あすか・よしの談義再開の前に、一つ補足説明をしたい事があります。
でも「補足」説明なんてまどろっこしい・・・そこで新シリーズにしてしまいました。
第1回目は「公卿」と「官職」です。
まずは公卿。「公」とは何か?「卿」とは何か?
・・・ここを明確にしておかないと、私が以前の記事である『信玄「公」の国』
http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10502833658.html
http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-10505093906.html
(歴史旅行記1・2,2010-04-10および2010-04-12の記事)において、なぜ「公」と鍵括弧で括ったのかが分からないままになってしまいます。
(1)「公」と「卿」の区別
これは以下の通りです:
「公」:大臣の官職を持った事の有る者。
「卿」:大臣・大臣経験者以外で
・三位(さんみ)以上(参議・非参議は関係なし)
・もしくは四位(しい)以下でも参議となった人物。
(ややこしくなりますので、「参議」についてはここでは置いておきましょう。)
①まず、読みは大事です。三位を「さんみ」ではなく「さんい」と読んでしまうと、それは「散位」すなわち位階を朝廷から貰っていない人を指してしまいます。
例えば信玄の息子の武田勝頼は織田・徳川の妨害に遭って朝廷から官位を貰えませんでした。勝頼は「散位」という訳ですね。
②それから、「官職」と「位階(後述)」の両方が基準に絡んでいるのがややこしさの原因となっているみたいです。官職・位階を併せて「官位」という訳ですが、位階の方がやや分かりにくいかもしれません。
そこで、以下に簡単に解説してみる事にします。
(2)位階について
簡単に述べると次の様になります:
・一位から八位(それと大初位「だいそい」・少初位「しょうそい」)がある。
・各位階には「正(しょう)」と「従(じゅ)」(初位は「大」「小」)の区別がある。
・四位以下はさらに「上」「下」の区別が有る。(※~の「じょう」、~の「げ」と読みます)
以上、読みを含めて御確認を。
(3)「公」か「卿」か?
以下は例示です。
(1)武田信玄(晴信)
生前の最高位階・官職は従四位下・大膳大夫でしたが、大正期に従三位を贈られました。
既に律令体制化に無いので贈られたのは官職なしの位階のみですが、大臣には律令体制下では従二位以上が必要だった事から明らかに「大臣相当では無い三位以上」。ですので、武田信玄「卿」となります。
※ここで注意しないといけないのは、官職を貰うのにはそれ相当「以上」の位階が必要だということです。ですから、大臣に必要な(最低限の)位階が従二位と言うだけで、もちろん従二位以上だからといって大臣だとは限りません。二位どころか一位でも「明らかに」大臣では無かった例として紀州藩主・徳川治寶(はるとみ)の「従一位大納言」が有ります。御三家では大臣になれなかったのです。
(2)水戸黄門(徳川光圀)
生前の最高位階は従三位・権中納言。(※権は「ごん」と読み、「仮の」という意味です。)
死後に従二位・権大納言を贈られ、まだこの時点では徳川光圀「卿」なのですが、明治期に正一位を贈られました。既に律令体制化に無いので「太政大臣」は付きませんでしたが、正一位は最高位。文句なく「大臣相当」という事で光圀「公」とされます。
(3)勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)
著作の「晴豊公記」は本能寺の変前後の記述箇所が京都大学から見つかって一時話題となりました。
この件で勧修寺当主とは一度お話をしたのですが、それは別の機会にゆずるとして、当時晴豊「卿」ではないのかという記事を目にした事があります。
私見という程ではありませんが、確かに生前は従一位・権大納言であって大臣では無いものの
①生前に准大臣宣下を受けている。
②死後に内大臣を贈られている。
という事から少なくとも大臣「相当」なので晴豊「公」で問題ないと考えています。
以上、今回はこの辺で。