この写真は、インドのバラナシという町で、16年前の2001年の1月、ちょうどガンジス川船上ライブを終えた頃に撮られた一枚です。

 

 

今回、2017年立春、この時のメンバーが再び集結して音を出しました。

 

あの日、ガンジス川で唄った唄を、あの日のメンバーと唄っていると、本当にあの時の景色がすぐ目の前に蘇ります。


変わったこと、変わらないこと、すべてがこの人生という「旅」の面白さ。


「僕らは旅人なのだ」と、再確認できる貴重な時間でした。

 

 

集合スペースと宿を提供してくれた、ゲストハウス・オレンジハウスの通称「四代目」(※写真中央の座ってる人)、どうもありがとー!

 

 

親友達へ。せんきゅーまいふれん。
また遊ぼうな。

 

 

■冴えないバックパッカーが、旅人達とバンドを組んでガンジス川船上ライブをするまでの記録■

rainmanになるちょっと前の話。1
 「最後の旅へ」
日本→韓国→中国→ベトナム
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11748079325.html


rainmanになるちょっと前の話。2
 「ギターを手に入れる」
ベトナム→カンボジア
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11748754121.html


rainmanになるちょっと前の話。3
 「バンコクで大失態」
カンボジア→タイ
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11749606081.html


rainmanになるちょっと前の話。4
 「ヴァンビエンでバンド結成」
タイ→ラオス
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11749830383.html


rainmanになるちょっと前の話。5
 「C君との出会い」
ラオス
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11750309635.html


rainmanになるちょっと前の話。6
 「BOSSとの出会い」
ラオス→中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11750987189.html


rainmanになるちょっと前の話。7
 「麗江での日々」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11751659333.html


rainmanになるちょっと前の話。8
 「目指せチベット」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11752371725.html


rainmanになるちょっと前の話。9
 「長い長い旅路」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11753088433.html


rainmanになるちょっと前の話。10
 「ゴルムドの変装屋」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11754631554.html


rainmanになるちょっと前の話。11
 「ワンさんのアジト」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11755870786.html


rainmanになるちょっと前の話。12
 「ラサへの道のり」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11756575456.html


rainmanになるちょっと前の話。13
 「ラサでの出会い」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11757899919.html


rainmanになるちょっと前の話。14
 「キーボードを求めて」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11758608150.html


rainmanになるちょっと前の話。15
 「鳥葬を見る ①」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11760781965.html


rainmanになるちょっと前の話。16
 「鳥葬を見る ②」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11761452623.html


 rainmanになるちょっと前の話。17
 「ネパールへの道のり」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11762876266.html


rainmanになるちょっと前の話。18
 「カトマンズでの再会」
チベット→ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11764410416.html


rainmanになるちょっと前の話。19
 「カトマンズからポカラへ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11766057817.html


rainmanになるちょっと前の話。20
 「ホテルひまり」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11767598546.html


rainmanになるちょっと前の話。21
 「Zさんとの再会」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11770356845.html


rainmanになるちょっと前の話。22
 「ひまりの庭で初ライブ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11770947310.html


rainmanになるちょっと前の話。23
 「レイクサイドで2度目のライブ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11772983048.html


rainmanになるちょっと前の話。24
 「ポカラライブのその後」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11776258032.html


rainmanになるちょっと前の話。25
 「サンタクロースでインドへ」
ネパール→インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11779410421.html


rainmanになるちょっと前の話。26
 「バラナシでの日々」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11783940170.html


rainmanになるちょっと前の話。27
 「ガンジス川船上ライブが決まる」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11788301150.html


rainmanになるちょっと前の話。28
 「ドラえもん到着」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11793879842.html


rainmanになるちょっと前の話。29
 「ガンジス川船上ライブ当日」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11799037089.html


rainmanになるちょっと前の話。30
 「終わらない旅」
インド→モロッコ→イギリス→オランダ→日本
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11800177948.html


rainmanになるちょっと前の話。まとめ&10年後
 「THE JETLAG BAND!!!のその後」
日本和歌山・某島
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11800878334.html

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「rainmanになるちょっと前の話。」15周年記念





2014年3月のrainmanの解散直前にブログで掲載した「rainmanになるちょっと前の話。」。


簡単に言うと、俺がアジアを放浪しながら曲を書き、旅人達をバンドのメンバーにしていき、インドガンジス川での船上ライブを決行するまでの話なんですが、読んでくれていた方ありがとうございます。
けっこう反響が凄くて、その後1年くらいはどこかに呑みに行くと必ずその話をふられたりして嬉しかったです。


で、実は今回、その旅で出会った仲間達で15周年記念集会をしようということになり揃いましたので、自分の記念のためにも記事にしてみました。


まだこの話を読んだことの無い方は、暇な時にでも読んでみてください。

今回の15周年記念集会の模様は一番最後に載せてます。


rainmanになるちょっと前の話。1
「最後の旅へ」
日本→韓国→中国→ベトナム
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11748079325.html


rainmanになるちょっと前の話。2
「ギターを手に入れる」
ベトナム→カンボジア
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11748754121.html


rainmanになるちょっと前の話。3
「バンコクで大失態」
カンボジア→タイ
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11749606081.html


rainmanになるちょっと前の話。4
「ヴァンビエンでバンド結成」
タイ→ラオス
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11749830383.html


rainmanになるちょっと前の話。5
「C君との出会い」
ラオス
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11750309635.html


rainmanになるちょっと前の話。6
「BOSSとの出会い」
ラオス→中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11750987189.html


rainmanになるちょっと前の話。7
「麗江での日々」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11751659333.html


rainmanになるちょっと前の話。8
「目指せチベット」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11752371725.html


rainmanになるちょっと前の話。9
「長い長い旅路」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11753088433.html


rainmanになるちょっと前の話。10
「ゴルムドの変装屋」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11754631554.html


rainmanになるちょっと前の話。11
「ワンさんのアジト」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11755870786.html


rainmanになるちょっと前の話。12
「ラサへの道のり」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11756575456.html


rainmanになるちょっと前の話。13
「ラサでの出会い」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11757899919.html


rainmanになるちょっと前の話。14
「キーボードを求めて」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11758608150.html


rainmanになるちょっと前の話。15
「鳥葬を見る ①」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11760781965.html


rainmanになるちょっと前の話。16
「鳥葬を見る ②」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11761452623.html


rainmanになるちょっと前の話。17
「ネパールへの道のり」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11762876266.html


rainmanになるちょっと前の話。18
「カトマンズでの再会」
チベット→ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11764410416.html


rainmanになるちょっと前の話。19
「カトマンズからポカラへ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11766057817.html


rainmanになるちょっと前の話。20
「ホテルひまり」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11767598546.html


rainmanになるちょっと前の話。21
「Zさんとの再会」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11770356845.html


rainmanになるちょっと前の話。22
「ひまりの庭で初ライブ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11770947310.html


rainmanになるちょっと前の話。23
「レイクサイドで2度目のライブ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11772983048.html


rainmanになるちょっと前の話。24
「ポカラライブのその後」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11776258032.html


rainmanになるちょっと前の話。25
「サンタクロースでインドへ」
ネパール→インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11779410421.html


rainmanになるちょっと前の話。26
「バラナシでの日々」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11783940170.html


rainmanになるちょっと前の話。27
「ガンジス川船上ライブが決まる」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11788301150.html


rainmanになるちょっと前の話。28
「ドラえもん到着」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11793879842.html


rainmanになるちょっと前の話。29
「ガンジス川船上ライブ当日」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11799037089.html


rainmanになるちょっと前の話。30
「終わらない旅」
インド→モロッコ→イギリス→オランダ→日本
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11800177948.html


rainmanになるちょっと前の話。まとめ&10年後
「THE JETLAG BAND!!!のその後」
日本和歌山・某島
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11800878334.html




rainmanになるちょっと前の話。15周年記念
「THE JETLAG BAND!!!の15周年」


2016年、2月6日、THE JETLAG BAND!!!と名のりネパールやインドでライブをした仲間達が再び集結することになった。


場所は「四代目」が管理人を務める大阪のシェアハウス「オレンジハウス」の屋上にあるラウンジ。


再び集結!なんて書くととてもドラマチックに感じられるが、実際のところはそうでもなく、関西に拠点を置いてる仲間達は、毎年「新年会」と称して近郊の人だけで集まって近況を伝え合っていたのだ。


昨年、大阪在住の「Cくん」が東京に訪ねてきたときにその事を聞き、俺が「来年の新年会は俺も東京から参加する!」と言い出したため、「日程が決まりました」との連絡が来ただけである(笑)



しかし、関西の皆は毎年のことかもしれないが、よくよく考えると今年は2001年に散会して15年、わりと記念すべき年である。
これは「俺が東京から参加する新年会」という名目より、関東在住の仲間にも声をかけ集まってもらい「15周年記念の集い」にしたらどうだろうか!という熱い想いが沸いてきた。
そこで関東のみんなを呼びかけ、関西のみんなを巻き込みつつ、今回の「THE JETLAG BAND!!!15周年記念集会」が実現した次第である。



俺は「T」と一緒に、朝9時半の新幹線に乗り、東京から大阪を目指した。


「T」とは一昨年10年ぶりくらいに再会したあとはチョコチョコと会っていた。
出会った当時18歳だった「T」も、もう30代半ばである。


今回の大阪への旅は、俺も「T」も、表にこそ出さないがとても興奮していたと思う。
特に「T」は10周年のときに参加していないので、15年ぶりに再会できる仲間もいるとあってその興奮も只ならぬことではないかと想像する。


新大阪駅から御堂筋線に乗り昭和町駅に着いたのが13時ごろ。ここから徒歩7分ほどの場所にオレンジハウスがある。オレンジハウスはrainman時代、関西ツアーの拠点となる寝泊り場所として提供してもらいとても馴染みのある、お世話になった場所だ。


他のみんなは12時集合で、すでに会は始まっているらしい。
早くみんなの顔が見たくて、俺ら二人は小走りに住宅街を移動した。


オレンジハウスの屋上までの階段を駆け上がり、ラウンジに入ると、そこには懐かしい顔が揃っていた。


歓声があがる。


実は、ほとんどのメンバーが俺らの参加を知らされておらずサプライズな登場となったのだ。


大げさではなく、自分の原点に戻ってきたような気持ちになり「ただいまー」という言葉が出ていた。


一人一人と握手。みんないい顔をしてる。


まだ着いて5分も経っていないが、「今日ここに来てよかった」とみんなの手のひらを感じながら思った。





今回参加したメンバーを、記念に記しておく。
わからない方は本編を読み直してください(笑)


■四代目 今回の場所の提供人。THE JETLAG BAND!!!ではネパール・インドと、カメラマン&マネージャー(宿の管理人)をしてくれてた。立ち居地はあの頃と変わらず(笑)誠実で頭の良い兄貴である。今回は奥様と子供2人も参加(というか自宅)。上の子はもう小学生か。早いなー。


■Nさん THE JETLAG BAND!!!を作るきっかけになった重要人物。俺の精神安定剤であり、みんなからの人望も厚いまっすぐな男。旅中は仙人のような風貌だったため、15年経って若返った?との声あり。現在京都でキコリをしているらしい。彼女募集中?


