笑う門には福来たる、東京(お台場・葛西臨海公園)の海で、ボケとツッコミ改訂ヴァージョン | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

いつも、御覧いただいてありがとうございます。m(_ _)m
ネットの皆様、べたやイイネをつけてくださって、まことにありがとうございます。m(_ _)m
もう秋ですね。
近頃少しずつ過ごしやすくなってきてますねえ。
季節が移り変わるのも速いものですね。

 

いつもと違って少し趣を変えて、夏の間に東京の海へ行った時を思い出しています。
写真は、お台場と葛西臨海公園に遊びに行ったときのものです。

コスチュームは、オーソドックスなセーラー服に超ミニスカート、パンチラ対策のブルマにルーズソックス。
このころも無邪気だったなあ。




 

私は大阪で生まれ育ったが、大阪人を含めて、関西人は、損して笑いをとる人が少なからずいる。
高価なものを自慢するより、他の人よりいかに安く買ったかどうかを自慢する。
高くて美味いのは当たり前。安くていかに美味いかが勝負。

時間をかけたらイイものができて当たり前。いかに速くイイものができるか。
カネをどれだけ多く持っているかでなく、いかに少ない金で多く楽しむかを考える。

限られた時間でいかに高いパフォーマンスが発揮できるか。

他と比べるのではなく、自分に対してである。
私も、この性格が染みついている。


東京に来てから、こんなことを言ったら、それは貧乏根性だとツッコまれたことがある。
我が国は先進国の中で相対的貧困率が高い(人口の約16%)と、社会問題になっている。
それは、とりもなおさず、圧倒的多数である=相対的貧困でない層(人口の84%)の、道徳的貧困と表裏一体となっていることである。
政治や社会制度の在り方を云々する人々の中に、この視点が少ないのは極めて残念なことである。
便利さや目先の利益や競争に目を奪われて、家族や地域の組織としての共生・共助に費やす時間・行動が疎かになっている点を、是非とも省みるべきであろう。

{・・・隣は何をする人ぞ・・・}

 

ところで、笑いは健康にいいと言われている。
だが、笑いなら何でも健康に良いのか?
嘲笑・失笑・冷笑・・・
微笑・ほほえみ(微笑)、爆笑、・・
ほくそ笑む、腹を抱えて笑う・・・
いろいろある。

 

 

私は、日本第一のヤブ医者です<(_ _)>。
と自己紹介のときに、よく言う。
もちろん、ソクラテスの言う「無知の知」という意味ではない。
ほとんどギャグのようだし、自分も、そのつもりで使うことが多い。
こんな時、話し相手から、返ってくる言葉が、ある意味、楽しい。

実を言うと、10年以上前に、今の病院に最初にアルバイト(当直)にきたときも、副院長に挨拶したとき、
「日本第一のヤブ医者です<(_ _)>」
そしたら、副院長は、
「わが病院で、日本一の名医になってください。(*^ー^)ノ」
と言われて励まされた。
その後、結果として、今の病院に取り込まれて、迷医になっている。

 

 

初対面・新入職の薬剤師
「初めまして。この度、参りました福岡です。」
「初めまして。私は、日本第一のヤブ医者です。<(_ _)>」
「・・・プっ・・・私は、世界サイテー(最低)の薬売りです。<(_ _)>」
「ワーハッハー(爆)(≧∇≦)・・・どちらからですか?」
「京都は、堀川丸太町です。」
「ワーハッハー(爆)(≧∇≦)・・・駿台(予備校京都校)があるとこやわ。ワシも通たわ。」
「ワシも2年世話なったわ。」
「ほな、大学はどこでっか?」
「ワシは京大医学部や。」
「なんでやねん、なんで京大医学部出たのに、薬売ってんねん?。」
「ワシ、最初、手塚治虫やっててん、でけへんかったけど(できなかったけれど(;´д` ) )・・・」
「手塚治虫って、たしか東大やったやろ?。なんちゅう(なんという)、ふくォーか(不幸か)?」
「うん、ワシ、福岡でんや。(^-^)//""」

