独特のリズムで語られる不朽の名文③

 

3月24日(金)

 

それでは「現状公案」の第七段です。声を出してお読みください。(  )は現代訳(「現成公案解釈」弟子丸泰仙著、でしまるたいせん)。*は解説です。

 

身心を挙(こ)して色(しき)を見取し、身心を挙して声(しょう)を聴取するに、したしく会取(ういしう)すれども、かがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず、一方を証するときは一方はくらし。

 

(自己の身心を打ちこんで、外界の対象を見たり聴いたりして、身近に自分のものとして、その真相を会得したとしても、それは鏡に影が写ったり、水に月が映ったりするようにはっきり表現されるものではない。一つのことに徹底すれば、他の面は一つの面のなかに包蔵されて表現されないからよくわからない。)

 

*宇宙、全存在の真相を把握したと思っても、たとえば鏡に影が写ったり、水に月が映ったりするようにはっきりとは分かりません。「一方を証するときは一方はくらし」は、一つのことがはっきり分かっても、もう一方は裏に隠されているため、実際に真相のすべてを完全に把握したとはいえないのです。

 

哲学では認識する方が主観で、認識される側を客観としています。仏法ではその区分は迷いとして排斥されます。真実は主観でも客観でもなく、二者の一体とされます。見るものと見られるもの、聴くものと聞かれるもの、自己と対象は別個で二元的ではない、それが悟りです。

 

関連的に森信三先生です。「世の中の事はすべて一長一短で、両方よいことはない。哲学の最終的帰結も、宇宙間の万物は、全て絶大なる動的平衡(調和)によって保たれているーーという一事だといってよい。」

 

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独特のリズムで語られる不朽の名文②

 

3月23日(木)

 

道元禅師が説く前回の「不立文字」は文字や言語には頼らない、「教外別伝」は「仏心は心から心へ」で、悟りは文字や言葉ではなく、体験により師から弟子の心へ伝わるのが真髄だという意味です。

 

釈迦が摩訶迦葉に伝え、初祖達磨を経て六祖慧能(えのう)などの祖師へ引き嗣がれ、道元は師の如浄から「身心脱落、脱落身心」と伝えられることで師と一体化し、悟りに到達したのです。

 

店の継承もかくありたいと願わずにはいられません。ひとことで一瞬の悟り(分かり合い)です。現実に専門店の継承は難しい問題ですが、変化の激しい今日では後継者の意志、考え方を尊重しなければなりません。

 

さて、高級呉服のゆたかやが誕生した背景、さらにその驚異的な成長要因を探りながら最終的に辿り着いたのが道元禅師です。堂平信也会長との媒介になったのが「正法眼蔵」による本質の究明です。

 

巡り巡って再び40数年前の出逢いの時に帰ったご縁の不可思議さを感じます。23年前の拙著「日本型専門店」で経営者のあるべき姿として紹介したのが「現成公案」(正法眼蔵)の一節です。

 

そのモデルになったのが堂平信也社長(ゆたかや)、武田豊子社長(きもの英)、芝田清次社長(叶匠寿庵)の創業者3名です。教えられた数々の教訓を今はただ懐かしく感謝するばかりです。

 

堂平会長ご夫妻とゆたかやの土壌からが生まれた「目配り・気配り・心配り」は、サービス業のみではなく、日本人の生き方の基本として生き続けていくことと確信します。

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「正法眼蔵」には何が書かれているのか?

