静岡紀行2日目。まさかの「ロクゼロ」に遭遇し、桜海老かきあげ丼を食い、空気D52に会いにゆく。 | PRYCE16写真日記

PRYCE16写真日記

このブログも今やすっかり凸凹凸凹ブログに?(笑)

昨夜の宿。道の駅掛川。併設するコンビニが24時間営業だった為、楽しい夜となった(笑)。さて今日は一体何処へ行こうか…。既に新金谷駅には昨日訪れてしまった。夜泣石はまあ何がある訳でもなし…。という事で、とりあえずはすぐ近くだという事で昨日訪れた撮影地に再び言ってみる事にした。

 

8:21、到着して時刻表を確認すると、上り列車が早速やって来るようだったので、大慌てで標準ズームで撮影。何だかものすごく普通の写真となった。

 

8;35、なので昨日もちょっと挑戦してみたプラスチックマウントの55-200mmに再挑戦。しかしイイ構図がなかなか見つからない。画面左側に無駄な空間があるし、手前のハコが邪魔だ。

 

9:16、どうにかして見つけた坂の上の場所から「鮫」ことEF66 100番台。東北本線でこれが来るとかなりレア感があるが、ココ東海道筋では現在でも頻繁に目にする。それもその筈。この鮫は製造された全33両全てが現役であり、新鶴見、吹田、岡山の各機関区に30数両づつ配属された「桃太郎」に次ぐ勢力なのである。4本に1本この鮫がやって来てもちっともおかしくない(←全機が稼動していれば、だが)。

 

9:54、レール輸送の臨時列車にEF66の0番台、通称「ロクゼロ」が充当されるという事をこの場で知り、このボクですら目の色が変わった。どうりで昨日は誰もいなかったこの場所が、本日はかなりの賑わいだった訳だ。長大編成を念頭に置いたこの構図では、全長160m程の当列車に対してはあまり良い場所、及び良いシャッタータイミングではなかったようだ。いやしかしこうしてみると、天下のロクゼロではあるが、前照灯間のひだひだや、ナンバープレートの特急エンブレムがないと、本当にただの「熊」である(笑)。

 

正規の写真を撮った後は、ズームを思いっきり引いてもう何枚か撮ったのだが、何かこういろいろとぐちゃぐちゃ写った写真がボクは好きかも知れない。

 

昨日及び本日大活躍(?)した55-200mm。プラマウントである上に、ピントリングがない。びろーんと伸びている部分を回すと可能だが、それはAF/MF切り替えをMFにしないと行えないという、C社らしからぬ仕様となっている。伝家の宝刀であった80-200mmF2.8はシロウトが見ても判る位に内部が曇ったりゴミが入っていたのが一目瞭然であり、先日のテストでは写りに甚大な影響が出ていたので入院させたのだが、昨夜届いた見積もりが20800円という良心的な値段で胸をなでおろした所だった。驚いた事にこのレンズは定価204000円(税別)の現行機種のようだ(手振れ補正付きは30万もする!)。もし修理代が7万とかかかっても、新品を買うよりは安いのでおそらくは直しただろうがかなりの出費だ。元々叔父の遺品としてタダで手に入れたものなので、こんなボクでも所有する事が出来た訳なので、もし「新品を買った方が安いですよ」と言われても新品を買う体力はないのでハラハラしていた所だったのだ。危なかった。

 

本日(及び昨日)の撮影場所はこんな感じ。ネットで情報を得た時には、とてもじゃないが車を停められそうにない場所だと思ったのだが、かなり平気だ。今後静岡を訪れた時には、安直にまた利用してしまいそうだ。普段はめったに使用しないのだが、流石にロクゼロが来るという事で急遽ひっぱり出したカーボン三脚はやはり叔父の遺品で、脚が1本折れていたものを修理した上で使用させてもらっている。カーボン三脚といった夢のまた夢だった品が、またもや手にする事が出来ている。「感謝」というのも適切な言葉ではない。故人の志を継ぎ、恥ずかしくない写真を撮り続けたいと思う。

 

 

12:26、この列車は東静岡で少々停車するという情報を得ていたので、藤枝バイパスや静清バイパスを経由して昨日も訪れた由比付近へと先回り。30分も早く到着出来たものの、カメラアングルには散々悩んだもののそれらしい位置が決まらないまま、ロクゼロがやって来てしまった。森君(ボクの車)との2ショットも考えていたものの、結果的にはこんな何もかもが中途半端なものとなった。

 

 

一応コレが今回狙っていた構図。画面右側の無駄な空間は画面からはみ出てしまうのを恐れた為のものだが、あまりにもマージンを持たせすぎだ。そして結局日の丸構図に!(笑)

 

やはりレンズを広角側にしてもう1枚…なのだが、ちょっとひき過ぎだ(笑)。まあついで写真という事で!

