2016-03-20 21:00:01

母の決意、父の誓い。「ずっと守ってあげるからね」~わが子の放射線防護に奔走した5年間

テーマ:被曝

原発事故で福島から避難した父親や福島に残って放射線防護に奔走する母親らが20日、都内で開かれた「ちくりん舎シンポジウム」で5年間の苦悩を語った。共通するのは「わが子を被曝のリスクから守りたい」という想い。そして、子どもを守ろうとしない国や行政への怒り。親戚や友人から「変わった人」、「恥さらし」と言われても、わが子のために闘い続ける親たちの声は、ともすれば原発事故などなかったかのように毎日を送ってしまう私たちに、鋭い刃となって突き刺さる。



【腕を痛めるまで雑巾がけ】

 福島県外に避難しなかったからといって、被曝のリスクに無関心でいるわけではない。むしろ、わが子のために出来ることは全力でやってきた。福島県伊達市の菅野美成子さんは「毎日が闘いの日々です」と語った。

 国や行政、学校の理不尽さばかりだった5年間。購入してわずか2年の自宅は、特定避難勧奨地点に指定された。市内で最も放射線量が低いとされる地区への避難。タクシーでの通学支援を受けられるため転校せずに済んだが、小学校低学年だった長男は「避難なんて絶対に嫌だ」と布団の中で泣きじゃくった。これでは転校を伴う県外避難などとても切り出せない。しかし、汚染を理由に移転すると期待した小学校は、同じ場所で授業を再開。わずか1年で校内マラソンまで実施した。学校だよりには「179μSv/hあった敷地が除染で3.9μSv/hにまで下がりました」などと書かれていた。

 「気が狂いそうな日々でした。尿など様々な検査を受けさせました。保養にも連れて行きました。雑巾がけが放射線防護に有効だと聞けば、手が曲がらなくなるまで何度も室内を拭きました。学校を信じては子どもを守れないと思いました」
 わずか5日間の除染作業で汚染は解消されぬまま、半年ほどで勧奨地点の指定は解除された。自宅周辺には次々と除染汚染物の仮置き場が造られた。自宅には戻らず、市教委がタクシー支援を打ち切ったのを機に長男は断腸の思いで転校を決意した。しかし「お母さんに心配をかけたくなかった」と頑張っていた息子が原因不明の高熱で入院。菅野さん夫妻は新居の購入を決意する。比較的放射線量の低い「Cエリア」も全面除染する、と市長選で公約に掲げた仁志田昇司市長への期待もあった。だが、仁志田市長は当選後、「全面除染するとは言っていない」と3μSv/h以下の住宅除染を拒み続けている。

 「土に触っては駄目、座っては駄目、食べては駄目。駄目駄目駄目の生活は、3人の子どもにとってどんなにつらかったか…」

 菅野さんは涙をこらえて振り返る。子どもたちは小学校の学校給食用に、ご飯を自宅から持参し続ける。全校で菅野さんの家庭だけだ。長男は4月から中学生。どうするか、まだ決まっていない。皆と同じご飯を食べたいという息子の気持ちも理解できる。正論だけでは生きて行かれない現実との葛藤は、今後も無くならない。

 「今、福島で放射線を意識して生活することは周囲からは変人のように見えるかもしれません。でも、私は胸を張って声をあげています。放射線を意識して生活していると言います。子どもたちにも胸を張って生きて行って欲しいから。決して復興、復興という言葉に惑わされないでください」

 1人の声は小さい。でも、あきらめたら子どもを守れない。福島の友人からは、こんなメッセージを預かってきた。

 「ブレることなく、同じ思いの人達と踏ん張り続けて行きます。福島を気にかけてくださり感謝しています」

 決して独りじゃない。
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涙をこらえながら「毎日が闘いの日々です」と話した

福島県伊達市の菅野さん


【「誰も守ってくれない」】

 悩んでいる暇はなかった。気付いたら動いていた。郡山市から東京都内に避難した星ひかりさんは「この国に『避難の権利』はない。自力で生きて行けと迫られる。子どもを守るって本当に大変なこと」と話す。

