東京リビングストーン教会水曜礼拝②

主題 明治維新と文明開化~太平洋戦争へ



開国への圧力
1853年、アメリカのペリー総督が日本の開国を求めて「黒船」に乗って来る。
1859年、箱館、横浜、長崎が開港され、本格的な貿易が開始された。貿易相手国は主にイギリスであった。⇒海外宣教師の日本上陸。(事実上のプロテスタント教会の始まり)

カトリック教会の復興
1864年になってフューレは長崎に土地を購入、後から加わったベルナール・プティジャン神父と共に1865年に教会堂を建てた。これが大浦天主堂である。一か月後、教会を訪れた婦人たちが自分たちは禁教下で信仰を守り続けた潜伏信徒(隠れキリシタン)であることを告白、神父は驚愕した。これを「長崎の信徒発見」という。

明治時代のプロテスタント教会の宣教
プロテスタントの宣教師として最初に来日したのは1859年5月到来の米国聖公会ジョン・リギンズ (John Liggins)であった。これを皮切りに1859年中には,「ヘボン」とよばれたアメリカ合衆国長老教会の医師ジェームズ・カーティス・ヘップバーン (James Curtis Hepburn) (10月17日)をはじめとし、アメリカ・オランダ改革派教会から派遣された宣教師グイド・フルベッキ (Guido Herman Fridolin Verbeck)、医療宣教師ダン・B・シモンズ (Danne B.Simmons) などが続々と来日した。

宣教バンドの結成
横浜バンド(ヘボン)⇒青山学院大、明治学院大、フェリス女学院の創設
札幌バンド(クラーク)⇒内村鑑三(神学者)、新渡戸稲造(「武士道」、国際連盟事務次長)
熊本バンド(ジェーンズ)⇒新島襄(同志社大)

軍部の台頭と戦争へ突入
1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1910年 韓国併合
1914年 第一次世界大戦
1941年 太平洋戦争

キリスト教への弾圧
昭和初期には軍部が台頭すると、軍国主義のイデオロギーとして「国家神道」が利用されるようになり神道以外の宗教団体への圧力が強まった。特に教育や思想の分野において国粋主義が強化されたことで西洋の宗教であるとみなされたキリスト教は苦しい立場におかれることになった。特に1931年の満洲事変勃発以降はその傾向が強まった。1939年、帝国議会によって戦争遂行のため宗教団体を統制する目的で「宗教団体法案」が可決成立し、翌1940年4月1日から施行された。これによって、日本のキリスト教界において多くの団体が政府に協力した。
淀橋教会は天皇と神社参拝を拒否し、宗教弾圧を受ける。当時の担任牧師の小原牧師は投獄され、教会は閉鎖された。

3.戦後のキリスト教会
1945年8月6日(広島)9日(長崎)に原爆投下
8月15日 無条件降伏で終戦

戦争が終わると、進駐してきたGHQの指示によって国家による神社への保護(国家神道)が廃止されたことにより、キリスト教各派は自由に活動できるようになった。さらに1945年10月、宗教団体法が撤廃され宗教法人令が公布・施行されると、戦時中に統合・監督的束縛を加えられていたキリスト教各派は、一斉に組織の再編に着手すると共に、日本各地で大規模な布教を開始した。
1946年、日本国憲法によって完全な信教の自由が認められる。
現在、キリスト教人口の大まかな内訳はカトリック教会44万人、プロテスタント諸教派総計50万人、日本正教会1万人などである。クリスチャン人口は約1パーセントである。
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