#32 南光坊天海vs金地院崇伝 「家康の神号」  2013年5月15日放送 | ライバルたちの光芒(日本史探求)を勝手に語ろう

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ライバルたちの光芒~宿命の対決が歴史を動かした!~
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黒衣の宰相として、徳川家康を支えた参謀「南光坊天海vs金地院崇伝」。
108歳まで生き、家康、秀忠、家光まで徳川3代に仕えた怪僧天海と方広寺の
鐘の文字に難癖をつけ、豊臣家を滅ぼし、さらに武家諸法度など徳川政権の
法整備をした崇伝。二人は家康の死後、対立し、宗教大論争を巻き起こした!


南光坊天海

天海(てんかい、天文5年(1536年)? - 寛永20年10月2日(1643年11月13日)
)は、安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧。南光坊天海、
智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、
江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。


崇伝

(すうでん、永禄12年(1569年) - 寛永10年1月20日(1633年2月28日))は、
安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧。以心崇伝(いしん すうでん)、
金地院崇伝(こんちいん すうでん)とも呼ばれる。外交僧として江戸幕府の
政策に関与し、黒衣の宰相の異名を取った。


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