MATTのブログ ~ ニュース分析・政策・危機管理など ~

ジャーナリスト、パブリックアフェアーズ/危機管理コンサルタント、プレゼンコーチ、スピーチライター MATTのブログ。アメリカと日本を中心にニュース分析などを執筆します。元新聞記者。


テーマ:



学校






2013年度の不登校の小中学生は11万9617人で、前年度より約7千人も増加しています。不登校の数は20年前に顕在化してからというもの、10万人以上という高止まり状態が続いています。これについて、田中俊英氏は「教育システムの制度疲労が引き起こしている」とブログ で指摘していますが、私もその意見にまったく賛成です。






私の考えでは、現在の学校システムは日本では明治初頭に欧米諸国を見倣って導入されたもので、その形態が140年間、基本的に変わっていません。その形態とは、一人の教師が前方の黒板の前でしゃべり、大勢の生徒は各自の椅子におとなしく座って聴くというものです。つまり一斉授業ですね。





私語は禁止です。というより、生徒は基本的にしゃべってはいけません。この教育システムは、もともとイギリスが1870年に開始した公教育が始まりだったそうです。そこから考えると、145年間、変わっていない古いシステムなのです。









れが教育の唯一のシステムではありません。たとえば日本が江戸時代に行っていた寺子屋ですが、寺子屋では、何人もの生徒を前に同じ内容を同時に教える一斉授業ではなく、個別教授が原則でした。教科書も、一人ひとりの必要に応じて異なっていました。




もっと言えば、教える先生も、僧侶や女性、村で手のあいた人、旅歩きをしている人などさまざまでした。しかも、先生が強制的に教えるということはなく、全体的におおらかな学びの姿だったようです。その寺子屋のおかげで、江戸時代の日本の人々は、世界でも稀に見る高い識字率を誇っていました。


なぜ一斉授業が良かったか、長い間成功したのかというと、必要な知識、それも国家が一般国民に身に付けさせたい知識を効率的に教え込むのにもっとも効率が良かったからです。その背景にあったのは、19世紀の各国が直面していた産業革命に伴う殖産興業。つまり優良な工場労働者(または兵士)を多数生み出すのに都合が良い教育システムだったということでしょう。





19世紀当時は、どの国も教育のない農民ばかりでしたから、教育を受けて工場で働き、産業革命の担い手になることは、ある意味、新しい時代に合わせた進歩的な形態であったということができます。


しかしながら、現代の教育システムが、子供たちが社会に出たときに働くその職場環境に果たして合致しているのでしょうか。というか、親の世代からして、その親が働く職場環境は、もう日本の学校システムが想定するものとは大きく違ってきてしまっています。




つまり日本の労働者の大半はいまやオフィスで働くホワイトカラーであり、その割合は50%を超えています。そのうちの多くはコンピュータを扱い、製造ラインで黙々と黙って働くのではなく、さまざまな職種がチームを組んで、常に互いに相談、協議しながら目標を達成していくという働き方になっています。そのような人たちの割合は今後ますます増えていくことは間違いありません。というか、産業ロボットの導入や外国人労働者の移入により、日本人はますます頭を使う仕事、専門的な仕事に就かねばならなくなっていくわけです。



そこで必要なスキルとは何でしょうか。職場のチーム内で、ディスカッションし、コラボレーションしながら自分の担当領域の業務を進めていくスキルです。ゲーム開発や自動車の開発の仕事などを思い描けば良いかもしれません。職能の異なる人々からなるチーム内で、率直にディスカッションするスキル、協調していくスキルがないといけません。黙っていては駄目なのです。









コンピュータを扱うスキルはもちろん、電子メールでディスカッションするスキルも求められてきます。そして最後にその成果をチームとして社内または社外の顧客に対してプレゼンテーションして売り込まなければなりません。個人の能力が高いことも重要ですが、チームとしてその力をどのようにして最大限に発揮するのかが大事になってきます。つまり、チーム運営スキルやリーダーシップスキルも重要になってくるのです。


