気まぐれ更新 




今日の新ロック格言 「三本のロックンロール」



  • 24 May
    • 攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL

        GHSOT IN THE SHELL   監督 ルパート・サンダース 製作 アビ・アラド アリ・アラド スティーブン・ポール マイケル・コスティガン キャスト スカーレット・ヨハンソン少佐 ピルウ・アスベックバトー ビートたけし荒巻 ジュリエット・ビノシュオウレイ博士 マイケル・カルメン・ピットクゼ     ゴーストインザシェルを見てきた。原作は「攻殻機動隊」という漫画というかアニメというかアニメ映画というか、まあ、いろいろである。あまりにも多すぎて「どこから手をつけていいかわからない」状態の人もいると思われる。ていうか、ほとんどの人がそうだと思われる。 なぜそんなに多いのかといえば、それは待ちわびるファンが多いからに他ならない。 ファンとしては多くの形の攻殻機動隊を見たいのだ。 リブートにリブートを重ねる攻殻機動隊をファンは愛してきたのだと思う。 ちょくちょく変わる設定も、別に愛嬌って何も感じてなかったでしょ? そういう意味では、今作の実写映画も攻殻機動隊の一つの形ではある。   僕は特別に攻殻機動隊が好きなわけでもないので、上映後に「おもしろかったなあ」という感想しか抱かなかった。 だが、攻殻ファンの嫁さんは「こんなの違うやい!」と憤慨していた。 どんな感想でも人それぞれだからどうでもいいんだけど、どうやらファンとしては抑えがたいエモーションがあったらしい。 具体的にはネタバレになるから言えないが、ファンは怒るのだそうだ。     そういえば、今作は「ホワイトウォッシュ」が問題になっていた。 ホワイトウォッシュっていうのは、非白人のキャラクターを白人が演じること。 最近だと、   PAN〜ネバーランド、夢のはじまり〜【Blu-ray】 [ ヒュー・ジャックマン ] 1,500円 楽天   PANのインディアンの酋長の娘であるタイガー・リリーをルーニー・マーラが演じたことが問題視された。   人種問題の根深いアメリカならではといえるだろう。 無論、今回の「少佐」もホワイトウォッシュではないか、と議論になったようだ。 だが、僕は思う。 少佐は全身が義体(サイボーグ)だから、容姿は実にどうだっていいのだ。 というかそもそも作品によって大きく見た目が異なるのだから今更どうだっていい。 むしろ変に日本人がするんじゃなくて、ちゃんとした女優でよかったよ! などと思う日本のファンは少なからずいたと思う。     しかし、本作の世界観を劇場で見られたのは本当に幸福だと思う。 ブレードランナーに端を発するサイバーパンクな情景においては、 やはり自身の感覚を埋没できるくらいの大きさが欲しい。 となるとHMDがいいなあ、などと思うがいや、それよりは映画の大画面でしょう。 なども思う。

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  • 23 Apr
    • ストレンジャー・シングス 未知の世界

        イギリス人の友達と飲んでいるときに「Netflix入ってるなら、ストレンジャー・シングスみなよ!」と熱弁された。軽く酩酊状態だった僕はうんうんと頷いていただけだったが、意識のはっきりしていた弟はその話をしっかり聞いていた。そして翌日、二日酔いでぐったりしている僕のもとに弟からLINEが入ってきた。 「一話見たけど、ちょう面白いぜ!」 そんな弟に倍プッシュされてなんとなく見た『ストレンジャー・シングス 未知の世界』だが、これは想像をはるかに超える面白さに溢れた作品だった。 おもしろすぎて一気見してしまった。       【あらすじ】 1983年11月6日、インディアナ州で、12才の少年ウィル・バイヤーズが失踪する。ウィルの母のジョイスは半狂乱となって息子を探す。警察署長のホッパーが捜査を始める。翌日、不思議な能力を持つ謎の少女が現れ、暗く邪悪な物事も起き始める。 (wikipediaより)      本作はE.Tとか遊星からの物体Xのような80年代SFに対して強烈なオマージュを捧げる作品である。たしかに今のSFは少しシビアすぎる。それに比べて80年代のSFはちょっと抜けた感じもあってぶっちゃけ微笑ましかった面もある。(あ、エイリアンシリーズはちっとも微笑ましくなかったです)  ということで時代設定も1983年。BGMは無論バッキバキのシンセサイザーがびっこびこである。OP画面なんかノイズまで入ったりして思い切り80年代っぽいのがいい感じだ。主人公のナード少年たちもTRPGやったり、ATARIに興奮したり「ああ、古い」と思える。いいね。      今作を簡単に説明すると   失踪したウィル少年を探す友人、マイク、ダスティン、ルーカスの前に謎の少女 イレブンが現れる。次第に街に異変が起こり始める。   というもの。    だからウィルとイレブンの関係性が大いに重要なファクターとなる。明かされる謎にグイグイと引き込まれることは間違いない。     ところで僕はとある作品と共通点を見つけた。   「漂流教室」である。あ、漫画のほうね。    漂流教室は、小学校が未来世界に飛ばされ小学生たちがバトルロワイアルするという話。現実世界では小学校がガス爆発でぶっ飛んだことにされている。だが実際は少年たちは未来世界に言ってしまっているのである。  主人公の翔ちゃんのお母さんは自分の息子が別世界で生きていることを感じ取り、なんとかコンタクトを取ろうとする。その様は側から見たら完全に狂人。周囲の人間も「息子を亡くして以来狂ったのね」とアレな人に対する反応である。しかし翔ちゃんとお母さんは時間を超えて通じることができるようになる。親子の絆が時間を超えたのだ。  こんかいもウィルの母親であるジョイスは「息子は死んだ」と言われ続けても頑なに信じなかった。電飾を部屋にぶらさげまくり、必死に呼びかけるのである。警察署長とか身内からも「おかしくなった」と言われるがそれでも息子の生存を信じて必死に呼びかけるのである。  偶然というか「親子の絆」を表しているからよくある話なのかもしれない。      『ストレンジャー・シングス 未知の世界』はよくできたドラマである。 破竹の勢いでドラマを作りまくるNetflixから目が離せない。 今年はMCUに所属するディフェンダースも始まる。

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  • 01 Apr
    • インパルスのコントは考察不足?

      インパルスのコントで   「悪霊に取り憑かれた少女と神父」   というコントが行われていたんだけど、ちょっと疑問。     キリスト教って悪魔払いはするけど、悪霊払いはしなかったはず。   もともと「霊」を恐れるのは仏教で、キリスト教は悪魔を恐れる。   だから神父は悪魔払いしかしないはずだったんだけど。

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    • キングコング:髑髏島の巨神

          かつて「週刊文春」に円谷英二の下で特技として働いていた男性のインタビュー記事が載っていた。いわく 「やっぱり怪獣の造形は日本人じゃないと駄目だな。『クローバーフィールド』も『パシフィックリム』もまだまだだ。甘いね」 欧米は「モンスター」であり、日本は「怪獣」であり、この両者には単なる訳うんぬんを越える遥かに大きな隔たりがあると僕は感じていた。 「俺たちの怪獣オタク」ことギレルモ・デル・トロもそこを見抜いて『パシフィックリム』では敢えて「KAIJU」としていたが、やはり「怪獣」には近づけていなかった。彼は大の親日家であり、日本のオタク文化に精通した……いや、日本の少年がそのまま大人になったような男である。そんなデル・トロですら作れなかった「怪獣」 その原因とはなにか? 僕は宗教観なのではないかと考えた。   キリスト教において人間とは自然の征服者である。人は神に近い形を持つから尊いので、神の姿から遠ざかった存在は軽視される傾向にある。日本では有名なファーブルですら、地元では「誰?」状態である。あのファーブルだぜ? みんな小学生の時に読んだことあるでしょ? やっぱり昆虫という人から遠い生物を研究するから無名なんだな、きっと。   対する日本は仏教的価値観もさることながら、アニミズムの国であったため昔より森羅万象に敬意を払う習慣があったように思われる。というか天災が多いから自然の驚異に晒され続けて開き直ったのかもしれん。アニミズムは割と原始的な発想故に、日本はキリスト教に比べて科学は発達しなかった。    自然に対するスタンスがモスラやキングギドラといったカッチョイイ怪獣を産み出したのではないかと思う。虫やとかげに親しむ人は、それらを見ても嫌悪感を抱かない。時にはそれらの機能や造形に対して「すげえ」という一種の感動すら覚える。その感動が、日本の怪獣には反映されているのではないか。合理性とか一切無視したダイナミズムはあくまで「すげえ」の延長線上、極めて主観的な存在とすら言える。だからこそ、客観性のかけらもない子供という存在に好かれるのだろう。   そして「日本には怪獣がいた、という実感があった」という高橋ヨシキ氏のコメントが、現代でも日本の怪獣文化を支える支柱の存在を言い当てていた。日本では昔より怪獣の着ぐるみが街中を破壊してきた。犠牲となったランドマークは数知れない。国会議事堂とか東京タワーとかやたら東京のシンボルが破壊されるせいで、幼少時に港区に住んでいたうちのお袋は「やばい、ゴジラがこっちにくる」と本気で思っていたらしい。その実在感というか「身近に感じること」も怪獣を作る上での大きな要因となっていると予想する。  前置きは長くなったが、今回の『キングコング髑髏島の巨神』の監督は日本人ではない。もともとキングコングってのは1933年に作られたストップモーションアニメだ。オリジナルでは15mくらいの大きさ(まあシーンによって違うけど)で、金髪美女に目がなくてエンパイヤステートビルに登って撃墜されてしまった。怪獣映画かと言われると少し微妙ではあるが、とりあえずエポックメイキング、今でも語り継がれる伝説の作品である。そんなコングの新作が発表されるときに大きさを聞いて驚いた。 30mである。 ちょっと、それはデカすぎませんかね。 一気に今までのコングの2倍の大きさになってしまった。さすがに大きい。 だが、それがいい! 今回のキングコングは「2020年にゴジラと戦う」ために大きな設定となっているのだ。 あれ、でもギャレゴジ(2014年ゴジラ)って100mくらいあるよな。 キングコングが戦うには少し差がありすぎるな。 (ちなみに1962年の『キングコング対ゴジラ』ではキングコングが電撃で巨大化していた。これは最初のプロットがゴジラではなくてフランケンシュタインの怪物だったことが原因である) どうやって大きくなるかは不明だ!  さて、本編に話を戻す。ストーリーとしては、まあ、科学者一行がコングら巨大生物の調査のために髑髏島に上陸するというもの。でもそんなもの途中でどうでもよくなるよ。 だって最初の頃からすごい勢いで巨大生物が出てくるからね。 出し惜しみしまくっていたギャレゴジとは大きな違いだ。 開始20分くらいでキングコングがヘリを撃墜しまくっていたのは見ていて大興奮したね。 そう、怪獣映画の醍醐味とは 「大きなやつがいろいろぶっ壊しながら戦う」 というものである。 リアリティとかどうだっていいんだよ! そんな感じで爆発と怪獣がたくさん出てくる。 1933年のオリジナルコングが好きすぎてたまらない人にはちょっとお勧めできない。 あの映画にあったコングの哀愁というか「あれ、こいつマジでかわいそうなやつじゃね?」という感じは一切しないからである。 繰り返すがでけえ怪獣が暴れまくる映画である。 それが好きなら行け! 3回くらい見ろ! そうでもないなら、まあ、やめておけ。  今回、話が「ビキニ環礁の水爆実験はある生き物を殺すためだ」というセリフからわかる通り、ギャレゴジと強いかかわりがある。それもそのはず、コングとゴジラはモンスターバースとして20年に戦うことになっているのである。そういう意味ではまあ前哨戦みたいなものだった意味合いも強いっちゃあ強い。 でもいいんだよ! コングが暴れるだろ! 最高だよ!  ちなみに、スタッフロールが流れた後におまけ映像が流れる。僕はこれにえらく興奮したのでみんなちゃんと見るように。  

