さくら随想

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 ほんの数日の旅が終わり、家に帰るとさくらは見事な葉桜へと変わっていた。あんなに艶やかだったさくらのはなびらは跡形もない。あまりにも潔すぎて呆気にとられたが、心変りする時もこんなものかもしれない。
  
そういえば、旅先で会った男は私のことを美人かどうかで分類すると正直な話、どっちにしてよいかわからないと言った。たしかに自分でもそうだろう思う。おもむろにその男は「あんたにはステテコみたいなのを履いたトマト農家のおじさんが憑いている。いや、悪い奴じゃない。心配するな。」と言いながら私の肩と背中をマッサージをしてからうまそうに缶ビールをごくごくと飲んだ。
  
時々、学生時代に流行った「弟切草」というゲームソフトを思い出す。物語のところどころでプレイヤーが選択肢を選ぶことにより、いくつものシナリオから話が展開されていくサウンドノベルのゲームだった。 所謂、ゲームオーバーはなく、すべてなんらかのエンディングをむかえるのだが、中にはバッドエンドもあった。どの選択をすれば、あるいはどの組み合わせならば幸せな結末へむかうかはあまりにも複雑すぎてわからなかった。 
  
  春先にカーナビに案内されて海へ出かけた。贅沢を言えば、なににも登録されていないまっさらのところへ連れて行ってほしかった。嘘を重ねれば重ねるほど事実はより深くより冷たいものになる。誰かを傷つけまいとしてつく嘘によって傷つくものは私以外の何物でもなく、それを静かに癒すのは海がいいのだ、きっと。あの日の海はあまりにも澱んでいて、だからこそ、それが本当の意味でわたしを癒してくれる媒体だったのかもしれない。
 
 45歳を過ぎたら自然妊娠の確率は1%未満になるらしい。不妊治療をしている友だちのはなしを聞きながら、フォークにパスタをぐるぐる巻きつける。ちょうどよい量を口に運びながら、誤って妊娠しないように神経質なくらい気をつけていることは話さない方がいいなと思った。できうるかぎりのやわらかな顔でふたりの不妊治療のはなしに相槌をうちながら、少し伸びたパスタをいつもより丁寧により注意深く食べた。今日、クリニックで卵胞を計ってもらったら、2センチ1ミリだったから、なにがなんでも今夜は子作りの為に交わるという友だちも10日前に冷凍保存しておいた受精卵を子宮に戻した友だちも、そして絶対に子どもは欲しくないくせに失いたくないばかりにやすやすと男を受け入れてしまう私もそれぞれなにかがずれている。時計屋に並べられたたくさんの時計の時刻がバラバラなようにそれぞれずれているのだ。本当は一緒にいて楽しい人より離れていてさみしい人を選んだ方がいいのかもしれない。はじまりはいつもおいてきぼりでおしまいはいつもゴールを見失うのは仕方ないこと。はじめてばかりを重ねていくのはやさしさの対極にあって、いつか自分が一番傷つくことはわかっている。
 
  休日の午後、カフェのカウンターで分岐点だとか分水嶺に惹かれてしまうのはなぜだろうと考えながら、脇の水槽を見ると紅色の魚が2匹まったりと泳いでいた。金魚は棲む場所が広ければ広いほどだんだん体が大きくなるらしい。纒足で足を小さくしようときつい靴を履いた人類の愚かさを思う時、琥珀色した闇にとけたくなる。縁日で掬った出目金を小さな袋にぶら下げて帰った夏まつりの想い出はもう、自分の想い出なのかもあやふやになっていて、今、こうやっていることも、いずれ混沌としたものになるのだろうか。

   窓を開けずにいると溺れる錯覚に陥る。閉塞した孤独にのまれてしまうようでこわいのだ。水色が好きだというあなたに合わせて買ったカーテンがさらに独りでいることをふくらませてしまう気がする。さみしさの浸透圧に耐えかね狂れてしまうことがないように換気を必要としている。決してそれが、表面張力を持って私の中にとどまることのないように。

  できれば雨は音もなく降ってほしい。降ったことさえわからないようなそんな雨がいい。満開のさくらの下をふたりで歩いたことは必然だった。あの坂に降った水もいずれ巡回するだろう。しとしと降る雨も饒舌な雨も寡黙な雪もまた巡る。来年も見事な花を咲かせるはずのさくら。なにごともなかったかのようなさみどりが五月の風を受けて揺れている。なにごともなかったかのように。
  
  
  
  
   
   
  
  
  
  
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大波小波

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冬の日のブランコ紐で縛られてさみしそうなりうれしそうなり
校庭はほとほと白く真夜中に獣が跡を描いていった
水滴が水を守っているようでそのままにする給水ボトル
12色クレパスにない色ばかり使いたくなるあなたの前では
モーニングセットを前にメイクする女の顔はどこか歪んで
語尾少し弱くなりたり雪溶けの水のはやさが加速してゆく
やわらかく冬の匂いが支配するポストに届く葉書の白さ
正しきは日付のみなる新聞の行間にある大波小波
しあわせのかたちのひとつ休日に開いた薔薇をじっと見ている
巻末の占いページを先に読み少し疲れて少しほどける
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そして、冬。

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火のない夜 夜のない街 それぞれが強くて深い藍を抱える
かなしみは独立器官でやりすごす冷たい雨はずっとやまない
飽和した感情ばかりをたれ流す 私以外のものになれれば
たしかめるあなたの指だけ現実でスーパームーンの白さがこわい
マジョリティマイノリティかを精査して今年の雪のおとずれを待つ
冬冬と埋めつくされる路地裏であなたの声が無性に聴きたい
反芻をしているような罪があり百合の花粉ののこるわたくし
雪よりも白くなりたい罪という罪のすべてを忘れるほどの
雪虫とおなじ速さでやってくるどこか欠けたる男らの声
欠けているものがわずかに肥大して熱を帯びるか、否、冷たし
鋳型ゆえ量産されゆくさみしさをふたりいつでももてあますけど
どうしても溺れたい水わたくしに足りないものは甘き愚かさ
文脈が浮かんで消える はつゆきの匂いひっそりきみが運べば
クリスマスティーを注げば疑心などなかったような貌をつくりぬ

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