先日の日記でタイ料理屋の話をしたので今日は僕が20代後半にタイへ行ったときの話をしようと思う。
横浜でカラテをやっていた頃よくつるんでいたのが道場生の後藤さん。(現横浜GT ジム会長)
この後藤さん、カラテ修行のかたわら、キックのジムに所属してキックボクシングや新空手の大会にも出ていた。
その後藤さんにある日「今度一緒にタイに行きませんか?」と誘われた。
聞けば彼が本番のムエタイ(日本のキックボクシングのルーツ)を習いたいと、通っているジムのタイ人トレーナーに持ち掛けたところ「じゃあ俺の育ったジムを紹介してやる」といわれ話がまとまった。
僕は迷ったが、こういうチャンスは人生でそうあるもんじゃないと、入っていたガン保険を解約して渡航費をつくった。
練習先の「ジョッキージム」はバンコク市内の閑静な住宅地にあり床はコンクリート張りで屋根だけがかかった吹きっさらしのジムだった。
そこには十代前半からはたち過ぎの可愛らしい少年たちの活気で満ち溢れていた。
「可愛らしい」と言っても練習ではその表情は一変する。
トレーナーの持つミットに序盤から10連打のミドルキックを繰り出す。
水牛の皮で張った、ザブングル加藤ばりの「カッチ、カチやで!」なサンドバッグにキレイなフォームのキックを叩き込む。
(私はそのカッチカチのサンドバッグが痛くて連打出来なかった)
首相撲では50キロ台の少年に何度も投げられた。
でも練習が終われば皆あどけない笑顔の少年に戻るのだ。
その少年たちとジム併設の宿舎で一緒に生活したのだ。
恐らく一度も洗ったことがないであろう茶色く煮しめたようなシーツをせんべい布団に敷いて、彼らとザコ寝した。
また可愛いことに皆「俺の隣に寝なよ!」と自分の横のスペースを空けて手招きしてくれた(笑)
一緒にご飯に行けば、彼らに習って、片手でモチ米を一口大に握っておかずと共に口に運ぶ。
僕らの不慣れな手つきをみて彼らはゲラゲラと笑っていた。
ある時、彼らから一緒にデパートに行こうと誘われた。
家具売り場に案内されて、ジッパー式でビニール素材の衣装タンスを指差し「これを買いなよ」という。
彼らは僕らがずっとジムに居るもんだと思ったらしく、自分のタンスは必要だよという(笑)
もちろん僕らは元々一週間のステイのつもりだからずっと居るつもりは毛頭なかったが、僕らに対する親しみが感じられた出来事に胸が熱くなったものだ。
楽しい時間はあっという間だ。
日本に帰る前日、僕と後藤さんはお世話になったお礼に彼らにプレゼントをしようとかんがえた。
先に登場したデパートに行って真っ白なシーツを数枚買ってプレゼントした。
早速茶色く汚れたシーツをはいで真っ白なシーツをしいた。
皆で横になる。
キレイなシーツに皆喜んでくれて、やはり「隣に寝なよ!」と手招きしてくれた(笑)
最後の夜、布団の上でいろんな話をした。
一人の少年が「僕も故郷に帰りたい」と涙ぐむ。
僕らが日本に帰るというのを聞いて望郷心をかきたてられたのだろう。
ムエタイのジムにいる少年達の大半はタイ北部の貧しい農村出身だ。
中学に上がる位の年齢になると親元を離れてお金を稼ぐためにバンコクに出て、ムエタイのリングに上がる。
年端もいかない少年達が親元を離れて仕送りをしながら戦い続ける現実を知り胸が痛んだ。
そもそも彼らと僕らとでは目的が違うのだ。
趣味でやっている格闘技探訪と、家族を養っていかなければいけない生活の術(すべ)。
掛けている重みが違う。
最後の夜は瞬く間に過ぎ、彼らは口々に「また来いよ!」と涙ぐむ(泣)
早朝、彼らを起こさないようにそっと布団から抜け出し、夜明けのドンムアン空港に向かった。
テレビの「ウルルン滞在記」なら数年後に「再会スペシャル」があるのだか、十年経った今もそれは果たせてない。
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