2005年04月27日(水)

オルタモントの悲劇

テーマ:サイケデリック

ウッドストックが60年代の「愛と平和」を象徴する出来事なら、その4か月後に開かれたオルタモントのフリーコンサートは「暴力と死」を象徴するような惨劇となってしまいました。4人の死者と多数の負傷者を出したこの「オルタモントの悲劇」で、60年代の幻想は儚くも崩れ去ってしまったのです。

衆人環視のもとで殺人が行なわれ、その一部始終が記録されて映画公開されるという異常さ。ロック史上最大の汚点といわれたこの凶事はなぜ起こったのでしょうか・・・。


1969年11月末、全米ツアーの終盤にさしかかっていたローリング・ストーンズは会見の席で、「ツアーの締めくくりにサンフランシスコでフリーコンサートを開催する。期日は12月6日の土曜日。会場は(使用許可がおりなかったため、予定していた)ゴールデンゲート・パークではないが、その近辺になるだろう・・・」とアナウンスします。

各地のラジオ局がフリーコンサートの開催を喧伝する一方、予想される数十万人という観客を受け入れられる会場がなかなか見つかりません。やっと当日の4日前になって、シアーズ・ポイントというレース場が開催地に決まりました。ところが、会場設営もほぼ完成という段になって、レース場のオーナーが見返りとして巨額の報酬を要求してきます。ストーンズ側はこれを受け入れることを拒否し、開催地はまた白紙の状態に戻ってしまいました。

土壇場で、シスコから50マイルのオルタモントにあるレース場が提供されたのは、開催2日前の木曜日のことでした。最終的な取り決めが終わって、会場設営などの準備に残された時間は24時間あまり。急なことで地元警察などが対応できず、会場警備はグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアのアドバイスにより、暴走族のヘルス・エンジェルスに一任されました。しかし、これが最大の誤りだったのです。

夜を徹してステージや音響設備が組み上げられる中、続々と観衆が集まり、当日の朝10時ごろにはすでに30万人近い群集がレース場を埋め尽くしていました。その頃からすでに混乱と険悪なムードが蔓延しはじめていたようです。じゅうぶんな駐車スペースの準備がされず、狭い道に延々と乗り捨てられた車の列。思うように確保できない飲食物やトイレ。設営の遅れで、なかなか始まらないコンサート。質の悪いドラッグが出回り、バッドトリップする人々。そして、寒さ・・・。

しかし、これらの悪条件はウッドストックも同様だったはずです。思うに、客席にバイクを乗り入れ、会場整理と称して理不尽な暴力を振るうヘルス・エンジェルスの凶悪なムードが、会場を支配してしまったのではないでしょうか。これはコンサートが開幕し、バンドの演奏が始まっても、収まるどころかますます激しくなっていきます。

「・・・クスリのいきすぎでわけのわからなくなった連中がいっぱいいた。ステージでギターを弾きながら、下でナイフを抜いた奴がいたのにも気がついた。ただ、誰にでもいいから、喧嘩をふっかけたいわけさ。ナイフで刺されてうずくまる奴もずいぶん見えたね」(カルロス・サンタナ)

ドラッグの影響なのか、まるで火に飛び込む虫のようにステージに押し寄せてはヘルス・エンジェルスに打ち倒される観客たち。ステージが低く、客席とを区切るスペースがなかったという設置上の重大なミスもあり、バンドのメンバーよりステージ上で客を蹴散らすエンジェルスの方が多いという異様な光景・・・。

もちろん、出演者たちは平気でプレイを続けていたわけではなく、何度も演奏を中断しては、「争いはやめて平和にやろうぜ」と呼びかけています。しかし、ジェファーソン・エアプレインの演奏中には、暴力沙汰を止めようとしたメンバーのマーティ・バリンがエンジェルスに叩きのめされるという事態が発生します。

