本日は忘年会とのこと。10年前から、忘年会は極力やめるように、友人及び仕事仲間と取り決めた。理由は、同じ面々がいろんなグループに参画していることから、忘年会のグループ名称は違っても、集まっている面々はほとんど一緒ということが多く、お互いの健康と財布の健全性をたもつために、中止。
そんなわけで、忘年会はあっても1つか2つ。後は日ごろあっていないメンバーに声をかけ大集合で大宴会を行っている。これは新年会。
いずれにしろ、お酒を飲む機会は増えるみたいです。
以前は結構飲みましたが、最近は自然と飲む量は減っています。
思い出すのは、
18歳ぐらいのころ、ウォッカに嵌って、それもロック。岡山のスナック(当時はコンパ)で、自称ウワバミ(お酒を底なしに飲む蛇のこと)の女性と飲み比べ。周囲の人いわく、引き分け。二人ともまったく覚えていない。気がつくと友人の家。2日ほど、食欲がなったことだけ覚えている。後で聞くと、店のウォッカとジンを飲みつくし、店のマスターが水をウォッカだといい、二人に飲ませたとのこと。とどのつまりは水の飲み比べをしていたとのこと。
高校の友人が当時アパレルメーカーM商会にいて、久しぶりにと四谷で飲んだ。今はもうその店はないのだけれど、懐かしい店である。当時オールドを10本飲むと1本サービスとのことで、ボトルに番号をつけていた。7時ごろ友人とその仲間4名と飲み始めた。確か番号が4か6であった。10時ごろサービスの1本をもらった。明け方4時ごろみんなで店を出たとき、ボトルの番号が7であった。ラッキーセブンといったことを覚えている。4名で12本か13本飲んだことになる。本当かな。
しかしあの当時良く飲んだ。
30歳の頃、当時懇意にしていただいた、製薬会社の社長とススキノで偶然会い、ご一緒した。そのかたは、ブランディー党で、レミーマルタンをススキノでのんでいた。二人で乾杯、乾杯と飲み続け、ボトルを5本ほど開けたのを覚えている。毎日飲んでいると肝臓が大変ですよと私が言うと、俺の親父も肝硬変でなくなった。おれも同じだよと笑っていた。3年後、彼の訃報を聞く。肝硬変であった。ブランディーをのむたびにあの豪快さを思い出す。
今、お酒はウィスキーから焼酎に変わり、ウィスキーも水割りが中心。でも相変わらず、ストレートかロック。周りの人は強いんですねというけど、飲んでも整然2杯か3杯。
あの当時、仲間、飲み仲間がいた。ただ飲んで未来を語っていた。豪快な人、細かい人、大声でわめく人。どんなことでも許せる自分がいた。迷惑を被ったひとがあまた。
新浦安周辺は学生が多く、この時期は飲みつぶれた若者と開放する友達がいる。ぐったりして、飲みつぶれて苦しんでいる若者を見ると、大変だねと思う。
おつかれさま。