会話の途中から、関西弁になる。
うちとけたら、後輩でも「ワシ」を使う。
どうやら、苦労して京大医学部に入ったものの、その後の反動で教養学部で遊び癖がついて、病理と細菌学でつまづいたらしい。
5学年に上がれないで、薬学部からやり直したという。
しかし、一発で和んだ。
まあ、その後長続きはせず、わからんようにおらんようなったが(知らないうちにいなくなったが)

 

 

すんまへん(すみません)、以下時々、関西弁になるさかい(なるので)その場合は後からカッコつけますよって(つけますよ、って、(言っています))(*^m^*)。

以下、かなり下品な内容になっちゃいます。(不快な方はスルーでお願いしますm(_ _)m)

でもやっぱり、なおしておきます。

 

調子にのって、患者さんにも、親しくなったらこれを言う。
初診でも、口コミであらかじめ聞いている患者さんもいる。
「とんでもない、」
「何をおっしゃいますの。」

皆さん、ご返事に困る人もいる。
「私は、日本一の馬鹿患者です。」
「私は、日本一のボケです。」
って返答もある。
このような患者さんは、その後、私にかかりつけになることが多い。
他の医者は話がワカラン(わがままをかなえてもらえない)という。
言葉だけでなく、身振り素振りがついていると、分かりあえることが多い。

「先生、ご自身のこと、そんな風に言っていいですのですか?」・・・
と、ツッコんでくる患者さんもいる。
そんなときは、ちゃんとまじめにお答えします。
「病気はヤブやけど、病の人(病人)にとっての名医を目指してます。( ̄ー ̄)b 」

高度に細分化された専門領域の狭間で、取り残された患者さんは多い。

 

 

 

ある日の外来。
70歳の女性、92歳の頑固なご主人と一緒に来院。

 

「ご主人は、20歳年下ピチピチギャルと結婚なさったのですね、それって、犯罪に近いですわー」
「でも、頑固で、聞き分けがないです。」
「頑固、関白宣言(さだまさし)世代ですね。」
「いや、それ以前、戦前戦後世代です。」
「うわあ、ちゃぶ台ひっくり返し、やってみたいですわ。」
「今、そんなことしたら、叩き出されます。」
「そうですね、かかあ殿下ですよね。」
蓮舫さんが党首となって、かかあ殿下のようだわあ。

見た目 頑固一徹の岡田さん、ふるわなかったなあ。
幹事長は、野田元総理だって。自ら蓮の花を泥から支える蓮根といわれているそうだ。

 


日蓮大聖人様が、虚空蔵菩薩の前で、祈ったこと
「日本第一の智者にしてください」

私も、みんな、内心では、そうなりたいと思っているだろう。
お手本にするべきだなあ。


問答河岸(もんどうがし)とは、かって海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした事にちなんでいる。

将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
和尚「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」


某医局の将軍様は、いつも大軍を率いて回診に回る。
我が病院の将軍様も、智慧の明るいことは頭部が光る如くで、時々沸騰するのは、瞬間湯沸かし器のようである。
入れ替わりの多い現場、新入職者が挨拶に来るたびに、
「私は、日本第一のヤブ医者です」
とともに、
「仲良くしてくださいね。総じて、頭の明るい人には、ご注意ください。(*^o^*)」
と、付加えている。

 

ある日の医局室。
午前9時から始まった脳神経外科の手術がモニタに流れていた。
緊張が惰性的に午後まで続く。
午後2時過ぎ、心拍モニターの安定したリズムが響くなか、
我が病院の将軍様が、マスクをして入ってこられた。
手術帽をかぶっているが、体全体でご威光が。
私と目線が合った瞬間、
「ダダダダっダー」
マシンガンを連射する声とジェスチャー。
「あ~(T◇T)、お~、う~う(T△T)・・・」
弾に打たれて悶える私。

(爆)
「やっぱりなあ、先生は、正真正銘の、大阪人だったあ(^ ○ ^)」
「はい、大阪育ちです。(^o^)」
「昨日、TVでやってた。

大阪の人って、見知らぬ人に仕掛けられても、こんな風に反応するんだってなあ( ^o^)ノ」
私が当直していた昨夜、あるTV番組で、放映されていたそうである。
疲れがかなり吹っ飛んだ。布団のようだ。

