本 2017/Feb. 013

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健やかに安らかに
矢作 直樹
2016/08/25

印象に残った文章

はっきり言えることは、競争社会では、本当の幸せは得られないということです。

一生健康でいるための穏やかな気持ちでやる適度な運動と、競争心があってある一定期間過度にやるというのは、路線が違うということです。

しかし、本質的な自分の満足というものは、相対的なものではありません。
そうではなくて、この瞬間は絶対的なもので、自分とその瞬間の世界との関係が大切だと思います。

悩むのは、今を生きていないから。無心になりきれていないということです。あえていうと、われわれのやっていることなんて大したことないのですから。

どっちでもいいんだと言われると、はっとします。そうか、第三者から見れば、どっちでもいいんだ、大したことないんだと。

生きていくことが大変なのは間違いありません。生きるということは、ある種、修行の場ですね。この修行の場で、ゆとりを持って生きていく心得があるとすれば、それはバランスと中庸だと思います。バランス感覚を持って、中庸をとりながら中今を生きるということ。バランス、中庸、中今がキーワードと言えます。

よりよく生きるということを考えたとき、ポイントは、あまり考えすぎないということ、いろいろなことに執着しないというところにあると思います。また、つねに生き甲斐はなくさないようにしないといけませんね。

がんというのは、自分の中、あるいは外の要因によって、自分の体が反応した結果ですから、自分と闘ってはいけないわけです。そこからメッセージを得て、考え方や行動を是正していけばいいと思います。がんは、その名の毒を盛られたわけでも、何かを体内に入れられたわけでもありません。ですから、かんと闘うという表現派おかしいのです。なにか、自傷行為のような言葉にも聞こえます。

「どっちでもいいじゃない」と、気を楽に持つようにすると、ほかの人にも寛容になれると思います。そうすると、足るを知るとか、感謝の気持ちも自然に生まれてきます。意地の悪い言い方をすると、人には期待しないということです。

たぶん、一番簡単なのは、祈りが他者へ与える影響です。

人間、老いたときに大切なのは、気分よく、自立して生きていくということだと思います。

霊的なことを理解していないと、日本という国を理解することはできません。そして、そこが日本の素晴らしいところなのですが、多くの人はその意味を分かっていないように思います。天皇陛下が天皇陛下たる所以というか、天皇になられるときの神事で日本神界の神霊、天皇霊と一体となられ、それによって能力が開かれるということ。そういうことを含めて、なぜたったひとりの権威的象徴になれるのか、またなぜ、そういうものが日本に必要だったのかを理解できないと、日本の素晴らしさはわからないと思います。

ですから、この先戦争のない世の中にするために、今は世界がまだ戦争をしたがるレベルにあることを理解しないといけません。政治、経済、外交、軍事、歴史・地理、思想くらいはちゃんと教えて、考える頭を育てることが大切だと思います。

徳は、日々できることをやっていく中で、人の役に立ったり、社会の役に立って積んでいったりしたものですから。もちろん、社会の一部として、起業の一パーツである以上、目標に合わせた働きは必要ですが、個々人としては、日々をしっかりと過ごして入れば目標の設定は必要ないということです。

普通はベールの向こう側が見えないので、ポイントは、そのプロセスへの不安、向こう側への不安、残されたものへの気持ち、の3つだと思います。死というものへの不安を解消するためには、どれも心配ないと信じる妄想をいだいてみること、そこに尽きると思います。

今は、学校教育で高天原(日本神界の神々のおわす次元)のことは教えません。これは、問題です。最低でも古事記、日本書紀くらいは、教えないといけないんじゃないでしょうか。多少のデフォルメはあるとしても、表向き、一番古い歴史の書なのですから。
こうした歴史を正しく伝えないということは、日本人の体にも影響しています。なんといっても、体を動かしているのは魂(意識体)ですから。体は単なる乗り物なのです。歴史に関して言えば、最低限基礎を理解すればいいと思います。もし、すべての生徒がその内容を素直に受け入れられるのであれば、授業も、より実のあるものになると思います。そうすれば、感謝の気持ちや足るを知るという意味がわかる。平和な心持ちになれるでしょう。