そして、最悪の出来事は最後のトリのストーンズのステージの最中に起こりました。ひとりの黒人青年が、ステージに銃を向けたという理由でエンジェルスにナイフでメッタ突きにされて殺されてしまったのです。(信じがたいことに、のちにエンジェルスは正当防衛で無罪となっています。銃に関する真実は不明です。)


惨事の直接的な原因はヘルス・エンジェルスだったことは間違いないにしても、その元凶はストーンズの傲慢さにあったのだという意見もあります。

そもそも、このフリーコンサートが強行に推し進められた理由は「愛と平和」などではなく、ひとりの人間のエゴでした。ウッドストックが映画化され、ライバルのザ・フーのステージが脚光を浴びそうだという話を聞いたミック・ジャガーが、ツアーの模様をドキュメンタリー映画にして、ウッドストックよりも先に公開しようとしたのです。フリーコンサートはそのクライマックスとして計画されたものでした。

当時のミック・ジャガーは全知全能の神のように思い上がり、まるで自分が悪魔の化身であるかのようにふるまっていました。当時の様子を撮ったコレクターズフィルムなどを見ても、われわれがイメージする「反抗的な不良っぽさ」などでは済まない、胸が悪くなるような堕落した邪悪さを感じます。このツアーでも、観客をわざと何時間も待たせて大物ぶるのが常套手段で、フラワーチルドレンラブ&ピースなどは、はなっからバカにしていたのです。

しかし、皮肉なことに、この頃のストーンズの作品に最も魅力があるというのと同様、出来上がった映画「ギミー・シェルター」は、オルタモントの悲劇によって、ミックが意図していた以上のドキュメンタリー作品になったのでした。映画「ウッドストック」が独特のムードを持っているのと同様、「ギミー・シェルター」もほかにはない唯一無二のものです。(これほど殺伐として険悪なムードのロックコンサートは見たことありません。)

ただ、ウッドストックとオルタモントという明暗を分けたイベントに、本質的な違いがあったわけではないと思います。プロダクションや状況や観客数などもよく似ています。実はウッドストックの主催者であるマイケル・ラングも、コンサート・オーガナイザーとしてオルタモントの開催に関係していました。

ウッドストックとオルタモントは同じカードの表と裏。ドラッグ(文化)の持つ二面性そのものだったのではないでしょうか。ドラッグが人を桃源郷へいざなうこともあれば、悪夢のようなバッドトリップや死にいたらしめることもある。マイケル・ラングがオルタモントの開催を危ぶむ声に対して、「ウッドストックではうまくいった」と答えていたのが印象的です。


さて、オルタモントの出演者ですが、
Ike & Tina Turner, Santana, Jefferson Airplane, CSN&Y, Flying Buritto Brothers, Rolling Stones, ...といったところ。出演予定だったGrateful Deadは会場に到着したものの、険悪な雰囲気にステージに上がるのを見合わせたようです。

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2005年04月21日(木)

Beau Brummels Box

テーマ:News

ボー・ブラメルズの4枚組ボックスが4月22日にRhinoから発売されます。
http://www.rhinohandmade.com/browse/ProductLink.lasso?Number=7892
(試聴可)

前オータム時代のスタジオ・デモからラストアルバムのBradley's Barnのアウトテイクまで全113曲(うち42曲が未発表)。通し番号入りの限定2500セットで、値段は$79.98。欲しいけど・・・高い!