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  • 20 Mar
    • ラ・ラ・ランド  ハリウッドミュージカルの再来

          デイミアン・チャゼル監督最新作、『ラ・ラ・ランド』を観てきた。 はっきり言おう、歴史的傑作だ。 ぼくはハリウッドミュージカルが31歳の若き監督によって為されるとは思いもしなかった。  前作、『セッション』においてチャゼル監督の音楽の録り方は音楽家たちから批判された。 「音楽はもっと楽しくて人を幸せにするものだ」 たしかに、『セッション』は音楽を格闘技のように描いていた。 それで批判を喰ったので、『ララランド』は愉快で綺麗な作品に仕上がったのかな、と思う。 La La Landの”La”とはL.Aすなわちロサンゼルスを意味する。 ハリウッドで成功を夢見て現実を直視しないような男女のことを”La La Land”と呼ぶ。これはそんな夢を追いかける二人の男女の恋物語であるーーとまあ、前提は多分皆さんご存知だからいいとして僕の感想を書かせてもらう。 批評じゃない、感想。 なぜなら僕にはこれを批評するだけの知識がない(笑) ああ、ミュージカルって素晴らしい……そう思える作品だった。 初期のフルカラーになったころのような鮮やかな色づかい。 思わずリズムを取りたくなるようなダンスと音楽。 全ては現実離れしているように見えて、実はとてもリアリティがある。 それを強く感じたのはグリフィス天文台でのシーンだな。 二人は浮遊し星間を漂うという場面だけど、そこで気づいた。 今作は主観を拡大させたものなのだな、と。   気分が昂ると思わず歌い出したくなる、踊り出したくなるような気持ちになる。 恋をしているときは特にそうなんじゃないかな。 グリフィス天文台のシーンは「天を舞うような気分」を表したものだろう。 別に本当に宇宙にいったわけじゃないよ。 パリコレで大袈裟な衣装が出るのと似ているのかな。 だから、ラ・ラ・ランドで思わず歌い出すようなシーンに違和感がない。 誰しもそういう気分のときはそんな行動に出たくなるからだ。 主観を拡大させるとああなるし、拡大された主観だからこそ共感できるんだと思う。 全然関係ないけど、冒頭のシーンで店のオーナーとしてJ・K・シモンズが出てくるんだけど身構えるよね。「フレッチャー」を思い出して。 て考えたけど『セッション』以降、『ズートピア』『ザ・コンサルタント』とよく彼の出演作を見るから別に気にはしなくなったぜ。 その前に『クローザー』とか『スパイダーマン』にも出ていたけどね。 以下、ネタバレ注意。激しく注意。ていうか見た人ではないと多分、分からない。     主人公であるセブとミア。 彼らは多分、チャゼル監督自身のことだと僕は感じた。 デイミアン・チャゼル監督は若い頃、ジャズミュージシャンを目指した。高校の頃にドラムを練習するが、プロにはなれないと本能で悟ったチャゼルは映画制作の道に進むことになる。 何本か脚本の仕事をこなしたチャゼル監督。 メキメキ頭角を表し、『セッション』でその名を有名にする。 そして満を持して『ラ・ラ・ランド』を作った。 チャゼルは挫折と栄光、そして新たな夢を知っている。 それがすごく強く反映されている。    ラスト。   セブとかつての恋人ミアが5年ぶりにセブが経営する店『セブズ』で出会うシーン。セブはミアが他の男と結婚した事を知る。 セブはミアと初めて出会ったときの曲を弾き始める。 そこでストーリーをダイジェストするかのように始まるシーケンス。でもそれはダイジェストではなくて、セブが思い描いたミアとの理想の生活だった。 ジャズクラブを経営する、という念願の夢を叶えたと同時にミアとの理想の結婚生活という夢が確実に砕けた事を理解するセブのあの顔。 「全てが上手くいっていたらこうなってたね」というシーンは『タイタニック』でのラストの舞踏会のそれに近い。 だからこそ、切ない。 現実と違うからこそ、悲しい。 ありえないから、綺麗に見える。 でもそれで終わらない。 セブとミアは互いを見て、微笑んで別れる。 その微笑みは多分、納得し互いを応援するような笑みだと思う。(『レスラー』の最後と”納得”では似たような意味か?) だからこそ最後、セブがピアノに向かって「1・2・3・4」とリズムをとって演奏を始めようとするシーンが輝いて見える。 前述のセブが自分の店でピアノを弾き始めるシーンでは泣きに泣いた。 それは二時間という短い時間の間で、セブとミアの二人の人生を共有したからだ。 絶対に上手くいく関係なんてない。 それでも「もし」を考えてしまう。 学生時代、あんなに愛していた女がいたのにいま僕は別の女性を妻に持っている。 僕は自分の事をとても幸せだと思うし、妻のことは心から愛している。 でも、ふと思うときがある。 もしあの娘と結婚していたら、どうなっていたろう。 そういう誰しもが持つ「もし」に直撃する要素があったから、ラ・ラ・ランドは泣けるんだろうな。 素敵だ。 本当に素敵な2時間を過ごせた。 ありがとう、ラ・ラ・ランド。  

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  • 17 Mar
    • アサシンクリード  アイエエエエ! アサシン、アサシンナンデエエエエ!?

