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2012-01-22 23:24:46

2/17(金)ライブ 北参道ストロボカフェ 【バンド編成】

テーマ:ライブ情報

ひさびさの、本格バンドセットのライブです。

エネルギーの充填もしっかりなのです。

開始時間も遅めで、演奏時間も長めです。

よろしければぜひ。


2/17(金)東京 北参道・ストロボカフェ

『Blue Moon Jam vol.17』

出演: La Turbo / racoustik

OPEN 19:30 START 20:00

前売/当日:2,000円(+晩ごはん・ドリンク 1,000円)


ご予約はracoustik@yahoo.co.jp まで。



2011年は、思い返してみれば、多くの方がそうであったと思いますが、

色々な意味でかなり精神的に参ってしまった年だったようです。


東京は、東北の方々が体験なさった(なさっている)

ような意味での「被災」はしませんでした。

しかし震災の影響は、東京で暮らす一人ひとりの

実生活や精神にも大きな影響をおよぼしたと思います。



僕個人の生活でも、

思い返すと、ゾッとするような出来事もいくつかあります。

必死に過ごしていて、

あまり記憶が残ってない時期もあります。


そんな日々の中で、2011年は、お誘いいただきながらいくつかの

ライブをさせていただき、僕なりに必死に取り組みました。

その時に出せる最大限のエネルギーで、最善を尽くしました。

良い反響も頂きました。


そして、今は、さらにもう少しいいライブができるような気がしています。


あくまで個人的な出来事ですが、

年末年始の時間に音楽を沢山聴いたことや、

音楽や研究生活のきっかけとなる「恩師」と呼べる方たちと

それぞれ数年ぶりに再会し、長年のモヤモヤが晴れたことなどで、

音楽を熱力をもってやりたいという気持ちがむくむく膨らんでいた日々でした。


「ようやくそういう気持ちになれた!」とは思ってみたものの、

いかんせん昨年の活動が控えめであったため、

既に決まっているライブの予定などがなく、

歯がゆい!と思ったその瞬間、いくつかのお誘いを同時にいただきました。


これもご縁だと思います。精一杯やらせていただきます。






2011-12-01 20:28:03

12月4日(日)ライブ 弾き語り

テーマ:ライブ情報

お昼間のライブです!


弾き語りです。もしよろしければー。


ご予約はracoustik@yahoo.co.jp まで



おちけんpresents「友の会 その8~旅は道連れ~」


日時:2011年12月4日(日)

13:30開場/14:00開演 

場所:人形町 Co-Net( http://www.web-conet.com/ ) 

出演:島津田四郎(from香川)、鳥井さきこ、racoustik  

料金:2,000円(1ドリンク付き) 

備考:フードも準備中!昼間のライブなのでお子さま連れでもどうぞ。




とっておきの日常

2011-11-17 12:33:51

11月20日 [日] ライブ 渋谷 SUNDALAND CAFE

テーマ:ライブ情報

今週末、ライブです。


小編成ですが、久々のグルーヴ感満載のアレンジです。

チャージも500円とお安く、開始時間にも余裕がありますので、

お時間空きましたら是非お気軽におこしくださいー。



渋谷 SUNDALAND CAFE

さざ波
日 時 :2011年11月20日 [日] 18:00~22:30
場 所 :渋谷 SUNDALAND CAFE
(http://www.sundalandcafe.com/)
charge :¥500

D J :
sharpkid
小野利大
羽生 義之介
and more

L I V E:
樽木栄一郎
racoustik
free cube



■タイムテーブル
18:00~18:45 奥村 孝司
18:45~19:30 sharpkid
19:30~20:00 free cube (live)
20:00~20:45 小野 利大
20:45~21:15 樽木 栄一郎 (live)
21:15~22:00 羽生 義之介
22:00~22:30 racoustik (live)


●樽木栄一郎
現代における樽木流クロスオーバーミュージック。イノセントなハイトーン・ヴォーカルで聴く人の心を穏やかに包み込む。独自の弾き語りスタイルと沁みる歌。様々な角度から入り込める立体的なリリック。
ポップで洗練された表層の奥には、内省的に深められたシンガーソングライターとしての魅力が満ち溢れている。

