[東面]_(袖から出た手が右指差し)、右、畑田村西福寺
[東面]_(袖から出た手が右指差し)、右、畑田村西福寺
[北面]_(袖から出た手が左指差し)、左、相谷村降㚑(霊)寺
[南面]_文字なし
[西面]_文字なし
北側から。
南側から。
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江戸時代に五條市内に制定された大和新四国八十八ヶ所の霊場巡りの道標と思われます。 第60番札所の西福寺と第58番札所の降霊寺を案内しています。
昭和初期頃まではここから南東方向に降霊寺まで真っ直ぐ道が伸びていたようです。 また、降霊寺のすぐ北の三叉路にも自然石に 「四こく道」 と刻まれた大和新四国八十八ヶ所の霊場巡りの道標があります。
このあたりの丘陵地は古代には真土(まつち)山と呼ばれ、中世以降の伊勢街道(紀洲街道)はここより北の現在の真土峠を越えていますが、万葉時代にはこの付近を通り大和と紀伊の国を結んでいたようてす。 県境付近にはいくつもの万葉歌碑が建てられています。
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・各面の内容
[東面]_(袖から出た手が右指差し)、右、畑田村西福寺
[北面]_(袖から出た手が左指差し)、左、相谷村降㚑(霊)寺
[南面]_文字なし
[西面]_文字なし
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<2019/4/9 補筆>