      アサシンクリードが実写化すると聞いたとき「多分、面白くなるな」と直感した。 現在、欧米ではゲームはかつてと違い大人の娯楽として認識されている。 いわゆる「洋ゲー」とよばれる作品は大人向けとして作られているからだ。 それらの作品は ・完成度の高い脚本 ・リアルなグラフィック ・高いリアリズム を備えている。大人のプレイに耐えうるだけのものがある。 日本らしい子供向けゲームに慣れた人には違和感を覚えるかもしれないが、それが世界の主流になりつつある。   映画原作の『アサシンクリード』もそんな作品の一つだった。 主人公はアサシン教団のアサシン(暗殺者)となり、テンプル騎士団の要人を暗殺していくのだ。 派手な戦闘を避けこっそり忍び寄り殺害する、というステルスゲームの基本を踏襲しつつも、飛び出す暗剣アサシンブレードなどのギミック、高所から飛び降りるイーグルダイブなどの派手な技で大いに楽しませてくれた。 なによりも宗教ネタに踏み込んだことに大きく驚愕した記憶がある。   だからこそ映画化すると聞いたとき楽しみでもあり不安でもあった。 それはゲームと映画の差にある。 「没入度」である。   ゲームはキャラクターを操作するため、その世界に入りやすいという特徴がある。自分の意思が画面に反映されるからだ。特にリアルに作り込まれた洋ゲーだと本当にそうだろう。かくいう僕の妻も「ウィッチャー3」という作品をずーっとプレイしていて(それこそ、本当にレベルカンストするまでやり込んだ)ダウンロードコンテンツまで終わろうとしたときにぼそっとつぶやいた。 「あー、ゲラとの旅が終わっちゃう」 ゲラとは主人公、ゲラルトのことである。妻はゲラルトを操作するうちに、本当に彼の旅を追っているかのような感覚になってしまうのだ。 これはゲームの大きな特徴と言えるかもしれない。   対する映画というのは、受け手の意思と関係なく物事が進行する「時間芸術」のために没入度はゲームと比べると劣る。だが、逆に言えば進行のリズムを掌握できるということだ。だから展開とテンポで観客を掌握することもできる。僕の大学の先生は「攻殻機動隊」を見たときに「終わらないでくれ」と本気で思ったらしい。     そんな畑違いゆえに弱点も長所もあるゲームの映画化。アサシンクリードはどうだったかといえば、結論から言おう。   そんなに面白くなかった。     前述の「没入度」でいうとゲームとの差がどうのこうの、ではない。 そもそも映画としてアラが多すぎて入り込めない。 まず、ゲームと同じように映画も DNAに記載された祖先の記憶を辿る という手順をとってアサシンの世界に入る。 つまり 主人公(現代)のシーン アサシン(中世)のシーン の二つが同時展開されることになる。   それが仇になった。   中世のシーンをぶつ切りにしたせいで、観客の知らぬ間に人間関係が変化するという事態が発生。よく事態が飲み込めないまま劇が進行していくという「確信犯的観客置き去りスタイル」という新しいカタチを見せつけられる。制作サイドは感情移入とか観客の気持ちとか考えて作ったのか不明である。     そして今作最大の問題点は「忍ばないアサシン」である。 冒頭、王子奪還のためにアサシンたちは集団でテンプル騎士団に襲いかかる。 昼間に。 確かにアサシン=暗殺者は、別に闇に忍ぶという意味ではない。ゴルゴだって立派な暗殺者だ。目立ちまくっているけどね。 しかし、原作ゲームでは「周囲に紛れて暗殺する」というコンセプトがあったからもちろんながら期待する。 しかし、百歩譲って「原作は原作である」という意見があることもわかる。 じゃあどうして冒頭で「闇に生き、光に仕える」とか言ったんだ。 あれはなんだ、教団の大事な教義じゃないのか。 おまえらお題目でも唱えていたのか!   そんな僕の願いもむなしく、忍ばないアサシンたちは大暴れをしていく。 その暴れっぷりは凄まじく、アサシンというかウォーリアーに近い。 逃走のシーンでも派手に逃げまくるため、自然と「こいつら隠れるの下手なんじゃね?」と思えてくる。 本当にアサシンなのか、こいつら。   そんな疑念のなか、彼らの大暴れは続く。   アイエエエエ! アサシン、アサシンナンデエエエエ!?     と、本気で思う。       いや、もしかすると認識を改めなければならないのかもしれない。   彼らは派手に、かつ、大っぴらに活動する新しいアサシンなのだ。   と思うと、最後に闇に潜むシーンがあった。     なんなんだよ、おまえら!     ああ、もう見ていて本当にイライラした。   最後の方なんか「早く終わってくれ」と本気で思った。   マジでプロデューサーのミヒャエル・ファスベンダーが雰囲気だけで作ったということだけがよくわかった。   MFいわく「これは三部作なんだ」とのことらしいが、あと二つを誰が見るものかと思った。   アサシンが狙うべくはテンプル騎士団じゃなくて制作サイドなんじゃないかな。

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  • 15 Mar
    • JUDGE  

      デスゲーム系というジャンルがある。   登場人物たちが命をかけてゲームに興じるという形態だ。 パイオニア的存在はやはり『CUBE』じゃないかなあ。箱と登場人物で映画を撮ったという手法は今でも真似できるもんじゃない。でも、映画通でもない限りそれには触れなかった。 やっぱりデスゲーム系を一大ジャンルに押し上げたのは『SAW』だろう。 後半になると単なる拷問映画と化したが、それでも多くのフォロワーを生み出したのは間違いなかった。   小さな空間と役者さえいれば成り立つところから、割と多くのデスゲーム系作品が生まれた。   はっきり言えば粗製乱造ともいえる現状。   2013年にまた生まれてしまった。     JUDGE       密室に閉じ込められた7人の男女。彼らは「七つの大罪」になぞった罪を犯している。 制限時間以内に誰か一人、死ぬやつに投票しろ。       ちなみに「七つの大罪」とはキリスト教の教えで、憤怒・傲慢・怠惰・色欲・暴食・嫉妬・強欲 の七つである。これを犯すと天国にいけないのだ。「いや、そんなの誰でも持ってるだろ」と考えたあなたは仏教徒である。もしくはちゃんとした現代的な倫理観を持っている人だ。欧米のキリスト教徒には割とまじで「人間は元々清廉潔白で、なにか悪いものを見たから悪くなるのだ」と信じている人が一定数いるらしい。  さて、七つの大罪はテーマやモチーフになりやすい。有名どころで言えば、デヴィッド・フィンチャーの『セブン』。みんなあのグランジなイントロだけ覚えてるけど本編は忘れた? これは七つの大罪に準えた殺人が起こる話だ。ブラッド・ピットの名演技を忘れるなかれ。日本の漫画『鋼の錬金術師』に登場するホムンクルスも七つの大罪をモチーフにしていたな。最近だとその名も『七つの大罪』という漫画が出てきた。で、今作もモチーフが「七つの大罪」なので、それぞれ動物のマスクを被っている。被った段階でデスゲームが始まるのだ。さて、肝心の罪はどういうものかと言えば 強欲ーー悪質な自己啓発セミナーで若者から金を騙しとった罪 から 傲慢ーーアイドル女優なのにブログで暴言を吐いた罪   まで振り幅がでかい。いや、かなりの振り幅だろ…… そんな、ブログでの暴言程度でデスゲームに巻き込まれるなら、僕は15回くらい参加する必要性が生まれるな。 ところで、デスゲーム映画の妙とは何だろう。 それは「不謹慎感」であると考える。 生死を賭けて遊ぶとか人命軽視以外の何者でもない。 倫理観が狂っている。 かなり非人道的だが、その背徳感が楽しいとも言えよう。 デスゲームの参加者は多くても少なくても構わない。ただ、『嘘喰い』のように「卓越した技巧」を見せられたり「巧妙に仕組まれた罠」が出てくるととても面白い。 もしくは『SAW』のようにバリエーションのある死を見せられても楽しい。   あとは、そうだな。 デスゲームの主催側を探るようなサスペンスがあると楽しい。 どっちにしろエクスプロイテーションムービーなんだから、楽しませる心意気がほしい。 そんな心意気は今作の『JUDGE』には感じられなかった。とりあえず、ルール説明だけする。   【ルール】 死ぬやつを投票で決める   うん、それだけ。   まず参加者は全員が素人だから、卓越した技巧とか心理戦は楽しめない。するとバリエーションのある死が見られるかと思いきやそうでもない。たったひとつの”毒死”という結末が何度も繰り返されるだけだ。 一連の流れはこう。   ・投票の結果、死ぬやつが決まる ・ウィィィィィィィィン ・「何これ、うそ!うそ!」 ・プシュッ ・バタン!ブルブル!   的な。 これを延々と繰り返すのだから見ていて「またか……」とうんざりしてくる。 みんな毒物を盛られて死ぬときの演技が同じだ。こう、喉を押さえて、倒れてのたうち回る感じ。そりゃあ、まあ、毒死の演技に大きな差があったら嫌だけどさ。 監督は『キスオブザドラゴン』のときのチェッキー・カリョを見倣ってほしいものだ。   そういえば途中、参加者の手錠が外される場面があった。このとき、もし「俺に投票した奴は殺す」と言い出すやつが現れたら、また、本当にそうするやつが現れたらどうするのだろうか分からなかった。 主催者側は主人公たち7人を拉致監禁、大げさなセット組んでそこにぶっ込むという凄まじい行動力があるにもかかわらず頭が足りていないらしい。     もう、ツッコミだすときりがない。   瀬戸康史演じる主人公(憤怒の罪)青年は「誰かに票が傾くから死ぬんだ。みんな、自己投票してください」と言い始める。するとみんな「自分だけ票が多かったらどうするんだ!」と怒り出してその提案を却下し始める。「じゃあ、全員、右隣の人に投票しましょう」と言えばいいのではないか。そしたらさ、みんな従うんじゃないの? 主人公も頭が足りていないんだな。     あとさっきも書いたけど、参加者の背負う罪がバラバラ過ぎる。 「一番重い罪の人を死刑にしましょう」というコンセプトなんだから、全員同じくらいの罪にしないと不平等が生じるだろう。少なくとも「巨額詐欺」と「ブログ炎上」が同じ土俵で語られるとかおかしすぎる。体重別ってわけじゃないけど、もっと近い重さに設定して欲しかった。 少なくとも「ブログ炎上」はバカっぽすぎるからダメだ。もっとも、傲慢の罪を背負った人物を演じたのが有村架純だから、あまりにも重い罪を設定されると事務所サイドからNGが出たのかもしれん。   いずれにせよ、半端な映画だ。   この映画の作成がデスゲームみたいなもんだったんだろうな。

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  • 05 Mar
    • 劇場版ちびまる子ちゃん イタリアからきた少年   飛び出すステレオタイプ

