個人的な関わりがあって、混雑する前の中だるみ時期に行ってきました、大妖怪展@江戸東京博物館。この手の夏の展示は、あくまでイメージながら、似たような作品の使いまわしのような印象で、あまり好んで行く気はしないのですが、今回は、妖怪のルーツに土偶を持ってきたり(未知なるものへの人類の想像力、という文脈ですね)、など、ちょっと変わった視点も入っていたこともあって。妖怪ウォッチ…はどうでもいい(笑)!!ま、夏休みイベント、ということもあるので、ね。

 で、結果として、まぁ面白かったのですが食い足りない点もあって。ただ、やはり夏休みでしょうか、小学生と思しき子供たちが、結構本気で怖がっていたり、泣き出す子もいて、ああ、妖怪、まだまだイケるぞ、と(笑)。
資料の面白さや貴重さもさることながら、個人的には、「妖怪の機能性」に興味があったこと、そして「妖怪はどう“観賞”されるようになったか」という、扱われ方の推移など、勉強になりました。「疳(かん)の虫」とはよく言ったもので、病理の原因を妖怪に求めた奇書『針聞書』からは、それこそ妖怪ウォッチの駄洒落よろしく、しょうもない名前の妖怪がたくさん(肝積:かんしゃく、とか、腰抜けの虫:こしぬけのむしとか)。出色は重要文化財「土蜘蛛草子絵巻)」と、幽霊画の数々。

 その翌日でしたか、敬愛する友人(通称:師匠)とSNS上でたまたまた、心霊写真の話になりまして。登山道の監視カメラに写ったアレやコレ、てなニュースについての話なんですが、皆さん様々な意見を交換しておられます。
で、その友人より

友人:「○○(私)さんは国外でお育ちになったんですよね。我々からすると、感覚が違い過ぎて、(*ニュースに出てくる写真は)ほぼファンタジーな感じなんですよ。それこそ、キリスト教圏ならヤギ男は恐怖の対象かもしれませんけど、お、造形いいな!って感じ。」と。

私:「はい、ブラジル育ちですので、特にカトリシズムの強い国です。でも、幽霊と奇跡って、隣りあわせなんです。特に、旧宗主国でない場合は(*それがもっと強いのです)。グアダルーペの聖母なんて、逆に日本人からしたら100%オカルトなんですけど、向こうでは50%くらいリアル。(中略)ブラジルなどは、土着の幽霊や妖怪なども交じってきているので、変な造形物も多いんですけれど、やはり怖がるのは子供までじゃないですかね。
私もちょうど4-8歳向こうなので、かなり感覚はバタ臭い(めちゃ甘でクランチ入ってるまずいチョコが好き、みたいな)んですけど、やっぱり怖いものは怖いです。」

友人:「なるほど、貴重な体験&情報ありがとうございます。すると逆に日本的な幽霊談とか心霊写真とかはピンと来ないのでは?」

私:「幽霊のデロリ感は、自分がハーンになったような気分で聞いてしまいます。幽玄なんですね。その意味では、逆に幽霊話こそファンタジックに思えたりします…が。」

友人:「なるほど、やはり外人さん感覚なんですね。そうか、心霊写真は万国共通かあ(笑)。」

私:「やっぱり形状より違和感なんですよ。多分。姿形の恐ろしさではなく、ここにないはずのものがある、という違和感。ここにあるはずのものがない、というのが危機感だとすれば…。あるという存在がとてつもなく後味悪いんですね。これは人類共通ではないでしょうか…。」

(以上原文。文末のハートマークや(汗)(苦笑)などは、読みやすさを考慮した箇所では省略。文中*マークは、文意通すため筆者補足)

とここで大体意見交換は終わったのですが、そのあとずっと、私は自分で書いた「ここにないはずのものがある、という違和感。ここにあるはずのものがない、というのが危機感だとすれば…。」ということを考えていました。ここにないはずのものがある…そうだ、これがあの居心地の悪い感覚。間違いない。そして、ここにあるはずのものがない、というのは危機感なのか…確かにそうだと思う。警鐘や、事件性を惹起させる危機感。emergencyとattentionの間、warning未満くらいだろうか…聖地奪回など、結局この感覚を幻想化して拡大し、それを共有した結果なのだもんな、などなど。
 友人のおかげで、なんだか思った以上に深みを持った『大妖怪展』。夏はまだまだ、お近くにお越しの際は是非。「自分と妖怪」について考えつつ、見えないものに目を凝らしてみてはいかがでしょうか???(〆)