長谷川等伯と富士山
テーマ:ブログ去る3月、東京国立博物館で『長谷川等伯展』を見ました。
今年が画家・等伯の没後400年に当たるので、
国宝3件、重要文化財約30件が一挙に公開されたのです。
圧巻は、やはり例の水墨画「松林図屏風」でしたが、
その枯淡崇高独自に至る道のりの初めには多くの仏画があり意外でした。
日蓮上人をなん枚もなん枚も描いています。南無妙法蓮華経と
題目を大書した掛軸もある。等伯が熱心な法華経の信者であったこと。
それはぼくにとって発見のひとつでした。多くの批評や解説は
ほとんど彼の信仰に触れていません。迂闊というべきでしょう。
等伯という人物を予見なく見ようとすれば、初期の数多い日蓮肖像画を
無視する訳にはいかない。そう思うのです。
思わず、宮澤賢治を連想
それら日蓮上人像を眺めながら連想したのは宮澤賢治でした。
あの賢治もまた熱心な法華経信者であり、その信仰から生まれる価値観と
直観から賢治の詩も童話も、農学校での生徒指導も生まれたはずです。
しかし、賢治の詩や童話など文学的な仕事への評価が高いのに対し、
人間賢治の心棒・根源であった法華経信仰を重視した解説や
評論や評価はほとんど見られません。片手落ちを超えて、
公正さを欠いているように思えます。知識人にとって、宗教に触れることは
苦手なこと、できれば触れずにおきたいという空気があるようです。
こういう偏った見方からは、ほんとうの芸術評論は生まれず、
あの世の賢治は苦虫を噛み潰して嘆いているのではないでしょうか。
さて、等伯にもどります。
なんと、長谷川等伯は富士山を描いていた
等伯の「松林図屏風」、その水墨画の世界にぼくは放心しました。
二つの大型屏風は長く続く松林で、心を預けると枝をわたる風の声が
聞えるようでした。松林のなかでぼくは一本の小枝になって
霧のなかに溶ける。なにか、滝に打たれ清められるような思いです。
等伯は解脱してこの絵を描いたのだと、いや描くことによって解脱したのだ。
そんな自問自答がぼくを揺さぶります。
しばらく呆然となって、思考も言葉も消えて眺めていると
見ている者もなにか解脱に近いような気持ちになっていくのでした。
ふと気づくと、左屏風の右端に、富士山がある!
白い雪をかぶった、まぎれもない富士の山頂が描かれているのでした。
京都から富士山が見えるのか? 見えたのか?
いや、見えはしません。等伯は心の目で富士山を見ようとした。
そして見てしまったのに違いない。一心に念じてみた富士が
そこに、ぼかしの松の林の彼方に、彼は富士を見たのです。
法華経の信者等伯は日蓮を敬い、上人と縁のあった富士山を心のなかに
思い描いていたのではないだろうか。肉眼では見ることのなかった
富士山を、心の目で見てしまった。
そういえば富士山は見落とすほどにうっすらと、
しかも屏風の右隅に気品をもって描かれています。
このことを指摘する評論にも接したことはありません。
NHKの番組『日曜美術館』のなかでも、指摘されていませんでした。
些細なことと思われているのかもしれません。
しかし、じつは等伯を知る上で重要な鍵が
このかすかな姿の富士山に隠されているのに違いない。
ぼくはそう感じているのです。
約350ある富士山文化のネットワーク
これら「ふるさと富士山」はどうして生まれたのか。
ぼくが参加しているNPO (www.plantatree.gr.jp )では、いま
「おらが富士」というプロジェクトと取組んでいます。
全国の「ふるさと富士山」すべての、いわれ、歴史、伝承をはじめ
地域の富士山に係わるすべてを洗い出し、継承すべきことは継承するなど
地域の文化と産業を編集整理して発信し、ネットワークするという活動です。
「ふるさと富士山」を基点に新しい価値観で地域の活性化を、というわけです。
皆さんも、「ふるさと富士山」に関する情報を耳になさったら
ぜひ、お聞かせください。










