FUJITA'S BAR
2007年12月21日(金) 21時59分00秒

親父の一番長い日 / さだまさし

テーマ:名曲


親父の一番長い日



中学校の時の音楽の先生は、音大を出たばかりの新人の若い女の人でした。


どういうきっかけだったか忘れてしまったのですが、一度だけその先生(一人暮らしのマンション)の部屋に遊びに行ったことがありました(///∇//)



中学時代のオレは野球ゲームに明け暮れる一方で、英語教室のラジカセでビートルズを聴いたり、音楽室にあるクラッシックのLPを勝手に聴いたり、昼休みに流す音楽はリチャード・クレイダーマンだけでなく、ビリー・ジョエルサイモン&ガーファンクルや、せめてカーペンターズくらいは流すのを許可してほしいと先生に交渉したりというミュージック・ラヴァー(笑)だったのですが、二人きりの部屋で先生はオレにこう言いました。



「先生は試験でいい点を取るためだけに音楽の授業を聞いてほしいとは思わない。

音楽の授業を通してみんなに音楽の素晴らしさをわかってほしいと思っている。

3121クンは授業態度も決して真面目だとは言えないし、テストの点数も正直良くないから、いい成績をつけることは出来ないけれども、3121クンは音楽が好きなんだなと先生は思っているし、そのことが本当に嬉しい。」




その先生が

「さだまさしがLPサイズのシングルを出した」

と言って一緒に聴いたのが、この「親父の一番長い日」です。


おそらくは日本で初めての12インチ・シングルだと思います。


収録時間は12分30秒で、ギター弾き語りの曲としてはボブ・ディランのアルバム「追憶のハイウェイ61」のラストに収録されている「廃墟の街」(11分22秒)よりも長いっすよ(・∀・)!



歌は、妹が生まれてから嫁ぐまでの出来事を描いた短編小説のような内容で、オレはこの曲を聴いて猛烈に感動したのですよ!




その先生とは特に何があったわけでもなく、中学を卒業して以降一度も会っていないのですが、今でも元気にしていらっしゃるのでしょうか。



先生もオレがここまで音楽にハマるとは思っていなかったでしょうな。








おばあちゃんは
夕餉の片付けを終えた時
弟は二階のゆりかごの中で
僕と親父は
街頭テレビのカラテ・チョップが
白熱した頃に
妹の誕生を知った
それから親父は
占いの本と辞書と
首っぴきで
実に一週間もかけて
妹のために
つまりはきわめて何事もない
ありふれた名前を見つけ出した
お七夜 宮参り
夫婦は自画自賛
可愛いい娘だと
はしゃぎ廻るけれど
僕にはひいき目に見ても
しわくちゃの失敗作品
やがて彼女を訪れる
不幸に胸を痛めた
兄貴として

妹の生まれた頃の我が家は
お世辞にも豊かな状態ではなかったが
暗闇の中で何かをきっかけに
灯が見えることがある
そんな出来事だったろう
親思う心に勝る親心とやら
そんな訳で妹は
ほんのかけらも
みじめな思いをせずに育てられた
ただ顔が親父に似たことを除けば
七五三 新入学
夫婦は狂気乱舞
赤いランドセル背負ってか背負われてか
学校への坂道を
足元ふらふら下りてゆく
一枚のスナップが
今も胸に残ってる
兄貴として


我が家の血筋か妹も
足だけは早くて
学級対抗リレーの花形で
もっとも親父の応援のすごさに
相手が気おくれをして
随分助けられてはいたが
これも我が家の血筋か
かなりの演技派で
学芸会でも ちゃんと役をもらった
親父の喜びは言うまでもない
たとえその役が
一寸法師の赤鬼の役であったにしても
妹 才気煥発
夫婦は無我夢中
反抗期を過ぎてお赤飯を炊いて
中学に入れば多少
女らしくなるかも知れぬと
家族の淡い期待あっさり
裏切られてがっかり
兄貴として