■S君 THE JETLAG BAND!!!では数々の伝説をつくってきた俺の相棒。インドガンジス川船上ライブではドラえもんの格好だった。現在、京都在住で、今回は奥様と娘(2才)も参加。すっかりいいパパになってた。「ヴァンビエン村」一緒に唄いたかったな。


■C君 THE JETLAG BAND!!!でTとともにハーモニカを演奏。その後rainmanでも正式メンバーに。お世話になってるかわいい弟分。現在大阪在住。今回は奥様と息子(1才)も参加。というか奥様のKちゃんは本編には出てこないが濃い時間を過ごした旅仲間で、今回の集会の幹事さんでもあります。Kちゃんありがとう!


■8ちゃん THE JETLAG BAND!!!でW君とともに合流したパンクスの一人。相変わらずかっこよかった。rainman時代は、滋賀ライブの時によく泊らせてもらった。今も滋賀在住。今回は奥様と息子(1才)も参加。いいパパだった。


■Mさん THE JETLAG BAND!!!のネパールライブにインドから舞い戻りライブに参加した大兄貴。10周年のときに来ていないので俺とは約13年ぶりの再会に。優しくて、愛しのよっぱらいです。しばらくアメリカに住んでいたが現在は兵庫在住。「みんな、なるようになったなぁ」とシミジミ話していた。


■Oちゃん THE JETLAG BAND!!!ではキーボードを担当した唯一の女性。ずっとインドのダラムサラに住んでいたので、今回の参加は本当にびっくりした。当日まで知らなかったし。今回は息子(3才)と参加。すっかりママになっていた。地元が東京なので、またそのうち会えるかな。


■Zさん THE JETLAG BAND!!!結成前から数々の旅を重ねてきた古い友人。俺のジョーカーであり兄貴であり親友。下北沢在住なので一緒に行こうと誘ったがはぐらかされて、来ないのかと思ったら、夕方いきなりふらっと現れた(笑)まさかの登場にみんな大興奮。いつだって全部もっていく男である。


■NOBU ネパール、インド・ゴアで遊んだ旅人。ディジュ吹きでrainmanのデビューCDにも参加。現在は葡萄を作っている実業家。最近二人目の子供が産まれたらしい。


■なっつん 本編には出てきていないがC君の奥様Kちゃんと共にTHE JETLAG BAND!!!のおっかけwをしてくれた旅人。当時は大学生だったけど、いまはすっかり頼もしいママに。今回は旦那様と息子(4才)と参加。最近和歌山に越して来たらしい。


■T 俺と一緒に東京から参加。15年ぶりの再会を楽しんでいた。帰りの新幹線で「いやー、いい旅だった」と何度もつぶやいていた。行ってよかったなT!



残念ながら来れなかったTHE JETLAG BAND!!!のメンバー


■K君 奈良在住。家族みんなが風邪ぎみらしく、「周りの子供にうつしたら申し訳ないから」と参加を断念。電話で話したが、今は自分の家を建築中らしい。絵の好きな山男であり大工。頼もしいパパである。


■BOSS 九州在住のため断念。しかしメールしたところ「これからインドにいく!」と言っていた。今頃、デリーで上手いカレーでも食っているのだろうか。相変わらず気ままな旅を続けている憧れの不良兄貴。


■Wくん 行方不明(笑)これ見たら連絡してよ。





というような感じで、やはり15年、みんなそれぞれ自分の人生を歩んでいた。


結婚して子供が出来て。。。



言葉の疎通がまだ上手くできない子供同士が触れ合って遊び、それを母親達が隣で見守り、その後ろで親父達が15年前の旅の話で肩を抱き合う。


15年前にはまったく想像できなかった景色だったけど、きっと15年前からこの風景は決まっていたのかもしれない。という気もする。


2000年から2001年にかけて、みんなと過ごしたのは正味半年くらいだ。
でも、こうして時が経ってもその時のメンバーがその時の顔のままで笑い合える。
俺にとっても勿論だけど、みんなにとっても特別な半年間だったんだなと想い、また熱くなった。
「旅」という「非日常」の中での「出逢い」が、記憶や繋がりをより濃くしてくれたんだと思う。



鉄板で焼いてくれる手作りたこ焼きをツマミに、ラウンジを自由に使った宴は続いた。













オレンジハウスのテラスが夕日に染まりだし本当にオレンジハウスになった頃、俺は立ち上がってみんなに叫んだ。

とっさに発した言葉だった。


「えー、ジェットラグ20周年の話なんですが、ネパールのポカラ集合でお願いします。みなさん、各自積み立てしておきましょう、よろしく!」


5年後の20周年をみんなで過ごした思い出の地で集まれたらステキじゃないか。
ふとそんな景色が頭をよぎり、口に出してしまった。


みんなは「またそんなこと言い出したよー」と呆れていたが、Zさんが「この男は口に出したらやる男やけん」などと言い出し、引くに引けない感じになって…(笑)。
結局みんなも、ポカラで野外パーティーをやろうとか、ラジューと連絡を取れるのは誰だ?とか言い出し、5年後の話で盛り上がっていた。


夕日が沈んで間もない頃、母親達が少しずつ帰り支度を始めた。
お昼寝を返上して遊びまくった子供たちも、そろそろお休みの時間。
昔なら先頭きって朝まで騒いでいた奴らが、「それじゃそろそろ」と別れの挨拶をはじめる。
Nさんはけっきょく呑まずに、京都方面のみんなを車に乗せて帰った。
みんなそれぞれの役目や守るものがあるのだ。



そのままオレンジハウスに残った独身グループと俺は、深夜近くまで思い出話に耽り、その後は四代目のご好意でシェアハウスの1室で寝かせてもらった。


シェアハウスの薄い布団に横になると、ふとあの頃の旅で過ごしたゲストハウスの布団の中にいるような気がした。

まさに夢のような1日だった。



友情に感謝。
旅に感謝。
そして、この大阪への旅に「楽しんできてね」と快く送り出してくれた妻と娘に感謝。


こうして15周年の再会は夢と現実の狭間で幕を閉じたのでした。




はたして、20周年は??
まだこの物語は終わらないようだ。


せんきゅーまいふれん
大輔



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軽い気持ちで書き始めた旅行記だったけど、書いていくうちにどんどんあの日々の景色が蘇ってきて、思った以上に長くなってしまいました。


途中、記憶が曖昧なところは当時の仲間に電話で聞いたりして、思い出しました。どうもありがとう。


rainmanの幕が閉じる前に、一度書いておきたかった話だったので、無事に書き終えることが出来てほっとしています。


最後まで読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。
いい文章の練習になりました(笑)。


まだ読んでない方、もし興味があれば暇なときにでも読んでみてください。軽く短編小説くらいありますが(笑)。



一応、下にまとめてみました。
最後におまけもあります。




「rainmanになるちょっと前の話。」



rainmanになるちょっと前の話。1
「最後の旅へ」
日本→韓国→中国→ベトナム
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11748079325.html


rainmanになるちょっと前の話。2
「ギターを手に入れる」
ベトナム→カンボジア
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11748754121.html


rainmanになるちょっと前の話。3
「バンコクで大失態」
カンボジア→タイ
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11749606081.html


rainmanになるちょっと前の話。4
「ヴァンビエンでバンド結成」
タイ→ラオス
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11749830383.html


rainmanになるちょっと前の話。5
「C君との出会い」
ラオス
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11750309635.html


rainmanになるちょっと前の話。6
「BOSSとの出会い」
ラオス→中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11750987189.html


rainmanになるちょっと前の話。7
「麗江での日々」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11751659333.html


rainmanになるちょっと前の話。8
「目指せチベット」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11752371725.html


rainmanになるちょっと前の話。9
「長い長い旅路」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11753088433.html


rainmanになるちょっと前の話。10
「ゴルムドの変装屋」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11754631554.html


rainmanになるちょっと前の話。11
「ワンさんのアジト」
中国
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11755870786.html


rainmanになるちょっと前の話。12
「ラサへの道のり」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11756575456.html


rainmanになるちょっと前の話。13
「ラサでの出会い」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11757899919.html


rainmanになるちょっと前の話。14
「キーボードを求めて」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11758608150.html


rainmanになるちょっと前の話。15
「鳥葬を見る ①」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11760781965.html


rainmanになるちょっと前の話。16
「鳥葬を見る ②」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11761452623.html


rainmanになるちょっと前の話。17
「ネパールへの道のり」
チベット
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11762876266.html


rainmanになるちょっと前の話。18
「カトマンズでの再会」
チベット→ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11764410416.html


rainmanになるちょっと前の話。19
「カトマンズからポカラへ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11766057817.html


rainmanになるちょっと前の話。20
「ホテルひまり」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11767598546.html


rainmanになるちょっと前の話。21
「Zさんとの再会」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11770356845.html


rainmanになるちょっと前の話。22
「ひまりの庭で初ライブ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11770947310.html


rainmanになるちょっと前の話。23
「レイクサイドで2度目のライブ」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11772983048.html


rainmanになるちょっと前の話。24
「ポカラライブのその後」
ネパール
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11776258032.html


rainmanになるちょっと前の話。25
「サンタクロースでインドへ」
ネパール→インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11779410421.html


rainmanになるちょっと前の話。26
「バラナシでの日々」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11783940170.html


rainmanになるちょっと前の話。27
「ガンジス川船上ライブが決まる」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11788301150.html


rainmanになるちょっと前の話。28
「ドラえもん到着」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11793879842.html


rainmanになるちょっと前の話。29
「ガンジス川船上ライブ当日」
インド
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11799037089.html


rainmanになるちょっと前の話。30
「終わらない旅」
インド→モロッコ→イギリス→オランダ→日本
http://ameblo.jp/rainman2007/entry-11800177948.html