 

3月22日(水)

 

自己の信念を貫き、何事も徹底する厳しい実践で堂平信也会長は「格調高く、気品に満ちあふれた」一流店づくりに挑戦したのです。その心は畢竟するに自己の本質を明らかにし、与えられた使命を果たしていくことです。

 

人としていかに生きるべきか、敢えて自らを逆境へ追い込み時代が求めるきものフアンづくり、店づくりに励み、商人の何かを求め続けてきたその姿を一人の行者になぞらえることができます。

 

行者が求めてきたのは、わが国の思想・哲学の上で最高位にあるとされてきた道元の哲理です。その中核になる「現成公案」の一節が人として、経営者が「生かされる本質」を伝えています。(後述)

 

「正法眼蔵」とは何かについて道元は自らが語っています。(小説「道元禅師」立松和平著)

 

「これまでの説法と、これからの説法を、題して『正法眼蔵』としましょう。釈尊が摩訶迦葉(まかかしょう)に正法を伝える時におっしゃいました。『吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無相の法門有り、不立文字(ふりゅうもじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、摩訶迦葉に付嘱す』。

 

正法眼蔵とは、釈尊のさとりそのものであり、誰にも動かしようのない絶対的な真理のことです。

 

眼蔵の『眼』とは照らすということで、『蔵』とはもちろん含蔵するということです。正法は絶対的な真理ですから、正法によって諸法を照らし、ありのままに物事を包みこんで余すところがないことを正法眼蔵というのですよ。これこそが仏法を指す名です。」

 

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モノが売れない時代だからこそ

 

3月21日(火)

 

モノが売れない社会だからこそ、譲道すなわち譲り合い、助け合いの理念を現場へ浸透するために必要とされるのが「目配り・気配り・心配り」の徹底です。まずはみんなで実践することです。

 

「顧客満足」(CS)を追求しそれぞれの地域で一流を目指す共創グループとして誕生した「和道経営の会」が大切にしたいのは、「あすこそは」(寺田一清先生の提唱)と共に「目配り・気配り・心配り」の実践です。

 

真田幸村を生んだ上田の大地で育まれた「目配り・気配り・心配り」は、日本の商人が誇る「霊性」として生き続けます。ゆたかやの社員、各地の門下生はもとより、多くの人々を育んでいく力になるに違いありません。

 

未来へ向け新しい縁を呼び、縁を深める直感的叡智でもあります。たった一度の優しい目配りで心を救われる人がいるかも分かりません。幸運を運んでくれる因縁になるかもしれません。

 

あるいはちょっとした気配りで困っている人を勇気づけることになるかもしれません。優しい心配りから笑顔が生まれ、人生を変える契機になることが起きるかもしれません。

 

すべては言葉(理屈)ではなく、「行い」にあります。明日から、否今日から仕事はもとより、生活の中で実践していきたいのです。実践していくことが自分を変える手がかりになるに違いありません。

 

モノが売れない時代だからこそ人として認め合うことが大事になってくるのです。お互いが幸せを求め、助け合い、譲り合っていくことが必要な社会がやってきたのです。

 

初めから道があったわけではない!

 

3月20日(月)春分の日。

 

きもの専門店として比類のない業績を実現しながら、チェーン化の戦略を選択しなかったのは高級専門店としての必然であり、創業者ご夫妻の並み外れた人間力の故に他なりません。

 

ご夫妻の深い愛情に育まれた二人のお嬢さんはそれぞれの道を選択し、幸せな人生、社会に役立つ人生を歩んでいます。かつて久子奥様が話しておられたことを想い出します。

 

「店へ出ていても、娘たちが学校から帰る時間には必ず家へ帰り、出迎えてその日の出来事を聞くようにしています。母親の勤めですから」と。子どもは母親の愛情に包まれて育っていくのです。

 

「初めから道があったわけではない。人が歩いていく中で道は開かれていく」は同会長のお好きな魯迅の言葉です。まさに自らが独自の道を拓いてきたようにお嬢さんも独自の道を拓いているのです。

 

社長を退いて「死に仕度いたせいたせと桜かな」と綴る同氏の心境は今やすべてを超越し、「悟り」にも似た境地ではないでしょうか。悟りは論理的理解ではなく直感的洞察で、まさに「忽然(こつぜん)として悟道す」(渓声山色)とされています。

 

直感的洞察により新しい世界が開けてくると推察します。同会長は「直感的洞察」を「動物的カン」と呼んでいました。

 

人間はいのちある限り、生きていくことがすなわち修業であり、学びが止むことはありません。悟っては悩み、悩んでまた悟る、これが道元の「道環」です。休んでいる暇はなく、永遠に修業が続きます。

 

経営者のいのちは「言葉より行い」

 

3月17日(金)

 

堂平会長は「経営者の心構え」を研修生に伝えています。

 

「現場主義を貫き、変化に適応するため徹底的に勉強する(それを己の哲学、信条としてまとめる)、そしてどこまでも謙虚であり続けることがトップの要諦だ」と。

 

経営者として自分への厳しさは、人間のいのちが有限であるように、「どんな店も必ず潰れる!」ことを知っているからです。この自覚がゆたかや創造への原動力になったに違いありません。

 

「念々死を覚悟して真の生となる」は森信三先生。桜が美しいのは、やがて散りゆく美しさを知っているからです。散りゆく桜を見て良寛さんは「散る桜、残る桜も散る桜」と。自然の法則で桜は必ず散るから美しいのです。

 

そうした自覚が自らの至らなさ、謙虚さを教えてくれます。まさに「正法眼蔵」の中核である「現成公案」の「人の死ぬるのち、さらに生とならず」、私たちは死んだらこの人生は終わりなのです。

 

堂平会長には今も毎年お逢いさせていただき、特に経営者は「言葉より行い」が命だという真理を示唆されます。後継社長を小川信善氏に託されてから(平成15年)、ご夫妻はものの見事に現場から姿を消し、以来すっかり慈顔が定着してきた感があります。                                         

 

店を託した以上は小川信善社長がやりやすくなるようにと配慮されてのことでしょう。しかし後を任された同社長にすれば、比類なき「ゆたかやの継承」は並大抵の難事ではなく、まさに人間として、経営者として真剣勝負の日々が続いているものと思います。

 

親しく学ぶ媒介は道元禅師に学びたい!

 

3月16日(木)

 

人生、商売を親しく話し合いさせていただく契機になったのは道元に学びたいという純粋な気持ち。その始まりは道元禅師の「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)だったのです。「正法眼蔵」は手も足も出ない極めて難解な書です。

 

しかし、その独特のことばづかい、深い哲理、発想力などが多くの人々を魅了してきたのです。西洋の学者には道元を読みたいから日本語を学ぶ人がいるといわれたほどです。

 

人間の生命は大宇宙の生命である、「天地同根、万物一体」(人間と宇宙は一体である)であり、他人の生命も宇宙の生命。自分の中に宇宙が潜んでいるように他人にも宇宙がいるのです。

 

これを悟るには「只管打坐」(ひたすら坐禅)あるのみと道元は説きます。分かりやすく言えば、常識を疑い、ゆき詰まったら、考えることを止める!そこには違った世界が見えてくるというのです。

 

堂平社長の厳しい眼が道元の話になると慈眼に変わったのです。まさに「愛語よく回天の力あり」(人を思いやる心です)。自分も他人も根っこは同じだ、その思いやりから「愛語」が生れます。

 

同会長は若い頃から道元が肌に合い、お好きな様子でした。何事も肌に合う、相性がよいかどうかが重要です。「正法眼蔵」は難解でも道元語録の「正法眼蔵随聞記」(懐奘編)は分かり易く、その真髄に変わりはありません。

 

余談ながら二歳年長の懐奘(えじょう)と道元との出逢い、さらに懐奘が37歳で弟子入りするまでの4日間の壮絶な問答は小説「道元禅師」(立松和平著)に生々しく描かれ、全巻を貫くハイライトのひとつになっています。

 

師匠は門下生のやる気を喚起する!