ボー・ブラメルズに関する当ブログ記事はこちら

追記:
Amazonのエントリーはこちら↓

The Beau Brummels
Magic Hollow
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2005年04月18日(月)

ウッドストック伝説

テーマ:サイケデリック

「世の中には二種類の人間がいる。ウッドストックを経験した人としなかった人だ」・・・というようなことを書いていたサイトをどこかで見たことがありますが、60年代文化を生きた人にとってはそれほど大きな意味を持っている出来事なのでしょう。

1969年8月15日、ニューヨーク州ウッドストック近郊のべセルの丘*1)に全米から集まった人々は40万人以上といわれています。イベントの正式名称は「ウッドストック・ミュージック&アート・フェア」(Woodstock Music and Art Fair)。最初はチケットがなければ入場できないはずの有料イベントでしたが、予想をはるかに上回る数のヒッピーたちが早くからつめかけて会場内に自由に入り込んだりしたため、用意したフェンスが意味をなさなくなり、急遽フリーコンサートに切り替えられました。

ほとんどなにもない広大な農地につどった40万の若者が、十分な食糧や衛生設備もないまま、途中の悪天候などに遭いながらも「愛と平和と音楽の3日間」を過ごしたこの巨大イベントが、フラワージェネレーションを象徴する出来事であったことに異論はないと思います。ただ、ウッドストックは60年代のラブ&ピースの最盛・頂点というより、「最期に咲かせた大輪の花」「滅びの前の白鳥の歌」だったというのが大方の見方のようです。そして、その後の「オルタモントの悲劇」(詳細は後日)がフラワー文化への葬送曲となってしまいました。

いまではウッドストックは成功裏に終わった伝説のフェスティバルとして語られ、鑑賞されていますが、ジャック・カリー著の「ウッドストック伝説」などを読むと、その多くが偶然の幸運によるもので、一歩間違えればオルタモントよりもひどい大惨事になっていたかもしれないことがわかります。

主催者のプロダクションからして、いきあたりばったりのかなりいいかげんなもので、60年代的なおおらかさと楽観主義がたまたま功を奏しただけのように思えます。大群衆が困難な状況にも平和だったのは、大量に持ち込まれたドラッグ(マリワナの紫煙が霧のようにたちこめていた)によって集団多幸症のような状態にあったからかもしれないし、警察や軍の介入による混乱がなかったのは、50万もの集団(その多くが未成年)に対して、どうにも手の出しようがなかったからなのでしょう。

もしもタイムワープしてその現場に飛ばされてしまったら・・・。濃霧のようにたちこめるマリワナのスモッグ。体臭と排泄物の強烈な悪臭(*2)。あちこちで人目もはばからずに交接する男女。・・・ユートピアどころか地獄かと思ったかもしれません。

しかし、いまDVDなどで、ほかにはない独特のおおらかなグルーヴ感みたいなのを楽しめるのも、このようないいかげんさと偶然性(60年代文化のキーワードの一つでもある「ハプニング」)によるところが大きいのではないかと思います。


さて、ウッドストック出演アーティストですが、実際の登場順などは映画とはかなり違っています。以下はこちらのサイトを主に参考にしたものですが、これとは異なっているものもあります(*3)。

[Day One (8/15-16)]
Richie Havens [5:07pm]
Country Joe McDonald (Solo)
John B. Sebastian
Incredible String Band
Sweetwater
Bert Sommer [8:00pm]
Tim Hardin [9:00pm]
Ravi Shankar
Melanie
Arlo Guthrie
Joan Baez

[Day Two (8/16-17)]
Quill [12:15pm]
Keef Hartley Band
Santana [2:30pm]
Mountain
Canned Heat
Grateful Dead
Creedence Clearwater Revival
Janis Joplin
Sly & The Family Stone [1:30am]
The Who [3:00am]
Jefferson Airplane [8:30am]

[Day Three (8/17-18)]
Joe Cocker [2:00pm]
Country Joe & The Fish
Ten Years After [8:00pm]
The Band [10:30pm]
Blood Sweat And Tears [12:00am]
Johnny Winter
Crosby, Stills, Nash & Young [3:00am]
Paul Butterfield Blues Band
Sha-Na-Na
Jimi Hendrix [8:30am]