 

 

ある総合外来、
25歳のスリムな女性が一人入ってきた。
どうやら痔らしい。

「こんな可愛いうさぎさんを一人で入れたら、私はオオカミになるぞ。」

ピッチで連絡したら、大急ぎで入ってきたのは、婦長さん。
目じりや頬の肉はあふれるばかりに垂れ込み、腰が少し曲がったビア樽体型に、長いタイトスカートから覗く小さいパンプス。
ブルドッグが二本足立ちで駆けつけてきたようだった。
患者さんは一転、緊張が取れて、噴き出すのを懸命に我慢していた。

 

 

そんな私も、研修医時代があった。
医師国家試験に合格して、初めて白衣を着たころの挨拶。
「たまごから、かえったばかりの ひよこです。」

 

教科書知識はあっても、使い方を知らない状態。
採血や点滴は、若い看護師のほうが上手で、当然、患者さんの受けは悪かった。
午前6時からの採血、午前9時からの点滴。
医療処置を進めるのも、看護師のほうが2~3倍効率が良いし、やり直しも少ない。
指示の出し方・カルテの入力など、いたるところでやり直し。

当然、仕事の終わるのが遅くなる。
2~3年経験の若い看護師(年齢は同じぐらい)に助けられたり、いじめられたりした。
そんな時にも口癖のように、ごめんなさいと言った後、
「たまごから、かえったばかりの ひよこです・・・」

 

小中学校時代にいじめを耐え忍んだ経験が活きていた。
ボンデージコスチュームの若い看護師たちに、愛のムチを受けてる私・・・
ピシッ、ピシッ、ピシッ、・・・

なに言わすねん・・・

 

 

ナースステーションで、物忘れを指摘されたとき、モニター見ながら、いじけてみる。

ナースの間でも、関西弁が流行っている。
「年を取ったら、みんな、腰も背中も曲がってくる。
へそもつむじも曲がってくるのだ。」

「先生は、少し早すぎる」

「そうや、早老や。早漏やから、女の子にもがっかりされたし、そのうち、家内にも棄てられるわ。」
「棄てられたら、私らが拾ってあげるわ。」
「そおだそうだ、退職金もらったあとが、一番あぶないわ。」
「超ウェルカムやわ(^o^)」
「その時はもう、オシッコだけにしか役に立たないで」
「なにおっしゃいます?、生涯、現役とちがいますか?。」

 

 

飲み会でも、同じように、よくいじけてみる。
オシッコまでは前述とほとんど同じ。
そのあと、
「そのうちオシッコも役にたたなくなるわ(つまり尿閉や失禁)」
「そうなったら、おむつを穿かしてあげるわ。」
「私、バルーン(尿道カテーテル)入れてあげるわ。」
「あなたが入れてくれたら、きっと元気ビンビンになるわ。」
「そうなったら、ピンと、はじいてあげる。」
「なにすんねん。」
「タダではないよ。プレイ代、高くつきますよ。」
「絶対あなたを指名するわ。ちゃんと、白衣着てあげてよ。きっと元気ビンビンになるわ。」
「さあどうかな、それ、気持ちだけでしょう。モノまで役に立つかなあ。」
「当然、もう賞味期限切れてるバナナよ。舐めても美味しくないよなあ。」
「私より、私の娘に入れてもらったほうが、元気になりよるのとちがいますか。」
「あんたの娘さん、チョー可愛いJKやからな。チョーウェルカムやわ。」
「トーゼン、高くつくわよ。一回につき、私の10倍いただくわ。」
「あなたも、さすがにその時は賞味期限切れてるやろ。」
「ちがう、どっちも消費期限切れてる。」

 

 

