今週の「平清盛」は、第15回「嵐の中の一門」。
清盛のすぐ下の弟・家盛が死亡。
忠正(清盛・家盛の叔父)や宗子(家盛の母)が家盛の死に関して清盛を責めたり、
「家盛は犬死に」という藤原頼長の言に「いつもは冷静な」忠盛が怒りを露わにする・・・などのシーンもあり、
確かに「嵐のような印象」を受ける回ではありました。
年の離れた弟・頼盛(母は宗子)も、「清盛に意見できる人間」として描写されていく可能性は有りそうですね。
(1)嵐の止む日は必ず参ります。平家内の嵐もそうでした。
今回の「紀行」は高野山。
清盛が再建した大塔に奉納された曼荼羅(まんだら)は、清盛が頭の血を絵の具に混ぜて大日如来の冠に色塗りをしたと平家物語に。
ここでは、「血曼荼羅」と紹介されていました。
そして、ドラマ内でもこれを再現したシーンが。
清盛の願い通り、嵐は止んで平家は結束を深めていく・・・という締め括りになっています。
(2)一方で、源家サイドの記述は・・・
前項で述べた通り、平家の人間模様は可成り緻密になって来ていて見応えが有ります。
一方、これが「平家ドラマ」であるために仕方の無い事なのかもしれませんが、源家(河内源氏)サイドの描写には有耶無耶感を否む事は出来ないでしょう。
例えば、源義朝が為義の命じた摂関家の警固を断るシーン。
断る理由として「設定」されているのは、おそらく前回で清盛に言った「頼長の感じが悪かった」という事のみでしょう。
これでは、義朝が親不孝の我が儘者と捉えられかねません。
(3)由良姫の存在も生かせていないのでは?
第8回「宋銭と内大臣」で由良姫は為義にこう主張しました:
自分の家(熱田大宮司家)は「中央政界との繋がり」を持つ・・・と。
由良姫との婚姻によって義朝は鳥羽院への接近が叶った訳ですから、
構図としてはこの様になります:
為義→「先祖の満仲以来」引き続き摂関家の警固を。
義朝→「由良姫の実家のコネクション」で院の警固をする様になった。
ですので、ドラマの様に由良姫がその場に「居合わせている」のでしたら、義朝の味方をする・・・ぐらいはしなくてはならないはずです。
為義と義朝との対立を描くのには絶好の前触れでしょうに、勿体ない事ではあります。