シャナナの出番がジミヘンの直前で、観衆もまばらになった早朝だったなんて、最近まで知りませんでした。ジミヘンといえば、以前から謎だったのですが、なぜ大トリの彼のステージを観ずにほとんどの人が帰路についてしまったのでしょうか? 週末が終わって月曜の朝になったからって、ヒッピーたちがあわてて帰ることもないだろうに・・・夏休みなんだし。

「ウッドストック伝説」に登場する女性も、「彼がステージに上がるころには、もうみんないなくなってたの。理解に苦しんだわ、いちばんすごい部分を体験せずに帰っていっちゃうなんて。」と言ってます。これはきっと、シャナナのパフォーマンスを見て、みんな「帰ろ」と思ったのではないかと・・・(冗談ですが)。

ということで、ジミヘンのセットの終わりの方で演奏される「星条旗よ永遠なれ」が、50万観衆を大いに沸かせたウッドストック賛歌である、みたいな認識は誤りということになります。


いま思うに、ウッドストックの最大の皮肉は、現実社会からのドロップアウト幻想のようなものが束の間でも実現しそうに思えたイベントが、逆にその夢から覚まさせることになったということではないでしょうか。なぜなら、最終的に食糧不足による空腹という問題を解決させてくれたのは、最初は快く思っていなかった周辺住民からの差し入れだったからです。

「あえて声高にいう者はいなかったが、みんな、うすうす気がついていた。フラワーチャイルドたちは、自分たちが生きていくすべを、外部の大人の力に頼っていたのである。(中略)田舎の週末を目指すキッドたちが捨ててきた、親の恩恵や安全こそが、このパーティを存続させているたったひとつの力の源だったのだ。・・・」
「ウッドストック・フェスティバルによって、なにかが終わりを告げた。あれはムーヴメントの始まりというより、むしろ記念碑だったんだ。・・・」
(「ウッドストック伝説」)


*1
地域住民の反対などで、開催予定地は実際の「ウッドストック」からどんどん離れていき、最終的に決まった「べセルの丘」に位置するマックス・ヤスガーの農場は、ウッドストックの町から50マイルの距離にあります。50マイルというと約80kmで、東京からすると熱海あたりでしょうか。かなり離れてます。(このへんのアバウトさがアメリカ的?)

*2
「あの夏から翌年の春までずっと、車であのへんに行くと、人間の排泄物の臭いが、そりゃすさまじかったわ。あれが完全に消えるまでには、三年くらいかかったわね。」(「ウッドストック伝説」)

*3
Country Joe, John Sebastian, Incredible String Bandが2日目、Mountainが3日目になってたりします。Jeff Beck GroupやIron Butterflyが出演者リストに載っていることがありますが、前者は直前(前日?)に解散(代わりに呼ばれたのがSantanaだったとか)、後者は出演するつもりだったものの会場に到着できずにまったく演奏しなかったようです。
それにしても、40万もの人が目撃し、詳細にフィルム撮影までされていたのに、今日に至っても「これが決定版」というセットリストがないというのもウッドストックらしくて良いです。



タイトル: ディレクターズ・カット ウッドストック~愛と平和と音楽の3日間~


著者: ジャック カリー, Jack Curry, 棚橋 志行
タイトル: ウッドストック伝説―甦る“愛と平和”の’60年代


ユニバーサルインターナショナル
ライヴ・アット・ウッドストック ~スペシャル・エディション
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2005年04月10日(日)

モンタレー・ポップ・フェスティバル

テーマ:サイケデリック


前回(4月7日)の記事で触れた「サマー・オブ・ラブ」というのは、広い意味では60年代後半のフラワー・ムーブメント全般の意味で使われることもありますが、特に、サンフランシスコを中心とするヒッピー・ムーブメントの頂点となった1967年のことを指していうのが通例です。