 郡山では、生活保護を受けながら2人の子どもと3人で暮らしていた。未曽有の大地震で身を寄せた避難所で原発事故を知った。開成山公園には当時、給水車に長い列が出来た。誰も、高濃度の放射性物質が降り注いでいることなど知らなかった。何時間も並んだ。避難所では、双葉町や大熊町からの避難者だけが別の避難所に移動して行く。何かが起こっている─。3月16日には、妹を頼って都内に避難した。〝自主避難〟の始まりだった。

 「とにかく子どもを守る、ということだけで動きました

 環境の変化に戸惑っている余裕も無く、家や仕事探しに奔走した。小学校6年生だった娘には、卒業式にだけは出させてあげたいと一時戻ったが、手続きに訪れた市役所の職員は冷たかった。「あなたの勝手で転居するのだから費用は出せません」。転居費用も家財道具もほぼ全て自力で揃えた。日本赤十字社から「家電6点セット」をもらえると知ったのは、買い揃えた後のことだった。東電から受け取った賠償金は、3人でわずか128万円。悔しくて1年間は受け取らなかったが、生きて行くためと手続きに応じた。「わたしの命は8万円」、「ばかにすんじゃねえ!」。怒りを詩で表現した。

 「私が倒れたら子どもは誰が守るのか?」。いつもそう考えている。だが、福島県が住宅無償提供の打ち切りを決めたため、来年4月からは家賃負担が生じる。母子家庭にはつらい仕打ちだ。「誰も守ってくれない。多くの方とつながらないと子どもを守れません」。
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南相馬市の小澤さんは土壌測定の結果を基に

「不用意に福島に入らないで」と呼びかけた

=武蔵野公会堂


【「親戚の恥さらし」と言われても】

 南相馬市の小澤洋一さんの自宅は、特定避難勧奨地点に指定されなかった。「隣の家はNHK受信料も電気料金も免除だ」。しかし自宅周辺の土壌は、依然として1平方メートルあたり23万ベクレルを超える。「そりゃ避難したい。でも出来ない。それぞれに色々と事情があるんです」。

 「女性自身」の取材に協力し、福島県内小中学校近郊の土壌に含まれる放射性セシウム137を測定。2011年3月15日の数値に換算したところ、南相馬市で13万9000ベクレル~17万5000ベクレル、福島市で50万ベクレル超、会津若松市でも24万ベクレルを超えた個所があった(すべて1平方メートルあたり)。汚染はコントロールなどされていない。「食べて福島を応援しないでください」、「不用意に福島に入らないでください」と呼びかけた。

 長谷川克己さんは2児の父。2011年8月、郡山市から静岡県内に一家で避難した。避難を決めたことで後ろ指をさされることもあったが「この子は自分たちで守ると思えば平気だった」。だが本来は、国の責任で子どもたちを逃がすべき。挙げ句に年20mSv以下は安全として帰還を促している。「まるで被曝など無かったかのような所業だが、この理不尽に必ずけじめをつけてみせる」と誓った。

 最近、こんな詩をつくった。

 「放射能は、この子たちの体をもう侵し始めているのだろうか。体の中に入ってしまったのだろうか。全部もらってあげる方法はないのだろうか」

 小学校5年生になった息子は昨年、3月11日が何の日か多くのクラスメートが答えられなかったことに悔し涙を流した。「僕が1年で一番嫌な日なのに、皆が覚えていなかったことが悔しい」。当事者にしか分からない苦悩を少しでも理解してもらいたい。それが、長谷川さんが「親戚の恥さらし」と言われても講演を続ける理由の一つだ。

 映画「A2-B-C」などで福島の実情を世界に伝えているイアン・トーマス・アッシュ監督は言う。「何で避難しないの?危ないなら福島から外に出ればいいじゃん。初めは簡単に考えていました」。理屈抜きに動いた人。家庭の事情で動けない人。それぞれの立場で5年間、わが子を放射線から守ろうと取り組んできた。そして、これからも。放射線防護に「節目」も「東京五輪」も関係ない。

 長谷川さんの詩は、こう結ばれている。

 「お父さんとお母さんが、ずっと守ってあげるからね」

 「先に死んでしまっても、ずっとずっと守ってあげるからね」



(了)

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