「する」と「される」の外にある世界(中動態、アートマネーパダ) | संस्कृतसागर サンスクリット・サーガラ(サンスクリット語の海)埼玉在住サンスクリット語講師

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世界で一番難解と言われる古代インドのサンスクリット語。ヨーガ、アーユル・ヴェーダ、インド思想、インド占星術etc.インド文化に関心を持つ人へ、サンスクリット語の視点を中心に様々な言葉の由来や正書法、雑学について

「現代ビジネス」というウェブマガジンで
↓ある本が紹介されていました。
 
「する」と「される」――能動と受動の世界をあたりまえに生きている私たち。しかし、歴史をみれば、「する/される」では語ることのできない「中動態」というものがあったのです。
中動態って何? それは能動と受動の中間なのか? そして、なぜ消えてしまったのか?……「する/される」の外側――中動態の世界に関するさまざま問いをスリリングにひも解いていく『中動態の世界』(医学書院)が大きな話題となっています。
発売即重版となった本書を上梓した哲学者・國分功一郎さんが「謝ること」を例に「中動態の世界」の入り口にご案内。世界の見え方が少しずつ変わることになるでしょう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51348 (現代ビジネスの記事)
 
サンスクリットを学んでいる人なら
なぜ私がこの本を紹介したのか
「ピン!」と来るはず!?
 
中動態は、サンスクリット語における
アートマネーパダ(反射態、自分の為の言葉)のことです。
 
サンスクリット語の動詞を学ぶとき、普通は
最初にパラスマイパダ(能動態、他の為の言葉)、
次にアートマネーパダが出てきて、
この両者は同じ語幹を使うので、
ほとんど対になっています。
 
ヴェーダ期にはきちんと区別されていた二つの態は
時代が下ると意味の違いが曖昧になっていきます。
この本で扱う中動態の定義は
サンスクリット語の反射態とはちょっと違うようですが、
なぜ中動態が廃れてしまったのか、
その変化を巡る事情も考察されているようなので
とても読んでみたいと思いました。
 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

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ただ、単純な言語学の本でもないみたいです。
 
著者はスピノザ、ドゥルーズなどを研究する哲学者であり
現代社会を分析する著書をこれまでにも出しています。
医学の専門出版社から出ているように
依存症患者との対話から始まっていて、
自傷患者や依存症患者へのケア論でもあるようです。
 
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=87748
(出版元サイトに詳しい目次が載っています)
 
以前、シーターラーマさんのブログで
√yaj 儀礼する
という動詞は
(祭官が祭主のために)儀礼する yajati と、
(祭主が自分のために祭官により)儀礼する yajate とでは
語尾が違うと書いたことがありましたが、
 
そういえば、動詞 adhī (adhi√i) は
「学ぶ」という意味では
アートマネーパダで活用します。
「自らのために」学ぶことが
学習の本質なんですね。