この年シスコでは、1月にゴールデン・ゲート・パークで約3万人を集めて、大規模なヒッピーの集会「ヒューマン・ビー・イン」(Human Be-In)が開かれます。「LSDの伝道師」ティモシー・リアリーや、「エコロジーの教祖」ゲイリー・スナイダー、ビート詩人のアレン・ギンズバーグらとともに、グレイトフル・デッド(*1)、ジェファーソン・エアプレイン、クイックシルバー・メッセンジャー・サービス、ジャニス・ジョプリン(ホールディング・カンパニー)らのシスコ勢が(フリーの)パフォーマンスをくりひろげました。(その後、ヒューマン・ビー・インは全米各地で開催され、「サマー・オブ・ラブ」を象徴するイベントとなりました。)

そして、もうひとつ、「サマー・オブ・ラブ」の象徴となったのが、6月(*2)にシスコ近郊で開かれた史上初のロック・フェスティバル、「モンタレー・ポップ・フェスティバル」です。出演者は以下のとおり。

Friday, June 16
[Evening] The Association | The Paupers | Lou Rawls | Beverly | Johnny Rivers | Eric Burdon & the Animals

Saturday, June 17
[Afternoon] Canned Heat | Big Brother & the Holding Company | Country Joe & the Fish | Al Kooper | The Butterfield Blues Band | Quicksilver Messenger Service | The Steve Miller Band | The Electric Flag
[Evening] Moby Grape | Hugh Masekela | The Byrds | The Butterfield Blues Band | Laura Nyro | Jefferson Airplane | Booker T & the MGs with the Mar-Keys | Otis Redding

Sunday, June 18
[Afternoon] Ravi Shankar
[Evening] The Blues Project | Big Brother & the Holding Company | The Group with No Name | Buffalo Springfield | The Who | The Grateful Dead | The Jimi Hendrix Experience | Scott McKenzie | The Mamas & The Papas

この模様は映画化され、翌年(1968年)に"Monterey Pop"として公開されました。また、ジミヘンとオーティス・レディングのステージは後にビデオが発売されています。2002年には、これらのタイトルを高品位デジタル再録したものに未発表のアウトテイク集を加えた3枚組のDVDボックスセットが発売されました。(*3)


タイトル: The Criterion Collection: Complete Monterey Pop Festival

中でも、本編よりも長い約2時間におよぶ未発表演奏シーンを収録したアウトテイク集が感涙もので、Association, Buffalo Springfield(欠場したニール・ヤングに代わりデビッド・クロスビーが代演), Quicksilver Messenger Service, Electric Flagなどの貴重な映像が満載されています。


Buffalo Springfield with David Crosby


*1
そのときの演奏がこちらのページから聴けます。

*2
ビートルズの「サージェント・ペッパーズ」が発売されたのもこの月のはじめ。

*3
9月15日に日本版DVDが発売されます。日本語字幕、日本版&海外版ブックレット付き(解説:大鷹俊一)。日本版のみの特典として、D.A.ペネベイカー監督のメッセージ映像が収録されるとのことです。

2005年04月07日(木)

サイケデリック・シンドローム ─それはビートルズから始まった─

テーマ:

著者のデレク・テイラーは英国の新聞記者出身で、ブライアン・エプスタインの秘書やビートルズの広報担当を務めたのち60年代後半に米西海岸に渡り、ビーチ・ボーイズやバーズ、ママス&パパスなどのプレス・エージェント(アーティストをメディアに売り込む仕事)をしたり、モンタレー・ポップ・フェスティバルのプロデュースに関わったりした人です。

原題は"It Was Twenty Years Ago Today"。これはビートルズのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの歌詞の最初の一節にひっかけたもので、出版された1987年から20年前にあたる1967年の「サイケデリック」の狂騒を、その体験者の目を通して描いたドキュメンタリーです。

サンフランシスコで始まったサイケデリック・ムーブメントが海を渡ってビートルズに影響を与え、その結果生まれた「サージェント・ペッパーズ」が、逆にシスコのサイケデリック・シーンにフィードバックして、「サマー・オブ・ラブ」の花を咲かせる次第などが、当時のファッションや文学や政治の状況を詳細に交えながら描かれています。(おそらく日本でつけられた副題は正確ではありませんが・・・。)

