第十一回 大獄の嵐

安政5年(1858)7月.西郷は京の都において斉彬の死を文によって知る.


西郷は国に帰国することを月照に告げる.

ここで月照に腹を切るつもりであることを見透かされ説得される.忠義を尽くして死んだとて斉彬は喜ばない.斉彬の遺志をついでこそ本当の忠義であると.

西郷は泣きじゃくり考えを改める.



西郷は,井伊の罷免および水戸尾張藩士などの放免といった勅諚を朝廷に提出することを決めた.



大久保らもこれを受け精忠組全員で命を懸けて働くことを誓う.


その勅諚の内容としては,日本が一致して外国の侮りを受けないよう真心を尽くして働けというもの.

西郷の気がかりとして,水戸藩には今や有能な人材はおらず,世間が思っているほどの働きができないということがあった.


江戸の様子を探るため,四日という速さで今日より江戸へ上った.



西郷は根回しを行ったうえで勅諚を届けようと考えていたにもかかわらず,朝廷はそれを待たずに幕府と水戸藩にに勅諚を届けてしまった.



これが耳に入った井伊は激怒した.

ほかの諸藩に勅諚を回さないためにいったん井伊は勅諚を受け取った.



そして,井伊はこの勅諚にかかわった物をすべて処分すべてするよう命令する.


安政の大獄が始まったのである.




月照にまでその刃が向けられた.

近衛はこれを防ぐため月照をいったん奈良に隠すよう西郷にいう.

しかし奈良でも安全な状況でなく,予定を変更して薩摩に向かうことにした.



このとき江戸では第十四代征夷大将軍に家茂が就任した.






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