前回の投稿では、
サンスクリットは根気と意欲さえあれば
独学も可能と書いたのですが、
サンスクリット語を学ぼうと思うきっかけは
人それぞれで、
言語学的な興味から始める方もいれば
読みたい聖典があるからという方もいるでしょう。
たとえ人から教えてもらったとしても
どんなことでも根気がなければ続かないし、
また、「相性」や「時期」もあります。
前にも書いたかもしれませんが、
私は最初、大学1年のときにサンスクリットの文法を学び
2年のときには講読の授業も受けましたが、
文法はすぐに忘れてしまったし
(受動態の語幹に-y-がつくことだけは覚えてました)、
授業内容の記憶はほとんどありません。
大学院に入ったとき、最初は
仏教思想に興味があったので
「サンスクリットもできた方がいいかな」と軽い気持ちで
すでに始まっていた大学院の授業
(先生が他の院生にマンツーマンで教えていた)に
途中から参加。
ところが、2~3ヶ月(週2回)で文法の
ほとんどを学ぶという
猛スピードな授業だったので、
面食らってしまいました。
出遅れを取り戻すだけでも大変なのに
宿題を解くのに何時間もかかるため
間に合わなくて通学の電車のなかでも
宿題をやったし、
夢のなかにまで宿題が出てきました。
(インドにはアシュラムなどで
サンスクリットだけを毎日
学ぶコースもあると思うので
3ヶ月くらいで何をと言われそうですが、
大学院は様々な授業を同時に
受けなければならないので
週2でもいっぱいいっぱいでした)
私が某所で教えている生徒さんに
「きっと先生は前世でもサンスクリットを学んだんですよ」
と言われましたが、
学部のときに学んだときは全然ピンとこなくて、
すぐに文法も忘れていたのって何故なんでしょう。
全く新しく出合ったような新鮮さでした。
「機が熟した」のでしょうか?
後になってから先生に言われたのは、
当時の私はチャラチャラした学生という印象だったから
「どうせすぐに脱落する」と思っていた、ということ(^^;)
そういえば最初の頃は先生の態度が
冷ややかでしたよ。
それを感じ取って負けん気が発動したのかも。
私の場合、根が怠惰なので
逆にそういう風に集中して学んだからこそ
必死になれたような気がします。
でも、のんびり学ぶのが向いている方もいると思います。
何回でも挑戦している方もいるし、
少しでも興味があれば
気軽にサンスクリットを学んでみてほしいです。
下は、岩波文庫『バガヴァッド・ギーター』
ちくま学芸文庫『マハー・バーラタ』
翻訳者のエッセイ集で、
神話や説話の話だけでなく
サンスクリットとの出会いや
インド留学記などもあって
学ぶ楽しさが伝わってきます。
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<訂正>
サンスクリットとの出会いの話が
載っていたのはこちらでした。
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