作者の経歴が示すように、ビートルズと本場の西海岸両方の内情に関わった人なので、楽屋ネタや裏話のようなエピソードも多くて興味深いです。(たとえば、LSDの初体験が、ブライアン・エプスタインの家開きパーティーで、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンのいたずらで紅茶に混入されていたのを飲んだことだった、とか。)

本書で好感が持てるのは、著者のスタンスが、自らの「若気のいたり」を否定したり皮肉るのではなく、その反対に無理に正当化するのでもなく、ユートピアを求めようとしたようなことを「子供っぽい」ことだったと認識しながらも、それでもやはり理想を追求して行動したことは意義があることだったし、それは今でも変わらず意義のあることだ、という信念に基づいていることでしょう。そして、そのような行動ができた60年代というのは、やはり素晴らしい時代だったという思いが伝わってきます。

ただ、私は水上は○こさんの翻訳が苦手なもんで・・・。読みにくい、というより、何度読み返しても意味が取れないことが多くて、読むのがツラいです。
「・・・ロンドンとサンフランシスコのカウンター・カルチャーが混ざりあうという広範な覚醒の間で、ある了解があった。」
「たしかにリアリー的であるよりさらに、キージー的ではなかったのだ。」
「・・・公衆の道徳の管理者として君臨するのを防いでいる情報の極端な真剣さの表れにすぎないのだ」
「完璧に陰気な(もし、文句のつけようがなく勇ましければ)伝統的なアメリカの急進主義を与えられ、なぜ異議をとなえる若者は、前の世代が現実の政治について語るべき多くのことを持っていると推測すべきなのだろうか?」
てなぐあいで。

なお、デレク・テイラーは奇しくも出版から10年後(「サマー・オブ・ラブ」から30年後)の1997年に亡くなっています。この本は現在絶版のようですが、ネットオークションやフリマでは結構よく見かけます。興味ある方は千円くらいなら「買い」でしょうか。
2005年04月06日(水)

第21回 Gandalf

テーマ:無人島サイケ

アーティスト: Gandalf
タイトル: Gandalf

メロウサイケ、ドリーミーサイケといえば、まず思い浮かぶのがこのグループ。NYのバンドで、1968年にKoppelman & Rubin(*1)のプロデュースによる本作一枚のみを残しています。ジャケからしてかなり怪しいですが、内容もかなりヤバいです。普通に美メロのソフトサイケとしても楽しめますが、よく聴くと、エフェクトなんかも、そこはかとなく変態っぽい。

それよりもまず選曲が変態。全10曲のうち、オープニングのビング・クロスビーのGolden Earringsをはじめ、ハリー・ベラフォンテのScarlet Ribbons、ナット・キング・コールのNature Boyと、スタンダードナンバーが3曲。Hang on to a Dream, Never Too Far, You Upset the Grace of Livingと、ティム・ハーディンのカバーが3曲。あと、2曲がHappy Togetherで有名なコンポーザー・チーム、ボナー&ゴードンの曲。そして残りの2曲がオリジナルという、一風変わったラインナップです。

しかし、これがビックリなんですが、全曲ほとんど同じ雰囲気で統一感ありまくり! いわれてみなければ、どれがオリジナルで、どれがカバーなのか区別つかないと思います。(この2曲のオリジナルの出来がまた素晴らしい! これ1枚だけで消えてしまったのが非常に残念です。)

全編、薄靄がかかったような音像の中に漂うメランコリックなムード。まるでテンプターズの「エメラルドの伝説」かタイガースの「モナリザの微笑」なコテコテのアレンジ。しかも、ドリーミーなハモンドオルガンとファジーなギターが散りばめられているときては堪りません。