妹の初恋は高校二年の秋
相手のバレー部のキャプテンは
よくあるケース
結局言い出せる筈もなく
枯葉の如く散った
これもまたよくあるパターン
彼氏のひとりもいないとは情けないと
親父はいつも笑い飛ばしてはいたが
時折かかる電話を
一番気にしていたのは
当の親父自身だったろう
危険な年頃と
夫婦は疑心暗鬼
些細な妹の言葉に揺れていた
今は我が家の一番幸せなひととき
も少しこのままいさせてと
祈っていたのでしょう
親子として

或る日ひとりの若者が
我が家に来て
“お嬢さんを僕に下さい”と言った
親父は言葉を失い
頬染めうつむいた
いつの間にきれいになった
娘を見つめた
いくつもの思い出が親父の中をよぎり
だからつい
あんな大声を出させた
初めて見る親父の狼狽
妹の大粒の涙
家中の時が止まった
とりなすお袋に
とりつく島も与えず
声を震わせて
親父はかぶりを振った
けれど妹の真実を見た時
目を閉じ深く息をして
小さな声で…
“わかった娘はくれてやる
そのかわり一度でいいうばって行く君を
君を殴らせろ”と言った
親父として

妹の選んだ男に間違いはないと
信じていたのもやはり親父だった
花嫁の父は静かに
娘の手をとり
祭壇の前にゆるやかに立った
ウェディング・ベルが
避暑地の教会に鳴り渡る時
僕は親父を見ていた
まぎれもない父親の
涙の行方を
僕は一生忘れないだろう
思い出かかえてお袋が続く
涙でかすんだ目の中に僕は
今までで一番きれいな妹と
一番立派な親父の姿を
刻み込もうとしていた
兄貴として
息子として

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コメント

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4 ■Nobさん

思春期の頃のさまざまな出会いは後の人生を左右しますね(・∀・)

>私は、音楽の先生で印象的な先生には出会わなかったんですが、その分、友達や先輩がジャンル別に良い先生になってくれました。

昔は音源と言えばラジオくらいで、LPを自分の小遣いで買うなんてできませんでしたから、友達と情報を交換しあったり、友達の兄弟とかがLP持ってたりしてそれをテープにダビングしたりというのが基本でした^^

3 ■そういえば・・・

この曲はジックり最初から最後まで聴いた事はなかったです。
歌詞を読むだけでも、読書をした気分ですね(笑)
私は、音楽の先生で印象的な先生には出会わなかったんですが、その分、友達や先輩がジャンル別に良い先生になってくれました。
あれれ、中学時代がクレイダーマンですか・・・
私の時はポール・モーリアでしたが(笑)

2 ■タカさん

その音楽の先生は、音大を出たばかりでしたので、きっと憶えているでしょうな。

>やはり多くの生徒の人生に影響を与えるものですな(^~^)b

中学時代なんかは一番感受性の強い時期ですからね。
どうでもいいことが結構記憶に残っていたりしますな^^


それにしてもタカさんの父と兄が教師だったとは意外ですわ(・∀・)

まあオレも中国へ行けば「先生」と呼ばれます(笑)

>なぜなら・・・3121さんもまた特別な存在だからです

出た、ヴェルタース・オリジナル(爆)
このネタもまた懐かしいですな(・∀・)

1 ■師とは・・・

やはり多くの生徒の人生に影響を与えるものですな(^~^)b

実は・・・

オイラの父・兄ともに教師なのですが、やはり生徒にとって先生は思い出深くとも先生にとっては多くの中の一人・・・

ではないらしいですわΣ(゚д゚;)

やはり、印象に残っている生徒はいるらしくオヤジに至っては覚えていない生徒の方がメズラシイとか・・・

きっとその音楽の先生も3121さんのことを今でも覚えてらっしゃいますよ(^-^)b

なぜなら・・・

3121さんもまた特別な存在だからです(ヴェルダースオリジナル風にw) ( ̄▽+ ̄*)

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