       『ちびまる子ちゃん』はフジテレビで放送中の国民的アニメである。ドラえもんやサザエさんとは違い、そこには等身大の小学生が描かれていることから小学生に多大な人気を誇る。     しかし、なにをいじっても『ちびまる子ちゃん』が劇場公開用のスケールを持てるとは思えない。劇場版一作目「大野くんと小杉くん」と二作目「私の好きな歌」は転校、結婚と子供からしたら一大イベントを描いたところでそれを乗り切った。   だが、もう、何もない。   「死別」は確実に無理だ。永遠にループする世界に身を置く彼らにとって前に進むこととはタブーでしかない。それは時間もそうだし、成長もそうだ。   さて、どうするべきか。   そこで製作陣が頭をひねって考えた。 「非日常に行くのではない。非日常が来ればいいのだ」 そこで生まれたのが今作。   『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』である。     どう見ても夏祭りの風景だが、公開時期はクリスマスに近い天皇誕生日である。   夏のアニメ漫画映画ラッシュに耐えきれないと思ったのか、勝負を避けた。   まあ、興行的判断は別に映画の内容に関係はしない。   いろいろな映画サイトでまずまずな評価を得た今作だが、そもそもこんな映画に興味を持つ人自体が『ちびまる子ちゃん』という作品に興味のある人で、まともな人は観ないからではないかと思っている。内輪だけの評価だ。   さて、あらすじ。   まる子の町に世界5カ国から子どもたちがやってくる。個性豊かな新しい仲間にクラスのみんなは興味津々で、まる子の家にもイタリアからきた男の子アンドレアがホームステイすることに。クラスメイトたちと一緒に大阪や京都などへ出かけ、楽しい日々を過ごすまる子。2人は一緒に行ったお祭りで「また会えますように」とそれぞれ願いごとをするが、やがてアンドレアとの別れの日が近づき……。   「また会えるかな」がテーマの今作だが、僕は断言できる。 絶対に会えない。      冒頭、まる子の夢の中から映画は始まる。カフカの『変身』みたいな出だしである。 そしてまる子は鼻ちょうちんを出しながら夢を見ている。古いな。 母親に起こされ、小学校にダッシュで行くまる子。 オープニング。 いつもの「おどるポンポコリン」がやたらギター響く曲調で流れる。劇場版だからって張り切ってるんですね。期待できそうだなあ(棒)  登校すると、お金持ちの花輪くんがまる子と級友のたまちゃんを呼び止める。曰く「今度、世界各国から小学5年生がうちに泊まりに来るんだ」 どうやら花輪家の財力でやってくるらしい。まあ、論理的整合生はある。 しかし、次の言葉が衝撃的だった。 「日本での生活を満喫するためによかったら泊めてやってくれ」   計画性のない奴だな。普通、そういうのはくる前に打診するもんだぞ。   花輪家に集合すると、世界各国の少年少女たちが集合していた。とりあえず、みんな少しだけ日本語が喋れるらしい。   左から   ブラジルから来た女の子、ジュリア イタリアから来た男の子、アンドレア 香港から来た女の子、シンニー ハワイから来た男の子、ネブ インドから来た男の子、シン アメリカから来た男の子、マーク     ステレオタイプにまみれている   わかりやすくするためにそうしたかったのかもしれないけど、これはやりすぎだ。   とくにジュリアに至っては何かあるたびに「サンバ!アミーゴ!」といって踊り出す。     こういうのって、結構今うるさいと思うんだけどどうなんだろう。バトルフィーバーとかGガンダムのころの価値観だよね。でも、漫画の神様、手塚治虫も「パロディの基本」って言っていたから、まあ、そんなもんか。   国際問題にならないことを切実に祈る。   さて、アンドレアはまる子に興味を示す。   まる子は地味に拒絶、でも「イタリアから来た少年」っつってんだからこいつが確実に泊まるんだろうなっていうのはわかる。   さて、家に帰って母親に打診をするまる子だが、両親から難色を示される。   「香港のシンニーちゃんに来てほしいなな。アンドレアは嫌だな」と呟くまる子。   そのまるで物を選ぶかのような物言いも嫌だけど、諌めない両親もどうかと思う。   だがしかし、案の定、アンドレアがやってきます。   だってタイトルに書いてあるし。     アンドレアはさくら家に10日間ホームステイすることに。   どうやらアンドレアは「まる子」という名前が祖父の「MARCO」と同じであるとして、まる子に興味を示したらしい。 よかったね、カツオじゃなくて。イタリアだとカツオは男根を意味するからね。 しかし、その大好きな祖父は既に鬼籍に入っているという。 アンドレアがいう。 「おじいちゃんは半年前に死んでしまいました」 少し話せるとは聞いたけど、よくまあ、完了形の文を使えるね。  で、おじいちゃんはカメラマンで戦後直後の日本を写真に撮って回ったのだとか。   この時点で開始から20分が経過しているが、まだとくにドラマが発生していない。   だが、そこにようやくドラマがぶっこまれる。 花輪くんが「今週末にどこかに旅行にでも行こう」と持ちかける。 こいつの計画性のなさが物語の進行に必要だということはわかった。 そこで「京都でどうか」という打診がなされるが、アンドレアが大阪にいきたいと言い出す。その様子から何か、大阪に思い入れがあるようだ。 大阪か、京都か。揉める一同。   ブラジル人少女、ジュリアが一言。   「OK!アミーゴ!私も大阪でーす」      いろいろとケチをつけさせてもらうが、これってうなぎ文だよね。     後輩「先輩、今日の昼飯なんにします?おれカツ丼」 先輩「おれはうなぎだな」   この場合、もちろんながら先輩は「おれはうなぎを選ぶ」という意味で言っているのだが、外国人からは「先輩がいきなりうなぎになった」と混乱するらしい。 日本語の曖昧性の象徴のような文だ。   それをいきなり使わないよね。 ジュリアは実は相当、日本語が話せるのではないかと推測される。     さくら家に戻ると、アンドレアが大阪にいきたい理由が発覚する。 どうやら祖父の知人が大阪に住んでいるらしいのだ。 「のんき屋呑兵衛」という居酒屋を営む夫婦なのだとか。 大阪の道頓堀に店を構えるが、今ではわからないという。 アンドレアくん、行動の原理は全て「祖父に繋がるもの」である。 よっぽど、おじいちゃんが好きだったんだね。   さて、結果的に京都チームと大阪チームに分かれて行動することに。   じゃあ、さっきの喧嘩のシーンの意味ってなんだったんだろうね。     大阪に到着する一同。   アンドレアがカバンから栓抜きを取り出す。それでまる子の額に痛恨の一撃! とはいかないが、時代設定的に70年代っぽいから本気でやるかと一瞬、どきっとした。 どうやら店の名前が書かれた栓抜きらしい。祖父の大切な形見なのだとか。   あのさ、形見を持ってくるっていうのはどうなのよ。万一、旅先で無くしたらあんた。 写真に撮ってくるとかでいいじゃん。   さて、そんなこんなしている内にコテコテの大阪弁の人にたこ焼きやに連れて行かれる一同。   ここでもステレオタイプに溢れた不自然な大阪が溢れる。だったらてめえらも三河弁で喋れや、と少し本気で思った。   たこ焼き食って、よしもとのお笑いを見て。 これはあれなのか、観光アニメなのか?   そして回り道をしている間にようやくドラマが発生。 「のんき屋呑兵衛がない」 そう、どこかに移転したらしいのだ。   道頓堀のお好み焼き屋に入って情報を聞く。 するとどうやら20年前に東京に行ったというのだ。 お好み焼き屋のおっさんたちがアンドレアを見て「マルコの孫か!?」と驚嘆。 どうやらマルコは戦後直後の日本を写真に収め続けていたのだそうだ。 パドリオ政権が日本に宣戦布告しているから日本からしたら一番の裏切り者だな。  ちなみに「のんき屋呑兵衛」の店主夫婦の名前はりょうさんとチエちゃんというらしい。現在は上野でスパゲッティ屋さんを経営しているのだとか。詳しい住所、店名、不明。まあでも、少しひねった名前なんだろうな。   目的を果たせずに静岡にもどった御一行様。   しっかし、子供用とはいえこいつら考えていることべっらべら喋るのな。 そのうち、頭の中で考えていることまでモノローグで出るんじゃなかろうか。 で、ずーっと何食べても「ボーノ!」とばかり言う。 この映画、アンドレア少年が日本語の意味を訪ねまくるシーンが繰り返されるんだけど、「おいしい」だけは誰も最後まで教えなかったんだよね。 そして「ボーニッシモ!」は出てこない。変化させろ。   さて、90分の映画の中半分が経過した頃に「そろそろお別れの時期だな」と唐突に帰りの話が出てくる。もちろん、冒頭の同じように花輪くんの家で「ホームパーティー」が出てきますよ。ちょっと早いけど、という。   レッツパーリー!   たまちゃんのパパがライカで愛娘を写真に収める。 多分、このおっさんの写真はスタッフロールで使われるんだろうな、などと思う。 アンドレアはたまちゃんのパパに「一枚撮らせてくれ」という。 どうやらアンドレアはまる子をフレームに収めたいのだという。 この意味ありげなシーン……。      まる子とアンドレアは灯籠流しのお祭りに行く。 灯籠流しのことも解説してくれるが、本当にいちいち解説が多い。鼻に付く。 まる子は「アンドレアと再開できるように」と書き、アンドレアは「まる子といつか再会できますように」と書いた。 流されていく灯篭は、徐々に離れていく。 「あー、灯篭が。これじゃまた会えなくなっちゃうじゃん」と悲しげなまる子。  当然、お祭りなので屋台もある。 屋台の前で大勢の野球部のせいで離れ離れになるアンドレアとまる子。 よく考えれば、迂回すれば再会は容易なんだけどなぜかアンドレアとまる子は人並みに突撃していく。 そしてアンドレアがひしとまる子の手をつかんだところで、流れる主題歌!   その主題歌が、まあ、すごい。   劇中の様子をそのまま歌っただけという歌。 まるで作文にそのまま歌をつけたかのような。 アホ向けなのだろうか。   アンドレアとまる子が手をつないだまま橋を歩く。 リア充爆発しろ。   アンドレア「僕は将来、カメラマンになりたいんだ」 まる子「あたしは漫画家になりたいんだ」       メタい。       そうしている内に別れの日。   涙を浮かべるさくら家の面々。まる子とおじいちゃんが羽田まで付き添うことに。 ちなみに調べてみたが、静岡県清水市から羽田空港まではバスで3時間かかる。 渋滞に巻き込まれないといいですね。   それぞれ世界各地に散るから、出発時間が異なる。 ハワイからきた少年に至っては空港で8時間も待つ羽目に。 アンドレアも5時間程度ある。 そこでまる子は閃いた。「空き時間を利用して上野に行こう!」 まあ、電車で40分くらいだからねえ。   上野で一生懸命になってスパゲッティ屋をさがす三人。 それはもう電話帳とか交番とかで大騒ぎ。 昔だからアナログな手法しか残っていないのだ。 そして物語上不要なギャグとか、いろいろなものを挟みつつ、見つからない! そう、見つからないのである。 アンドレアも諦めた。 ここで終わったらすごくいい話だったと思う。 ところがどうだ。 諦めた時に見つかったんだよね、スパゲッティ屋さんが。 その名も「マルコ」ってまんまじゃん。   アンドレア少年は店の人に栓抜きを見せる。 どうやら、これは「呑兵衛」の店主夫婦がマルコに「再会の時に」ということで渡したものだったらしい。 マルコの死を痛む一同。 祖父の足跡を必死こいて探したアンドレア少年の日本滞在期は終わった。     空港で訪れる別れ。 まる子は「いかないで」とボロボロ涙を流す。 だから思ったことをベラベラと話すな、と言いたい。 アンドレアはまる子に、祖父の形見の栓抜きを渡す。 まあ、預けてないから没収されちゃうしね。     再会を固く約束し、アンドレア少年は帰っていく。 ぶっちゃけ時間軸的にいつのことなのかわからないけど、多分、再会はありえないだろうな。 だって再会するということは「まる子が成長したとき」に起こるのだから。 すると永遠のループ構造が崩れてしまうのでありえない。   ごめんな、アンドレア。       というわけで『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』は10点満点でいうと3点である。 別に映画でやらなくていいだろ、という気持ちしか湧いてこない。   そもそも、ちびまる子ちゃんのファン以外は見ないだろうから別にどうてもいいんだぇどね。   間違えて見た人はご愁傷様!   作った奴らを街中で見かけたらケツに蹴りいれてやろうな!