 

3月15日(水)

 

「れいけいブログ」は良かれ悪しかれ堂平信也会長の激励の賜物です。

 

「れいけいブログ」で「ゆたかや成長の真実」を考えてみたいので、ご了解をいただきたい旨のお願いをしました。同会長には「れいけいブログ」を始めて以来(2001年8月)、熱心に心を傾けていただいてきました。

 

本ブログを継続してきたのは同会長の「無言の激励」、あるときは貴重なアドバイスに支えられたおかげです。やる気を喚起するのが人生の師!「無言の激励」には絶対的な響きがあります。

 

今回のテーマ、「ゆたかや物語」を始めて二週間ほど経った頃に連絡をいただき、「取り上げていただき有り難いが、今はもう恥ずかしくてならないから、早く終了してほしい」との感想をいただきました。

 

「お気持ちは分からないではありませんが、知っている限りの事実をお伝えし若い経営者のヤル気を喚起したいので」と、不承不承ながら改めて了解をいただきました。

 

ゆたかや成長の秘密は「創業の10年間」にあると確信しています。残念ながら筆者が高級呉服ゆたかやの躍進に気づいたのは、まさに創業の10年直後だったのです。その時すでに同店は比類のない高級専門店として注目され、同社長が類いまれな厳しい経営者であることが噂になっていたのです。

 

その社長が弊社「友の会」研究会に参加されたのですからビックリです。早速訪問して店内を見学させていただき、店の偉容さに驚きつつきもの専門店の何かを学び、経営者として、商人として生きる道を研究させていただくことになったのです。

 

店は経営者の人格以上には伸びない!

 

3月14日(火)ホワイトデー。

 

ゆたかやOB会(平成15年8月5日・6日)で修業生を前に、堂平氏は経営者としての体験を語り、最後に次のように述べています。

 

「店は経営者の人格以上には伸びない。企業理念、哲学をもった経営者の理念や哲学が全社員に浸透している店ほど強いようです。

 

本当に強い店というのは企業理念・哲学を全員が理解消化し、常にそれを念頭において日常業務に携わっていることです。・・・経営者の哲学を理解せずに企業理念の本質を消化、咀嚼することはできないのです。

 

人の上に立つ以上は勉強しなければなりません。水戸黄門の言葉であるが、『上怠れば下乱れる』。トップは健康で元気でないといけない。そして判断を下すときは1.権力欲 2.名誉欲 3.金銭欲を持ってはいけないのです。

 

経営トップの仕事はピンと旗を立てることです。それで社員が安心する。こうした旗になるだけで良いのです。・・・『専門店とは何だろう』と問い直した某経営者が出した答が『小さくてもいいから強く、たくましく永続する店』。

 

経営規模の拡大、競争より『社員とその家族の幸福、そして顧客と社会へ貢献』という価値観に目覚めたとき、『何をしなければならないかが見えてくる』と。

 

『かんてんぱぱ』で馴染みの寒天トップメーカー、伊那食品工業は参考になります。同社の社是は『いい会社をつくりましょう!たくましく・そしてやさしく!』で、いい会社とは取り巻くすべての人々が日常会話の中で『いい会社だね』と言ってくださるような会社のことです。

 

参考にしてください。問題はいかに実行するかにかかっています。」

 

踊りの名手も一日休めば下手になる!

 

3月13日(月)

 

「目配り・気配り・心配り」こそ「商いのすべて」という立松晴康(立花屋社長)が特に印象深いと思う教えの数々です。

 

1. 帝王学の「師をもつ」大切さ。最高の師に巡り会えたことに感謝しています。帝王学の原理原則とは生き方、商売の在り方の判断基準です。

 

 ① 原理原則を教えてもらう師をもつ

 ② 直言してくれる側近をもつ

 ③ 良き幕賓をもつこと

 

2. ゆたかやの社訓です。

 

1. 正直であってください。

2. 円満な人格者であってください。

3. 何事にも積極的であってください。

 

3.「まだ足りぬ 踊り踊りてあの世まで」(六代目尾上菊五郎、辞世の句)

  天性の踊りの名手も一日休めば下手になることが翌日には分かる。何事も 

  基本が大切なことを示唆してくれます。

 

4. 柳生家の家訓

 

「大農は草を見ずして草を刈り、中農は草を見て草をかり、小農は草を見て草を刈らず」

 

5. 山本五十六元帥

「やって見せ、言って聞かせて、させて見て、褒めてやらねば人は動かじ」