おまけ

「THE JETLAG BAND!!!のその後」


2001年1月のバラナシでのガンジス川船上ライブを最後に散会した「THE JETLAG BAND!!!」。

その後、メンバーはぞれぞれの旅を続け、帰国し、それぞれの人生を歩みます。

そしてみんなとの出会いから10年の月日が経った2010年。
あるメンバーから、みんなに封筒が届きます。

中には1冊の旅のしおり。表紙には「JETLAG 10周年記念ツアー」と書かれていました。
10年ぶりにあの頃のメンバーで集合しないか?というお誘いだったのです。

集合場所は、和歌山県沖にある、とある無人島。
そこで一泊だけ旅舎を貸切っているというのです。
現地集合ということでした。

とんでもない場所への召集でしたが、「旅人らしいな…」と笑ってしまいました。


そして、俺らは10年ぶりに、その無人島で再会を果たすのです。

Nさん、S君、C君、Zさん、W君、8ちゃん、四代目、、さらにホテルひまりで一緒に過ごした旅人達もいました。

懐かしい顔ぶれが、あの頃のままの笑顔で迎えてくれました。

みんな、結婚していたり、子供がいたり、会社を興したり。。
あの時描いていた未来とは、ほんの少し違ったけれど、いい方向に違っているのだと思いました。

10年前の、あの日々の話をしながらみんなで朝方まで飲み明かしました。
10年前の顔で。

そして「また10年後に集まろうよ」なんて言いながら、握手をして別れ、再びそれぞれがそれぞれの人生に戻っていったのです。


旅をしてよかったな、と心から感じる時間でした。


これからも良い旅を!

せんきゅーまいふれん。




おわり




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rainmanになるちょっと前の話。30(最終話)





ガンジス川船上ライブが終わった。


片づけをして、船が去っていく頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
俺はライブの興奮が冷めず、しばらく放心状態のまま、夜のガンガーを眺めていた。
まるで夢の中のような1日だった。
しかし、夢ではないのだ。
俺らは確かに、ガンジス川に浮かぶビッグボートの上で長時間に及ぶ船上ライブを決行したのだ。



ガンジス川船上ライブによって俺の中に産まれた感情、「唄を唄って生きてみたい」という想いは、その後も日に日に強いものになっていき、俺の心を支配した。
そうなると不思議なもので、旅の当初に決めた「飛行機を使わずに遠くへ行こう」というルールや、「世界一周したい」という思いは、どうでもいいような気になってくる。
そんなことより、日本に戻って唄を唄って生きていくにはどういうやり方がいいのか?そんなことばかり考えるようになった。


しばらくすると、ついにNさんがバラナシを旅立つ日がやってきた。


ベトナムでNさんと出逢った事によって、俺は音楽の楽しさを知り、唄うことの面白さを思い出した。
そんなNさんとの別れは、とても印象深かった。
リキシャに乗って去っていく後姿が喧騒の中に消えてもなお、俺は手を振った。
この時の別れを「サヨナラしないよ。」という唄にした。


Nさんがいなくなることによって、俺のTHE JETLAG BAND!!!としての旅も、「これで本当に終わったんだな」と実感できた。





この後の、俺の旅を簡単に記しておこうと思う。




俺はこのあと、バラナシにいた仲間達何人かと、インド南部の「ゴア」という町に移動した。
自分の中では「ライブの打ち上げ」という位置づけだった。
色々今後のことを含め、海の見える場所でゆっくりのんびり考えたいと思ったのだ。


ゴアという町は、知る人ぞ知るヒッピーの聖地。俺も旅人として一度は訪れておきたかった。

ゴアに一緒に行ったメンバーは、S君、C君、T、K君、BOSS、W君、8ちゃん、そして四代目。
他にも仲良くなった旅人が何人か合流した。


ゴアでは、2階建ての家を2件貸しきって、みんなで過ごした。
英語が達者な四代目が、大家さんと交渉してくれて月極めで安く借りられた。


家から徒歩3分でビーチだった。
俺らは毎日、昼は海で泳ぎ、夜はマーケットにいったり町中で行われているパーティーに顔を出したりした。
こんなに毎日が楽しくていいのか!というほど、楽しい日々を過ごした。
ゴアは、自由を求めるヒッピーのパワーで成り立つ、まさに自由の国だった。




しかし、2ヶ月近く経った頃、突然ふと思い立った。
「そろそろ一人旅に戻ろう」と。



いつまでも気の合う仲間達と一緒に遊んでいられたら…そんなステキなことはない。
しかし、俺らはもともと一人旅の旅人なのだ。
居心地の良い場所にいつまでもいるわけにはいかない。
いつかはみんな一人に戻らなければいけないのだ。


俺は、ゴアの町を出る決心をした。
そして、旅行代理店に行き、飛行機のチケットを取った。
俺のことを誰も知らない遠くの国へ飛んでいこうと思った。

俺はみんなに「明日、ゴアを出るよ。今日、モロッコ行きの飛行機予約してきたんだ」と言った。みんなはとても驚いていたが、「いよいよそんな時が来たか」という感じだった。


みんなとの別れは予想以上に寂しくて、何度も後ろ髪を引かれた。
「またすぐ日本で会おう!」そう言い合って、握手をして別れた。
この時の出発を、後に「リセット」という唄にしている。



俺は、インドのボンベイから、一人飛行機に乗り、北アフリカモロッコに降り立った。
なぜ、モロッコを選んだか。それは、砂漠が見たかったからだ。
俺は「旅の終わりの景色」を探していた。
自分の中で、「日本に帰ってからやりたいこと」が出来た以上、しっかりと「旅」に区切りを付けたかった。

サハラ砂漠を、俺の旅の終わりの景色にしようと思ったのだ。


モロッコ・カサブランカから、マラケシュを経由して、メルズーガという砂漠の町を目指した。
今まで、何ヶ月も回りに仲間がいた状態だったので、モロッコでの一人旅は予想以上に寂しかった。
しかも、モロッコはフランス語圏で、英語も通じなく移動や日常生活にかなり苦労した。


しかし、それも「いいリハビリだ」と思う余裕があった。
THE JETLAG BAND!!!の旅を経験したことによって、孤独や苦労を楽しめるようになっていたのだ。


砂漠の入り口の町、メルズーガにやっと辿り着いた。
明け方、日が昇る前にサハラ砂漠に入り、大きな砂丘を上りきったとき、遥か先から太陽が昇ってくるのが見えた。
光が広がり、目の前が「砂の海」に変わったとき、今までの旅が走馬灯のように頭をめぐって涙が止まらなかった。


この時の出来事を「続・終わらない風の終わらない唄」という曲にしている。
俺は「旅の最後の景色」を無事に目に焼き付けることができた。


その後、再びカサブランカに戻ってきた。


砂漠も見たことだし、ここで日本に帰ればいいのだが、やはり俺は根っからの旅人なのかもしれない。
「せっかくだし、ちょっとヨーロッパにも寄ってから帰ろうかな」なんて気分になった。
次に旅に出るのはいつになるかわからない。いま見たい場所を、見れるだけ見ておくのも悪くない!そう思った。


俺は、ヨーロッパにはまだ行ったことがなかったし、どうしても見たい街が二つあった。
「ロンドン」と「アムステルダム」だ。


旅資金にもまだ少しだけ余裕があったし、日本に帰る前に少し観光してみようと思った。


俺はカサブランカから、イギリス・ロンドンまでの飛行機を手配した。


霧の深いロンドンに無事に降り立った俺が最初に思ったのは、自分の服装がかなり浮いている!ということだった。
アジアや砂漠を貧乏旅行していた俺の服装は、ぼろい布切れを纏っているようなものだった。
空港から列車に乗っただけで、他の乗客にジロジロ見られた。
俺は、ホテルにチェックインしたあと、すぐに服を買いに行った。

街を歩くだけで、今までのアジアの国とは明らかに違っていた。俺は、上下左右きょろきょろしながら歩いた。ただの田舎ものだった。パンクスが通りかかるだけで「おーー!ロンドンっぽい!」と興奮した(笑)。
それはもう、なにもかもに凄まじい刺激を受けた。
ヨーロッパに寄ってよかった!と思った。


アジア・アフリカだけで帰国するより、かなり俺の旅の幅が広がった気がした。


ロンドンではBOSSの先輩にあたる□□さんという方にお世話になった。
BOSSは以前ロンドンに暮らしていたので、俺が「ロンドンにいる」とメールをしたら、現地に住んでいる□□さんを紹介してくれたのだ。
□□さんは、ロンドン郊外で開かれているパーティーに連れて行ってくれた。
廃校を改造したような場所で、そのパーティーは行われていた。
もうぶったまげた。
日本のクラブシーンなんて比べ物にならないくらい、異次元の世界が広がっていた。
現地に住んでいる□□さんと一緒だからこそ見ることができた世界だった。□□さんを紹介してくれたBOSSに感謝した。


他にもロンドンではライブを見たり、古着を買ったり、遊びまわった。
アジアで3週間暮らせるくらいのお金が、一日で泡のように消えていった。




数日後、ロンドンから、海底を通るバスに乗り、オランダ・アムステルダムに入った。

アムステルダムも、どうしても一度来ておきたかった街だ。

アムステルダムも、予想していた以上にぶっとんだ街だった。
街中がオモチャ箱みたいなのだ。
こんなに自由でお茶目な街が存在して良いのか!と思うくらい、日本とはかけはなれた価値観で出来た先進国だ。
本当に見ておいてよかったと思った。


5日間ほど、アムスで過ごし、いよいよ俺の旅資金もそこをついてきた。


本当に、ヨーロッパでは金が減っていくのが早かった。


俺は、「そろそろ日本に戻ろう。もう充分だ。今見たいものは全部見た。日本でやることをやらないと!」と思った。


最後の旅資金で、俺は日本までの飛行機のチケットを買った。





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こうして、俺の「最後の旅」と位置づけた、13ヶ月に及ぶ放浪生活は幕を閉じた。



