こんにちは、いそべ晶子です。

理想論を傍に置いて、感じたものを率直に言うと、いまの日本の学校の勉強の多くは、暗記とドリル練習。大学の学部生まではそうだと思う。

個人的には、そこまでは暗記とドリルで乗り切ってきた、と言うべきか。

先生、または、先生になる人に、その認識が不足している場合、そうだと気づかずに、生徒に記憶とドリルを強制して矯正することがある。

強制や矯正は、そうしていることに気づいている場合は相手を励ませるが、気づいていない場合は相手を追い詰めることがあると思う。

暗記、または、ドリル練習のどちらかに忍耐力(頭がいいかではない)がない場合、または、それ以前に、新しい概念を受け入れるのに少し時間が要る場合、決まった時間割の学校の授業についていくのは難しい。どこかでつまづいたら、その後を続けるのも骨が折れる。

学習指導要領には、一人一人の個性を尊重する趣旨が書かれているが、そう指導した結果、学校の授業を行うにあたり、カリキュラムの枠を超える人がたくさん出てきて、授業をうまく進行できない先生が増えた。

わたしの目には、そんなふうに映ります。

みなさん、ご存知の通り、わたしはリケジョですが、小学4年生の理科で、融点と沸点のあたりで、理科はさっぱり分からなくなりました。

根気よくつきあって教えてくれたのは、父でした。学校の先生ではありません。学習塾にも一切行っていません。父も苦労した人でした。

もちろん、暗記とドリルばかりでなく、生き生きとした学問を教えてくれる先生も、中にはいます。自分から求めて学ぶことはとても楽しいです。

ただ、毎日そうであること、は本当に辛い時があります。この文章を書く間、いろんな人の顔が浮かびました。

どうぞ、いま体験している現実が困難に見えても、その未来を諦めないで。まだ知らない可能性が、本当にたくさんあります。一人一人に、違った新しい可能性があります。

あるんです。

本当にもったいないのは、過去にとらわれて、未来の可能性をあきらめることだと思うんです。


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douxnido いそべ晶子

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【ブログ】信頼☆

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こんにちは、いそべ晶子です。

昨日、会社の人と話す中で、信頼という言葉に引っかかって、ずっと問いかけてた。

ある人を信頼するというのはどういうことなんだろうか。

そんなとき、KenKenさんとDr.COYASS(歯科医)さんとの治療のツイート見て、ああこれか!と。

この、グルーヴ感を作れることを信頼するんだな、きっと😆✨

会社の人と話した時の「信頼」は何かが違った。例えば、信頼を裏切られる、って使う時、その「信頼」は期待とほぼ同義で、ただのラベル(標識)に過ぎないと思うんだー。そんな感じ。

KenKenさんが以前どこかのインタビューで口にした「信頼」は、それとは全然感じが違った。

そうそう、こんな柔らかくて、ても確固としている感じ。いつでも変化して、その変化も受け入れられる感じ。


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douxnido いそべ晶子
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こんにちは、いそべ晶子です。

郵便局のレターパックの紙の材質がつるつるしたものに変わった。たくさん積むと滑ってしまい、大変仕事がしにくい。笑

滑らかなもの同士は摩擦がなく、互いを留め合わない。この世界では、摩擦があることが関係性を持つことなのだろうか。

何かと関わったりするときに感じる違和感や苦手感。これは何だろうと観察する。

新しい概念を受け入れる時に感じる苦手意識は、その摩擦のようなものか。そこで関係を持とうとしている自分がいる。無理に好きになろうとしないだけでも、わたしの場合は気楽に進める。

新しいものに出会うたび軽い反発を感じるけれど、それを嫌悪感に変える必要はない。

この薄い膜のようなものが、わたしと世界の境目。ただ、その新しさを選ぶか選ばないか、それだけ。

新しい本やCDを買って、それを読み始めたり聴き始めたりする前に積んでおくものもある。

体験する前に分かっている。これはわたしの中の古い何かを壊すもの。そして、わたしを夢中にさせるもの。

いまはそうしている時ではない、と身体が止める。山を登る手を離したら落ちるとでも思っているのかしら。

素直に新しいものをいいと受け入れたのはいつだろう。いまの自分を壊すのを難しく感じるのは、いつからだろう。笑!