個人的には前出の「ソフトサイケ三部作」よりも聴いた回数では上ではないかと思うほどのお気に入り作品です。いまでこそ簡単・安価にCDが入手できますが、オリジナルのアナログは結構なレア盤だったようで、その昔に評判だけをたよりに探し求めて手に入れた人の感動がわかるような気がします。

*1
ラヴィン・スプーンフルのプロデュースを手がけたチーム。

 

2005年04月04日(月)

第20回 Sagittarius

テーマ:無人島サイケ
アーティスト: Sagittarius
タイトル: Present Tense

本作は前回のMillenniumの前身グループであるBallroomの発表されずにおクラになっていた音源をメインに、ゲイリー・アッシャーが手を加えてアルバムとしてまとめあげたスタジオ・プロジェクト的作品です。なので、Millenniumとはちがって、Sagittariusというのは実体のあるバンドではありません。

 

「ビギン」や「バード兄弟」と聴き比べてみると、トータルアルバム感もないし、ミレニウムの万華鏡のような多彩さも、目からウロコ的なアレンジや音作りの目新しさも一見すると目に付きません。ラストの(唯一の)ゲイリー作のサイケチューンがやや弱い感じがすることもあって、アルバム作品的には地味な印象さえ受けます。

 

しかし、先頭のAnother Timeを筆頭に(カート作のボールルームのナンバーはどれも最高!)曲自体が(原曲のアレンジも含め)素晴らしく魅力的なものが目白押しで、メロウ/ドリーミーサイケの珠玉として、むしろこちらの方を愛好する人も多いのではないかと思います(*1)。

 

聴けば聴くほど愛着がわいてくるような、これもソフトサイケファン必聴の名盤です。

 

*1
Sandpipersのカバー(逆か?)GlassはGandalfも真っ青な「ど演歌」メロウ(フォーク)サイケ。ゲイリーと当時関係のあったビーチボーイズ関連のブルース・ジョンストンやグレン・キャンベルらが参加したIvy Leagueのカバー、My World Fell Downは「ペットサウンズ」も蒼白の必殺サイケポップ!

2005年04月03日(日)

第19回 Millennium

テーマ:無人島サイケ
アーティスト: ミレニウム
タイトル: ビギン

これは「ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ」などとともに、その再発・再評価が日本に一大ソフトロックブームを巻き起こすきっかけとなった、ジャンルを象徴するようなタイトルです。

老舗ガイド本の「ソフトロックAtoZ」では、「最高傑作」の☆☆☆☆☆評価で、「・・・まさに至宝だ。このアルバムの良さがわからない人は、永遠にソフト・ロックの魅力を感じることができないと断言できる名盤である。・・・」(佐野邦彦氏)と絶賛されています。

しかし、ソフトロックというくくりだけで語るには、この作品が内包するベクトルの幅はあまりにも大きく、フォークロックでもあり、サイケデリックでもあり、時代を先取りした西海岸ロックでもあり、ポップスでもあり、それらすべてが60年代に到達した地点をはるかに超えた、真の意味で「プログレッシブ」なアルバムです。

今から考えると、カート・ベッチャーゲイリー・アッシャー(ここでの名目はエグゼクティヴ・コーディネイター)がじっくりと長い時間をかけて、コロンビア史上最高額の予算を使い、当時の最高の機材(16トラックレコーディングなど)で作り上げた作品が悪かろうはずがない、と思うのですが、発売当時(1968)はそのあまりの斬新さのためか、ほとんど売れずに話題にもならなかったようです。

この作品のスゴいところは、革新的なスタイルやコーラスワークやアレンジや音作りを過剰なまでに詰め込みながらも、全体としては最高にチャーミングなポップアルバムでもあるというところでしょう。そういう意味で、これに比肩しうるのはビーチボーイズの「ペットサウンズ」くらいといっても過言ではないと思います。