現在の学校で、果たしてこのようなスキルが養われているでしょうか。否というよりほかありません。なぜなら、日本の学校は明治期以来の一方通行型の一斉授業からほとんど変わっていないからです。




欧米諸国、たとえばアメリカではどうでしょうか。日本と同じと思ったら大間違いです。米国ではこの2030年間、経営学や教育学の新たな研究にしたがって、ものすごく小・中・高校・大学の教育方法を変革してきており、授業はディスカッションとグループワークが中心であり、必ず学期末テストではグループワークによるプレゼンテーションがついてきます。そしてよそのグループのプレゼンテーションを見て、どれが良かったかを考えさせ、場合により生徒も評点を行うわけです。




授業内では常にディスカッションを要求されますが、生徒側が黙ってしまうことはありません。なぜなら、ディスカッションへの積極的な参加態度(つまり自発的発言)が評点の対象となるからです。黙っていては点がもらえません。ある意味執拗なぐらい、発言して自分の意見を言うことを求められます。




テーマから離れたことを言ってしまっても、前向きなトライであれば、先生から怒られることはありません。日本人の私の目から見ても、授業中、こんなにがやがやと先生や生徒が無節操にしゃべっていて、進度が遅くならないのかと心配になるぐらいです。(だから数学の点数はアメリカ人より日本人のほうが高いのかもしれませんが)。



そして、アメリカの学校のグループワークでは、グループメンバーはみな同じ点数がつきます。どう見ても、これからの子どもたちが将来の職場で生かせるスキルを身に付けさせているのは、アメリカの教育のほうであると思えます。(日本の学校でもグループワークを増やす努力はしているのだとは思いますが、その程度が違います。)



もう一つ、アメリカの学校では、各教師が自分の部屋を持っているた

め、生徒が毎休憩時間、移動します。ランチはカフェテリアで好きなものを買って食べるか、家から持ってきたランチを食べます。だれと一緒に食べても自由です。もちろん一人で食べても構いません。



現在のホワイトカラー職場、とくにクリエイティブな職場環境では、労働者の自由(トイレに立つ自由、コンビニで買いものをする自由、コーヒーを入れて休憩室で飲む自由、ネットリサーチをする自由・・・)がありますね。どうでしょう。日本のシステムと比べると、アメリカのシステムのほうが、どう見ても、子供たちの将来の職場生活に合致しているように思えます。


それでは、問題の不登校ですが、本当に教育システムと関係があるのでしょうか。教育のシステムを変えれば、減らせるのでしょうか。私は全部というわけにはいかないでしょうが、大いに関係があると考えています。


それは、現在の学校で不適合を起こす子供が増えているのは、いわゆるアスペルガー症候群や自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)といった発達障害の子供たちが増えていることと関係が深いと思われるためです。ではなぜ発達障害の子供たちが増えているのか、です。



ここは議論百出して、まだ答えが出ていない問題ではありますが、一つ確実に言えることは、現代のクリエイティブな職場では、単調な工場労働などでは絶対に浮かばれなかったようなアスペルガーなどの傾向のある人が大活躍をしていることです。ビル・ゲイツ氏などが良い例です。シリコンバレーで企業を立ち上げて大成功した経営者にはアスペルガーの傾向のある人が非常に多いそうです。




俳優のトム・クルーズは自身が文字の読み書きができない学習障害であると表明していますし、「窓際のトットちゃん」で有名な黒柳徹子さんも、ADHD傾向と言われています。ですから普通の学校には適合できず、自由でのびのびした個人指導中心の「トモエ学園」でなら楽しく勉強ができたというわけです。




アスペルガーやADHDの人が多く成功している職業はほかにもたくさんあります。研究者・学者、警察官、新聞・雑誌の記者、作家、ジャーナリスト、カメラマン、テレビプロデューサー、映画監督、イラストレーター、漫画家、画家、建築関係、コンピュータ・プログラマー、CGアニメーター、デザイナー、調理師、自動車整備士、歯科技工士、電気技師、図書館司書、校正者などだと言われています。どうでしょうか。ホワイトカラーばかりではないですが、ある意味、専門性の高い職種ばかりであり、その人数は一昔前に比べると激増しています。