身体は、つるつる滑るレターパックと格闘し、頭の中は、ざらざらした違和感と格闘中。


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douxnido いそべ晶子
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こんにちは、いそべ晶子です。

3つの言葉で、信条やコツなどをまとめて聞くことが続いたので、ご紹介します。

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山内そうとさん(プログラマー、12歳でTEDスピーカーとしてスピーチ)


1つ  挨拶で相手の懐に飛び込む
2つ  朝日記をつける、朝起きた時に自分に挨拶する
3つ  仲良くなった人とイベントをする
満島真之介さん 、人と仲良くなる極意)


謙虚さ、情熱、正直さ。
良い料理人であるための心得を聞かれて
成澤由浩氏「NARISAWA」オーナーシェフ)


さて、わたしの3つは何だろうか?

わたしがわたしであること
いつも新しい選択をすること
いまを精一杯生きること

いまは、こんな感じかしら。


さてさて、あなたの3つは何ですか?


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douxnido いそべ晶子
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こんにちは、いそべ晶子です。

その昔、友達の彼氏さんが会社の社長さんで、時々、友達とのごはんに、わたしを呼んでくれては奢ってくれて、何くれと話をしてくれた。

ある時、何かのはずみで、わたしの仕事の話になり、アルバイトで(正社員でなく)働いていることを「勿体無い、ちゃんと働け」と、その時のわたしにとっては、くどくどと、その方は話を続けた。

つまらなそうな顔をしていたわたしに、「ちゃんと聞きなさい」と言うので、うっかり「興味がないんです」と答えてしまった。

その方は「興味がないとは何事だ」と怒って帰ってしまった。それ以来、ごはんに呼ばれることは無かった。友達には謝ったが、あの言い方はないわ、と、たしなめられた。それもそうだが仕方ない。

いまでも、わたしの学歴を知る人にの中には、いまのわたしの暮らしぶりや働きぶりを見ると、勿体無いと言う人はいる。

本当にそうだろうか?

わたしには、たくさんの可能性があって、わたしを見る一人一人の目に、その人が見る可能性がある。いまのわたしは、それらに興味がないことはないが、あまりにも近くに行くと、どれがわたしの考えていることなのか、分からなくなってしまうことがある。

だから、これくらいの距離感がいいんだと思う。それは、興味がないってこととは違うと、いまのわたしは知っている。

なんとなく、思い出したので書きました。
つれづれ。


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こんにちは、いそべ晶子です。

去年のいつだったか、廊下に立てかけておいたマッサージテーブルの角に、左足の薬指をひどくぶつけた。

今思うと、ヒビが入ったか、捻挫の酷いのか、というくらいのものだと思うけど、病院には行かなかった。

日常生活には支障がないが、踊りにはものすごく支障がある。たった薬指一本でも、立つ時に力が入らない。

痛みが取れてからは、マッサージをしたり、暇さえあれば、足の指で地面を掴む筋トレをする。小指の先をつまんで反らす。爪先立ちをする。階段を登る時にいつもと逆の足を踏み出す。

そうこうするうちに、その怖さが最近ようやく取れてきて、左脚に体重を載せられるようになって来た。

そんな折、SOIL&PIMP SESSIONSのピアニスト・丈青さんが、手の筋の手術をすると聞いた。

わたしのような未熟者でさえ、たかだか足の小指一本で大変なのに、トッププロの違和感はどれだけ大変なことかと思う。わたしには想像を絶する。

手術、リハビリを超えて、丈青さんのピアノの響きが、わたしたちのもとに届くのを待っています。

祈りが届きますように。


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いそべ晶子
こんにちは、いそべ晶子です。

料理研究家の土井善晴さんが、料理は材料を殺すことや、と言っていたことがある。

殺すて、どういうことだろ?と、ずっと問いかけてた。素材を活かすとか言うよねぇ。

先日、美味しいと評判の店に食事に行った。確かに見た目は綺麗だし、味は良い。たくさんのお客さんが入っていて、お店はとても繁盛していた。

しかし、わたしには何か物足りない。本当に美味しい時は、心が震えるのだが、その時食べたものは、大事な部分を切り取られているような感じだった。

踊りの先生とその話をしていたら、生きてるものは美味しいよね、という話になった。そうなんだよ、美味しいものは生きているのだ。

テレビで、トップシェフの二人が協同して新しい一皿を創る番組を見る。貝をむしり昆布で締め、酒粕を使ってクリームを作る。見ているうちに、材料を殺すとはこういうことか、と少しだけ分かってきた。