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  • 08 Feb
    • ドクターストレンジ  MARVELの教科書的ヒーロー

      今年の目標は週1で映画を見ること。弐番です。     ドクターストレンジを見てきました。     MARVELヒーローの中でも特異な「魔術」を使うドクターストレンジ。   彼の登場は今後のMCU(マーベルシネマティックユニバース)に大きな影響を与えます。   なぜならドクターストレンジは多くのヒーローとは違う立場にいるからです。       MARVELヒーローと一言で言っても、能力の差がまちまちです。   そしてその能力によって彼らは活動内容が異なります。   アイアンマンは、パワードスーツで巨大な悪と戦います。       高出力のレーザーも使えますし、空も飛べる。スーパーヒーローです。   デアデビルは特殊能力こそあれど、身体能力は人間のままです。   かれはヘルズキッチンの悪人を裁くクライムファイターです。     じゃあドクターストレンジは?   スーパーヒーローです。彼は異次元からの脅威に対して地球を保護する、大きな存在す。   キャプテンアメリカとならんで、すべてのヒーローの尊敬を集めるヒーローのひとりです。   しかし、そんなドクターストレンジには話の展開上において不都合なところがあります。     強すぎる。   あまりにも強すぎて魔術師とかコズミックビーイングじゃないと相手になりません。   間違いなくデアデビルが相手にしているヴィラン(敵役)ならば指先一つで退治できます。   だから話の展開上、非常に都合が悪いのです。     ここで思い出してみましょう。   キャプテンアメリカ3/シビルウォー   アイアンマン陣営とキャプテンアメリカ陣営に別れて内戦を繰り広げた、あれ。   原作ではストレンジは「観察者」としてどちらの陣営につくこともありませんでした。   では映画では?       もう公開になっているので言いますが、実はストレンジはソー、ハルクとともにアスガルドに旅立ちます。   マイティーソー3/ラグナロク に行くためです。   ラグナロクとは神々の黄昏、すなわち終末を意味します。   アスガルドで行われる神々の戦争に、雷神と、緑色の化け物と、天才魔術師が参戦する。   なにその胸熱展開。   シビルウォーに参加れると都合の悪い3人をチャイチャイするという大人の事情かもしれませんが、かなり面白そうです。   ああ、楽しみすぎる。楽しみすぎる。         さて、映画の話に戻ります。   僕は今回、ディズニーの意図がはっきりわかりました。   冒頭、アベンジャーズの本拠地が映ります。上映後にそのことについて熱く解説するボーイと聞き流すガールを目にし、ボーイに激しく感情移入しました。 「ああ、ありましたよね!」と手を握りたくなりました。   マーベルシネマティックユニバース。 それに属する映画、ドラマは世界観を同じくする。 見れば見るほど知識が蓄積され、さらに世界に浸れる。 そして世界観を共有する人と、分かち合う楽しみが増える。   MCUとは広がり続ける内輪ネタです。   だから、あれやこれやを話し合い、予想しあい、盛り上がる。   もうね、虜です。   こうして僕たちはMCUに支配されていくのです。   万歳。

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  • 05 Jan
    • ホラーゲームの行く先とは pt2

      バイオハザード7があのような形をとったのは、「行き過ぎたアクション路線を捨てて、ホラーへ回帰する」意図があったと思います。 インタビューでも 川田 開発中の本編を僕自身がプレイしたとき、第1作『バイオハザード』に初めて触れたときの感覚を思い出させるものになったと感じました。原点回帰という意味ではなく、ホラーの本質について考え抜いた結果、初めて体験したときの感覚に行き着いたんです。主人公が戦闘のプロではなく、一般的な弱い人間であることも、恐怖を突き詰めた結果です。(引用元)  と触れている通り、最近のどの作品よりも「ホラー」を意識しているのだということがわかります。(ちなみに「主人公が普通のおっさん」というのはサイレントヒル1作目がそうですね)  ホラーへの回帰。 今後、ホラーゲームはどのような形態をとれば面白いのでしょうか。 僕はそこが「ストレスのかけ方」が鍵だと思います。  【ストレスのかけ方】 ホラーゲームでも「クロックタワー」は人々の記憶に残る作品でした。 それは操作性が独特だったからです。  マウスカーソルを合わせてクリックすることで対象を調べる、回避するなどのこのシステム。焦っているとカーソル操作が上手くいかなくてさらに焦り出す始末。操作性がすでにストレスだったわけです。 この操作性は初代バイオでも言えることで、あれはカメラが切り替わるから独特の「リモコン操作」でしたから慣れないうちはとてもストレスでした。 ところが、最近のゲームソフトは操作性にストレスを感じることがありません。それはホラーのストレスとはかけ離れたものだということを、理解したのでしょうかね。 ではどこに「ストレス」をかけるか。 僕は「空間」だと思います。 前述の「バイオショック」が素晴らしかったのは、それが「海底都市」という閉鎖空間を舞台にしていたことです。しかも敵のスプライサーたちは壁や天井を伝ってくるからどこからやってくるか分からない。これは戦闘中にとっても焦りますね。 閉鎖空間はとても「ストレス」です。SIRENもサイレントヒルも断絶された空間、ということで閉鎖空間を舞台にしていました。というかオープンフィールドだとホラーになりにくいのだと思います。(ダイイングライトはホラーなのか?) そう考えると、舞台になっていない閉鎖空間を考えれば新しいホラー作品が出来上がるはず。 たとえばジャングルなんかはいいかもしれません。 必然的に絵面がゲリラ戦のようになりますが、それでも今までにはなかったはず。 ホラー映画を見てみると案外参考になるかも。   ストレスとしては、主人公たちが抱える「ハンデ」というのも面白いかもしれません。 戦闘に慣れていない、とか、目が見えない、とか、敵がやたらと強い、とか。 そういったのが面白いのかもしれません。 なんらかのハンデがあれば、より行動に制約が出るはずです。  「何と戦うか」というのはさほどの問題ではないような気がします。 オカルトでもSFでも、その作品のカラーに合うようにバランスが取れていればいいわけですから。   ホラーゲームには期待したいんです。 そのためにも、バイオハザードには他を引っ張ってもらう役割をもっと果たしてほしいと外野ながらに思っています。

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  • 04 Jan
    • ホラーゲームの行く先とは pt1

