人が機械で、人生が遊びであるならば

人生を本気で楽しむため、自分という機械のことを知り上手に使う。
本気で考え、模索し、試行錯誤を繰り返している方ために。

(「コーチングスペース Nメディア」のクライアントさんもしくはそれに準じる方向けに書いています。)


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我々は動物であり、それと同時に動物を越えた人間という存在でもあります。それは我々が、相反する二つのシステムを持っていると考えることができます。このブログにおいて書き続けている「動物システム」と「人間システム」です。これら二つのシステムはそれぞれ求めるものがが違います。目的が違うということです。

 

我々には動物としての欲求があり、それらを満たす動物の幸せがある。そして、それと同時に我々には人間としての欲求があり、それらを満たす人間の幸せがある。ということです。

 

ここではサバイバルを越えた人間としての生き方について書いていますので、人間の幸せが尊くて、動物の幸せが卑しいというふうに捉えられがちですが、決してそういったことではありません。我々はどちらの幸せも必要としています。

 

自尊心が下がる(愛されていない、大切にされていないと感じる)と病気になりやすいのは間違いないようですし(これは動物の幸せです)、僕たちの「人間らしさ追求」の下には、サバイバルが成立しているというのが大前提としてあります。命あっての物種ですから。

 

我々のほとんどは当然どちらも手に入れたいと思っていますし、そうなるようにデザインするべきだと思います。

 

よく語られるこれら二つを満たす例として

 

「大好きなことを仕事にして、お金持ちになる」とか、そういったものがあります。こういった言い回しではないにしても、ほとんどの人がそれに近いものを求めていたりします。我々がもつ二つのシステムをもとに考えたとき、それは可能なのでしょうか?

 

二つのシステムは、常に矛盾を抱えています。

 

前回記事ムチはダメでもアメはいい?)では、動物的な欲求を満たすことにつながる「ごほうび」が、人間としての能力を発揮するのに邪魔をするということに触れました。

 

どうやら、我々が直感として思うよりも両者を成り立たせるのは難しそうです。もちろんだからと言って、「動物の幸せ」か「人間の幸せ」の二者択一では生きる幅を大きく狭めてしまいますし、そもそもそのどちらかにのみ舵を切れる人なんてほとんどいないでしょう。

我々はパン(動物的なもの)のみに生きるにあらずですが、もちろん逆でもありません。パンは必要です。

 

ですから、相反する両者を成立させることの、何がどう難しいのか、そのあたりをしっかりと知ったうえで、両方を満たす糸口を探っていきたいと思います。

 

では、報酬があたえる影響を見ていきましょう。ここでは四点挙げます。

 

・報酬は罰になる

 

与える側の人の傾向として、報酬と罰はセットで扱うようです。つまり、「ごほうび」をよく用いる人は、同じように罰を用いる傾向があるようです。それは、他者の行動を外的な誘因を用いてコントロールしようとする傾向と言えます。

 

ですから、報酬のあるところ罰あり、そして、罰のあるところ動物的学習あり、そしてそこには自己評価の低下など様々なマイナスがある・・ということです。

 

ただ、そういった報酬に伴う罰もそうですが、、報酬そのものが、罰と同じ効果があるということもあります。

 

罰のことを書いた記事でも触れましたが、「失敗を認識させる」、「自分のせいだと自覚させる」というのが罰を与える目的になっていることが多いです。そして、実は報酬がそれと同じものをもたらす場合があります。

 

報酬は基本的には無条件では与えられません。何かしらの基準を満たせば「ごほうび」がもらえます。「今度のテストで100点取ったら・・」といったものです。

 

では、もしそれを達成できなければどうなるでしょうか。もらえることを期待して行動し、目的がかなわなかったのですから、当然失敗が刷り込まれ、失望に満たされます。これは罰によってもたらされた心の状態と同じです。

 

・報酬は人間関係を破壊する

 

報酬が発生する場合の人間関係を見てみましょう。まずは、与える側と与えられる側です。賞罰は主従関係をはっきりさせる効果があります。どちらが主で、どちらが従か・・。そして、価値基準を決めるのは常に賞罰を与える側です。与えられる側は、自分に対する評価を他人に委ね、その他者からの評価を受け入れざるを得ないという風になります。(これは我々にとっては避けるべき事態です。我々が越えるべきサバイバルの大きなウェイトを占めているのはこの「他者からの評価」ですから。)

