力の欠如も、いじめや孤立、無関心を引き起こす、立派な成長障がいでは?
と私は考えています。

マイクを握れば、リズムにのれば、
わたしの場合、吃音はでません。

勿論、そうなるまで10年の継続が必要でしたが、一つのきっかけを生活に取り入れること、続けることで、乗り越えられる壁なら、それを見つけてやってみたらいい。

特に子どもの未熟さは、社会人になるまでの練習習慣で、成熟するでしょう。

それが学校や家庭、放課後の地域で担うべき、教育ではないか。

なので今がどうあれ、子どもが親から独立する時、どんな若者になっているかを、私も1人の父としていつもイメージしています。

わたしは吃音を怠惰や諦めで、ただ悲観するばかりの少年でした。

だからこそ放っておきません。

それを実践するために、今までの険しい人生があったのですから。




AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

ca37さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。