      どうも。あけましておめでとうございます。弐番です。    バイオハザード7 レジデントイービル体験版をプレイして思いました。 「面白そうだけどこれでいいのか?」と。 というのも、今作が限りなく「サイレントヒル p.t」に近いと感じたからです。 むしろ、それは「ホラーゲーム」というジャンルがのびしろの問題なのかもしれません。  グラフィックが進化するほどに、ホラーゲームの範囲は広がりました。 こちら、ファミコンのホラーゲーム「スウィートホーム」。 伊丹十三の同名映画をゲーム化した作品で、完成度の高さから今でも多くのファンがいます。「バイオハザードの元ネタになったのでは?」と言われることも。 こちらPS4のホラーゲーム、「Until Dawn」。複雑なんだか単純なんだかよくわからないシステムで、多くの人を悩ませました。 ちなみにサスペンスみたいなものです。  とまあ長い時間をかけてホラーゲームは徐々に方向性が分かれて行きました。 純粋に「怖さ」を追求するもの、アクション要素が強くなっていくもの。 しかし作り手たちが「ホラー」を標榜するのであれば、それはホラーなのです。 そんなホラーゲームの金字塔「バイオハザード」。  バイオはバイオらしさを当分の間、追求していました。 しかし、その間他のメーカーたちは「他者との差があるホラー」を作り出そうと一生懸命でした。 精神的に来る「サイレントヒル」 オカルト的恐怖の「零」 素晴らしい世界観の「バイオショック」  などなど。 なによりも、バイオハザードが始めた「サバイバルホラー」がすでに「デッドスペース」という作品にその立場を取られてしまったのが問題です。デッドスペースは日本未発売なので知らない人も多いかと思いますが、非常に優れたホラーゲームで僕と弟は「進みたくねえ」とプレイ続行を躊躇するくらいの恐怖を覚えました。  デッドスペースはそんなバイオに敬意を表して宇宙ステーションの名前をあえて「石村」という日本語にしています。(劇中では声優さんが ISHIMURA と懸命に発音しています)  あなや。 独創性、においてはバイオはおいていかれてしまったのではないでしょうか。 6なんかは、一部では「ギアーズオブウォーのパクリではないか」とまで囁かれたほどです。 みんな「バイオだめかね」などと思っている中、過去作品のHDリメイクでお茶を濁し続ける中、「バイオハザード アンブレラコア」を発表。あまりの面白くなさに「てめえで追い討ちをかけに来たのか」と呆然とされるも、無名すぎて話題にも登らずくすぶったまま終了したわけです。 満を持して発表された新作「バイオハザード7 レジデントイービル」。 レジデントイービルとはバイオハザードの外国でのタイトルです。 意味としては「身近の悪意」とか「近しい邪悪」とか言ったものでしょうか。  あれ、この雰囲気知っているぞ。  P.T じゃね!?  いや、まあ、あばら家で人型の何かと遭遇するというのは昔からホラーにあること。 そして開発はおそらくp.t発表よりさらに前だと思います。まあ、たんなる偶然とみていいでしょう。ユーザーがどう感じるかは別ですが。  「ホラーゲーム」はどこに進むのか。 いや、進むべきなのか。  ゲームが多種多様となった今、あえて据え置き機でゲームを楽しむのは一部の物好きだけです。 そして物好きたちは目が肥えている。 そんな人たちを楽しませるにはどうすればいいのか、というのは皆で考えていることでしょう。 僕はここで、物好きの一人としてホラーゲームの行く先を考えてみました。 (後半に続く)

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  • 01 Jan
    • 「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」 無限に広がるハリポタフランチャイズ

      あけましておめでとうございます。今年29を迎える永遠の少年こと弐番です。  2016年は2015年に比べて劇場鑑賞した映画作品は少なかったのです。それはなんだか微妙な作品が多かったが故でございまする。「期待して見に行ってこれか」と何回思ったことか。特に「バットマン vs スーパーマン」と「スーサイドスクワッド」という爆弾はぼくの心に永遠に刻まれるでしょう。スーサイドスクワッドは会社を巻き込んだ「自殺」を興行的に始めていて「そこはスーサイドしなくてよいのでは?」とぼくを大いに悲しませたものでした。 ああ。ワーナーというアメコミ映画の大御所が見事に玉砕していく様を見るのは、なんだか老舗和菓子店が退廃の一途をたどるのを見ている感覚というか、子どもの頃大好きだったプロレスラーがジジイになってボコボコにされているのを見ている感覚というか、とにかく「あの頃のワーナーはないんだな」という喪失感だけは与えてくれました。むしろ、ワーナーは面白くもなんともないアメコミ映画を量産することでぼくたちに「早く大人になれ」と言いたいのかもしれません。だとしたらワーナーに言えることはただ一つ。「ハリポタのスピンオフを作っといて何を言うのか」ということだけです。   あらすじ魔法動物学者ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、魔法動物の調査と保護のためニューヨークを訪問する。ある日、彼の魔法のトランクが人間のものと取り違えられ、魔法動物たちが人間の世界に逃亡してしまう。街中がパニックに陥る中、ニュートはティナ(キャサリン・ウォーターストン)らと共に追跡を開始するが……。シネマトゥデイ より   今作、主人公のニュート・スキャマンダーはハリポタの世界において「教科書を作った人」という立場の人だったらしいです。ハリポタ劇中には孫が出てきて、みたいなところで一応は出てきてはいるんだけど本筋に強く絡むキャラクターではありませんでした。そんな彼がワーナーのドル箱シリーズの主役に設定された理由はただ一つ。 「原作者のお気に入りキャラクターだから」 だそうです。 手堅くまとまっていた作品なので、特に文句は言いたいわけではありません。 ただ僕はハリポタファンでなくても楽しめる、ということをもっと強調して宣伝すべきだと思っています。 このままだとハリポタの呪縛から抜けられない人のための作品、と思われてしまいます。  単体で見てもいい作品です。 今後も無限に広がるハリポタフランチャイズを支えていくでしょう。

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  • 17 Dec
    • 炎上商法の作法

       勝部元気という人がいる。Wikipediaによれば  早稲田大学社会科学部卒業。自身のブログで、子宮頸がん予防ワクチンを打ったレポートが話題となったことをきっかけに、論客としての活動を開始した[1][2]。専門はジェンダー論、現代社会論、教育論[1][2]。2014年9月現在で66の資格を所持している[1][2]。 という「フェミニスト論客」なのだそうだが、実態は僕に言わせれば 火だるまおじさん ということである。  勝部元気は炎上商法を狙おうとし、いろいろなことを言う。 例えば http://togetter.com/li/908061 とか http://togetter.com/li/1015452 なんかが代表的な例だ。 個々人でさっと読んでもらえればわかると思うが、この人、言っていることがいちいち的外れで面白い。今の所何一つとしてあっていないと思うんだけど、本人としては「僕は何一つ間違っていない」と思っているらしい。 僕はあえて勝部にいいたい。  あなたは炎上商法にむいていない ツイッターで反論してきた人をブロックしまくるのであれば、言論を司る「コラムニスト」などと名乗っていないで「ツイッター炎上マン」と名乗ればいい。自身の反論に眼を閉ざすのであれば、ツイッターなんかやめてどや顔でテレビにでまくればいい。 さて、日本だと炎上商法で有名なのは、ドキュメンタリー作家の森達也がいる。 森達也も結構な確率で炎上するんだけど、彼の場合は「確信犯的」に行っている。 大勢が「なんだと!」といって森達也の元に集まった結果、森達也の話を聞いて「それもあるかもな」と納得する。見事に手玉に取られている感じだ。だから僕は最近に至っては森達也がなにかいうたびに「多分、逆のことが言いたいんだろうな」と思うようにしている。 森達也の場合は、焚き火を熾してすぐに鎮火する感じと言えるだろう。 さすがに国語の教科書に文章が載るくらいだから言葉の使い方、論理的思考力はすぐれている。  一方の勝部はというと、自分でガソリンで火をつけている感じと言えるだろう。それで人を集めておいていざ鎮火しようとしたら、持っていた新たな火種に着火し大爆発を起こしている勢いだ。 今回の「【リオ五輪】フェミ「閉会式の制服JKは性的でヒドイ!」▶︎見ると性的興奮!制服大好き!▶︎削除▶︎乱交好き暴露▶︎日本死ね【炎上】」は見ていて非常に面白い。なんなら彼は自身の醜態と痴態をエンターテイメントとして晒しているのではないか、と思えてくる。え、違うの?   勝部元気はもっと炎上商法の作法を学んでから炎上してほしい。 そうじゃないと自身のHPはガンガン削れていくだけだから。  ↓僕個人がイメージする勝部元気のツイッターアカウント

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  • 06 Nov
    • ショーン・オブ・ザ・デッド

       ハロウィーンだということで(もう終わってるけど)、ショーン・オブ・ザ・デッドを見た。前に見たときは単にコメディだと思って見ていたけど実は相当に奥が深い作品だということに、最近気づいた。   あらすじロンドンの家電量販店に勤める冴えないショーンは、その無気力で煮え切らない態度ゆえにガールフレンドのリズから振られてしまう。意気消沈したショーンだが、翌日起きてみると街中にゾンビがあふれていることに気づき、母親とリズを助け出すため居候のエドと共に奮闘する。(Wikipediaより)  ●「ゾンビ」映画なのか?  海外ドラマ、ウォーキングデッドの存在が示す通り「ゾンビ」は今やジャンルとして定着した。ジョージ・A・ロメロが1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でモダンゾンビを開発してからすでに50年近くが経過し、78年に『ゾンビ』が世に出て以降、多くのゾンビ映画が世に送り出された。繰り返すが、ゾンビ映画は世に定着したと言ってもいいだろう。だが、「ゾンビ映画」という字面が想起させるのは「グロテスク」「低俗」といったものだろう。こいつの罪は非常に大きいと思っている。 ロメロが『ナイトオブザ〜』や『ゾンビ』で描いたゾンビは完全に、現代社会のメタファだった。暴徒や資本主義といったものをゾンビに乗せて描いているのだ。だから『ホテルルワンダ』の撮り方はゾンビ映画そのものだった。逆もまた有り得る。だが悲しいかな、世間の印象はそんなものを無視している。邦画の名作、『桐島、部活やめるってよ』のセリフの一節が物語る通りだ。 「ゾンビ映画なんて現実味がないだろ」 記憶ベースで申し訳ないが、ぶっちゃけそういった内容だった。誰もゾンビ映画を理解してくれないのだ。それは受けてだけでなく、作り手もまたそうだと思っている。「ゾンビ」という存在におんぶに抱っこしかダラシねぇ作品がはびこっている。そのくせ、ゾンビへのリスペクトが足りないという体たらくぶり。情けない。  だが、『ショーン・オブ・ザ・デッド』は違う。ロメロへのリスペクトを忘れずに、かつ「ゾンビ」という存在に寄りかかっていない。 ドラマがあり、面白さがある。 「銃がないイギリス」ならではの味もある。ギャグのセンスもあるし、もう、なんか、お腹いっぱいです。  ●名シーン 僕の選ぶシーンで好きなのはゾンビにレコードを投げつけるシーンだ。  先述の通り、英国には銃がない。だからレコードを投げつけよう、という考えなのだがこれがまあ、絶妙に面白い。どのレコードを投げるのか揉めながら投げつけるのだ。ゾンビ映画にあるまじき「牧歌的」な雰囲気。これはロメロの最初の方にも言えることなのだが、意外にもみんなのんびりしている。それがいかに大事なことか。ただグロければいいということではない。殺伐としすぎるのもだめだ。 どこか長閑な雰囲気があるからこそ、ゾンビ映画はさえるのだと思う。