「痛いと言ったら、ボルタレンズポ25ミリ(ボルタレン坐薬25mg、鎮痛薬)、入れてあげるわ。」
「25ミリ一個だったらダメ、50ミリ入れてや(ボルタレン坐薬は25mgのほかに50mgもある)」
「贅沢よ。それなら、25ミリを2個入れてあげるわ。」
「1個よりも2個のほうが効くでしょう。」
「絶対2個のほうが効くわ。」
「それなら、ゆびズポ(入れると言いながら実際には坐薬を入れないで、指だけ入れる。つまり、プラセボ)でも、十分効くでしょう。」
「そおそう、指だけだったら副作用なし。何回でも入れれるわ。」
「もう、その年になったら、分からないでしょう」
「さすがに、分かるわ。手が割れてる(しくみを知っている)しなあ。」
「あなたに入れてもらったら、気持ちよくなるのとちがいますか。」
「私ではない、新人の若い子に入れてもらったら、チョー効くでしょう」
「やっぱり、指名料とらなないといけませんな。」
「一晩に10回、痛いと言ってあげるわ。」
「アホくさっ、10回もやってられるか。そのうちソセゴン(筋注)やわ。痛いよー」
「ソセゴンなんて贅沢や。プラセボ(蒸留水1ml筋注)で十分効くでしょう。」
「新人の若い子だったら、なお効くでしょう。」
「ワシ、あなたやったら、きっと効果絶大やわ」
「ヤラシ~なあ、このエロオヤジィ。みんなで、こらしめてあげましょう。」

 

 

このように、話相手が女医や看護師なら、酔えばたいがいは、下ネタへいく。
「相手が女医や看護師なら、AV男優になりたい。」
「ちがうでしょう、好きなのはJOY(女医)や茄子(ナース=看護師)じゃなくて、JKでしょう。」
「図星やわあ。」
「だから、あぶないのです。このブース(診察室)は。」

 

 

 

詰所で、ある時、
頭が痛い、熱がある、調子が悪いといって、忙しい中、自分のカルテを持ってきた。
一通り簡単に診て、じゃあ薬ってときに

「何がほしいの?」
「ロキソニン。ゾロはいりません(ゾロ=ジェネリック医薬品)
あと、抗生剤はいりません。胃薬はほしい。」
「夜寝てないから眠剤も。マイスリーがいい。」
「働きすぎやなあ。
点滴しますか?。その間、仕事を休憩できますよ。」
「・・・・・。」
耳を立てていた師長が、「それはダメ!」
「人使い荒いなあ。限りなくブラック(企業)に近いグレーだわ。」
「・・・・・」
「良かったら、今から医局においで。
僕も一緒に寝るから、よくなるよ。」

残っていた師長が、
「あぶないわ~やっぱりちゃんと聞いていてよかったわ。
この人、オオカミだから、気を付けましょうねえ。」
「・・・こら、ほんまに、いてこましたろか。( ̄△ ̄;)・・・」

(セクハラ・ドクハラ・パワハラ寸前。)

「もし病院を辞めるときは、先生に、こう言われたって言いましょうネ。」
「労働基準監督署に、たれこんであげるわ。」
「ところで、今言った言葉、この私には言ったことないでしょう。」
なんて、いいやがる。

そのくせ、私が飲み会や歓迎コンパで女装したら、みんなで、チェキはいうに及ばず、私のミニスカートをめくりあって、楽しむ・・・。

当然に、私も仕返しをする。

小中学校時代、スカートめくり、ズボン短パンブルマ下ろし、指カンチョウなんか、楽しくやりあったなあ。いじめのときもあったが、単なるじゃれ合いふざけ合いと、ごっちゃ混ぜになってた。

みんな、先公(教師)にも不意打ちしていたわ。

無礼講の場では、下品なほど、おおいに盛り上がるものだ。

 

 

 

