2014年10月31日(金) 15時08分07秒

インディアンとインディアンジュエリー その③

テーマ:ブログ

POWWOW



【インディアンとインディアンジュエリー】


↓セレモ二アルのPOWWOW


本日は前回の続きです!

1890~1900年あたりから1930年あたりまで

どのようにインディアンジュエリーが進化していくかを見ていきましょう

おさらいをしたい方はこちらからどうぞ!!

第一回⇒http://ameblo.jp/powwow-staff/day-20140830.html

第二回⇒http://ameblo.jp/powwow-staff/archive-201409.html  



まず当時のアメリカがどんな状況だったかをチェックしましょう!!


西部開拓が落ち着き、国内から国外へとアメリカさんの意識が移り始めます


そして時代は第二次産業革命真っただ中!!

1890年代から1917年に第一次大戦に参加するまで

アメリカは実に様々な国と戦争をし海外に領土を広げていった時期でもあります


特に一次大戦の特需もあり

1920年代は大量生産大量消費が始まります

思想、文学 ジェンダー 芸術 音楽

ありとあらゆる文化が花開き狂乱の時を迎えます

そして1929年には 世界恐慌が訪れるわけでございます


そんな中ネイティブアメリカンもインディアンジュエリーも

大きな時代の変化のうねりに

巻き込まれていきます~


↓↓↓

始まるよ~




●シルバースミス、ホピにも現る


シルバーの彫金技術はズニ族からホピ族へと伝わります


1898年、ズニから1stメサに住むSikyatalaというファーストマンに技術がつたわり

1904年までに2ndメサへ、1907年までに3rdメサへと広がりました

初期のホピジュエリーは、今の様なオーバーレイの形態を取らず

他の部族と同じようなスタイルでしたよ!


【メサ】とはホピ族が住む山のことです 

巨大なテーブルマウンテンの上にホピの村があります





●前の10年を引き継いだスタイル


1890年代のジュエリーは前回ご紹介したジュエリーたちと

基本的には大きく変わりませんが石がセッティングされた物が着実に増えてゆきます


彼らにとって大きな意味を持つ石・ターコイズはまだまだ供給不足

ネックレスやイヤリングを再利用することもありました


↓ナジャネックレス POWWOW



1900年までには新たなターコイズの鉱山も開かれ

より一層石のセッティングが盛んになっていきます


↓ジェイコブ・モーガン バングル POWWOW

インディアンジュエリーにおいて 1899年と1900年の間には大きな境界線があります

それまでインディアンジュエリーはどれも

ネイティブによるネイティブのためのジュエリーでした

(若しくは一部のノンネイティブのコレクターに向けたものでした)

1899年はジュエリーが南西部への観光業と商業主義的な関わりを持たない最後の年でした




●コマーシャリズムとの出会い


南西部がどんどん開かれた観光地になるにつれ

珍しい骨董としてのインディアンジュエリーへの注目もどんどん高まります


ナバホ自身も自分たちの作品が交易品として価値があることに気付き始めます

ネイティブアートへの商業的な魅力はトレーダーの目に留まり

彼らによって多くの素材や道具がローカルのネイティブ達にもたらされました


↓フレッドハーヴィースタイルの腕輪 コレクター様より拝借

薄く軽いシルバー、より簡易化されたもの、あからさまにインディアンっぽいデザイン・・・

トレーダーのリクエスト通りに制作すれば報酬も弾みます


今まで必死の苦労で作品をひねりだしていた事に比べれば

材料も道具も制作も報酬も簡単に手に入れられて、しかも早く安く作れる!!

そんな訳で白人が設計し、改変したジュエリーが沢山製造されはじめます




●フレッド・ハーヴィー・カンパニー


観光業に力を入れていたフレッド・ハーヴィー社はインディアンジュエリーの歴史に

決して消える事の無い軌跡を残します

もともとは鉄道の駅にレストランを出していたこの会社

当時の南西部の観光業をしょって立ったと言っても過言ではないほどの存在です


↓フレッドハーヴィースタイルジュエリー コレクター様より拝借


1900年代に入るとお土産品として、南西部のアイコンとして

労を惜しまずインディアンアートをプロモーションして行きます


↓グランドキャニオン ホピハウスとハーヴィーガール
 

非常に有名なものの一つにグランドキャニオンのホピハウスがありますね


ここだけでなく、自社の多くの店舗でネイティブを雇い

デモンストレーションをさせたり、お店に立たせたりしました



●大量生産品とイミテーション


↓コレクター様より拝借

フレッド・ハーヴィー社は

旅行用にシルバーワークの改変を進めました

売れたデザインは何度も再発注され、様々な商品に採用されました

売れる物だけ、人気のある物だけが残っていく構造です


また観光客だけでなく、多くのトレーダーとも大口の取引をしていました
あるトレーダーがインディアンジュエリーのメールオーダーなんていうのも始めました

一点もののイメージがある今では考えられませんが

カタログがありました・・・ジュエリーの・・



ノンネイティブによるインディアンスタイルのジュエリーの製造会社もありました(1910年頃)

↓フレッドハーヴィージュエリー コレクター様


こうしてネイティブアートの認知度が広まる傍ら

皮肉なことに、芸術品、ジュエリーとしての真正性は欠いてゆくことになります

これに危機感をもつ思慮深いネイティブの作家ももちろんいましたが

コマーシャルジュエリーを作る経験は

若い作家の卵にとってはトレーニングが出来る修行の場ともなりました




●プエブロ


コマーシャリズムが胎動し始めた当初

ビーズの形態に変化が生まれたり多少の変化はありましたが

いまだマイペースに 完全に手作業でビーズネックレスを作っていました


↓例) ジャクラスネックレス 


1910年~1920年代の作品からかなりの商業用作品が出てきます

サントドミンゴのサンダーバードのモザイクネックレスなどは特に有名です




●道具・工具


↓例) 縦じまのビーズも登場します 

商業ベースに乗ったことにより

1890年代から1910年にかけて良い工具が広まりました

今まで知恵と工夫して何とかしていたプロセスを

容易くスキップさせてくれました

(のこぎり、るつぼ、両脚コンパス、金切バサミなどなど・・・)


↓ゲイリー・リーブスの使用していた工具



営利用のローグレードのターコイズは

もとからカットと研磨がされていたので沢山出回りました!

