ラケットちゃんさんのブログ

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。


テーマ:

 

平成26年、5月18日(日)

 

 前の記事からの続きです。
 雪頭ヶ岳山頂の桜と富士山を、十分楽しんだ私は、昼食の後、鬼ヶ岳へ向かいました。

第一のピークを越え、第二の岩場にかかった梯子を登り、約15分で、鬼ヶ岳山頂に着きました。

 

 空は、薄雲が広がっています。

 

 

 周りの樹木も、新芽や若葉がちらほらと萌えてきています。

いつもの、鬼の角岩の岩場から、ピース。

 

 

鬼の角岩と富士山の間に入って、ピース。

 

 

鬼の角岩に登ったり、抱っこしたり、座ったり、ねそべったり。

 

 

 

 

大岩に登ってみました。
ここからは、360度のパノラマです。

 

 

大岩と並んでピース。

 

 

南アルプスの峰々をバックに、ピース。

太陽が西に傾いています。
わあ~い!、空が、なんだか、恵光が出ているように映りました。
逆光だから、撮影が難しいですが・・・

 

 

大岩に抱っこです。

 

 

寝そべってみました。
とってもいい気分でっす~。

 

 

 ところで、この、わたしの右膝付近には、ささやかに生きている可憐な桜が写っています。
 下界に植えられて、多くの花を結ぶ桜とは違って、決して華やかとはいえないけれど、
この山頂の大岩に根をはって、厳しい生存条件の中なのに、小さな花を可憐に咲かせてます。

 

 

 この山頂の大岩に根をはって、毎日毎日、富士山を眺めているのでしょう。
加えて、岩の中に根を張っている、もう一群の、青い植物も見えます。

 

 

この桜は、2か月前までは、次の写真のように、雪に埋まっていました。

 

 

 実をいうと、今年今月も、ここに登ってきて、誇らしげに咲く桜の花を見てきた。


 少々恥ずかし気に咲いているけど、毎回違う咲きっぷりである。
 冬の厳しさも、毎年違うからであろう。
 この大岩に根をはる桜は、小さいけれど、確実に2年前よりも、枝葉が伸びてきている。
 今年も、夏に向けて、若葉を、めいっぱい茂らせるのであろう。
 そして、秋になったらオレンジ色に変化して散っていく。
 また、厳しい頂上の冬を越えて、更に進歩した花を咲かせていく。

 

 まさに、「世界で一つだけの花」、永遠に、「宇宙で一つだけの花」である。

 この桜は、きっと、私よりも長寿に違いない。

 

 

生命の尊厳・・・
生命の不可思議・・

生命の尊厳とは何か、
いかにして生命は尊厳なのか。

 

 思えば私は、悠遠のビッグバン宇宙の中、直径約8万から10万光年、約2000億~4000億個の恒星がある銀河系の中にある、その恒星の一つである太陽の周りをまわる惑星の一つである地球、極半径6357km、総面積は510.066×106 km2、陸地が147.244×106km2の中の、日本(人口1億2千万人)、その中の東京に住む東京都民1350万人の中の一人。
150億光年前にビッグバン宇宙が生まれてから、50億年前に地球ができ、38億年前に生命が誕生してから、20万年前に人類が誕生し、釈迦が生まれて約3000年、キリストが生まれて約2000年を経過して、私は、こうして大人になって、人生の後半に差し掛かって、日本第一の富士山と、その側近の山頂から対話している。

 何と稀なことか。

 偶然に起こるとしたら限りなくゼロに近づき極めている確率。

 宝くじの1等に、どれほど多く当たることができるだろうか。


 科学的・統計学的に真(=必然)といえば、5%の危険率をもってくだされるところ。

 私が、この世に出現して、こうして今、このような状態で存在していること自体が、科学的に見ても、偶然起こったことではなく、必然であることなのだ。
 私だけでなく、あなたも、他の人も、他の動物・植物・細菌・ウィルスに至る、すべての生きとし生けるもの(一切衆生)についても同様なのである。