日本に帰ってからは、みなさんの知っている通りだ。



俺は、さっそくメンバーを探し、「rainman」というバンドを組んだ。


メンバーには「気の合う友達」を誘っただけだ。


みんな音楽などやったことのないやつらだったけど、そんなことは全然気にしなかった。
演奏が出来ないなら、「出来るまで練習すればいい」だけだ。


それは、俺が旅で教わった大事なことであり、俺はそんなバンドを作ってみたかったから。



俺らはただただ練習した。練習して1曲1曲仕上がっていくのが楽しくてしょうがなかった。




そして、ガンジス川船上ライブから、ちょうど1年後の、2002年1月15日。

「rainman」はついに初ライブを決行する。


初ライブにして、ライブハウスを貸し切るイベントを企画。
イベント名は「BACK PACK BLUES NIGHT VOL.3」した。


VOL.0が、ポカラのホテルひまりの庭。
VOL.1が、ポカラのライブバー・クラブ アムステルダム
そしてVOL.2が、バラナシのガンジス川船上ライブ

そして、今回がVOL.3だ。



俺の旅は、まだまだ終わっていなかったのだ。


「最後の旅」に出てわかったことは、「最後の旅」なんて無いってことだ。


旅は、形を変え、景色を変え、いくつもの壁を超え、続いていくのだ。



2002年1月15日のデビューライブから、12年と2ヶ月。


俺らは突っ走るように「rainman」という旅を続けた。


様々な出会いと別れを繰り返し、俺らだけにしか見れない旅の景色をたくさん見てきた。


その旅が、もうすぐ終わろうとしている。


だけど、この12年のrainmanの旅が、「最後の旅」ではないという事も、また俺は知っているのだ。






最後まで読んでくれてありがとう。
旅の途上にて。




「rainmanになるちょっと前の話」完
rainman daisuke

rainmanになるちょっと前の話。29





2001年1月15日、ついに「ガンジス川船上ライブ」当日を迎えた。


俺らが配ったチラシを片手に持った人々が、まだ出航までだいぶ時間があるというのに、続々と船が出航するガートに集まってきている。


その光景を、ビシュヌRHのテラスから見下ろしていると、だんだん胸が熱くなってきた。


俺の旅というより、俺の人生において、なんだか今日は特別な日になるような気がした。



他のホテルに泊っているメンバーも、ガートに集まってきたようだ。


Nさんは全身黒の衣装で、珍しくサングラスなんかしている。
S君は、やはりドラえもんの格好だった(笑)。
Oちゃんはサリーを纏っている。
C君とTは、色違いのバンドTシャツだ。
W君は、まるでサドゥーのようだ。
8ちゃんは魔術師にみえる(笑)。
BOSSやK君もいる。



俺は、みんなに向かって、ガートまで運ばれて来たビッグボートを指差し、「それじゃ、早速セッティングしちゃおうか!」と言った。


ボートの前にはZさんと、この船の所有者ジャグーがいた。
俺は二人と握手をして、そのでかい船に乗った。

みんなもそれぞれの楽器を手に、乗り込んだ。


俺らは計画していた通り、船の中央部分に、円を囲むように向かい合った。
そしてまずリズム隊とキーボードが、座る。そしてその周りを囲むように、ギターボーカルやハーモニカ部隊が陣取った。


すべて生音なので、なるべく遠くまで良いバランスで音や声を届かせるには、どういう布陣がいいのか…リハを重ねながら座る位置を決めていたのだ。


とりあえず、少しずつ位置を微調整しながら1曲演奏してみた。


船が停まった状態なので、動いたらどうなるのかはわからなかったが、「結構いい感じ」に聞こえた。みんなも周りの音がよく聞こえてやりやすいと言っている。


俺は「じゃあ、これでいこうか」と言った。


俺はこの時、まぁなるようになるだろう…という気分だった。


正直、俺らはそんなに演奏がうまいわけじゃない。というか、まだライブを2回しか経験していない素人だ。
その2回のライブも、一応音響さんが音を拾ってくれて、それなりにライブっぽい音になったかもしれないが、今回は生音。しかも船の上。そして船はガンジス川を流れていくのだ。こんな特殊な環境で、どうすればうまくできるか?なんてこの時点で悩んでもしかたがない。今日のライブがどんなことになるのか、想像もできなかった。


もう「思い切ってやるだけだ」と、多少なげやりな感じも混ぜつつ、セッティングを終えた。



一度船を下りて、出航時間まで時間をつぶした。



ガートには、さらに人が増え続けた。


船上ライブが珍しいのか、それともただ暇なだけなのか、ほんとうに色んな人種が集まってくる。

俺はなんとなく気持ちを落ち着けたくて、ガートの階段で座っていたBOSSの近くに行き、他愛もない話をしていた。


陽が傾き始めた頃、いよいよ出航時間が近づいてきた。


ジャグーが「客を乗せていいか?」と俺のところまで尋ねにきた。
俺は「OK」と答えた。


ジャグーの合図で、ガートに戯れていた人々が、次々と船に乗り込んでいく。


驚いたのは、欧米人が多いことと、インド人が多いことだった。


日本人は全体の3分の1くらいだったと思う。

ほとんど曲は日本語で作った俺のオリジナルなんだが、言葉の壁は大丈夫かなぁと少し心配になった。



隣にいたBOSSが、「大ちゃんもそろそろ船のほうに行きなよ。みんな大ちゃん待ってるよ」と言った。
俺は、「そうですね。行ってみます」と言って、立ち上がり、船を目指した。


船にはこれ以上乗れないだろうというくらい沢山の人が乗っていて、乗り切れない人もいるようだった。
乗り切れない人は、ジャグーの手配した小ボートに乗り、ビッグボートの周りを囲むように浮かぶようだった。


船に乗ったみんなが、船に近づく俺の方をじっと見ている。


心臓がドキドキした。


俺は、船に飛び乗った。


そして船の中央に陣取るメンバーの近くに行き、ギターを持った。


NさんやS君と目が合った。その時、ドキドキしていた気持ちが、一気に落ち着きを取り戻したように感じた。
メンバーと一人一人ハイタッチした。
みんないい顔をしていた。


俺は、「よし。余計なこと考えずに、今を楽しもう」という気持ちになった。


俺には、この旅で出会った仲間が沢山いるのだ。

みんなと一緒なら大丈夫だ、そう思った。




そして、船がゆっくりと動き出し、ライブは始まった。




この日のライブは、俺がこの旅で作った曲を、最初から順番に唄うような形で曲順が決められていた。

唄いながら、自分の旅をおさらいしているようで、懐かしくなった。


ベトナムでギターを初めて買って、Nさんにプレゼントした唄。
NさんやS君とベトナム・カンボジアで再会を繰り返しながら作った唄。
タイで新しくギターを買い、作った唄。
ラオスでバンドを作り、ライブをやろうと決めた頃の唄。
中国で、C君やT、BOSSやK君と過ごした頃の唄。
5人でチベットを超えながら作った唄。
ラサでOちゃんとキーボードを弾きながら作った唄。
ネパールで、ホテルひまりに滞在しながら作った唄。


唄い始めたら、緊張などはどこかに飛んでしまい、俺は、ひたすら自分の唄の世界に入り込んでしまった。




しばらくすると突然、水の音が聞こえた。


なんだろうとそっちを見ると、何人かの欧米人が興奮して船からガンジス川にダイブしたようだった。
「HOOOOO!」と奇声を上げている。


その行為で俺はやっと、周りを気にする余裕が出来た。
船の様子を見渡すと、はしゃぐ欧米人だけじゃなく、インド人のおじさんや子供たちも船の上で立って踊っている。


信じられない光景だった。


俺の唄で、俺らの演奏で、船に乗っているみんなが楽しそうに体を揺らし、ニコニコしながら踊っているのだ。




船に乗りしばらく時間が過ぎた。演奏も終盤だ。
あたりは夕暮れに差し掛かっている。
ガンガーの上から見あげるバラナシの街が、オレンジ色に染まりキレイだった。
ガンガーの水辺も、キラキラしている。




ふと気付くと、一つ帽子が、船の上を、人から人へ移動していた。

俺は、その帽子を見ながら「なにをしているのだろう?」と思いつつ演奏を続けていた。



日が沈む直前、俺らはついに全ての曲の演奏を終えた。



船はジャグーの指揮の元、出航したガートに戻るような感じで進んでいる。


「なんとか終われたな…」と、ほっとしながら船の進む方向を見ていると、一人のニュージーランド人が俺に話しかけてきた。


「ヘイ、ジャパニーズ、今日はこんなスペシャルなイベントを開いてくれて本当にありがとう。とてもナイスだった!この船を借りるのもきっとお金がかかったんだと思う。そこで、俺らは少しだけど、御礼の変わりにカンパしたいと思う!」
そう言って、さっき船の上を回っていた帽子を俺に差し出してきた。


帽子の中を見ると、そこにはインドルピーやUSドルがたくさん入っていた。

みんな船の上で、カンパのために、帽子にお金を入れて回してくれていたんだとその時わかった。


ぐっと来た。嬉しすぎて泣きそうになった。


俺は、声にならないお礼を言って、その帽子を受け取った。


帽子には、船代の30ドルをはるかに超える金額が入っていた。



船がガートに近づき、みんな陸に下りていった。


下りるとき、船に乗った全ての人とを握手をした。


そして、握手を繰り返しているその時、俺はある一つの意識が、頭の中ではっきりと産まれつつあるのを感じていた。



この旅を始めるにあたり、見つけたかったもの。


旅に変わる「何か」を探すために、俺はこの「最後の旅」に出たのだった。


それが見つかったような気がした。



この時、旅に出て初めて、「唄を唄って生きてみたい」という想いが、俺の中に生まれているのに気付いたのだ。





もう少しだけ続く。

※写真 船の上ではしゃぐインド人

rainmanになるちょっと前の話。28




ガートの若者達をまとめるボス・ジャグーから100人乗りの手漕ぎボートを借り、1月15日に「ガンジス川船上ライブ」を決行することになった我々THE JETLAG BAND!!!は、早速ガンジス川に小船を出してもらい、その上でリハを重ねた。


8ちゃんがギターを弾けるので、ポカラの時のライブよりも音が厚くなり色んなアレンジにも挑戦することができた。



メンバーみんな、あの時のポカラライブの快感を忘れられないらしく、とても本番を楽しみにしているようだった。
ステージの上で自分を表現するという行為は、経験したものにしか解らない独特な快感があるのだ。あの快感は知ってしまうと癖になる。独特な中毒性なのだ。



毎日、曲のアレンジなどを考えて、みんなで音を出すのは楽しかった。
雨の日は、ウルバシGHの室内屋上で練習したりもした。



そうこうしているうちに、あの男がポカラからバラナシにやってきた。
S君である。


この時のS君の登場は、なかなか印象深いものがあった。


なんと彼は「ドラえもん」の格好でインドINしてきたのだ。
ドラえもんとは、あの「ドラえもん」のことである。


S君は、青のつなぎの服を着て、胸の辺りに四次元ポケットをつけていた。
そして赤いスカーフを首輪のように巻き、しっかりと鈴までつけているのである。


もちろん、その格好でのS君の登場にみんな驚き、大爆笑。


「なんて格好してるんだ?」「どうしたんすか?いったい」と、みんなに問いかけられたS君は、「いやー、大ちゃんがクリスマスにサンタクロースでインドINしたなら、俺もなんかやらんとあかんやろー!」と言った。
別に俺がサンタになったからといって、S君は普通で良いと思うのだが、彼的には「なにかやらないとあかん」となるらしい(笑)。
「で、いろいろ考えたんやけど、やっぱり無事に21世紀を迎えたということで、ドラえもんかな…と!」とS君。
「21世紀」で「ドラえもん」。
あー、なるほど。



ラジューに頼み、サンタの衣装を作ってくれた生地屋で、新年早々ドラえもんも作ってもらったらしい。
ラジューも俺らのバカな遊びに付き合わされて大変だな(笑)。


しかし、かなりクオリティーの高いドラえもん衣装だ。
遊びでもしっかりと要望に応えてくれるラジュー。やはり、さすがである。


その後俺は、ドラえもんのままのS君と一緒に飯を食いに外に出たのだが、道を歩くだけで旅行者や現地人などから記念撮影をせがまれていた。とにかく目立つのである。
そして色々な質問をされ、S君も普通に答えるのだが、なぜか名前を聴かれたときだけは「ぼくドラえもんです」と大山のぶよのモノマネで答えていた。ほんとバカである(笑)。
しかし異国の地でこういうバカができる男が俺は大好きなのだ。



ドラえもんS君の合流で、THE JETLAG BAND!!!の練習も益々活気が出てきたのであった。



そうそう、この時期もう一つ忘れられないエピソードがあった。
ホテルひまりの後期のメンバーに「四代目」というニックネームの旅行者がいたのを覚えているだろうか。
彼とも、この頃、バラナシで再会を果たすのである。


彼はカメラマンであった。


大きな一眼レフのカメラをいつも首からぶら下げていて、俺らの活動の記録を収めてくれていたのだ。

しばらくバラナシでも一緒に生活したのだが、実は彼は先を急がなければいけない理由があり、1月15日の船上ライブを見ずに先にバラナシを列車で出ることになっていたのだ。
もう既に列車のチケットも購入してあった。


俺が「四代目に船上ライブの写真撮ってもらいたかったなぁ」と言うと、「撮りたかったなぁ。でも、もうチケット買っちゃってるし…、残念だよ」と四代目は答えた。



そして、四代目がバラナシを出発する前日を迎えた。
俺と四代目はビシュヌRHのテラスにいた。


俺は「明日で旅立ちですね。ほんとに、船上ライブの写真撮らずに出ていくんですか?本当に先を急がなければいけないの?」と、しつこくもまだそんな問いかけをした。
そうしたら四代目から意外な答えが返ってきた。
「行くのやめよっかな。君らのライブ撮ってみたい」


俺はびっくりした。「え!?まじすか!それなら残りましょうよ!是非撮ってください!」
四代目は「うん、そうするよ」と言って、すかさずポケットから列車のチケットを取り出し、それをビリビリと破いて空に舞い上げたのだ。


破かれたチケットは、風に乗り、ビシュヌRHのテラスからガートを超え、ガンガーの上までヒラヒラと舞っていた。
紙吹雪のようですごくキレイだった。
四代目はそれを見ながら「あー、これですっきりした。よっしゃ、あんたらにとことん付いていきますわー」と言った。
俺は手を差し出し、四代目と熱い握手をした。


この後、四代目によって収められたガンジス川船上ライブの写真は俺の宝物になるのだった。




バラナシでは、チラシをコピーするのにも一苦労だった。


2001年当初はなかなかコピーを簡単にしてくれるような店がなかったのだ。しかし、なんとか300枚程度のチラシをコピーすることが出来た。

俺らは、ポカラライブのときと同じように、チラシを町中の食堂やゲストハウスに配った。


チラシには、バンド名と日にちと船の出発するガート名、そして出航時間を書いた。
もちろんチャージは無し、FREEだ。船を借りるのに30ドルかかったが、こんな面白い遊びができるんだし安いもんだ。俺は既に自分の旅費からジャグーに30ドル渡していた。

そして誰でも、どの国籍でも、どんな人種でも、どんなカーストでも、俺らの船には乗れるんだってことも書いた。
いろんな人が一つの船に乗れたら最高だなと、そう思った。


しかし、日本人によって行われるガンジス川上の船上ライブなんかに、いったいどれくらいの人が集まってくれるのだろうか。
チラシを巻きながらの手ごたえは、あまりなかった。
インドではあまり期待できないかもしれないな。そんなことを思いながらチラシを配り歩いた。





そして、ついに、ライブ当日の朝を迎えることになる。


俺は起きた後、いつものようにビシュヌRHのテラスに出て、その下に広がるガートとガンジス川を見下ろした。

そのとき、一瞬、あれ?ここどこ?という錯覚に陥った。

いつもの朝と違うのだ。


いつもより、何倍も人が多い。


人がごちゃごちゃと集まっているのだ。


俺は、「今日は人が多いなー、なにかヒンズー教の行事があるのかな?」と思いながらガートを眺めていた。


しかし、眺めているうちにあることに気付いた。


みんな手に紙切れを持っているのである。

そして、その紙切れを良く見たら、俺らが町中に配ったチラシではないか!


俺はゾクっとした。


「この人たち、船上ライブのために朝早くからこのガートに集まってるんだ!」



出航時間まで、まだ大分時間があるのに多くの人々が既にガートで戯れているのだ。



そして、お昼に差し掛かったころ、100人乗りのビッグボートが、ジャグーの指示の元ゆっくりとガートに入ってきた。


俺以外のメンバーは、この時そのビッグボートを初めて見たのだが、予想以上の大きさに驚いているようだった。




さぁ、いよいよ、ガンジス川船上ライブが始まるのだ。




続く。




※写真はドラえもんで登場した時のS君。そしてビシュヌRHのテラスから見えるガートとビシュヌRHのテラスで日向ぼっこする我々。

rainmanになるちょっと前の話。27





バラナシでライブが出来る場所なんていったいどこにあるんだ?という俺の問いかけに、ガンガーガートを仕切るボス・ジャグーは、「オン ザ ガンガー」と答えた。


ガンジス川の上でライブ?


その時まだ俺は、ジャグーの言葉の意味を理解できずにいた。
ガンジス川の上で、いったいどうやってライブするというのだろう。


どういうことなの?という顔をしていると、隣にいたZさんが、「ジャグーは100人くらい乗れるビッグボートを持ってるらしいんだよ。それに乗って、ガンジス川に浮かびながらライブするっていうのはどうだ?って話なんだよね」と言った。


一瞬、目からウロコが落ちたような感覚になった。
たしかに、ガンジス川の上なら、大きな音を出しても迷惑がかかることはないかもしれない。

「ガンジス川船上ライブか…」と俺は声に出してつぶやいていた。
うん。なんかいいかも。文字の響きもかっこいい!



しかし、まだ俺はいくつか疑問を抱えていた。
本当に100人乗りの船なんてあるのだろうか?俺が、バラナシの生活で目にするボートは、せいぜい大きくても10~20人乗りくらいだった。
旅行者をガンガーの対岸に連れて行ったり、川を遊覧するのに、そこまで大きなボートは必要ないのだ。


そして、ボートの上でライブをするならマイクやスピーカーなど電源が必要なものは用意できないことになる。
全て生音で唄ったり演奏したりするしかない。
しかし大型の船なら「エンジン付きの船」になるだろう。
そうなると、演奏が、エンジンの音で掻き消されてしまうのでは?という心配もあった。



ジャグーは、「これからその船を見せるから付いて来てください」と言った。
そうだ、直接その船を見るのが一番早い。


俺は、ジャグーとZさんの後を付いて、そのビッグボートを見に行くことにした。


ガンガー沿いのガートを、再びまた上流へと進んだ。
すれ違うインド人の若者はみんなジャグーに会釈をする。



しばらく歩くと、ジャグーが立ち止まった。
そして「あれです」とガンガーの方を指差した。


そこには、まさしく「ビッグボート」があった。
俺は思わず「おおおー」と声を出していた。
想像していたよりも遥かにでかかった。
木で出来ていて、ドッシリとしていた。


ジャグーが「このボートは手漕ぎなので、エンジンは付いていません。8人で漕ぎます」と説明してくれた。
よく見ると両サイドに4つずつオールが取り付けてあった。


20人乗り程度のガンガー遊覧船でも、現地の人は1人で漕いで回る。それが漕ぐだけで8人必要なのだ。それだけで船の大きさは想像してもらえるだろうか。本当にバカでかい船なのだ。



手漕ぎボートなら、エンジンの音もないし、生音での演奏でも問題ないのかもしれない。


船の端で演奏したら、反対の端までは音は届かないかもしれないが、船の真ん中をステージにしたら、両サイドに音が届くかもなぁとその時とっさに考えていた。



俺は、思い切ってやってみようかな、という気持ちになった。



俺らの集団に好意をあまり持っていない現地人にも、俺らが何者なのかを見せられるかもしれないし、第一にまず、Zさんとジャグーが俺のために力を貸してくれたことが嬉しかった。


俺はジャグーに言った「OK、この船を貸してくれ。この船でライブをしたい!」
ジャグーは「OK」と言って握手してきた。
決まりである。



さっそく俺は、Zさんを挟んでジャグーと細かな話をはじめた。



まず「値段」だ。
こんな大きな船だし、料金もけっこう高いだろうなと予想したのだが、意外と安かった。
1日借りて「US30ドル」だと言うのだ。3000円しないのである。
まぁ、宿のシングルルーム1泊の値段が3ドルから5ドルなので、インドの物価でいえばかなりの大金なのだが。
俺はディスカウント交渉などはせずにジャグーの言い値で手をうった。
こんな大きな船を貸してくれるのだ。ジャグーとせこい話はしたくなかった。


次は「日時」だ。
とっさに俺は1月15日で、と答えた。
もうすぐ誕生日だと言っていた旅人がいて、その日が1月15日だったのだ。深い意味はないが、せっかくなのでお祝いも兼ねて遊べるのでは?と思ったのだ。
ジャグーは日にちに関しても「OK」と言った。時間に関しては、大体昼過ぎ頃から日が暮れるまでって感じにした。


そして「発着場所」だ。
これもすぐに決まった。ビシュヌRHの真下のガートからの出発になった。
俺らが泊っているホテルの下だし、ジャグーのチャイ屋もそこにある。
「OK、では昼過ぎにそこに船があるように移動させておきます」とジャグーは言った。


それからジャグーから提案があった。
長時間船に乗っていると、トイレに行きたくなる客やチャイを飲みたくなる客も出てくるのでは?と言うのだ。
たしかにそうだなと思った。
そこで、「トイレの為に対岸やガートに向かう船」や「チャイ&ビール屋の船」や「食べ物屋の船」等をビッグボートの周りに待機させるという。そして、その船は是非俺の店の船でやらせてくれと言うのだ。
もちろん異論はなかった。
俺は「よろしく頼むよ」と言った。
さすがこの辺一帯のボスだけあって、ジャグーは頭がキレる。ビッグボートだけではなく、船を取り囲む周りの小船もすべて商売の対象なのだ。



こうして全ての交渉は終わった。


約10日後の2001年1月15日の昼過ぎ、ビシュヌRHの真下にあるコーリーガートから出航し、ガンジス川上で船上ライブをやることになった。




俺とジャグーを繋げたZさんは、満足そうに笑っていた。
「大ちゃん、面白いことになってきたね」
「ありがとう。Zさんのおかげだよ」


帰り道のガートを歩く頃には、すっかり体も軽くなっていた。どうやら熱も下がってきたようだ。

俺は興奮していた。
ネパールに続き、ここインド・バラナシでもライブが決まった。
しかも聖なる川、ガンジス川の上での船上ライブだ。



早く他のメンバーに伝えないと!

そう思うと、自然と足早になった。



その日の夜、早速THE JETLAG BAND!!!のメンバーに集まってもらった。



そして、今日あった事を話し、ライブをすることになったと伝えた。

みんな「えーーー!」と驚いていた。


Nさんが笑いながら「ガンガー船上ライブかぁ。文字にするだけでかっこいいっすね」と言った。
俺が最初にこの話を聞いたときの感想と同じだった。


C君が「じゃあまた練習しっかりやらないと、ですね」と俺を見た。


Tが「よっしゃーポカラのライブのリベンジができる!」と言った。Tはレイクサイドのライブの日、声が枯れてしまって悔しい思いをしていたのだった。


Oちゃんは「このキーボード、電池でも動くから大丈夫だよ」と笑った。


俺は「そこで、ちょっと提案なんだけど、W君と8ちゃんにもメンバーになってもらおうかと思うんだ。どうかな?」と話した。
W君はいるだけでかなり目立つし、歌声も力強かった。8ちゃんはギターを弾けるので、音に厚みが出せる。
みんなは「もちろん!」と言った。


その場にちょうどW君と8ちゃんも居合わせていたので、すぐに聞いてみた。二人は「嬉しいよ!面白いことになってきやがった!」と笑った。


こうして、メンバーが2人増えたのだ。



俺は、まだポカラのホテルひまりに滞在しているであろうS君にもメールをした。
「S君!ひょんなことからバラナシでもライブすることになったんだ!しかもガンジス川の上で船上ライブ!15日にやるから急いでインドまで下りてきてよ!」
「すごい話になっとるな(笑)まぁそろそろ出るつもりだったから、そう待たせはしないよ」という返事がきた。




早速次の日から、俺らは練習を開始した。

ネパールの時の様に、ラジューが用意してくれた「ひまり食堂スタジオ」は無いので、どこでやろうか?という話になったが、答えは簡単だった。
ガンジス川に10人乗りくらいの小ボートを浮かべてやればいいのである。本番も船の上なのだから感覚もわかる。


こうして、再びTHE JETLAG BAND!!!は新しいメンバーも入り活動を再開したのだ。
ガンジス川の上で。




続く


rainmanになるちょっと前の話。26





インド北部中央に位置するバラナシ(ベナレス)という街は、アジア各国に点在する「街」と呼ばれる集合体の中でも、一際異彩を放つ存在感を持ち、独特なオーラに包まれた、一度訪れたら忘れられない印象的な街である。


首都ニューデリーやカルカッタなどの巨大都市に見られる喧騒的な顔も、バラナシでは垣間見ることが出来るのだが、街に流れるガンガー(ガンジス川)とその淵に作られたガートと呼ばれる沐浴場の存在によって、都市のイメージだけではない、どこか懐かしい人間そのものの故郷に戻ってきたような不思議な安心感がこの街にはある。


俺はインドをイメージするときはいつもバラナシの景色になる。最もインドらしいインドがバラナシにはあるような気がする。



2000年12月末、3ヶ月に渡り滞在していたネパール・ポカラを出た俺は、3年ぶりに、ここバラナシの街に足を踏み入れていた。


ホテルひまりで生活していたメンバーとも、到着した次の日に無事に再会を果たした。
一人また一人とポカラの町を出ていったメンバーだったが、それぞれがそれぞれのルートでここバラナシに辿りついていたのだ。


ポカラでライブをしたTHE JETLAG BAND!!!のメンバーでは、Nさん、C君、T、そしてOちゃんが滞在していた。また、バンドを支えてくれたBOSSやK君、Zさん達もいた。
その中に、俺と2匹のパンクスW君と8ちゃんが加わったわけだ。


ポカラライブを開いたときのあの興奮が、少し蘇ったような再会だった。俺らは共にライブをしたことによって、戦友同士のような強いつながりになっていた。



みんなは、大きく二つのホテルに別れて滞在していた。
3年前に俺とZさんが出会ったガート沿いの老舗ホテル「ビシュヌレストハウス」と、ガンガーと大通りの間に広がる迷路のような細い路地地帯の中にある比較的新しい「ウルバシゲストハウス」。
二つのホテルの距離は、迷路を迷わずに歩けば10分程度だった。


俺は最初ウルバシGHに泊っていたのだが、その後ビシュヌRHに移った。
やはりビシュヌRHは、庭からガンガーとガートが見下ろせるという最高のロケーションがついてくる。多少部屋は古いが、この景色には適わないのだ。


ビシュヌRHにはZさんも泊っていて、3年前の話などもよくした。
まさか3年後にこうしてまたZさんと、ここビシュヌRHで遊べるとは思っていなかった。しかも、今回は他にも仲間達がたくさんいる。
前回、孤独とインドに対する恐怖でいっぱいになっていた俺には考えられない状況だった。



俺は毎朝、Zさんと共にビシュヌRHの真下のガートに下りて、ガート沿いのチャイ屋でチャイを飲んで過ごすのが日課だった。
ガンガー沿いにはいくつものチャイ屋があるのだが、ビシュヌRHの真下にあるコーリーガートを仕切るチャイ屋がZさんのご贔屓だった。
そこは、子供たち兄弟が運営を任されていて、チャイの他にもお菓子やタバコなどが売っており、またガンガーの対岸や上流まで向かう手漕ぎボート等も貸し出していた。
子供たちと言っても、ガンガーガート沿いで生きている子供を日本の子供と同じように見てはいけない。彼らは物心ついたときから、外国人と接触し生き延びるために様々な知恵や外国語を身につけお金を稼いできている。
10歳になればもう立派な大人であり、20歳になっていればもうその一帯をまとめるボス的な存在になっているのだ。



Zさんは、このチャイ屋の子供たち兄弟とも仲がよった。
俺に、「一番上がジャグー、次男がパガル、三男がサンジェイだよ」なんて名前を教えてくれた。
長兄のジャグーは、この時20歳だと言っていたが、とても落ち着いた感じで25歳の俺よりもはるかに年上に見えた。弟やその周りの子供たちのジャグーへの接し方を見ても、かなりの権力を持っているようだった。Zさんは、ジャグーを指し「まぁ、あいつはこのへんを仕切るマフィアのボスみたいなもんやね」などと真顔で言った。


またZさんと一緒にチャイを飲んでいる時、よくインド人が勝負を挑んできた。もちろん俺にではなく、Zさんにだ。
実はZさんはプロボクシングのライセンスも持つ格闘家でもあるのだ。
ガート沿いの敷地には現地の人が体を動かすトレーニング場などもあったりするのだが、Zさんはそこで他のインド人達と「筋トレ」や「寸止めの組み手のようなもの」を一緒にやり、よく汗を流していた。
それを知っているインド人達が、「俺とも勝負しろ」とチャイ屋の前までやってくるのだ。
その勝負にいつもZさんは勝ってしまうので、負けたインド人が次の日自分より強い友達を連れてくる。おかげで毎朝、俺は目の前で日本人とインド人の奇妙な決闘を見ながらチャイをすすることになる。


そのうち、毎日決闘を見ている俺自身も、なぜか触発されて、Zさんにコーチになってもらい、毎朝トレーニング場で筋トレをするようになったりした(笑)。旅でなまっていた身体を動かして汗をいっぱいかくのは気持ちよかった。まぁ、あまり長続きしなかったが(笑)。



バラナシでは他にも、Tシャツ作りにも精をだした。
刺繍で模様を描くネパールとは違い、インドはシルクスクリーンで印刷するTシャツ作りが主流だった。
俺は「THE JETLAG BAND!!!Tシャツ」やWさん8ちゃんらと組んだパンクユニット「月の爆撃機Tシャツ」なんかを作って遊んだ。


安くてたくさん作れるので、近くにいた旅行者にもTシャツを分けたりしていた。
そんなことをしていると、自然に「インドではライブやらないの?」という話をされた。
この頃は、けっこうネパールでのライブが噂になっていたりして、初めて会った旅行者にも「あ!ポカラでライブやった人だよね?」と言われるようになっていたのである。
俺は、「さすがにインドではライブハウスはないだろうし、機材も揃わないし、無理っすねー」と答えていた。
タブラやシタールなどの演奏を聞かせる小部屋なんかはあっても、ライブハウスという文化はバラナシにはなかったのだ。




そうこうしているうちに、2000年の大晦日を迎える頃になった。


いよいよ20世紀も終わりである。


実はこの頃になると、俺の周りは少し異様な空気が流れていた。
俺に対して、あまり好意を持たない現地人などが現れてきたのである。
どうやら、俺らTHE JETLAG BAND!!!は少しこの街で目立ちすぎていたのかもしれない。
同じTシャツを着ている日本人が何人もいて、レストランにいけば店の屋上(VIPルーム)に案内され大騒ぎ。

そういう暮らしを見て、面白くないと思うインド人がいたとしても、気持ちはわかるような気がした。
俺自身、特に目立つつもりはなかったのだが、少し風変わりなイメージの濃い旅人が固まって遊んだりしていると、イヤでも目立ってしまうのである。



そんな雰囲気を抱える中、俺はガート沿いで数人の仲間達と21世紀を向かえた。
欧米や日本での「ミレニアム!」な年越しとは比べ物にならないほど、地味で静かな新世紀の幕開けであった。



無事に新年を迎えたはいいが、俺は新年早々体調を崩してしまった。


熱が出て、体がだるく、一日中部屋のベッドで過ごした。


新年も3日目を向かえた1月3日の朝、相変わらず風邪が治らずベッドで寝込んでいると、部屋のドアを叩く音が聞こえた。
誰だろう?とドアを開けると、そこにはZさんが立っていた。


「大ちゃん調子はどうだい?もしよかったら、ちょっとこれから出れないかな?ジャグーが呼んでいるんだ」
とZさんは言った。
「え?なんでジャグーが?」
俺は、風邪で弱気になっていたせいもあり「もしかしてマフィアのボス・ジャグーにまで嫌われちゃったかなぁ」なんて思ったりした。


「風邪だから」と、行くのを断ろうとも思ったのだが、Zさんも一緒だし、なるようになるかという気持ちで、Zさんと一緒に部屋を出た。


まだ熱があるせいか頭は朦朧としていた。


Zさんはガンガー沿いのガートを上流へ上流へとひたすら歩く。


洗濯場になっているガート、沐浴場となっているガート、死体焼き場となっているガート、いろんなガートを横切って進んだ。
ガートは様々な顔を見せるが、それら全てを受け入れるガンガーだけは進んでも進んでも同じ茶色の濁った川だった。



30分ほど歩いた頃、Zさんはある建物に入った。


後について入ると、中にはジャグーが居た。

ジャグーは俺を見ると手を出してきた。俺はその手を握り返し握手をした。
いったい俺にどんな話があるというのだろうか?


息を殺して黙っていると、突然Zさんが「大ちゃん、バラナシでライブできる場所探しとったやろ?ジャグーがなんとか出来るって言うんだよ。」と言った。


「え?!」
ジャグーの顔を見たら、俺を見てうなずいている。


「バラナシにそんな場所あるの?けっこう音もでかいし、人数も多いから小さい所じゃできないよ?」と俺は言った。
まだ半信半疑なのだ。



Zさんがその事をジャグーに伝えると、ジャグーは「大丈夫、誰にも迷惑かけず大きな音も出せるし、100人くらい集められる広さもある」と言う。


俺はびっくりした。


「いったい、そんな場所がバラナシのどこにあるんだい?」


ジャグーはまっすぐ俺の顔を見て静かに答えた。



「オン ザ ガンガー」



ガンジス川の上だと…。




続く。


※写真はシヴァリンガの前で読書をするZさん

rainmanになるちょっと前の話。25





「12月24日にポカラを発つ」そう決めて、ラジューにバスのチケットを予約してもらった。


いざ、出発の日が決まってしまうと、残り数日のポカラでの日々が急に愛おしくなる。
俺はひまりの屋上で一人、これまでの旅を思い出したりしながら最後のポカラを過ごした。



日本を出て8ヶ月が経とうとしていた。
その間、様々なことがあり俺は旅人達とバンドを結成して、ここポカラで二度のライブを行った。
まさか自分の旅がこんな展開になろうとは思ってもいなかった。
そして、これからの旅もどうなっていくのか?インドでなにがおこるのか?俺にはまったく予想がつかなかった。


メールでの情報だと、先に旅立っていったひまりのメンバーは、それぞれのルートでバラナシに到着し、再び再会を果たしているようだった。ホテルひまりのように一箇所に固まってはいないものの、一緒に飯を食ったりしているらしい。
俺は、それぞれのメンバーにメールで「クリスマスにバラナシに到着予定」と送った。



この間のポカラでも何曲か唄を作った。
ライブは終わってしまったが、日記代わりに曲を書くという行為は終わらなかった。
「WELCOME!MY FRIEND!」なんかも、俺の部屋に遊びに来る友達を思って、この時期に作った。
「晴れるよ。」もホテルひまりをテーマにして作った曲だ。
後に、rainman名義で「ヒマリホテルの花」というアルバムを出すほど、この「ホテルひまり」での日々は俺の中でとても大きなものになっていた。
勿論この時は、自分がCDを出すような状況になるとは思っていなかったが…。


そうこうしているうちに、とうとう12月24日、ポカラを発つ日の朝が訪れた。


約束どおり、ラジューは前日の夜にサンタクロースの衣装を用意してくれていた。
俺はそれを着てからバックパックを背負った。赤白の帽子も勿論装着。
着心地はなかなか良い。
鏡を見たら、ヘンテコな「悪るそうなサンタさん」がそこに映っていた(笑)。


もうホテルひまりに残っているTHE JETLAG BAND!!!のメンバーはS君だけだった。
S君は「俺は新年明けてからインドに下りるよ。バラナシでまた会おう」と言った。
「じゃあバラナシで!」と俺は言い、S君と、この旅何度目かの別れの握手をする。


ラジューはバス停まで見送りに来てくれた。

いよいよバスに乗る時間やってくる。

「ラジュー、本当に世話になったね。ありがとう!」
「こちらこそありがとう。大ちゃん達が居て楽しかったよ。また来てね」
「もちろん、また来るよ」

ラジューと抱き合い固い握手をした後、俺はバスに乗り込んだ。


ラジューは、バスが見えなくなるまで手を振ってくれた。



こうして、長かったネパール、ホテルひまりでの生活は終わった。




約7時間後、まだ日が沈む前に、バスは国境の町「スノウリ」に着いた。


この町で一泊して、明日の朝インド国境を越えることになる。


俺はバスターミナルの近くの適当なホテルにチェックインした。
チェックインの際、ホテルの従業員は俺をジロジロ不思議な顔で見ている。
その理由はわかっていた。
俺が赤と白の変な服を着ているからである(笑)。


サンタクロースの格好でバスに揺られる間、反応してくれるのは欧米人旅行者だけだった。
欧米のバックパッカーは「オー!メリークリスマス!!」とか声をかけてくれるのだが、現地のネパール人はまったく無反応だった。というより、「こいつ何赤と白の変な格好してんだ?」という感じで見られる。
やはり、仏教&ヒンズーの国ネパールでは、キリストの誕生日など特に関心はないのだ。
考えてみれば当たり前である。仏教徒なのにクリスマスで盛り上がる日本がちょっと特殊なのだ。



どの国もそうなのだが、国境の町っていうのはなんとなく落ち着かない。
その中でも特にスノウリは人も車も多くて、喧騒の町という感じだった。
俺はまず、ここスノウリには長期滞在したいとは思わない。


それにスノウリは治安の面でもあまり良い噂は聞かなかった。



俺はスノウリに来たのは2度目だが、前回来たときは、インドとネパールの時差30分を利用した詐欺にあいそうになった。
国境を超えると30分時間がずれるのだが、慣れていない旅行者はその際、時計を進めるのか戻すのかわからなくなってしまう。
チケットを見せて予約したバスに乗ろうとすると、バスのスタッフに「このチケットのバスはもう出発したよ。時計の針を間違えて動かしたんだろ?もう○時だよ。もう一回チケットを買い直さないと乗れないよ」などと言われ、本当はそのバスであっているのに2重に料金を払わされたりする。
国境周辺のやつらは、こういうチンケな嘘で小銭を稼いでいるのだ。


今回も、チェックインしたホテルが最悪だった。
部屋に荷物を置いてから、ホテルの向かいにあるレストランに飯を食いに行ったんだけど、急用ができたので、注文した飯が出てくる前に一度部屋に戻ったんだ。そうしたら、閉めたはずの部屋のドアが開いていて、中を見たらホテル従業員が俺のバックパックをあさっていた。


アジアの安宿は、部屋のドアをロックする場合、南京錠を使うことが多い。
その際、「ホテルが用意してある南京錠は使わずに、自分の用意した南京錠で鍵を閉めること」という鉄則がある。ホテル側が用意した南京錠だと合鍵を持ってるので、ホテルのスタッフに出入りされてしまうのである。
俺は、3ヶ月のホテルひまりの生活で、すっかり平和ボケしていて、その鉄則を忘れていたのだ。
幸い、何か起きる前に見つけたからよかったものの、飯を食ってから部屋に戻っていたら何か盗まれていたかもしれない。



俺のバックパックをあさっていた従業員は、俺と目が合い「しまった!」という顔をした。
俺は、サンタクロースの格好で大暴れ(笑)。

この従業員が同じことを繰り返さないようにと、愛の鞭!「うりゃああああ!」


まったく、とんだクリスマスイブになってしまった。




そんなこともありながら、なんとか夜を超え(面倒だからホテルは変えなかった笑)、次の日を迎えた。



そして、朝早く国境を越え、遂にインド側の国境ゴーラクプルへ入国!
俺にとっては人生3回目のインド入国である。


しかし何度来ても、インドは楽観的になれない。
まず第一に汚い。国境を越えた瞬間からハエが多いのだ。
そしてインド人がみんな詐欺師に見える(笑)。
もちろん良いインド人も多いのだが、悪いインド人も「良いインド人の顔」で近づいてくるので、警戒してしまうのだ。




さぁ、インドだぞ。気を引き締めていかないと!と、俺は思った。



バラナシ行きのバスが出るバスターミナルまで歩いていくと、目の前に見覚えのある男達が立っていた。
「だいちゃーん」と手を振っている。
パンクス2匹。W君と8ちゃんである。俺も思わず顔がほころぶ。

彼らは数日前にひまりを出たはずなのだが、まだこんなところでいったい何をやっているのだろうか?
まぁそんなことはどうでもいい。心強い仲間が増えて、インドの移動も楽しくなりそうだ。
俺らは「メリークリスマス!」と握手を交わした。