一方でストーンワークの技術も上がって行きます


↓ゲイリー・リーブスの使用していた鏨

  


業務用のハンダやバーナーは

ブロウパイプで火力を調整していた頃に比べるともはや魔法の道具・・・

コインシルバーよりもシート状に初めから加工されたものが出回り

ベゼル、ワイヤーも出来上がった物の中から様々な種類とゲージが選べるようになります


↓ローリングミル


石や銀をカットするマシーン・銀やワイヤーを伸ばすローリングミルも使用され始めます


一方・・・・

もちろんスクラップや車の部品等によるお手製の手作り工具も健在でした






●アーティスティックな作品たち


大量生産品が出回る中でハンドメイドの洗練された作品も作られ続けました


↓アンソニー・ボウマンとジェニファー・カーティス POWWOW


特に1910年に入ってからは石の研磨技術やカッティング技術が進み

巨匠Fred Peshlakaiが若くして活躍を始めます


蛇足ですがこの頃~1940年代の作家の次の世代には

ケネス・ビゲイチャールズ・ロロマと言ったレジェンドが控えています

インディアンジュエリーがジュエリーたる地位を勝ち取っていく素晴しい時代です


↓デルバート・ゴードン POWWOW


工具や技術の飛躍的進歩のおかげもあり

マーケットに媚びないネイティブ独自のジュエリーが着々と進化します

ヴィクトリアンスタイルのジュエリーや


ヒスパニックから影響を受けたフィリグリーを取り入れる試みもみられました




●ズニのインレイ


↓綺麗なズニの湖

もともとモザイクが得意だったズニさんたち

1910年までには石のカットとシェイピングに重きをおいていたというから流石です!!

1920年代にはより手の込んだ技術とデザインでインレイをしています


↓リッケル&グレンドラ・ブークア POWWOW

1929年にはナバホの彫金技術とコラボ!

チャンネルインレイを生み出しております




●展示会とミュージアム


1922年は二つの大きなイベントが生まれました!


サンタフェ・インディアン・マーケットの先駆けとなる

【サウスウェスト・インディアン・フェア】


 

今でも同じ名称のまま存続する

【ギャラップ・インタートライバル・セレモニアル】

これらが開催され インディアンアートの展示と販売が行われました



1926年にはインディアンアートの支持者たちの手で

アリゾナのフラッグスタッフに

ミュージアム・オブ・ノーザン・アリゾナが創立

ここは今でもホピショーなど 大きな展示会を行なっています



1929年にはアリゾナのフェニックスに

インディアンアートの発展を目指しハード・ミュージアムも創立されます

毎年開かれるハードミュージアムのショーには今でも世界中からバイヤーが集まります



POWWOWも上記全てのショーに足を運んでおります~




歴史の話は次回で完結予定です


アンティークマニアの楽しみから

マーケットに躍り出て

イミテーションの安物というレッテルを乗り越え

今度はミュージアムからの支援を受けるまでに独自性を培い

のし上がってきたインディアンジュエリー


良くも悪くもインディアンアートとしてのイメージを世に広く認知させるに至ったのは

フレッドハーヴィ社の存在があったからでした


実はこの会社のインディアンアートを担当していたツートップは

ハイクオリティーの本物ジュエリーの収集もしていました

ちなみに・・・


アメリカが列強に名を連ね、大国として世界に力を発揮する一方

ネイティブの生活が潤うことはありませんでした


今もその名残はありますがインディアンウォーが終わっても

民族同化政策のもと、ドーズ法という悪法に縛られ

土地を奪われカルチャーまで消されかねないという

彼らの動揺は続きました



おまけ ●ルート66


古き良きアメリカのポップカルチャーがお好きなら

きっと憧れるこの響き・・・




ルート66も丁度このころ、1926年に正式に開設されたんですよ~

車社会のアメリカを横断する 長い長~いこの道路沿いに

沢山の文化が育まれ、今でもそっと愛されています



現在はインターステートが(Iー40といいます)この道にとって変わっておりますが

いつかアメリカで・・・時間と気持ちに余裕があったら

I-40と並んで横たわる ルート66を走って見てください!

この道からハンドルを切ればもうそこはインディアン・リザベーションです!!


↓ キレイ!!
 






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コメント

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4 ■Re:無題

>コヨーテ親父ゴンさん

こんにちは~!!
わたしも今回コレクターの方に見せて頂いたのが初めてでした!
凄くカワイイんですが、実物にお目にかかることはあまりないそうですね。。。

3 ■無題

おはるさん
今回も素晴らしい講義ありがとうございました
m(__)m。
ハーベイスタイル。
本を見ると犬のデザインも多く使われたようですね。
しかし日本では見たことがありません
(>_<)。
鳥やまんじや矢と異なり廃れてしまったのですかね?

2 ■Re:お疲れ様です(^-^ゞ

>Eagle・Dancerさん

有難うございます!
本当はもっと詳しくお話したいのですが・・・

次回もがんばります

1 ■お疲れ様です(^-^ゞ

これは、永久保存番だゎd=(^o^)=b

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