 

ケツ打ち。かつてのコキ5500がベースとなっているチキ5500が9連。。しかもこれは緑色をした私有貨車だ。搭載本数は28本。10本が3段積みなのだが、最上部のみ8本しか搭載していない。軸重的にこれが限界なのかもしれない。九州を出発し、東鷲宮まで行く模様。東北新幹線用のレールという事か。

 

12:53、それから由比漁港へ。由比といったら桜海老だ。だが丁度昼どきという事もあって、店には長蛇の列。行列は大嫌いなボクだが、流石にココでは並ばざるをえなかった。

 

13:28、きっかり30分待ってどうにかありつけた。プラスチック容器なのが残念だが、この開放感はたまらない。そしてこれを食べ終わった頃、列の長さは1/3程度になっていた(笑)。

 

14:42、食後、由比の町をぶらぶらしながら上り列車をまったり待つ。例によって画面左側に無駄な空間があり、「串パン」でもあるが、顔が黒くなるのはギリギリ防げた…か?

 

16:17、R246をのんびりと進み、御殿場駅前にあるD52 72をチラ見。全国の公園等に多数展示されているD51と足回りは同じであるものの、ボイラー部は一回り太く、迫力感は半端ない。

 

17:42、山北駅前で駐車スペースをかなり探したものの皆無。諦めて帰ろうとしたものの、駄目元で駅の反対側をウロウロしていた所いともあっさりと駐車出来、しかもお目当てのD52 70はこちら側にあったのだった。山北ならば完全日帰り圏内ではあるものの、本当に危なかった。煙室扉開閉用のダイヤルがついていないのがちょっとお間抜けに見えてしまうのが残念。

 

このD52の足回りは、通常の公園SLのようにペンキで塗りたくられる事なく、まるで現役車両のように油まみれで、今にも動き出しそうだ。

 

テンダーの上には大型コンプレッサーが2基。これが何を意味するのか…

 

そしてD52の前には何やら無駄に線路が伸びている。しかもアッシュピットのように、下部に潜り込んで色々整備出来そうな雰囲気だ。そう、このD52は圧縮空気によってヨロヨロとだが自走可能な状態にまで復元整備されているのだ。この大ニュースを知ったのは昨年末の事。まさかのD52の半動態復元に大喜びししたのも束の間、復元に携わった国鉄OBの方が急逝し、動態運転が振り出しに戻ってしまった事をわずか数分後に知り、恥ずかしながら机に突っ伏して大泣きした事があった。

 

2009年6月14日(日)、川場の空気SLを訪れた時の様子。このD51 561を復活させた方は、その後真岡のキューロクも復活させたりといった空気SLの先人であり達人だった。そんな方にシャッターを押してもらった思い出の貴重な写真。

 

そんな運転整備担当者さんを交えて一緒に記念写真を撮ってもらった。ボクのようなマニアは勿論の事、鉄道に興味が無いヒトですらつい夢中にさせるような豊富な知識と変幻自在なトークに、一同大変楽しいひと時を過ごさせてもらった。そんなすごくて素敵な方が亡くなったときいて、楽しかったひと時を思い返して号泣したとしても仕方がないだろう。

 

PRYCE16写真日記2009年6月14日版

川場村 D51561運行日誌2009年6月20日版

 

 

幸いにも運転技術は継承されており、今後も定期的に動かされるようだし、この奇跡のD52での町起こしにも積極的なようだ。まんじゅうが売られているばかりか、街の至る所に「俺達のD52!」という誇らしいのぼりが上がっていた。次回運行は6/27、28か…って、平日ではないか!(笑)

 

 XX.X XX.X