何度聴いても、先頭のハープシコードをフィーチャーしたインスト曲のPreludeが次のTo Claudia on Thursdayのイントロへ展開する新鮮さにワクワクし、ファンタジックでトリップ感あふれる名曲群に夢見心地になり、日本の琴を使ったサイケチューンのKarmic Dream Sequence #1からカート作のThere is Nothing More to Sayへと繋がるクライマックスではゾクゾクと鳥肌が立つような感動を覚えます。

試聴はこちら

 

2005年04月02日(土)

第18回 The Byrds

テーマ:無人島サイケ
アーティスト: ザ・バーズ
タイトル: 名うてのバード兄弟

このジャケットにダマされてはいけません。私はこのアルバム(The Notorious Byrd Brothers - 1968)は60年代のサイケデリック=フラワー文化が生んだ最高傑作のひとつだと思います。

プロデュースは前作の「昨日より若く」に続いてゲイリー・アッシャーが担当していて、前作のソフトサイケ的側面を「サージェント・ペッパーズ」の影響のもとに一気に昇華させた、この上なく美しいトータルアルバムになってます。

先頭に、いきなりブラスをフィーチャーした風変わりなポップソングのような曲が登場して戸惑うかもしれませんが、安心してください。何度か聴いているうちに、「最初はこの曲でなければ!」と思うようになってきます(*1)。

二曲目はキング=ゴフィン作のGoin' Back。もう一曲のキング=ゴフィン・ナンバー、Wasn't Born to Followとともに、60年代のナイーブ&イノセントを象徴するかのような純真さは、このアルバムの重要なポイントになっています。(後者は映画「イージー・ライダー」で印象的に使われていました。)

その次が、前作で突如ソングライターとしての才能を開花させたクリス・ヒルマンのサイケデリック・ナンバー、Natural Harmony。・・・というぐあいに、流れる水のように途切れなく曲が続き、痺れるような浮遊感であちらの世界へトリップさせてくれます。

どの曲もアレンジやエフェクトともに素晴らしい出来で、特にデビッド・クロスビー絡みの曲は、恐ろしいくらいの冴えを見せています。これは、クロスビーが制作途中で解雇されて、残りのメンバーやゲイリー・アッシャーが好きに作れたことが、かえって功を奏したのではないかと思われます。(クロスビーがダメだという意味ではなくて・・・、念のため。)

メンバーの制作意図がどうであったにせよ、また、制作中のメンバー間のいざこざがあったにしても、結果出来あがったものは極上のソフトサイケ作品となりました。歌われている内容も、自然や宇宙へのイノセントな憧憬といった、いかにも60sフラワーなもので、愛好家にはマストアイテムだと断言できます。

なお、本作はゲイリー・アッシャーがミレニウムおよびサジタリアスを制作していた時期と重なります。次回紹介予定のこれらの作品と併せて「ソフトサイケ三部作」として聴けば、よりその魅力が増すことでしょう。(試聴はこちら。)

最後にバーズのことをちょっと説明しておきます。日本ではヒット曲の「ミスター・タンブリンマン」くらいしか一般にはほとんど話題になりませんが、バーズが以降のロックシーンに与えた影響は巨大なものがあります。ボブ・ディランとビートルズを融合して「フォークロック」を創生し、本家のビートルズや西海岸のロックシーンなどに影響を与えました。また、まだサイケデリックという言葉が一般的になる前に「霧の五次元」でいちはやくアシッドロック(当時はラーガ・ロック、スペース・ロックと呼ばれた)を始めたり、カントリー・ロックの嚆矢となる「ロデオの恋人」でルーツロックの先鞭をつけたりと、ロックを革新した度合いではビートルズに勝るとも劣らないと思います。


*1

ロジャー・マッギンの意図したものとは違うアレンジになってしまったようですが、結果オーライというか、サイケ感覚あふれるものになっています。ちなみにこの曲(Artificial Energy)は「スピード」(アンフェタミン)のことを歌ったドラッグソングです。

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