家に帰ったら、独り立ちした娘が久しぶりに帰ってきて、久々に家族4人で夕食。
テーブルの前のTVは認知症の番組だった。
「ボケたら悲惨やなあ。」
「本人は、自覚がないからなあ。」
「周りが、大変だ。」
「本人は、自覚がないからなあ。」
「あなた、普段からボケとるでしょ。」
「本人は、自覚がないからなあ。」
「本人は、自覚がないからなあ。」
「本人は、自覚がないからなあ。」
・・・
「たった今、同じことを聞いたわ。」
「そうや、たった今同じことを言うたわ。」
「なんで、同じこと言うの。繰り返さんでもこっちはワカッてるわ。」
「年を取ったら、同じことを言いたくなるものや。」
「ちがうでしょう、たった今言ったことを忘れただけでしょう。」
「年を取ったら、たった今言ったことをもう一度言うようになるもんや。」
「ちがうでしょう、たった今言ったことを覚えてないだけでしょう。」
「だから、今からあらかじめ言うておく。結局、周りにいる者は何回も聞くことになる。これ、運命や。」
「屁をコク前に、あらかじめ「屁をコクぞ」って言うようなものよ。」
「あらかじめ言うてたら、予想できるやろ。受け入れ準備もできるやろ。」
「あらかじめ言うてたら、ドロボーしてもいいのか。」
「あらかじめ言うてても、ドロボーしたら、罪は罪やろ」
「ほれ、見なさい、罪は罪でしょう。」
「年をとるのが、罪やと言うのか。」
「年とっても、ボケへん人もいるでしょう。」
「予告してるから、被害は少なくて済むやろ。」
「予告してるから、なお罪は重くなるでしょう。」
「その時には、罪の意識なんて、解らんようになってるわ。」
「そうや、そうやって、迷惑かけていくのでしょうなあ。」
「そうなったらボケたもん勝ちや。遠くの田舎のホームへ早々と放り込んでくれや。」
「僕たち忙しいから、遠くのホームへは、一か月に一回ぐらいしか会いに行けないでしょうよ。」
「2~3か月たっても、一回も会いに来ない家族も珍しくないわ。」
「今、住んでる家、どうする?。あんまり期待してないけどなあ。」
「財産、全部使ってから、死んでしまうわ、万が一残ってたら、遺言書に、全財産をホームに寄付するって書いておくわ。
死んでから、遺留分請求してくれ。」
「急変したときはどうする?。延命処置はどうするの?。」
「任せるわ。どうせ、そうなったら何されてもわからないからなあ。
けど、延命処置したら(医療費が)ベラボーに高くつくよ。(遺産は少なくなるよ)
君たちが、ワシの年金をもらえる期間は、その分だけ長くなるけどなあ。
葬式もチープでいいよ。」
「私のこと、できそこないと思ってるでしょう。子供は親の背を見て育つものよ。」
「そうそう、ワシも、もうちょっと親孝行してたら良かったと思ってるで。」
「俺のことも、失敗作とおもっとるでしょう。もうちょっと親孝行してるパパの背中、見たかったなあ。」
「なにゆうてんねん。これから見せたるわ。背中で教えたるわ。」
「今さら、見たくもないわ。」
「そんなヒマないわ。」
「こら、そんなこと言うものじゃない。なんだかんだ言っても、あなたたちは私の股の間から出てきたのよ。」
「それ言われたら最期やわー。」

 

 

・・・こんな会話も、お互い気心知れてないと、続かないわなあ。
お互いボケてツッコみあう。
私も、猿の尻笑いを、よく故意にする。
ボケたとき、ちゃんとツッコんでくれなかったら、会話が続かない。
うまくボケなければならないが、ツッコむのも思いやりがないと角が立つ。
「笑う顔に矢立たず」・・・
「子供叱るな来た道だ老人笑うな行く道だ」・・・

「お前たちなんかに介護されるくらいやったら、ボケたらさっさと老人ホームに入るわ。」って、言い続けている。

 

 

普段は、堅物にみられている私、でも、裏では、こんな、ざっくばらんな会話をしている。

 

しかし、ボケはボケでも、ボケていられない毎日だったら、これが連続していけば、最後の最期まで、ボケないでいられることになる・・・。
その場合、ポックリいくことになる。
ボケてないから、まだ先まで生きれたのとちがうか?なんて思われて、遺族が争うことになるところもある。
しかし、70歳超えたら、ピンピンしていても、何か急変しても、老衰・大往生とみるべきではなかろうか。
80歳超えてたら、なおさらである。
見た目は元気そうでも、数字はウソをつかない。
肉体の中身は厳然と燃え尽きる手前に迫っている。
それが分からないだけ。
本人も周囲も安穏である。