 

そして、そういった関係の中にうずもれてしまうと、どうしてもその主人からいい評価を与えてもらおうという傾向があらわれます。ご機嫌を取るとかそういったことです。取り入ろうとしてしまいます。ごほうびの基準を甘くしてもらうほうが、多くの場合、努力することよりもコストがかからなかったりしますから。

 

また集団内での横のつながりも健全なものではなくなってしまいます。例えば、上位何人に「ごほうび」となれば、メンバー間に競争が生じます。他人との比較で優位になることが目的になるのは、まさにサバイバルの状態です。そしてその時に引き出せるのは動物システムの「やる気」くらいです。ダニエルピンクの動画にもありましたが、全体のパフォーマンスは下がります。横との比較でもし勝てたとしても、そもそも比較がない時の方がいいパフォーマンスであったろうと考えられます。

では負けたら?最悪です。外的な要因でパフォーマンスを下げられたうえ、劣等感まで植え付ける可能性があります。

 

また、競争状態にあると協力を阻害するというのも分かっています。周りは敵ですから当然です。

 

では、グループの中で協力するように集団ごとで競わせ、優れた集団に「ごほうび」を出すようにすればうまくいくでしょうか。残念ながらそうはならないようです。

 

報酬が得られるかどうかが他人の行動如何によって決められる場合に、他人をどう見るかという実験では、年上の女の子たちが年下の女の子たちをうまくコーチできたら「ごほうび」をもらえることにしたら、教え方がまずくなったばかりではなく、「年下の子を自分の望む目的物を獲得するためにどのくらい役立つかということの関数として評価する」ようになり、もしその子の呑み込みがよくないと否定的に見るようになるという結果も出ています。

 

つまり、競い合い、足の引っ張り合いという直接的な誘因が与えられているかにかかわらず、何かを得るために(仕事なり勉強なりの)タスクをしているのだと考えさせられていること自体が、他人と協力してやっていこうという気持ちに水をさすということのようです。人間としての大きな特徴である「利他性」を阻害してしまいます。

 

 

・報酬は理由を無視する

 

そもそもなぜ、報酬を出すのでしょうか。ほとんどの場合、放っておいたらできない、やらないといった状態が目の前にあるからです。そして、その解決策としての「ごほうび」なのですが、そこにはそもそも、なぜその問題が生じているのかという視点が、ごっそり抜け落ちています。

 

我々は人間として、問題解決の能力を養うこと、そしてその能力を発揮することが必要です。そのためには、その問題そのものやその背景をつかまなければなりません。そして、その上で解決策を自らが考えるということですが、「ごほうび」を与えることは、そういった一連の流れを無視します。「言われたことだけやっていればいい」というメッセージを暗に(時には明示的に)刷り込んでしまいます。

 

 

・報酬は冒険に水をさす

 

報酬目当てに働くときは、報酬を得るのにちょうど必要なだけの仕事をやり、それ以上はやらなくなってしまいます。

 

手堅くなる。確実に・・、かつ過去思考になる。柔軟性が乏しくなり、「紋切り型」の思考、行動に陥ります。これは「探究の敵」と言ってもいいと思います。必要な分だけやるというのはまさに動物システムのサバイバルです。

 

我々はそれを越えた「遊び」を生き方に与えようとしています。それは、サバイバルに必要のないことをする、もしくはサバイバルに必要なことをはるかに越えたことをする、ということです。

 

報酬がチラつくことで、我々はそういった「遊び」「創造性」を制限されてしまいます。

 

 

さて、以上四点を挙げましたが、これらはすべて、動物システムを強く働かせることに繋がります。そして、我々が人間として「サバイバルを越えた」生き方をするのに必要な能力を伸ばしたり、発揮したりするのを阻害します。

 

ですから、これらの能力をしぼませるような環境は避けなければならないのですが、同時に我々の生きる世の中は、他者と自分の持つ価値の「交換」をすることで成り立っています。資本主義の世の中においてお金を拒否して生きるわけにもいきません。自分の「仕事」と等価の「報酬」を得ることで、我々は衣食住その他を賄っています。

 

報酬が必ずチラついてしまう環境から逃れられない我々は、まず自らの置かれている状況を知り、人間としての能力の発揮を、人間としての学習をしぼませないための対策を立てることが必要です。

 

参考文献です。この本の第四章(ニンジンの問題点)をもとに報酬の影響4つを書きました。

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