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  • 30 Oct
    • 『ナポレオン・ダイナマイト』 田舎の高校生のダサい日常

       配給元であるFOXが日本での販売促進を狙い、『バス男 ナポレオン・ダイナマイト』という邦題をつけ後に謝罪する羽目に至った映画『ナポレオン・ダイナマイト』。 ある種の人たちに妙な人気が巻き起こった今作はぶっちゃけ「カルト映画」とも言える。   青春映画 田舎 ダサい高校生 というワードにピンときた人はきっと、田舎のノンビリした風景で高校生が甘酸っぱい青春を送る、という内容を思い描くだろう。 本作、ダサい高校生 ナポレオン・ダイナマイト による絶望的に緩い状況を描き出す。性格も登場人物も全てがダサい。何を伝えたいかといえばよくわからない。全編に散りばめられたオフビートな笑い。  そんな珍作、ナポレオン・ダイナマイトは400万円の制作費で40億円の売り上げを出すという鬼のようなコスパ映画だった。  【感想】 はじめて見た時、その下らなさに大笑いした。いわゆる気合の入ったコメディではなく、脱力系ながらしっかり笑える。 田舎っていうのは絶望的に何もない。でもそれに絶望するわけでもない。悩まないし、苦しまない。でもしっかりとストーリーがある。 これっていいよね。

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  • 16 Oct
    • 【勝手に分析】空手バカ一代

      格闘漫画はネタが尽きた、と思っているぼくがいる。 ぶっちゃけもう新規のネタというかコンセプトは存在しないと思っている。 格闘漫画好きとしてはそれは悲しい。 古今東西、あらゆる格闘漫画を分析してみようじゃないかという魂胆で始める。 第一回目は空手バカ一代   極真会館創設者である大山倍達を描いた実録格闘漫画! という触れ込みで9割はフィクションだった素敵な作品。そこらへんは割とどうでもいい。ぼくが気にしているのは「面白いかどうか」という点なのだから。 空手バカ一代は格闘漫画のパイオニア的存在だ。その後に多くの格闘漫画が続いた。では何が面白かったのか。確かめなくてはならない。  ○単純な憧れまず、本作を読んでいて思うのは「こんなに強い人がいるのか!」ということだ。さすがは名原作者、梶原一騎である。単純に強いだけでなく、乗り物酔いするとか、お金がなくて食い扶持に困る、とか弟子から月謝をとることにした!と清々しい顔で言わせてみるとか、なんか変にリアリティがある。まあ、格闘描写のところはそんなにリアリティないんだけど少しオーバーくらいがちょうどいいわけだったりする。子供達はこれを読んで「本物だ!」と信じたであろう。そしてそのシンプルな世界観と単純な強さに憧れを抱いたはずだ。聖書を読んでキリストに憧れても会えないけど、空手バカ一代を読んで大山倍達に憧れたら会えるのだ。画期的だよな、それ。しかし、単純な憧れを引き出すだけで面白い作品となったのだろうか。  ○怪獣対決おっさん同士の喧嘩をみても、何も面白くない。そこにリアルはあれども現実を超えたものが見えないからだ。そして空手バカ一代は面白い。どうしてか。先ほどの例と比べてみればわかるだろう。出てくる格闘家たちがすさまじく人間離れしているからに他ならない。そしてそれらが縦横無尽にページの中を駆け回っている。それって怪獣映画と同じ構図だと思う。「リアルにあった話ですよ」と謳っておいてこれをやるんだから、すごく太い神経で描いたとしか思えない。 しかし、何度でも言いたい。 やりすぎくらいがちょうどいい。見ていて面白いのはそれなのだ。リアルさで面白いやつってのはなかなか難しいんだぞ?  ○後世への影響というわけで、素性はわからないけどつよいおじさん達が大暴れするリアル寄りらしい空手バカ一代は怪獣映画と同じ構図で面白くなったということがわかった。実録に見せかけたフィクションとか梶原一騎も人が悪いもんである。後世の作品は「空手バカ一代」を目標にしたはずだ。むさ苦しくてつよい男達が跋扈する作品、それが「格闘漫画」となった。

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  • 02 Oct
    • スーサイドスクワッド 自殺しているのは会社の方だ

      映画、スーサイドスクワッドを見た。 監督デヴィッド・エアー脚本デヴィッド・エアー原作DCコミックス(各キャラクター)製作チャールズ・ローヴェンリチャード・サックル  あらすじ世界崩壊の危機が到来。政府は、最強のスナイパーであるデッドショット(ウィル・スミス)や、ジョーカー(ジャレッド・レトー)に夢中のハーレイ・クイン(マーゴット・ロビー)ら、服役中の悪党たちによる特殊部隊“スーサイド・スクワッド”を結成する。命令に背いた者、任務に失敗した者には、自爆装置が作動するという状況で、寄せ集めの悪党たちが戦いに挑む。   『BvS』でスーパーマンが活動停止。既存の戦力では食い止めようのない災害を食い止めるべく死んでもいい悪役を集めて特攻部隊を作った。 無茶をさせるから「スーサイドスクワッド」つまり自殺部隊。てな感じで予告編を見てもらえれば「面白そうじゃん!」と思える。だがこんなにポップな雰囲気は特にない。なんてったってあのデビッド・エアー監督作品である。ダークでシリアスな感じにきっとなっただろう。 しかし、配給元であるワーナーとしてはもっと明るくやりたかった。だから予告編を編集した会社に再編集させ、最終的に監督が編集したのとの折衷版を公開するという荒技を見せてくれたのだ。 はいはい、そうですかそうですか。 と映画を観終わった後に思う。ぶっちゃけそんなのどうでもいい。 というのも僕がこの映画に抱くポジティブな感想は二つしかなかったからだ。 1.マーゴットロビーがまじでかわいい2.カーラデルヴィーニュがエロい 以上が今作の良さであり、それ以外は酷かったと思ってもらえればいい。 これはそういう映画である。 ここから先はグダグダと書いていきたい。   ○焦り出すDC  一昔前はアメコミ映画といえばDCと言わんばかりのラインナップだった。ところが『アイアンマン』から始まるMCU(マーベルシネマティックユニバース)の一連の流れで、アメコミ映画といえばマーベルという感じになってきた。DCもなんとか頑張ってコミックスの映画化を続けるも非常に微妙なラインナップのおかげで影が薄くなるばかり。 そこに追い討ちのごとくマーベルの『アベンジャーズ』である。これがまあスマッシュヒット。ヒーローが集結して悪と戦うというコンセプトが思った以上に受けて、日本でもアメコミ映画がより一層浸透した。 焦り出したのはDCコミックスとワーナーブラザース。「ヒーロー集結なら負けてらんねえ。こっちにはジャスティス・リーグがあるんじゃい!」と意気込むDCコミックス。ジャスティスリーグはスーパーマンやバットマンたちが集結するというもの。それに準備するべく13年の『マンオブスティール』でスーパーマンをリブートさせるも駄作の烙印を押されてしまう。 なぜか。 ぼくは全ては「ダークナイトの呪縛」だと思っている。  ○ダークナイトの呪縛08年、DCコミックスとワーナーブラザースは傑作を世に送り出す。『ダークナイト』である。ハードでヘヴィな世界観は大人たちに大受け。ついには「これが作品賞にノミネートされないからアカデミー賞はダメなんだよ」という指摘まで出る始末。まさにアメコミ映画うんぬんではなく、映画としてみてもマジで面白かったのがダークナイトだった。繰り返すが、そのハードでヘヴィな世界観は大人向けだった。DCがその翌年に送り出した『ウォッチメン』もかなり政治的なヘヴィな映画だった。そう、彼らが送り出すアメコミ原作の映画はことごとく暗かった。  だから後続のアメコミ映画もなんとなく暗い作品が多かったのは否めない。そしてどこかで「暗ければ大人向け」という意識が蔓延していた。ぼくはそれをダークナイトの呪縛と呼んでいる。 人々の意識は「ダークナイトは最高のアメコミ映画だ」というとらわれ方をしていた。 しかし、2014年のある作品がそんな呪縛をといてくれた。   ガーディアンズオブギャラクシー  である。 この作品、はっきり言うなら記念碑的作品だ。 おもしろくおかしく感動できる 子供の頃SFに抱いたワクワクというものをもう一度、再認識させてくれた。 それってシリアスであるよりも難しいと、ぼくは思った。小細工の効かない勝負を挑むのは、技量のみが問われる。そして監督はその技量が、あった。 泥棒、アライグマ、樹木、殺し屋、破壊者 この寄せ集めたちが世界を救うという設定は、今回の『スーサイドスクワッド』に通じるものがある。ワルが世界を救う、というアレだ。 ていうか多分、狙ってる。そして狙いは外した。ブルズアイ、と行かなかったのだ。 ワーナーブラザースの誠実さが足りていないんだろうな、きっと。 ぼくはそう思っている。   「ウケ」だけを狙って作ろうとするから、そうなるんだよ。

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  • 22 Sep
    • BFG ビッグフレンドリージャイアント   巨人はビッグショーじゃないの?