心の持ちようひとつ。ストレスは、外からくるものもあれば、中から来るものもありますけれど、外から来るものを自分の心でうまく受け止めれば、他者に影響を受けないということですから。ストレスを感じないよりも、ひとつ意識が進化しているということだとおもいます。たぶん、ストレスのない生活を送ってしまうと、逆に進歩がなくなってしまうのでしょう。



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本 2017/Feb. 012

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人生は、約束
矢作 直樹
2016/05/20

印象に残った文章

自分の存在意義に疑問を持ち、延々と自分探しを続け、生きている理由は何かと悩む人がいますが、存在意義の有無を問う必要はありません。
存在意義というものは、この世に生まれた全員にあるからです。

そこで思ったのは、何かを続けると、その先にあるもの、その先で得られるものは、あちらの世界で約束したものではないのだろうか、ということです。
でも、見えない約束に執着しないこと。
毎日の生活で「得る」もの、ふと「気づく」もの、そこで「学ぶ」もの。
私たちがあちらの世界で交わした約束とは、そういうものだと思います。

「光が強ければ強いほど、その影も濃くなる」

すべては必然として起きています。私もあなたもこの世界に必然として存在じす。極論すれば枯葉が落ちるその刹那でさえ必然の産物です。
出来事に良し悪しはありません。
良し悪しというのは、そのときの「心の状態」で決まります。時間が経つことで、あるいは視点を変えることで、良し悪しが入れ替わることもあります。

弱点だと思っていることでも、応用によっては武器に変わります。弱点は生まれながらの約束だからと、黙ってしたがうことはありません。

成長しなければ、感謝の気持ちが持てません。感謝の気持ちがないと、先で同じことを繰り返します。だから「この世は学びであり、すべては自分の約束」と客観視すること。これが成長です。
問題や難題が約束であり、避けられないことであるのなら、そこで訪れる学びも約束です。つまり、どこかに出口があるはず。

しかし物と違ってら早めに手放すことが望ましい「もの」もあります。
それは「嫌な思い(不機嫌な感情)」です。

あえて申し上げると、夢中になる、熱中できるものを見つけること。
それでも「嫌な思い」が完璧に消えることはないかもしれませんが、夢中になれること、熱中できるものができると、人は視点が変わります。

「私たちは何も所有できない、この世で得られるのは経験だけ」 「この世で変わらないものはない、すべて変化する」
この二つは、時間という「一方通行の概念」を中心とした三次元の世界で暮らす上での約束だと、私は常々感じます。

ポイントは、自分の気持ちをできるだけ落ち着かせ、平常時の気持ちを保つこと。これができれはトラブルに見舞われても焦らずに対処できます。

ダメコン(ダメージ・コントロール)とは、何か被害を受けた後、そのマイナスを最小限に抑え込む対処法です。

①ある程度、想定(心構え)する
②心理面での回避法を知る

感性は持って生まれたものもありますが、自分が思考や行動を変えることで身につくものも、たくさんあります。

プロセスにこだわるというのは、自分が熱中すること、夢中になれることに没頭した状態であり、最も大切な時間です。

言葉は「言霊(ことだま)」と言われます。
言葉は「音」であり「意識」です。
二つが合わさったものが言霊です。言霊は、強いエネルギーであり、プラスにとマイナスにも力を発揮します。
言葉を慎重に選ばないといけないのは、そのためです。

なぜなら、自分が響く言葉には「(今生での)実行」と「手放し」の二種類があるからです。実行する約束なのか、あるいは手放す約束なのか。
どちらなのかは当事者が決めることです。

人間は一つの大きな存在(神)から分かれた「分魂(分け御霊・分霊)」であり、この世に誕生して各人が生を経験し、気づき、学び、期限が来ると「学びのデータ」を携えて元いた世界へと帰還する。これがライフ・サイクルです。

「日本人はお辞儀をすることで、おたがいの気を読んでいます」

孤独というのは、自分と違うエネルギーを感じている状態です。

思いのエネルギーには、同じものが引かれ合う、違うものが反発し合う、そんな二大法則以外に「出したものは元に戻る」というルールがあります。「人を呪わば穴二つ」です。

あなだが許せないと感じる状況で、果たして何に気づくのか。そこで感じたもの、得た学びこそ、最も重要な経験であり、許せない相手という存在はあなたの人生の約束そのものを変更、または破壊するほどの力はありません。