 時間・空間を越えて、すべてのものが、ビッグバン宇宙以前から、元々、無限大の過去から存在している。
 これを本有(ほんぬ)という。


 因果の法則に基づいて、瞬間瞬間変化し、生命の傾向性を帯びながら、生命自体を変革し改正し進化し退化しつつ、生死生死を繰り返しながら、連続して続いていく。
因果の連鎖は途絶えることがないから、帰納的に考えても、生命は、永遠の未来にわたって存続していく。

 それを業(=カルマ)という。
 善悪の判断(時代や地域によって変わる)を用いて表現すれば、善因善果、悪因悪果となるが、無明に捉われた凡夫が感じるのは、善因楽果、悪因苦果となる。
つまり善果=楽果、悪果=苦果に変わっている。
 厳密にいうと、悟りを得た仏からみたら、善果悪果ともに煩悩測菩提となるので楽果となる。
つまり善因であっても悪因であっても楽果につながるのであるが・・・。

そして、その悟りを得た仏の生命が、すべての一切衆生の生命の中に、元々備わっていて、それが妙法蓮華経である。

 

 

 釈尊が、菩提樹の下で悟ったのは、この3点であったのだろう。
つまり、
「永遠の生命」、「業という因果の連鎖」、「妙法蓮華経という絶対的幸福境涯をすべての生命が備えている尊厳性」。
 神や創造主といった、唯一不滅の実体などや、未来永劫にわたって変化しない統一体などを規定することなく、科学的には観測不可能(説明不能)な領域も包含し、変化しないものは存在しないこと、あらゆるものの変化を「業」という概念で、合理的論理的に説明しきっている。
 そこには、微塵たりとも矛盾はない。
 差別や不平等もない。
 主体や環境、肉体と精神に関しての、差異や格差も含めて、すべてが、その生命自体の、唯一無二の尊厳なのである。
 そこには、境涯の評価、喜怒哀楽、満足不満足、幸不幸などもすべて含まれている。

 

 まあ、このようなことを、周囲の連中にいきなり説いても、理解が得られないばかりか、誹謗中傷を受けるだろう。
 法華経の最初の部分では、釈尊の、この葛藤が、描かれている。

 無明に沈んでいる生命にとっては、法理に反することでも則っているとしか見れないからである。

そのために、幸福につながらない欲の満足のみに捉われ、他の生命の尊厳をかえりみず自己の利益のみをいたずらに追いかけ、無用の争いを繰り返し、成長の糧となる困難を避け、刹那的で、将来の展望もなく、安易に自然の恵みや社会資源を浪費する。

そこには、有難味も、感謝や畏敬の心も乏しい。

毎日毎日、報道されるニュースには、愚かな人や社会情勢の病理を察するに余りある。

 

 このような濁悪の末法においては、日蓮大聖人が出現され(1222年2月16日)、仏の境涯を、南無妙法蓮華経と説かれたのである(1253年4月28日)。
 加えて、それに達する方法・そしてその法則そのものを、すべておなじ名称で、南無妙法蓮 華経と説かれたのである。
 あらゆる民衆にでも実践できるように、ご本尊を現された。

 

 それから約800年弱が経過した。
 その法理は、ほとんどの割合が、SGI(創価学会インターナショナル)によって、世界192か国まで広められている。
 これこそ、個人や家族レベルから、世界平和・人類繁栄とともに、地球レベルでの、あらゆる危機を乗り越えていくキーであり希望となっていると思う。

 

 今日も、私は、大自然=宇宙根源の法であり生命である、南無妙法蓮華経に、祈りをささげている。

これからも、ずっと毎日毎日続けていく。

自身の寿命が尽きても、また違った宇宙の中の地球のようなところで、再び出現して、祈り、行動していく。

 

 世界の平和と、生きとし生けるものの「の幸福」のために。

 10~100倍の親孝行のために。

 自身と家族の人間革命と宿命転換のために。

 患者さんの病魔の克服と、天寿の全うのために。

 明日の手術の大成功のために。

 病院の職員やその家族の健康と成長のために。

 悩める友人や先輩・後輩の成長のために。

 

AD
いいね!(109)  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Amebaおすすめキーワード

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

ランキング

  • 総合
  • 新登場
  • 急上昇
  • トレンド

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。