●racoustik
東京大学大学院で「ヒトとサルの土踏まずの進化研究」をしていた阿部を中心とした音楽プロジェクト。阿部の描く「都会の中の水や樹々や雲のある風景」の歌詞世界と、アコースティックな楽曲の肌触りを中心に、ラテン・ジャズ・レゲエ・ソウルなどの多彩なテイストを表現している。


2009年10月、アルバム「たわんだ大気圧」にてデビュー。同年9月に先行配信したシングル「早く君に」は、TOKYO FMをはじめ全国のFM各局で大量にオンエアされ話題を呼ぶ。短編映画のようなPVも注目を集めた。これを機に、当時阿部はTOKYO FM、エフエム福岡にて番組を担当。2010年にはUNIVERSAL MUSICのコンピに「静かな風景画」で参加。世界のトラディショナルな子どもの歌に大人も聴けるアレンジを施した「カラフルムジカ」もリリースしている。

●free cube
「おはよう、こんにちは、ごちそうさま、ありがとう、また会いましょう」
心の奥まで届く音と言葉をモットーに活動を続ける、2人が奏でる音楽はWORLD pops music。
bossa novaやsambaのリズムを軸として、体が踊り出す様な軽快な曲から、心に響く祈りの歌まで、一カ所にとどまる事なく様々な表情をみせる。現在は音楽で人と空間を繋いで行く自主イベントの「さざ波」を奇数月第3日曜にオーガナイズ中。歌担当のエミコとギター担当のc.j.に加え、ゲストミュージシャンを迎えてのライブ活動も行っている。

2011-11-06 14:21:06

「進化」と「音楽」と「街の景観」と「TPP」のはなし(まとめ)