人間は、精巧な機械であるとの前提で、発達した医療テクノロジー。
しかし、精巧なバッテリーを乗せた車でも、突然バッテリーがとんで、発進不能になることだって、よくある。
精巧な機械を超える「生命」であればこそ、最後の最期まで、最高のパフォーマンスを発揮しようとしている。
これを明らかに見る(諦める=あきらめる)ことが、大切であろう。
顔で笑って心で泣く

 

バカにボケるのも、実際に智慧がないとできない。
ボケとツッコミをタイミングよくするには、智慧のほかに思いやりと共生の心が双方に不可欠である。
他人から見ると、これらの笑いは時として「ふざけている」ように見えるが、
苦境でも、苦境そのものを笑いに変えて、笑って受け止めていくことこそ大切だと思う。
そして、それは、他人の想像を絶する「昇華」を必要とする。

 

どんな困難でも、笑って乗り越えていきたい。

仕事や勉強も、笑いながらしていければいいなあ。

 

 

笑いは人の薬
笑う顔に矢立たず
笑って損した者なし
笑う門には福来たる
笑いは良い血を作る。((イタリアの諺:Il riso fa buon sangue.=笑う角には福が来る)
笑いは二人の間をもっとも短くするものだ(ビクトル・ボルゲ、デンマーク)
『人があやしてくれる時に笑いなさい。でないと、やがて人はあやしてくれなくなりますよ。』(西洋の諺)
ダジャレを聞いたら、ちゃんと笑ってあげることも大切だなあ。

笑いにもいろいろ。
笑い方もいろいろ。
きっかけとして、突然明らかになる意外性が必要だが、
満足した笑いには、それなりの余裕(ムダ)と、思いやり(奉仕精神)が伴っている。

 

 

フランスの作家サン=テグジュぺリの言葉。
「大事なのは、重々しいことじゃない。
微笑むだけでいい。
人は微笑みで報われる。
人の微笑みで生かされる。
命を捨ててもいい、
と思うほどの微笑みさえあるのだ」

 

 

 

日蓮大聖人の御金言で、笑いのところをあげてみた。

 

上野殿御消息 P1527
三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き
三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり、
四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四には劣れるに逢うて慈悲あれとなり、
一に父母に孝あれとは・たとひ親はものに覚えずとも・悪さまなる事を云うとも・聊かも腹も立てず誤る顔を見せず・親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いて
せめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり、

 

三世の諸仏が世に出現になされて、皆、四恩を報ずるようにと説かれ、三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の昔の賢人は四徳を修めるようにと教えている。
四徳とは、一には父母に孝行であれ、二には主に忠義であれ、三には友に合っては礼義を尽くすこと、四には自分より劣る者に会ったならば慈悲深くあれということである。
一に父母に孝あれということは、たとえ親が道理をわきまえていなくても、また悪意をもって言うようなことがあっても、少しも腹を立てたり気分を悪くした顔を見せてはいけない。
親のいうことに一分も逆らうことなく、親によいものを与えようと思うことであり、
せめて何もできないときには、
一日に二~三回は、「笑顔で」親に向かうようにしなさい、ということである。

 


四条金吾殿御返事(法論心得御書)P1139
月は夜に出・日は昼出で給う此の事諍ふべきや、
此れより後には加様に意得給いて御問答あるべし、
但し細細は論難し給うべからず、
猶も申さばそれがしの師にて候日蓮房に御法門候へと
うち咲うて打ち返し打ち返し仰せ給うべく候。

 

月は夜に出て、太陽は日中に出る。これはあえて言い争うべき事ではない。
これより後には、このように心得られて問答をしなさい。
但し、細々とした論難をしてはいけない。
なお相手がいうのなら「私の師匠である日蓮房に問答しなさい」と
笑顔で、繰り返し繰り返し言いなさい。

 

 

老若男女、日本国民みんなが、笑いで包まれますように。
喜び笑いあう、全人類の人たちのために。、