青木新門と『おくりびと』と私。

September 30, 2008 13:58:13 テーマ:雑記
 8月の半ば、暑い日だった。『ダークナイト』を見に行った際に、『おくりびと』を予告編で知った。テーマからして、このような珍しい話、どう考えても青木新門先生の『納棺夫日記』が原作に違いない。青木新門先生とのご縁は、昨年の12月、私が共著(近藤裕氏)『何のために生き、死ぬの?ー意味を探る旅』(地湧社)を上梓して半年、出版パーティを催した際に、記念講演をいただくゲストとしてお招きしたのがきっかけである。私たちの共著は、現代的なテーマ、普遍的なテーマを扱いながらも、その底流にあるのは、まさにタイトルの通り「生き、死ぬこと」。つまり、現代社会において、あるいは高度化した高齢化社会、医療問題を抱える未来において、いや、古今を問わず死生観を持って生きることが、人生にどのような方向性をもたらしてくれるかについて取り組み問いかけた嚆矢とも言える一冊であったと考えている。その点、青木先生は、まさに生死の境目に立ち会う仕事を経、その中で、そこに境目はなく、連続した光の中で、人間が輝く姿を見出した人物であり、パーティのゲストにふさわしい方であった。
 講演をいただき、その後青木先生を交えて著者二人の三名での意見交換がなされ、死生観を意識しながらの生について、共通の想いを確認し合ったのである。
 ところで、その後はお便りやメールでのおつきあいをいただいてきたが、件の予告編を見てしばらくして後、青木先生に直接その原作ないしは元ネタか否かの真偽を問うてみた。たまたま高野山におられた由、詳しい回答は後に延期となったのだが、ミーハーな感覚だけでそう結びつけられることが多いことにムズ痒さを感じていたことであろう、と察した。もちろん、青木先生は、両者が自然、本来的な意味で結びついていることそのものについてはうれしく思われたことであろう。
 結果的に、実際には、『おくりびと』という映画のインスピレーションになった、というのが正確であろう。巷間指摘される二者の密接な関係も、あながち的外れではないし、また主演の本木雅弘氏は、昔からの青木新門ファンであることも、メディアを通じて公にされている。友人は、ラジオで本木氏が、『納棺夫日記』をベースにしたストーリーの映画化を熱望した、という話しているのを聴いて、すぐにそんな情報も寄せてくれた。
 設定やディティールは当然のこと、最終的に伝えようとしているメッセージというか、主旨のようなものも『おくりびと』と『納棺夫日記』とでは、伝え手レベルでは違うようであるが、単に納棺および納棺夫という職業の特殊さを安易に取り上げた映画でもなく、また時代の雰囲気におもねったワケでもない。『おくりびと』は『おくりびと』そのものとして、質が高いがゆえに世界的な評価を受け続けているのだし、関連はあっても原作ではないからと言って、青木先生の『納棺夫日記』が、『おくりびと』と別の世界を歩いているのではなく、その先触れであり、また『おくりびと』の登場によって、ますます青木先生が感覚した人間という存在への想いは、より正確に、精緻に現代を生きる人々へと伝わって行くに違いない。
 単に、ショッキングな、あるいは斬新なテーマを、孤独な高齢化社会に扱った、と評価するのは、『納棺夫日記』や『おくりびと』に対して、あまりにコマーシャルで失礼な物言いだろう。古今を問わず、人は生き、死ぬ。それは普遍的である。人の最期を愛するということは、最期までのプロセス、つまり生まれ、生きている間をも慈しむものである。
 「生か死か」ではなく、死後の旅を見送るという瞬間を通じて、「人間全体」をまるごと愛するという目線―これは『納棺夫日記』にも『おくりびと』にも共通しているはずだ―こそ、現代と言わず、読む人・観る人全てに伝わって欲しい思想であり、哲学であり、アートであり、何より真心なのではないだろうか。(了)


■出版パーティの様子はコチラ

■『納棺夫日記』書評はコチラ

何のために生き、死ぬの? 意味を探る旅

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「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの? 意味を探る旅』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。

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