      BFG ビッグフレンドリージャイアントを見てきた。公開日: 2016年9月17日 (日本)監督: スティーヴン・スピルバーグ原作者: ロアルド・ダール音楽: ジョン・ウィリアムズ脚本: メリッサ・マシスン  10歳の女の子ソフィー(ルビー・バーンヒル)は、ロンドンの児童養護施設で生活していた。寝付きの悪いソフィーが窓から夜の街を見ていると、身長約7メートルの巨人(マーク・ライランス)が出現し、彼女を巨人の国へ連れていく。巨人の名はBFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント。優しいBFGに、ソフィーは心を許すようになる。そして、子供たちに夢を吹き込む仕事をしているBFGと一緒に、ソフィーは夢の国へと向かう。  この作品、かなり最初の段階でソフィがBFGと出会う。いや、さすがに早すぎるだろ、と思うくらい早い。たとえば通常の脚本の場合は、 ソフィが巨人の気配を感じる、というシーンを何度か繰り返してBFGとの遭遇に至り巨人の国へ行く。もしくは孤児院の中を描いたり、その中での友情を描いたりしてからBFGとの遭遇を描くだろう。だが、今作はなんといきなり遭遇→巨人の国というぶっ飛ばし設定。しょうもないが「出会って5秒で巨人の国」という下ネタまで思いついた。うむ、実にしょうもない。  さて、肝心の巨人の国についてからなのだがそれが問題だった。 BFGをとりまく環境ソフィの背景BFGとソフィの関係 を描くんだけど、まあテンポが悪い。どんな映画でもまじめにみる僕だけど、途中から「早く終わらないかな」と本気で思った。ぶっちゃけもっと頑張れば30分は短くできた気がする。まじでそこだけなんとかして欲しかった。通常、ディレクターズカット版は未収録映像とか入れるから長くなるんだけど、今回の場合は短くしたディレクターズカット版を収録したDVDを作って欲しい。 ○人=マメ説 BFGは喋るのが苦手で、言い間違いをよくする。言い間違いすら「いいまつがい」と言っていた。それはほぼ日刊イトイ新聞の「言いまつがい」からの流用じゃないか? 金の言いまつがい (新潮文庫)637円Amazon BFGは知能が足りてないのか、幼少期において他者との交流が足りなかったのか語彙が貧困である。人のことをマメと呼称するのである。ああ、小さいからねと思うが人間様をマメと呼ぶとはいい度胸である。「オ・ヤサシ巨人」といわれるBFGも人間を見下していたのか。駆逐してやる、巨人め!と思うが、実はこれはシャレなのである。だがこのシャレの前には言語の壁が前に立つ。日本だとこのネタはわかりづらいが英語にするとわかる。 マメ BEANヒト HUMAN BEING で、BEINGとBEANをかけたギャグなんだけど日本人だとわからない。 ちなみに僕が最後にそのギャグを見かけたのはウォッチメンだった。 コメディアンの血液がついたバッヂをみたナイトオウルがロールシャッハと会話するところ。てことは2009年以来か。 Night Owl : Bean juice?Rorschach: Human being juice.  というわけで7年前のアクション映画以来のギャグを見られて良かった良かった。  ○イギリス軍 詳しい経緯は書けないが、今作ではイギリス軍が出てくる。 これはアメリカ軍ではまずかったろう。 もしアメリカ軍なら爆撃で全てが灰燼と化したはずだ。 ちなみにイギリス軍ということでステイサムの登場を期待したが出てこなかった。 それだけが残念である。   というわけでいろいろ面白かったBFG。 最後に僕が持っている画像の中で最も子供向けに近いステイサムの画像でお別れしよう。 ちなみにこれはワイルドカードの冒頭でのステイサムである。 作品自体は1mmも子供向けではないのでご注意を。

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  • 18 Sep
    • SPY  おい、ビデオスルーじゃねえか

      SPY映画量産体制の昨年、僕がもっとも待ち望んでいた『SPY』は公開されることなく、ビデオスルーとなった。  SPY/スパイSpy監督ポール・フェイグ脚本ポール・フェイグ製作ポール・フェイグジェシー・ヘンダーソンピーター・チャーニンジェンノ・トッピング   『キングスマン』の劇中で言われていたように、スパイ映画の内容がシリアスになりすぎている気がする。そもそも、代名詞である「007シリーズ」がダニエルクレイグ主演になってからそう。「ボーンシリーズ」はいつまでもジェイソン・ボーンが大暴れしているし、『96時間』なんかも無茶苦茶シリアスだった。なんだろう、笑う余裕がない。まあビールでも飲みながらリラックスして見られる映画では、確かにない。鼻息を広げて眉間にしわ寄せてみるタイプの映画だね。戦争映画とおそらく似たテンションでみるのがいいのかな。そういうのが流行っていた。だからガイ・リッチーの「コードネームアンクル」は非常に良かった。夢のあるスパイ映画って素敵。これからスパイ映画ができるとしてももっと明るくて夢があるのがいいよね。僕はそういうのが見たい。 夢があるといえば、今作『SPY』も相当に夢がある。なんてったってCIAで裏方を勤めていたオバさんが現場で大活躍するというサクセス?ストーリーなのだから。 でもこの作品はパロディであると同時にしっかりとしたスパイ映画でもある。ジュードロウはどう見てもナポレオン・ソロかジェームズ・ボンドだし、ジェイソン・ステイサムはアメリカンエージェントって感じの荒くれたスパイを演じている。「新旧スパイ像」がそこには詰まっているけど、活躍するのはオバさん。それもキレイめなおばさんとかじゃなくて、太ったがちオバさん。スパイ道具に文句つけたり、上司の考えた自分の設定にぶーたれたりと単なるオバさんなんだけどそれがどんどん凶暴になっていく様は見ていて愉快。それでも最後はスカッとさせてくれて、監督は客のツボを抑えている人だと感じた。 ちなみに本作のステイサムは初期の頃のようなバカキャラを演じている。それが絶妙に面白くて僕たちが描いているステイサム像を知っているからこそ余計に笑えて仕方ない。「おれは175種類の毒に耐性を持つ」「左腕を切り落とされたから右腕でくっつけた」と大袈裟な事ばかりをいうステイサムの外しギャグは必見である。   ちなみに僕の中では「オバさん活躍映画」といえば今までは『ベイブ2』だったんだけど、それを更新した素晴らしい作品である。

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    • ブリッツ 懐かしき暴力刑事映画

      映画『ブリッツ』をネトフリで鑑賞。ここのところステイサムの映画ばかりみている僕だけど、今までのステイサム映画とは違うと感じた。  ブリッツBlitz監督エリオット・レスター脚本ネイサン・パーカー原作ケン・ブルーウン    最近は「刑事映画」が少なくなっている気がする。一昔前はたくさんあったのに。 スタローンの『コブラ』でしょ   シュワルツェネガーの『ゴリラ』もそうだし エディ・マーフィーの『ビバリーヒルズコップ』とか  ブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』もあったな。  メル・ギブソンとダニー・グローバーの『リーサルウェポン』とか ジャッキー・チェンの『香港国際警察』とか 日本だと武田鉄矢の『刑事物語』もあったね。  これらの作品に共通する点はたった一つ。 「暴力刑事」だということ。 規則なんか糞食らえ。悪人を逮捕できればそれでいいんじゃい、と言わんばかりに刑事がそこかしこで暴れている。映画の中だもの、破天荒な刑事を見たいよね。無論、今作『ブリッツ』もしかり。正義を愛する主人公は仲間思いで正義感が強いが、横暴で傲慢。まじで無茶苦茶。例えば、 情報屋の膝を痛めつけながら情報を聞き出す。その情報屋に酒をおごらせる。ちなみにお釣りは店員に勝手にあげちゃう。 自分を叩く新聞記者に手を上げる 他人の酒を勝手に飲む 車上荒らしの少年三人をホッケースティックでめったうち と、そんなレベル。 だからこそ、最高。古き良き暴力刑事映画万歳。   で、そんな感じだといつものステイサム映画で終わるんだけど今作はそこにとどまらない良さがある。 映像の取り方と演出に細かい工夫がなされていると思った。監督のエリオット・レスターはたぶん、90年代のフィンチャーの映画をオマージュしていると思う。画が『セブン』と『ファイトクラブ』に似ている。あとは、なんだろう、『タクシードライバー』かな。とにかくハリウッドのメインストリームとは違う絵作りを心がけているように思える。 その分、いつものステイサム映画だと思ってみると肩透かしを食らう。 それでも映画として面白いから、なんかついつい見入っちゃう。 暴力刑事映画というジャンルの再建に手を打ってくれたことについては大きく感謝したい。    ちなみにラストシーンで銃が構図によって違うというミスがある。 そういう細かい所をチェックできなかったのは痛い。

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ブログを始めて気づけば10年。 いろいろなことに出会いました。 これからも突っ走って書きたいと思...

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