『日本の問題ver.311」という演劇のオムニバス企画公演が東京で近々行われる。


東京を中心に活動している学生団体が集まって、
今自分たちに出来る事は何かってのを、東京とか、外に向けて発信する。

うーん、発信することに挑戦するらしいって言うほうが正しいのかな。


これについて記して置かなきゃいけないと思うので記しとく。
考え過ぎなのかな。でも考え過ぎないとモヤモヤするばかりだから、ここ数日、これについては何も言わず黙していました。遅くなってすみません。

しかも夜中になっちまった。
まあちょうどいっか。



ここに出場する「荒川チョモランマ」っていう劇団の人たちが、

わりと身近にいた僕に、震災時の話を聞きたいって来たのが二ヶ月ほど前。


どんな形であれ、「3.11」をテーマにした芝居を作るのは勝ちのない挑戦になると思う。


なぜだか、批判はせずとも地元民としてただ関わるのには、違和感があった。

地元で起こっている事から目を背ける感覚に近い違和感だった気がする。



一人にでも多く伝える事を第一の出来る事に、
と決めた自分は、教えるならちゃんと教えようと思った。
だから、石巻にも連れて行って案内することにした。

知ってもらうのがまず一番だと思うから。


大前提として、ちゃんと考えてくれる人だ

とか、

ちゃんと自分で知りたくて来たんだな、

と感じたからこそ

それならちゃんと応えようと思ったよ。

きちんとあがけば、勝ちなんかなくとも何か価値のあるものには近付けるだろうと演劇の事を信じている。


そもそもなぜ芸術と「3.11」を結び付けるのが難しいかって、
違和感があるのかって、正解がないものを正解がないもので不特定多数に向けて表現するから、

勝ちも負けも、難しいも簡単もないのだ。

だから「今自分たちに何が出来るか」っていう答えなんて所にもそもそもなくて、

もしそれを自信満々に出されるようならかえって不機嫌になっちまいそうだから、

第一印象として、企画意図には肯定的になれなかった。

まだ僕も相手をちゃんと知らないからだったんだろう。

地元の友人もそうだった。



ただ、だからといって批判したり協力を拒否したりってのは絶対に違う。

そんなことはしたくない。


東京にいれば被災地側の人間である自分が、

東京で震災を掲げたテーマで作品を作るのは、まだまだ出来そうにない、でも、それをやろうとしている人たちには協力したい。

肯定的でなくとも、協力的でありたい。

「荒チョモ」のメンバーは、石巻でそれぞれに色々なものをしっかりと受け止めたと思う。

それは彼女らと話をした家族、や知人みんなが思ったと想う。


ネットと頭だけで考えた正解らしき事を言われても、納得はいかないし、心を閉じるだけだ、
けど、心で受け止めてくれてたと思う。




石巻で最後の晩に主宰の長田さんと二人でひっそりと話をした。うちの台所で。


それまでは何も言わず、ただ僕が見聞きした色々な物を見せたり、話したり、そこまでに留めておいたのだけれど、

最後の晩に、2日間の滞在と「取材」で、何を今思っているのか聞いてみた。


悪いけどその時に話した内容は、この一年間で誰と話したどんな話よりも納得がいくものだったと思う。
内側の人間とか外側の人間とか関係ない。心を以て想像を出来る人は、信用したくなった。

今度はじゃあそう思ったこと、思ってることを実際に外に向けて出すときにどうするか。

頭も使ってアウトプットする番だ。悩みに悩んだろうきっと。

そこが一番迷う所だし答えの出せないところだ。


彼女らも、他の団体さんらも、本当に悩んで悩んで、でもやっぱり答えは出せなくて、迷って苦しんで、いるらしい。
それでも演劇で表現するらしい。

正解があるとしたら今のところ一番正解に近いのが、この状況そのものなんだと思う。


考えて、

想って、

行動すること。


頭と心を使って考えたら、答えなんて出せなくて苦しむばかりなのがこの現実のありのままの答えだ。

それでも体を使って動く。

これも一つの答え。現状。

それがあと数日後から行われるって話だ。
なんだかただの演劇の宣伝みたいにするのが嫌で、公演詳細は書けない。正直に向き合いたいからそうする。
少しも公演の宣伝臭なんかさせたくない。演劇の人じゃなく石巻の人として関わると決めたからなんだろう。




