2005-12-15 00:14:52

中井英夫 (塔晶夫) 『虚無への供物』

テーマ:ミステリー小説

    私は、さしあたって乙女座のM87星雲―――
    反宇宙が存在するというそのあたりへ旅立って、
    おずおずとこの本を差し出すほかはない。
    これは、いわば反地球での反人間のための物語だからである。

                                 ( 塔晶夫 あとがき )


1962年、正の原子からなる正の地球に反小説が突如出現した。
作家の名は塔晶夫。唯一にして無二の反物質からなる小説を残し、
その後に続く作品を残さずして、ケミカルリアクションを起こし、消滅した。


『夏と冬の奏鳴曲』 と共に、今年一番熱中して読んだ作品になりそうです。
本日は、中井英夫(塔晶夫) 『虚無への供物』 を紹介します。


塔 晶夫
虚無への供物

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黒ビロードのカーテンは、ゆるやかに波をうって、少しずつ左右へ開きはじめた。
――十二月十日に開幕する中井文学。
現実と非現実、虚実の間に人間存在の悲劇を紡ぎ出し、
飛び立つ凶鳥の黒い影と共に壁画は残された。
塔晶夫の捧げた"失われた美酒"唯一無二の探偵小説『虚無への供物』を――その人々に
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先日、12月10日、中井英夫さん の十三回忌が山口にて行われた。
1922年から1993年、大正の時代から平成まで、三時代を生きた作家だった。享年72歳。
TRICK+TRAPの戸川さん のコメントが『パン屋のないベイカーストリートにて』 に載せられている。
巻末の出版代表者の名前を眺めながら、ふと13年前の12月10日に思いを馳せてしまう。


中井英夫さんは、この作品を描くために、それまでの人生の全てを捧げていた
そして七年間世話したこの苗を品評する場として江戸川乱歩賞を選んだ。
第8回乱歩賞選考の日、妖しい光沢を持つこの 『虚無への供物』 という薔薇は、塔晶夫の命と共に散った。

江戸川乱歩賞を逃した中井英夫さんはこのように述べている。


    七月三十一日


    時間は九時十五分を廻って二十分に近い。
    私の生涯を賭け、すべてを投じた小説はあっさり没になったのであろう。
    しらせの電話はついに鳴らなかった。五百六十余枚。二度と書くこともない。
    さらにまた永久に未完のまま土に朽ちるべきその物語のために、
    ひとり苦い杯をあげよう。
    他の人ならば、また、ということもあり、何度でも別の長編を書き上げる筆力を持っていよう。
    しかし、ぼくは、生涯これしか書けず、この一作にまる七年の歳月を費やした。
    ぼくの夢や希いは、それほどお粗末なものではなかった筈だが、
    と、愚痴をこぼさずにいられぬ、どころか、泣いても泣ききれぬ、みじめさだ。


一人称「ぼくは」で始まる文章の、痛切な叫びに思わず涙してしまいました
評価を受けてしかるべき作品と思っていたものが、
当然受けられると思っていた正当だと思っていた評価を受けられず、
厳しく残酷で、そして当たり前の現実の前に、崩れ落ちる様子が見える。
その苦しみは形を変え、小説の後半部にて、現れているように思えてならない。


小栗虫太郎の 『黒死館殺人事件』(1938) と夢野久作 『ドグラ・マグラ』(38) をはじめとし、
竹本健治 『匣の中の失楽』(78)、麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』(93) と続く、
アンチミステリと呼ばれるジャンル、それにこの作品 『虚無への供物』(64) は含まれている。


アンチミステリ、意味の定まらない言葉で想像をたくましくしてしまい勝ちだが、
冒頭で述べた中井英夫の言葉でアンチミステリ 「反推理小説」 の全てが語られている気がする。


『反』という語を見たときに、「ミステリに対抗する」 や 「ミステリに反旗を翻す」、
といったアンチテーゼもしくは否定的主張、反立を感じてしまうかもしれない。
間違いではないと思うけれど、『虚無への供物』 に関しては、批判的主張を感じない。
作品内において、女流ホームズ奈々村久生の口を借り、作家の姿勢がうかがえる。
主人公アリョーシャが事件を小説化する際、奈々村久生はこのように述べていた。


    「むろん、探偵小説よ。それも、本格推理長編の型通りの手順を踏んでいって、
     最後だけがちょっぴり違う――」


大枠にして本格推理ものなのであって、それを否定する立場では無いということだ。
似ているのにちょっぴり違う反物質のような、現実世界の裏側の世界の推理小説なのだ。

アンチミステリの意味は、それ以上でもそれ以下でもないのかもしれません。


『虚無への供物』、事件の核は氷沼家で起きる殺人事件 「ザ・ヒヌマ・マーダー」 にある。
現実と虚構を行き交い、解決したかに見えても必ず新しい謎が生まれ、
新たな事件へと枠が広がり、結局は最初の事件へと回帰していく…
何度も何度も大きなブレを繰り返しながら、やがて読者は 「ザ・ヒヌマ・マーダー」 の真相にたどり着く。


こんなに読ませられる小説、 『カラマーゾフの兄弟』 以来の衝撃でした。


複雑にして怪奇でありながら、殺人事件という重大性を無視し、
ぞくぞくするような推理ゲームに興じる名探偵たちの姿は、
推理小説を読む僕たち読者の姿でもあり、グロテスクな稚気があり、ぞっとしてしまう。


なぜなら、そのザ・ヒヌマ・マーダー推理ゲームはとても魅力的で、興味深くておもしろく、
読者も参加できる、百者百様事件の真相にたどり着くことができ、
氷沼殺人事件の本質なんて忘れてしまう質のものだからだ。


読み手を選ぶ推理小説だと思うのでオススメはしませんが、
耽美、虚構現実、薔薇、倒錯、メタミス、そういったものが好きな方は買いです。
というより既にお持ちであらせられるかもしれませんね;



追記:


僕はこの 『虚無への供物』 が完結しているようには思えません

62年に前半二章を脱稿し、64年に後半部を付け足したということですが。

三章+最終章という組み合わせ、どうしてもあと一章あるような気がしてなりません


また主人公に付けられた名前、アリョーシャ、言わずとも知れた 『カラマーゾフの兄弟』 の主人公。

上巻のみの 『カラマーゾフの兄弟』 を読めば、この作品に続きがあってもおかしくない、と思えるはずです。

作者の死と共に失われた 『カラマーゾフの兄弟下巻』、あるはずの無い 『虚無への供物―第二部』 …

僕まで 「ザ・ヒヌマ・マーダー」 にとりつかれてしまったようです。

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コメント

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1 ■TBありがとうございました

遅くなりましたが、コメントとTBありがとうございました。
『虚無への供物』の魅力はすごいですよね。語り尽くせないです。
マニア心を刺激されるだけでなく、琴線にびりびりと触れてくる…。

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