自分を知るというのは「ご縁を知る」ことではないでしょうか。
これまでのご縁を「振り返る、知る、感謝する」。
必要なのは、それだけです。

日本人だけが選ばれた民族、国家であるとは言いません。
でも私たち日本人は、その壮大な混流の歴史からも、柔軟な姿勢、柔軟な思想をもつことが可能です。世界を「良く変える」ためには、日本人の持つ調和、寛容、柔軟さや謙虚さを世界中の人に浸透させるのが早いと、本気で思っています。

そこで忘れてはならないこと。
それは「どんなときもお天道さまに背かない」という強い決意です。

私たちが今回の人生を送るに当たり、最も大切なのは「おかげさま、おたがいさまという感謝の心」であること、同時に「経験を通じた気づきと学び」であることを理解できれば、揉めるほどお金に執着しないはずです。




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本 2017/Feb. 011

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強烈なオヤジが高校も宿も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話
宝槻 泰伸
2014/08/31

すごくハチャメチャなオヤジさんだが、子どもの好奇心や興味をうまく引き出している。その当時の息子達の気持ちが書かれていて面白い。著者は長男の方だ。

印象に残った文章

失敗すること、逸脱すること、他人と異なること、そしてのめり込んでしまうことを恐れ、舗装された道のりを歩むよう子どもたちを管理する。そんな場面が目立ちはしないでしょうか。

「How to do」を知る前に「How to be」を考える機会が必要です。「どうやるか」よりも「動 どうあるか」を考えることです。そしてそれは、自分の価値観・世界観・人生観を育むことに他なりません。

価値観や世界観を育む、というのは一見難しいことに思えますが、やはり人との出会いがとても効果的。中でもロールモデルとの出会いは強力な機会になります。

百聞は一見に如かず。説明よりも体感を。

子どもの興味・やる気を引き出すために働きかける一方で、「待つ」という姿勢もとても大切だと思います。

そんなふうに、質問されたり解説されたりしながら、一つの映画についてそれぞれの意見や感想をぶつけ合います。たとえるならそれは、思いや違憲を言葉にする道場のようなもの。兄弟間での競争意識が強いので、われ先にと意見を口にしたものです。

また、「対話」というのは相手の意見にも耳を傾けるからこそ成立するもの。自分だけでは気づけないことを得る、とても有意義な機会となります。

教訓や視点を他人と共有し深めることには、学びのチャンスが眠っています。夫婦で、親子で、子ども同士で、日常的に「会話」をする時間は自然と訪れてきますが、積極的に「対話」の時間を作り出せるといいと思います。

ティーチングは「こちらが主人公」で、こちらの能力によって相手に変化を与えますが、コーチング・ファシリテーションは「相手が主人公」という視点を重視し、主体性を尊重し、こちらが教え込むよりも、相手が学び取ることを重視します。答えや気付きはすでに相手の心の中に眠っていいるが、それを独力では取り出すことが難しい時に、横から介添えをしてあげるように関わる、というイメージです。

授業をするのではなく、日常的に対話の機会を作り出し、コーチングやファシリテーションに徹することで、家庭内での教育的な親子関係を作り出せると思います。

学校(フォーマル)や家庭・地域(ノンフォーマル)意外で子どもが何かを学び取れば、それはインフォーマル・エデュケーションと呼ばれます。

この三つの教育の中でもっとも重視すべきは三つめのインフォーマル・エデュケーションです。日常の経験や環境から学び続けることこそが、二十一世紀を生きる私たちに求められていることだからです。

したがって極端に言えば、学校教育を通して個性を育むことはできません。個性を引き出すことは得意ではないといった方がいいかもしれません。

というのも、学校教育では学習に対する態度も評価の対象となってはいますが、実質的には知識・能力が評価の中心です。特に、いつまでに何も身につけさせるか、ということが重視されます。

本書のストーリーは「強烈なオヤジのぶっとんだ家庭教育」ではあるのですが、「基本的な読み書き計算能力の向上や、標準的な体験の獲得は学校に任せつつ、好奇心や探究心を育てる教育や、学校では得ることのできない体験学習を家庭の中で実践したストーリー」として、家庭でどんな教育を進めていったらいいか、その参考になるように書いたつもりです。


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