何にもしゃべれる事なんてないけど、長田さんからアフタートークに出て欲しいという話を受けた。

しゃべれることなんかないってのは謙遜とかではなくて、

そんな調子だから、トーキョーに向けて、何を話していいのかなんて分からないのだ。

「日本の問題」なんてまだ考えられなくて、地元の、家族の問題しか考えられないからだ。

こんなんじゃ想像力なんて言うのは失格かも知れない。
地元の中に心を置けば、そんなことまで考えてられないんだもの。


じゃあなんで、仕事休んでまで受けたかって、別に目立ちたいわけでも何でもなくて、

荒チョモのメンバーが知人から一生懸命話を聞いていた事に対して、何か誠意でもって応えたいって思ったのと、

あと家族の肩揉みをしてくれたからそのお礼です。



各作品に関しては、なんだろう、期待も不安も思っていません。

今回の関わり方は、演劇人でもジャーナリストとしてでもなく、石巻の沿岸部の田舎者のままでありたいから、細かいこととかはその道の詳しい人たちにお任せしよう。僕は論じないでただ感じてみよう。来られない地元民を代表して。


面白いは面白くないに見えたり、面白くないが面白がられたりするようなテーマなんだもんな。難しいよな。

いっぱい知って、いっぱい考えていっぱい想って、

いっぱい分かんなくなった末に出たものが、正直な答えだと思うから、それを観て何かを感じて来るだけにしよう、僕は。

偉そうに済まないけど、石巻の視点で観てみたいと思うんだ。


んで、出来ればこの企画に携わった人たちはもちろん、

観たお客さんも、その時だけでなくて、どうか忘れずにいてくれたらなと思う。願う。


石巻じゃこの先ずっと続いてくその問題なんだもん。

どうか忘れずにいてくれたらと思う。


マラソン大会みたいだな。

ゴールが一人一人バラバラで、そもそもゴールのない所に向かって走っていて、
でも走ることをしていて、
走っている時は苦しい。


この日のためにたくさん走りこんで来たけど、だからなんだってーと、何なのかも分からなくて。


そんなだから、宣伝してあげたいんだけど、宣伝するのがうんと難しいや。


でも走ってる時って本気だし真剣に苦しんでるから、
それを観に来てやってとはすごく思う。
応援しにいかなきゃ!って。


あまり知っていない人たちも、当日、答えは見えないかもだけど、何かには気付けるかも知れない。


それが想像のきっかけになるかも知れない。
並走したくなったらしてあげたらいいし、何もせずにただ文句言ったり、
ただ走ることについて述べたりしてるよりずっといいや。


でも忘れちゃいけない。やっぱりどこかで、ずっと走り続けなきゃいけない人たちがいるのだ。

マラソン大会は5日間で終了するけど、ゴールのない中、ずっと走り続けなくちゃいけない人が日本にいるのだ。




迷ったり悩んだり苦しんだりすると、想像力が小さくなって、

あの人の気持ちやこの人の気持ちにまで及ばなくなって来る時があるだろね。


苦しんで走ってる時なんか、苦しい!、止まりたい!としか思えないもんな。


でも、そういう時こそ想像力を大切にしてみてほしい。



走り続けてる全団体さんたち、スタッフさんたち、僕は応援しています。

ほんとはちょっと期待して、応援しています。売上全額寄付よりも何よりも、トーキョーで、外から真剣に考えてみて、めちゃめちゃもがいて苦しんだ人たちを応援したいです。


地元民の一人から、以上です。



もがく姿を見たくなった人たち、

「日本の問題」「3.11」で検索したら出てくるんじゃないかな。

参加するなら自分でスタート地点にまでいってみて。


知るは愛するに結びついてくものだし、知れば想像が出来る。
想像は愛するに近づけるはず。



アフタートークに参加した日の夜に、石巻に帰ります。


荒チョモ、アフタートーク終わったらラーメン食い行こう!



やぐち

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