テーマ:とっておきの日常

お風呂でボーっとしながら、一度に思いついたアイデアを

結びつけて、数回に分けて日記的に記してきたら、

こんなにも長編になってしまった。


一度に思いついたもので、熟考したものではないので、

考察が甘い部分もあるかと思います。


思いつきの面倒くさい日記にもかかわらず、

たくさんのアクセスをいただきまして、ありがとうございます。

そろそろ、まとめに入りたいと思います。



(3)でふれたように、ロックという「巨大経済的な音楽」は、

それまで、巨大経済とは無関係に存在した、

世界各地で独自に発達してきた音楽を

「利用」し「吸収」することで発展してきました。


物産展などで見られる、各地の、特産品や郷土料理にも

おなじような仕組みを感じます。

「特産品」が、「資本」によって発見され、広い流通に乗る。


「街の小さなケーキ屋さんの美味しいケーキ」が、

広い流通に乗り、巨大経済的な産業になる。


巨大経済になる前には、その地域の、ほんの小さな

産業として、独自に発達してきたものであった。

風土とも結びついた、交換不能な「それだけ価値」があった。


その、独自に発達してきた「音楽」や「産業」の価値が、

巨大マーケットによって発見され、「これはお金になる」と、

「貨幣経済のたったひとつの価値」に変換・統合され、

大量に消費され、やがて、飽きられ、衰退する。


ケーキは、工場で大量に生産され、大規模で大量に消費される。

そのまま、飽きられずに定着すれば良いけれど、

なかなかそんなこともないから、いつのまにか

「流行遅れ」になってしまうことも多い。巨大にならなければ

「飽きられる」こともなかったのかもしれない。


反対に、巨大マーケットに乗らなかった商品は、

「経済力」「価格力」という尺度では勝てない場合が多いので、

なにかの圧力があると、簡単に淘汰されてしまう。


震災の後、多くの街の商店街の、景色は一変しました。


街の、とても美味しい小さなハンバーグ屋さんが、

震災後の人々の「外食控え」の打撃で1カ月あまりで閉店する。

経済力のあるチェーン系のハンバーグ屋がとって変わる。

安くて美味しいけれど、どこに行っても同じ味。


自由主義経済では仕方のないことではあるのですが、

「価値」とはそういうことなのか。


(1)の、野生動物のところでも話しましたが

「保護されないと生き残れないものには、価値がないのか」

という問題に思い至ります。


「資本力」「価格力」がある、競争力が高い、ということは、

自由主義経済では、唯一といってもよい、大きな価値です。


チェーン系のお店は、大きな資本と、大量生産による

価格力に支えられているので、商店街の生存競争で

生き残りやすい。


飲食業界は、1ヵ月売り上げがなければ特に大打撃を

受けるので、震災後の様な特殊な状況では、

どんなに美味しい料理を出していても、小さなお店は

持ちこたえられなくて、閉店してしまうところが出てくる。


そこに、自然界の生存競争のように、チェーン店が

次々進出してくる。


どこの町の商店街も、同じようなお店が並び、

同じような表情になっていく。


ここでいう同じような表情とは、

「同じくゴチャゴチャしている表情」ともいえるのかも

しれません。街並みも含めてそうなのかもな。


日本の街は、屋根の色も壁の色も家の形もバラバラです。

ひとつひとつは良いデザインの建築でも、隣り合った

建物とは全く調和してないことも多く、

「街角」として見ると非常にごちゃごちゃしています。

住宅会社の「自由競争」に任せているからだと思います。


商店街や繁華街も、さまざまな電光看板が、他店を打ち消して

より目立とうと派手に主張しあっていて、目まいがしそうです。

これも、自由競争に任せた結果だと思います。




ヨーロッパなどでは、もうすこし、街の景観を

維持することに熱心です。

「屋根の色を統一する。」

「お店の看板の色に制限を設ける。」

「そもそも、商店街に進出できるお店の種類の

ある程度の制限をかける。」


これの制限は、自由競争で失われてしまうものに、

ある種対抗していこう、というようなコンセプトによるものです。

それによって、「それぞれの街」の独特な景観が構成される。


「保護されないと残らないものにも、価値がある」という考え。


「観光産業として街の景観を維持したい」という、

有名な街だけではありません。僕が昔行った、

外国人をほとんど見かけないような、イタリアの小さな街も

景観には日本とは比較にならない配慮がありました。



やはり、現在の「経済」が、「貨幣経済の価値」が、

あらゆる全ての価値を、とりこぼさずに拾えている

ようには思えません。


「経済」という尺度だけで測ろうとすると、

どうしてもはみ出してしまう「価値」があるように思える。



さて。


「野生動物・音楽の多様性・街の景観」などさまざまな

ものに思いをはせてしまった。



僕は、自由主義経済は、メリットの方が大きいと思う。


日本の場合は、ある種「社会主義的」ともいえるような、