バスに揺られ揺られて、約8時間後、日が沈んで真っ暗の中、ついにバラナシに着いた。


W君と8ちゃんは、俺がバラナシ経験者ということで頼りきってくる。

しかし、バラナシという街は迷路のように細い路地がはびこっているのだ。
こんな真っ暗で、西も東もわかるわけがない。


こういう時はガンジス川を目指すのだ。
川沿いに出ればなんとかなる。




俺らは、現地の人に聞きながら「ガンガー」をひたすら目指した。




この時の俺には、まさかこの約3週間後、ガンジス川で船上ライブをやるなんて、これっぽっちも想像していなかった。



続く。



※写真はラジュー夫妻とS君と、サンタさん

rainmanになるちょっと前の話。24





予想以上の動員を記録し、大盛況のうちに幕を閉じた、THE JETLAG BAND!!!のポカラライブ。


その夜の打ち上げは、みんなで肩を抱き合って笑いあい、これまでの道のりを語りつくし、飲み明かした。

そして、その打ち上げの終了と共に、我々THE JETLAG BAND!!!という集団活動も終わりを告げようとしていた。


翌日、朝早くMさんがホテルひまりから旅立っていった。
俺らは全員で見送った。
Mさんは「楽しかったよ!みんなありがとう!この余韻にもう少し浸っていたいけど俺は次の町に向かうよ」と右手を差し出し、俺らは順番に握手をした。



その後も、次々とホテルを出て行くメンバーがいるんだろうな…と思っていたのだが、実際はそうでもなかった(笑)。
というより、みんなやっとバンドの練習から解放され、普通の旅行者に戻ったわけで、「さぁ、これでネパールをやっと観光できるぞ!」という感じになっていたのだ。
どうやらみんなも俺と同じく、先を急ぐ旅じゃないらしい。
しばらくは、この居心地のいいホテルひまりに滞在するつもりらしかった。


アンナプルナ山脈へのトレッキングへ行ったり、フェワ湖でボートに乗ったり、自転車を借りてダムの方までサイクリングに行ったり、レイクサイドで買い物したりと、普通の旅行者に戻り毎日を過ごしていた。



世の中は、20世紀から21時世紀へと世紀を跨ぐ年越しを目前にひかえた、歴史的な年末に差し掛かっていた。
とはいっても、ネパールは仏教&ヒンズーの国なので、日本や欧米のように「ミレニアム!」とか言って騒いでる感じでもなく、わりと静かな年末だった。


俺は、新年はインドで迎えようとは思っていたのだが、12月下旬まではネパールで過ごすつもりでいた。
ポカラは、第二の故郷と呼べるくらい好きな町なのだ。ライブも終わったし少しゆっくりとラジュー家族とでも遊びながらノンビリしたかった。



俺は毎朝、ホテルの2件先にあるジャーマンベーカリーというパン屋さんで、朝食をとっていた。
大体、朝起きてそこに行くと、ホテルひまりのメンバーが飯を食っていた。
その店の、道路に面した屋外テーブルに座り、NさんやZさんやBOSSなんかと下らない話をして、日向ぼっこしながらダラダラと飯を食い紅茶を飲むのだ。
旅では、こういう瞬間がたまらなく贅沢に感じる。いくらダラダラしても、誰も怒らないのだ(笑)



ある日、いつものようにその店で朝食を取っていたら、目の前の道を「二匹のパンクス」が通りかかった。
二人、というより「二匹」と数えるほうが似合うくらいの、パンクスらしいパンクファッションの日本人青年だったのだ。

一人は金髪のモヒカンで、鋲のついた革ジャンを着ていて、もう一人は全身黒で、鼻輪のようなピアスをつけていた。
仏陀が産まれた国ネパールを歩くには、とても不釣合いで違和感のカタマリだった(笑)。
しかし、そういうところが、俺は一発で気に入ってしまった。変なやつ大好きなのだ(笑)。


俺は早速声をかけてみた。「こんにちはー。すごい格好ですねー二人とも」
二人は、俺に気付くと、「こんにちわ。いやー、まだこの町に着いたばかりなんですわー」と関西弁で愛想よく答えてくれた。意外と礼儀正しい感じだ。
自分も10代でパンクバンドをやっていたからわかるのだが、パンクスっていうのは見た目によらず礼儀正しいのだ。

彼らは、「どこかいいホテル知ってますぅ?今泊まってるホテル、あまり気に入ってなくて…」というので、「じゃあ俺が泊ってるホテル見てみます?ドミトリーなら空いてるし…」と答えて、そのまま俺は、パン屋の会計を済まし、彼らをひまりの自分の部屋まで連れてきた。



この頃の俺の部屋は、毎日誰かしらが遊びに来てる状態だったので、けっこうオモテナシには慣れていたのだ。


彼らは俺の部屋を見て驚いていた。旅行者ではなくここに住んでる人だと思ったのだろう。
この頃俺は、玄関マットや壁に飾る絵(タンカ)なども自分で購入して自分の住みやすいように部屋を模様替えしていたのだ。
ホテルオーナーのラジューも特に何も言わないので、かなり自由に使わせてもらっていた。

「何年くらいいるの?」と言われたので、「いやー、まだ2ヶ月位ですよ」と答えた。


それから自己紹介を交えつつ、しばらく話をした。
金髪のモヒカンの男性は、「W君」といって、俺と同じ歳だった。
黒い服装の鼻ピアスの男性は「8ちゃん(はっちゃんと読む)」と言って、一つ年下。二人は幼馴染らしく、一緒にインド・ネパールの旅に出てきたという。

W君も8ちゃんも、見た目の通りパンクが好きで、俺も大好きだったのですぐに仲良くなった。


しばらくして俺は「ちょっとカフェにでも行きましょう」と言って、自分の部屋を出て、二つ隣のS君の部屋を改造して作った「LEGTIMERS CAFE」に入った。

W君も8ちゃんも、まさかホテルの部屋がカフェに改造されているとは思わなかったようで驚いていたが、かなり気に入っていた。
俺は、「このホテルはちょっと変わった住人が多いんだ。もともとここに滞在してる旅行者同士でバンドやってて、先月レイクサイドでもライブやったんだよ」と話した。
二人は「なんだかよくわかんないけど楽しそうだから、ここに移るよ!」と言った。


彼らは一旦ホテルに戻ると、チェックアウトを済ませて、すぐにまたやってきた。
そして無事にホテルひまりのドミトリーにチェックイン。こうしてまたホテルひまりの滞在者が増えた。



俺はその夜、二人を食堂に招き、滞在してるバンドのメンバーに声をかけ集合してもらい、晩飯を喰いながら演奏をして彼らに唄を聴かせたのだ。出会いの宴である。


彼らは、すっかり気に入ってくれて、メンバーみんなともすぐに仲良くなった。


そのとき、8ちゃんが「俺もギター弾けるで」と言った。

「お!ほんと?」と俺は言い、早速ラジューのギターを借りて、二人で一緒に弾いたりした。
8ちゃんは唄もギターも上手くて、一緒に音を出せるのがとても嬉しかった。
もう少し早く出会ってればバンドで力になって貰えたのになぁなんて思ったりもした。

W君も一緒に唄を歌ってくれた。W君も昔バンドで唄っていたそうで、パンクス独特の声を張る歌唱法でみんなを惹きつけていた。
懐かしいパンクの曲をカヴァーしたりして、その日は遅くまで唄い明かした。


その後もこの二人とは毎日一緒に呑み、毎日演奏して唄った。


そのうちC君とW君と8ちゃんと俺で、「月の爆撃機」という名前のパンクユニットを組んだりして遊んだ。
「インドでライブやれるかなー?」「さすがにインドはライブハウスないでしょー?」なんて会話もした。




2000年、年末のホテルひまりは、他にもたくさんの人が出入りしていた。
そして毎日誰かしら俺の部屋に顔を出してくれ、しばらく遊んで帰っていった。
中には隣のホテルからベランダを超えて俺の部屋の窓から遊びに来るやつらもいた(笑)



みんな個性的で、それぞれが変なあだ名で呼び合っていた。


「おにゃんこ」
「組長」
「達人」
「ナオトくん」
「四代目」
「若旦那」
「ノブ」
「アンジくん」
などなど。。


どいつもこいつも長期旅行のツワモノバックパッカーで色んなエピソードを持っているので、話を聞くのが楽しかった。
彼らとも、今現在になっても交流があり、このひまりでの出会いは本当に宝物だといえる。


特に「四代目」や「ノブ」とは、その後インドの旅でも一緒に行動し、仲良くなっていった。

「四代目」は、のちのち大阪でゲストハウスの管理人を始め、rainmanの関西ツアーの宿泊の拠点を作ってくれた。
「ノブ」は、のちのちオーストラリアの旅でディジュリドゥ吹きになり、rainmanの1stCDのレコーディングにも参加してくれた。
大切な友達であり、恩人たちだ。




そんな楽しい毎日を過ごしているうちに、あっという間に2000年も残り2週間ほどになった。


その頃になるとひまりのメンバーも半分以上はインドに旅立っていた。


Nさん、Oちゃん、C君、T、Zさん、BOSS、K君と、見送りを繰り返すうちに、少しずつ静かになっていくホテルひまりを眺めながら、俺もそろそろ出発かなと思った。



俺はインドビザ取得のため、一度カトマンズに向かった。
月極めで部屋代を払っていたので、ひまりでの部屋や荷物はそのままでいけた。
インド大使館にインド3ヶ月滞在用のビザを申請して、5日ほどで無事に取得することができた。
そして再びホテルひまりに戻ってきた。


ネパールでは結局2度も滞在ビザを延長し3ヶ月いたことになる。
移動にたいして億劫になっていた俺の心も、やっと旅人らしく「やる気」が出てきた。



ネパール・ポカラからインドに陸路で入るには、スノウリという国境の町を経由する一泊二日のバスの旅が主流だった。
この国境越えは、過去の旅でも1度経験していた。スノウリで宿を取り、次の日の朝国境を越えれば、もうそこはインドだ。
俺はインドに入ったら、「バラナシ」というガンジス川の流れる「聖地」とも呼ばれる街まで一気に移動するつもりでいた。97年の旅でZさんと出会ったあの街だ。



俺は、ラジューに「12月24日に、ネパールを発つよ」と告げた。
ラジューは、少し寂しそうに「そっか、大ちゃんもついに行っちゃうんだね」と言った。



「そこで、ラジューにちょっとお願いがあるんだ」
「なに?」
「せっかくクリスマスイブからクリスマスにかけて移動するわけだし、俺、サンタクロースになろうかなと思って…」
「え?サンタクロースになるって??どういうこと?」
「サンタクロースの赤と白の服と帽子あるじゃん。あれ、どこかの生地屋さんで作ってもらうことできないかな?お金はいくらでも払うからさ」
「あ、なるほど。サンタの格好するのね!わかった。大丈夫だよ。たぶんそんなに高くないよ」
「ありがとう!じゃあ23日の夜までに仕上がるようにお願いします」




というわけで、俺は、サンタクロースでインド入国を目指すことになったのだ。






続く。


次回からいよいよインド編!