サブタイトルに並ぶ『少子化万歳』とか『京都議定書は詐欺』とかといったフレーズは、このブログでも再三取り上げてきたテーマです。
それが『本質』かどうかはともかく、ものごとを別の角度から見るという訓練は大切だと日頃から考えています。
たとえば、少子化。
もちろん少子化そのものがもたらす問題はありますが、だからといって出生率を上げようと考えるのは間違い。
政府が何か対策を打って女性に子どもを産んでもらおうなどという失礼なことを考えると、それはおのずから「産む機械」みたいな話になってしまう。
むしろ少子化は所与と受け止めて、そこから生じるメリット、たとえば1人あたり住居面積の改善なんかがスムーズに実現できるように政策を打つほうがいい。
この本にいたっては、「この百五十年間、(日本の)人口はバブルだった」とまで言い切っています。
この考えが絶対に正しいとまでは言いませんが、ものごとはいろんな角度から眺めたほうがいいということだと想います。
ところで。
この本で養老さんが言っていることで、「それはちょっとムリです」と指摘しなければならないことが1つあります。
実は最近、そのことを知って大問題だと想っていることです。
養老さんは「アメリカ国債なんか燃やしてしまえ」と言っています。
それ、ムリなんですよね。
民間が持っている分はともかく、日本国政府が外貨準備として保有している分、これは燃やしてしまうことができません。
その前提として。
アメリカは日本から自動車やハイテク商品を含め、いろんなものを輸入しています。
モノの流れは、日本 → アメリカ です。
この輸入の代金として、アメリカはドルを支払います。
ドルの流れは、日本 ← アメリカ です。
ところが、アメリカは官も民も大借金国家なので、このドルは借金、つまりアメリカ国債で賄います。
発行されたアメリカ国債は誰が買うかと言うと、その一部は日本が買います。
どのぐらい買うかと言うと、上記「ドルの流れ」を打ち消すぐらい買います。
つまり、この国債の取引においては、
ドルの流れ 日本 → アメリカ
国債の流れ 日本 ← アメリカ となります。
この4つの流れを総合すると、ドルの流れは相殺されますから、
モノの流れ 日本 → アメリカ
国債の流れ 日本 ← アメリカ ということになります。
つまり、日本とアメリカの貿易は「モノとアメリカ国債」の交換であると表現することができます。
養老さんが言ってるのは、このアメリカ国債を燃やしてしまえ、ということなのですが、それが不可能なのです。
なぜか。
それは「モノとアメリカ国債」の交換が実際には行われていないからです。
たしかに、日本からアメリカにモノ、自動車やWiiは運ばれています。
では、アメリカ国債は、船や飛行機に乗せて日本に運ばれてきているでしょうか。
答えは、NOです。
日本が買ったはずのアメリカ国債はFRBの保護預かり(のような制度)になっています。
アメリカ国債という証書が日本にあるわけでなく、あくまでもそれはアメリカにあります。
もちろん日本国政府名義として登録はされていますが、名義だけがあって実物がないのですから「燃やしてしまう」ことは不可能なのです。
もういちど日本とアメリカの貿易を整理すると、
モノの流れ 日本 → アメリカ
アメリカ国債の名義 日本 ← アメリカ
ということです。
つまり、日本人が汗水垂らして一生懸命つくったモノをアメリカに引き渡す対価として受け取っているのは、アメリカ国債の『名義』だけです。
いざという時、「日本の名義のアメリカ国債を預かってもらっているはずですから返してください」と言っても、「そんなものを預かった覚えはない」とか「日本は(たとえば従軍慰安婦にちゃんと謝罪していない)人権侵害国なので返さない」と言い返されない保証はないということです。
日本国民が総意としてそれでいいというなら、何も言うことはありません。
ですが、日本が「アメリカ国債を燃やしてしまう」ことすらできないような貿易を続けていることは大いに問題だと想うのです。
そして、そういう角度からものごとを見ることが、「本質を見抜く力」につながるのだと想っています。