アメリカの研究者・学者の世界では、あまりサラリーマン的で、人間関係に煩わされているような後輩や弟子に対して、「もっと君もアスペルガーらしく(つまり夜も昼も忘れて研究に没頭し、それ以外のこと、たとえば人間関係にはこだわらないように)振舞ったらどうだ。でないと、ろくな研究などできないぞ」と言われることがあるのだそうです。




伝説の起業家と言われるピーター・ティール氏も、なぜアスペルガー傾向のある人がシリコンバレー型企業で成功しやすいかについて、「人に流されず自分の好きなことを徹底してやるところが、独創性につながる」ためだと言っています。



つまり、こういうことです。(1)現代の(欧米起源の)新たな産業革命では、とくにアスペルガー・ADHD傾向のある人が成功しやすい状況が生まれている。→(2)アスペルガー傾向のある人の成功者が増えた。(同時にその特徴が矯正されず逆に強化された。)→(3)そのアスペルガー傾向を遺伝子的に受け継いだ子供たちが増えた。→(4)そのアスペルガー傾向のある子供たちが旧態依然の学校に来てとくに不適合を起こしている。



アスペルガーの子供が増えているのは、ある意味、ダーウィンの言う「適者生存」です。時代が求める人物像が大きく変わってきているのに、学校システムだけが変われないため、不適合が増えているということです。学校システムだけが時代遅れ(適者不生存)になっているということです。



それでは、日本の学校システムの何が変わるべきなのでしょうか。まず、アメリカの学校の例で触れたようにディスカッションとグループワークの比率を圧倒的に高め、一方通行の教え込み型授業の割合を減らすことです。もう一つは、成果の報告形としてのプレゼンテーションを頻繁に導入することです。オンラインでのディスカッションも取り入れるべきでしょう。


また、生徒の自由を大幅に増やすことです。まず発言したいときにいつでも発言できる自由を保障し、それ(生徒の発言)を嫌がる風潮をなくすことです。学校内での移動の自由、休憩時間・昼食時間をどこで誰と過ごすのか、何を食べるのか、一人で過ごしてもよいのか、その自由を与えることです。嫌な奴といつでも同じ教室にいなければならないという拘束をなくしてあげることです。その拘束があるからこそ、生徒にとって学校は「監獄」にも似たものになってしまうのです。



さらに、生徒の特性や進度に合わせるため、できるだけ選択授業の幅を広げてあげることです。たとえば、生徒によっては、数学はものすごく得意でも、社会がとても苦手で関心が持ちにくい、という子供もいます。同じ歳の子供がすべての科目を同じ進度で学習するのは、無理があります。



もう一つ言えば、教師の側にできるだけ多様性を持たせるべきでしょう。日本の学校教育も画一的ですが、教師を養成する方法や指導方法も画一的です。もっと多様な出身を持つ、多様な教師をゲスト教師でも良いので揃えていただきたいものです。なぜなら、現在の子供たちが20年後、30年後に就くと考えられる職業は、現在存在していない職業である可能性がきわめて高いからです。子どもたちにはできるだけ多様な考え方を吸収し、考えてもらうことも大事だと思います。


もう一点は、アスペルガーやADHDの子供に対する特別なサポートです。たとえば、アスペルガーの子供たちは、「場の空気を読む」ことが苦手です。教師は「空気を読む」ことを生徒に期待せず、子供たちが求められていることを一つひとつ言葉で説明してあげることや、話し言葉だけで理解できにくい子供には、板書もしくはプリントで説明してあげるといった特別な配慮がますます求められていくでしょう。


それでも、学校の枠内にどうしても収まりきらない子供については、非常に伸び伸びしたフリースクールや、自宅で学習するホームスクーリング、あるいはその中間形も教育の一環として位置付けることが必要かもしれません。



















いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

MATTさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります