情けは人のためならず(コメントについて考えてみました) | 池袋駅北口の「ぐんまのやぼう」

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ペタというのはいわば足跡が残るだけなのでその意図はなかなか汲み取れないものです。「おはよう」ペタのような「ご挨拶ペタ」もあるでしょうし、「記事読んだよペタ」もあるでしょう。もちろん「読んでよ!ペタ」もあるでしょう。

正反対の意味をもつペタもあります。

某氏に「なんで今日だけペタするんだ?」と聞いたら「今日の記事はおもしろかったから最後まで読んだ。だからペタした」って言ってました。

一方同じくめったにペタしない某氏にペタした理由を聞いたら「たまにはおもしろい記事を書けよ!」という催促の意味でペタしたと言ってました (^^;;

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それに比べればコメントはわかりやすいです。まあ100個に一個くらい

「記事を拝見して感動しました。私のブログを読んでください!」

なんてのが混じっていますが、そもそも私のブログを読んで感動した時点で間違ってますね。そういうのは例外でみなさん私の記事を読んで思うところがあるからコメントをくださるんでしょう。

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前回の記事で書いたようにアクセス数とコメント数はほとんど関係ありません。どんなに読む方が少ない記事でも怒涛のようなコメントいただくケースもあれば累計30,000アクセスあってコメントはゼロなんていうケースもあったわけです。

ブログをしばらくやっているとどういう記事にコメントが多いかはわかってきます。
「突っ込みどころ満載」というのがいちばんわかりやすいケースでしょう (^^;;

反対に私が「人間かくあるべし」なんて決めつけて反論を許さないような語調で記事を書いたら誰もコメントなんかしてくれないでしょう。

もちろんコメントをいただいたときどうコメ返するかというようなコメントに対する対応も関係するでしょう。いつか記事に書いたように私は「メールの返事はほったらかしでもコメントをいただいたら可能な限り素早くコメ返」をモットーにしてきました。いい方に作用しているか悪い方に作用しているかわかりませんが (^^;;

他にもありますが、要するにコメントの多寡はアクセス数とかそういのとは別に決まるわけです。これに関して某氏のふだんの言動とは似つかわしくないコメントを紹介させていただきます。

コメントって記事に対して自然にコメントしたくなるような記事かいてれば勝手に集まると思うし、それが理想ですよね。

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ペタと違ってコメントは明らかに自分の書いた記事をご覧になってその感想や意見を書いてくださっているわけです。つまり自分のブログをたいせつにしていただいているわけです。

だったらその御礼の気持ちを形にしなきゃいけません。

その方の記事を拝見しに言ってコメントを書く、というのがいちばんまっとうな考え方だと思います。

でも記事を拝見しても自分に興味のないことだったらどうすればいいのか悩みます。

形がたいせつ、だからとにかく何でもいいからコメントすればいいんじゃないか、という考え方もできるでしょうが私はそれができません。まったく興味がないことや自分がよく理解できないことに対してコメントするのは相手に対して失礼なことをしているような気がします。

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誰かが誰かにコメントすれば、誰かが誰かにコメントしてもらったことになります。
アメブロ全体で考えればコメントをした数とコメントをもらった数の総数ははおんなじはずです。

私がAさんにコメントをもらいます。私は興味を感じたBさんの記事にコメントします。Bさんは感動したCさんの記事にコメントします。Cさんは読んで腹がたったDさんの記事にコメントします。そしてDさん読んで楽しくなったAさんの記事にコメントします。

これって私はAさんに(お返しの)コメントをしたってことですよね?

「ペタ」も「いいね!」も時間のムダ?編集
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情けは人のためならず(コメントについて考えてみました)編集