公共事業やお役所仕事の非効率性によって、

多大な税金を浪費するうえ、発展性のない事業も多い。


市場の開放によって生み出されるものがある。

そもそも、世界全体のあらがえない大きな流れである。


これまで、人類は、このような社会をずっと夢見てきていたし、

ここに至るまでの文明社会は、「やむを得ず」それぞれが

「隔離」され、結果として独自性を育んできたともいえるのです。


しかし、長年の、「自由化」一辺倒という世界の指針にも、

いろいろな弊害が見えてきた時期でもあると思います。


「多様性」ということについてもあらためて

見直すタイミングのようにも思うのです。


各企業が目指している、「シェアを可能な限り独占する」と

いう命題は、多様性とは、まさに反対の方向のものです。


SF小説に出てくるような、「世界を支配する一大企業」が

出てきて、世界を一色に染めてしまうことだってあるかもしれない。


(2)で述べた、かつてのアメリカ大陸で起きたことを考えると、

いかにも皮肉なことにも思えますが、例えば、

訴訟に対する「免疫」、過度な競争に対する「免疫」を発達させた

米国の企業が、他の国に上陸して、一気に侵攻してしまう。

というようなこともあるかもしれない。


多様性が新たな可能性を生み出す、ということはよくある。

多様性がなくなれば、いつかは消費しつくしてしまう。

そもそも、「自由競争」ですら、「多様性」があるからできる。


しかし、人類が進んできている道は、

多様性とは反対の道筋であるように思えます。


「ホモ・サピエンス」というのは、生物学的には「1属1種」

の存在です。地球上で、たったひとつの生物種でここまで

広範囲に拡散・分布したものはほかにありません。


企業という点でも、特に、IT系では、

「誰もが同じく使え、瞬時に交換できる」という共有性が

より重要になってきているので、Microsoft社のOfficeや、

Adobe社の各種デザイン製品が、ほぼ市場を独占している。

世界中に、くまなく拡散・分布している。


どうも、「自由競争」の前提となる最低限の多様性すら、

凌駕してしまいそうな勢いを感じます。


「隔離」や「制限」は、前時代的な悪だ、

「開放」「自由化」こそが、未来を開く正義だ、

という論調をよく見かけます。


確かに、人類史においては、これまで「隔離」や「制限」は

一部の権力層や、既得権益者を守るためになされてきました。


しかし、僕は、自由化と均一化が拡大し、多様性が危機を

迎えつつある現代にこそ、過去とは違う意味づけでの、

「隔離」や「制限」というコンセプトを見直してもよいの

ではないか、と感じています。


それは、例えば「関税」なのかもしれません。


これは「弱者を守るため」というような美談だけでもありません。

この場合の弱者はすなわち「経済弱者」を意味することも多い。

「価値」というのは「経済価値」だけではないのですから。


「保護することは、誰かを助けるということだけでなく、

結果として、自分も助けることになる」というような発想。


僕も、目先の仕事に追われているときには、

「経済的な価値」だけに目を奪われる場面もないとは言えません。

仕事先で出会う人々とは、この「経済的な価値」だけに

論点をおいて話を進めることもしばしばです。


切羽詰まった状況では、「野生動物の多様性」などに

思いをはせて、多様性の価値を論じるなどということは、

単なる絵空事に思える人も多いのではと実感しています。


日本は、いま大変に切羽詰まっています。僕も同じです。


しかし、そんな場面だからこそ、こういう見地から見えてくる

ものを記す人間がいてもよいのでは、と考え、やってみました。


随分と長くなり、大した発信力もないくせに、僕も大分

消耗しました(笑)。でも、もやもや考えていることを、

忙しさにかまけてわきに追いやってしまうのではなく、

じっくり取り組んでみる、という「学生の頃の様なアプローチ」

も、たまには良いものだな、と、いま感じています。


最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

僕は瞬発力で書き始めて、すぐにくじけそうになるタイプなの

ですが、(自分のアルバムの全曲解説ですら途中でくじけた!)

思いのほか、感想メールなどをいただき、

なんとか、書き終えることができました。


では、また。

2011-11-06 01:04:21

「進化のはなし」と「音楽のはなし」と「TPPのはなし」(3)

テーマ:とっておきの日常

僕は10代のころからずっと音楽に関わってきていて、

今は、さまざまな仕事と並行しながら、

「子どもたちに世界の音楽を紹介する」という仕事をしています。


そこでは、ジャマイカ・アフリカ・ブラジル・ハワイなど

本当にさまざまな音楽をあつかう。


世界の音楽をこんなにもたくさん聴くのは、この仕事を始めるまで

なかったことなので、単純に僕自身にとって大変刺激的です。


こんなにも、多種多様なアプローチが、音楽には存在するのか!