野球の筒香選手が、ホームランを打つ時には身体の中の矢印が揃うんです、とインタビューに答えていたが、美味しい料理は、そんなふうに、一つ一つの材料が同じ向きを向いているのではないかしら。

材料そのものの生命はそのままに、シェフや料理人は、そのエネルギーを向かわせたい方向に向かせていく。元の材料はいったん殺すが、料理となって生きていく。

それが口に入る時、心が躍るのだ。

ああ、料理は奥が深い。音楽も料理も、わたしには、まだまだ不思議なことだらけだ。


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douxnido いそべ晶子
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こんにちは、いそべ晶子です。

今朝の新聞記事に、すんごく美味しいバーガー屋さんなのに、柔らかバンズのため写真に撮るとしんなりしてしまい、インスタ映えしないので、取材が激減したと嘆く店主の話が載っていた。

わたし見た目より味やし、写真ていくらでも騙せるしと思ってるのだけど、それも古いんかな。

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(加工済みの写真)

インスタで遊んでる人たちは、それが虚構だと知ってて楽しんでると思うんだけどな。取材が減ってしまうとは、ジョークが通じない真面目な人が多いってことかなぁ。

それはさて置き、昨日食べたフォンダンショコラは美味しかった。

見た目はガトーショコラ。フォークを刺しても形を保ったままなのに、口に入れるとほろりとチョコがほどけて溶ける。苦味残して甘過ぎず、絶品でしたなぁ。ごちそうさまでした😊💕

美味しいものは、ガラスケースの中から呼ぶのよねー。

通りを歩いていても、通り過ぎてから、その店の美味しいものの引力に引っ張られて、後ろ歩きして戻ることあります。わたしの友人は何度も目撃してるハズ。笑


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douxndo いそべ晶子
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こんにちは、いそべ晶子です。

昨日から少し喉がイガイガ。

何か言いたいことあるの?と身体に問いかける。

すると、母が何気ない一言を発して、その一言に怒り心頭。言葉も出ない。一緒にいるとモノも母も破壊しそうなので部屋にこもった。

母の言葉から当時のことを思い返すと、いわれのない憤りを、あの時、妹からぶつけられたなぁと思い出した。

妹は妹で、母を思いやり、母にしてあげたい自分がいて、それが叶わない自分自身にイラついていたのだと思う。で、たまたま近くにいたわたしに、そのイライラをぶつけたのだと思う。聞いたわけじゃないけど。笑

わたしにとっては理不尽な憤りに、わたしも驚いたけど、言い返しても得策でないと思えて、それを飲み込んだのだった。

わたしはしょっちゅう母には怒っているので、たまにしか会えない妹が怒ったことの方が、母には印象深かったのだろう。

…と考えていたら、まいいか、と思えてきた。

さっきまで破壊神だった自分。いろんなわたしがいるものだ。笑

さてと朝ごはんの続きを食べよっと。

さっきは怒ってたからねー。怒っているときには、なるべくごはん食べないようにしている。食べてても中断する。

あの破壊のエネルギーを食べるのかと思うと、ね。わたしの身体、かわいそう。笑

ご飯を食べる時は、幸せな気分で食べたいですね。

そして、わたしが怒りのエネルギーに囚われていた間、お向かいのうちの赤ちゃんが火がついたように泣いていた。

いつもニコニコしてるのに本当に珍しい、と母が言う。赤ちゃんてよく分かってるわー。驚かせちゃって、ほんとにごめんねー。

こんな、わちゃわちゃした自分を遥か遠くから見ていて、可笑しくて笑ってるわたしもいる。怒りは笑ってしまえばいいと知ってるわたしが、どこかにいるのだ。笑

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ポムポムプリンは何にでもどこにでも。


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douxnido いそべ晶子
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こんにちは、いそべ晶子です。

質問を受けました。

(問)「価値のない自分」を手放す事は出来るものでしょうか?

(答)選択して、そのように生きればできますし、そのように生きなければできません。


‪わたしは、過去に自分に価値がないと思ってもがいていた時期がありましたが、その自分を今は手放せたか、というとそれはよく分かりません。‬

‪ただ、どのような自分でも、それを気にせずに、毎日を精一杯生きられるようにはなりました。‬

‪難しい問題は、解かなくてもいい時があると思います。どうぞ、気楽に肩の力を抜いて生きてください。‬

あなたの今日が、より美しい1日でありますように。


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douxnido いそべ晶子
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