その可能性の大きさには唖然とするばかりです。そして興奮する。



ビートルズがインド音楽をとりいれた60年代が象徴的ですが、

ロックは、さまざまな音楽と融合し、発展してきました。


ワールド・ミュージック・ムーヴメント以降は、

世界の音楽が、ロックの手法をとりいれて発展したともいえます。


現在は、「ロック」という音楽が「英語」のように世界共通語化

しているので、人々がすんなり入り込めて楽しめるのは、

ロックのテイストをとり入れたものであることが多い。

僕にとってもそうです。


どちらかというと、ロックという「巨大経済的な音楽」が

世界中の音楽を取り込んできたともいえるかもしれない。



とにかく、異なるスタイルの音楽というのは、混ぜ合わせると

とんでもない化学反応を起こし、刺激的な表現が生まれる。


このこと自体は本当に素晴らしいと思うのですが、

ここで僕が思い当るのは、これらが「混ざり合う化学反応」

である、ということです。


現在のように、人の移動が盛んでない時代、

情報通信も発達していない時代には、

音楽は、各地で土着化し、独自性を発展させました。

ある程度「隔離」されていたから、自然と

独自性を熟成させたのです。


それが世界各地に多様な音楽を生み出した。


動物の世界でも、例えば地殻変動で山ができた場合、

山のあちらとこちらのグループは「隔離」されて、

別々の種に進化することがある。


例えばたまたま「葉っぱの上に交尾・産卵する」グループと、

「地面で交尾・産卵するグループ」が同じ昆虫のなかに生じた場合、

2つのグループは「生殖的に隔離」されて、やがて別種に分岐する。


音楽と、生物の、「多様性・独自性」の発展にかかわる、

「隔離」という一見ネガティブなキーワード。



「ミックスされて、生み出される巨大なエネルギー」

というのは、言い換えてみれば「消費」のエネルギーです。


極端な言い方をすれば、長い年月で生まれた石油を燃やして

生み出しているエネルギーに似ている。



情報化、ボーダレス化、大規模移動化が進む現代では、

様々な人に、音楽表現や発表の可能性が開かれ、

盛んな化学反応も生じるし、音楽をやる側にとって、

素晴らしいこともたくさんあります。


また、例えばYoutubeやUstreamによって、

瞬時に人々と音楽が共有できるというのも、

少し前の時代から考えれば、夢の様な世界です。


「隔離」「閉鎖」というのは非常にネガティブなニュアンスだし、

John Lennonが“IMAGINE”で歌ったような、ボーダレスな

開けた世界は、その当時に比べれば、かなり実現されて

きたともいえるかもしれない。それは皆が望んだ世界でもあります。



反面、新たな「民族音楽」が生まれていくのは難しい、と

いう側面もあるかもしれない。「民族」とういう言葉自体が、

将来消えていくのだとしたら、「ローカライズ音楽」とでもいうか。
隔離されて、熟成されていくプロセスをとりにくいのだから。


だとすると、これまで、様々な独自な民族音楽のスタイルが

「ロック」と融合し、化学反応を起こして、歴史的な事件ともいえる

表現を生み出してきたけれど、今後、そのような

「歴史的な事件」もまた、起こりにくくなっていくのでしょうか。


「未開の部族」が発見されるワクワクが減ってきたように。


「開かれていく」「自由化」という言葉は、すごく理想的な

響きを持っています。そして、多くの場合、実際に理想的です。


ただ、「多様性」「独自性」の発展という価値の側面からみれば、

また違う景色も見えてきます。


音楽の例えからは少し離れますが、日本が、

世界中から評価されてる、独自で特殊な文化を育んだのも

「隔離」「閉鎖」と関係しています。


「源氏物語」は、遣唐使廃止後の「国風文化」」中で生まれました。

「浮世絵」に代表される江戸文化は、鎖国時代のものです。

世界に知れわたる前の、マンガやアニメも同じくでしょう。


まさに、ガラパゴス的な風土の中で、濃縮され、熟成された

独自の文化が栄えた。


単純に、産業としての成功を目指した製品、例えば

携帯電話などは、日本で独自な発展をしすぎて、

他国で相手にされず、国際的なシェアを獲得できない、

というのは、閉ざされたシェアのネガティブな側面なのかもしれません。


世界各地の音楽も、産業といえば小さな産業です。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 」も、ライ・クーダーによって

紹介され、世界中を席巻する前は、その地域特有の、小さな

産業だった。(音楽だけで皆が十分に食べられていたかは別として)


「産業」と「文化」の両方の側面を持つ、非常にさまざまなものが

(携帯電話が「文化的でない」と言い切れるのか!とも言えますが)

貨幣経済の、シンプルな、自由競争の波にさらされていくのが、

果たしてよいことばかりなのか。と、思うのです。



(続く)






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