子育てエッセイ「ねっこ」~24年の足跡~

子育てエッセイ「ねっこ」~24年の足跡~

『子育てエッセイ「ねっこ」24年の足跡』は、全家研静岡支部の教育対話主事、佐藤郁先生が、会員の親向けに20年以上も書き継いでこられたエッセイです。このエッセイには、佐藤先生が長年の教師生活や支部の対話活動で出会った親子との貴重な体験の数々が書かれています。

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「先生。卒業して28年、子ども達40歳になったんですよ。

お母さん達が先生に会いたいんですって。」


当時のPTA役員さんからのお声がけで出かけて行きました。

懐かしいお母さん方のお顔が揃っていました。

当時の子どもたちのことが次から次へと語られていきました。


やんちゃでいたずら坊主だったシンヤ君のお母さんが話し始めました。

「シンヤは学校でのできごとを逐一話す子で、

それを聞くのがとっても楽しかったですよ。

でも、一度だけ息が止まるくらいにびっくりしたことがあったんです。

ある日、学校から帰ってきてシンヤがいきなりこう言ったんです。


『お母さん。ぼくを十箇月も【子宮】の中で育ててくれて、

そして産んでくれてありがとう。ほんとにありがとう。』


私は耳を疑いました。


『シキュー・・・シキュウ・・・』【子宮】という文字が

頭に浮かんでくるまで、随分時間がかかりました。

ええっ。子どもがなんでこんな言葉知ってるの・・・。

でも、シンヤの顔があまりに真剣で、


思わず抱きしめて『生まれてくれて、ありがとう。』って、言ってしまいました。


「私も、本当に驚きました。」

学級委員でしっかり者のアキコちゃんのお母さんも、口を開きました。


「『お母さん。先生がね。

女の子のお腹を叩いたり、蹴ったりしちゃいけないんだって言ったよ。


なぜかと言うと女の子のお腹には、【子宮】っていう

赤ちゃんが育つところがあるだからだって。

子どもの宮殿っていうように、温かくて柔らかくて

赤ちゃんが気持ちよく安全でいられるようになっているんだって。


だから、小さい時から大切にしなきゃいけないんだよ。


私も、お母さんの【子宮】の中で大きくなって生まれたんだよね。

私、女の子でよかった。』


私もびっくりしましたが、幼いながらも

命の誕生に心を動かしている娘が成長しているように思えて、嬉しかったです。」


この話には実は、前提となる出来事があったのです。

当時プロレスが大流行で、子ども達はよく教室や廊下で

体をぶつけ合っては戯れていました。女の子もよく加わっていました。


また喧嘩して口の方が達者な女の子が男の子を言い負かしそうになると、

男の子が手や足を出してしまうことがきになりました。


お腹を叩いたり蹴ったりすることが、どうしても許せなくて

「子宮」の話をしたのです。

言葉も漠然とでなく、はっきり言おうと思いました、。


「子宮」という言葉を卑猥なものと感じるのは大人の汚れた偏見で

こんなに美しく清らかなものはないと確信していたからです。


子ども達はみんな身動ぎもせず聞き入っていました。中には

「十箇月もお母さん大変だったんだね。」と涙ぐむ子もいました。

兄弟の多いミツオ君は一番下の妹がお母さんのお腹にいたことを覚えていました。


「お母さんのお腹はほんとに大きくてぱんぱんだったよ。お母さんがさわらせてくれたとき

中で赤ちゃんがぐいぐいって動いたよ。」


子ども達の心が大きく揺れた一時でした。


それ以降、少なくとも暴力的な喧嘩はなくなったと記憶しています。

お母さん達は子ども達が母親に優しくなったと言ってくれました。


シンヤ君のお母さんが「近所の若いお母さん方が子供から『死ね』だの『死んじまえ。』

と言われて本当に気が悪いとよく言いますよ。

その子たちに『子宮の話』をきかせたいと思いますね。」としみじみ話しました。


これは、28年前の話です。現在は当時よりはるかに命の重さが減っているような

気がしてなりません。

いじめによって自ら命を絶つ痛ましい子ども達、人を傷つけ追い詰めても

何ら心の痛みを感じない子ども達が何と多いことでしょう。


私達大人は、生命の誕生について、

もっと真摯に語りかけていかなければならないと考えています。


(平成24年11月 第241号)


全家研静岡支部 教育対話主事

佐藤 郁




 お母さん方とお話していると、気になる言葉を耳にすることがあります。それは「育てにくい子」という言葉です。「ほんとにこの子は、生まれた時から育てにくい子でした。夜泣きはするし、離乳食は食べないし、手をやきました。」とまあ、こんなふうに使われます。「育てにくい子」というのは、結局手のかかる子、親の思いどおりにならない子ということになるでしょうか。

 私も二人の子の親ですが、男の子のいたずらに頭を悩ましたり、思春期の女の子の訳もない不機嫌に閉口したり、子育ての悩みは尽きませんでした。でも、「育てにくい」と実感したことはなかったように思います。それは、親の思いどおりにならない子どもの常だと割りきっていたからでしょう。

 

シンヤ君という子は、確かに「育てにくい子」で、お母さんは大変だろうなあと思いました。シンヤ君は、幼稚園に入る時、小学校に入学する時、いつも泣いていたそうです。2年生の今も、事あるごとに朝泣いて送り出す訳です。「それで1日分のエネルギーを使い果たしてしまって、ぐったりします。」と、お母さんは話してくれました。「今朝は、運動会の練習があるからいやと言い出しました。泣いているうちに、今度は遅刻しそうと、新しく泣く種でさらに泣き続けたんです。思わず手が出て、顔をひっぱたいてしまいました。鼻血が、ぱあっと飛び散って・・・私って、虐待の母でしょうか。」

 涙声のお母さんに、私はこんなお話しをしました。「お母さん。本当に大変ですね。でもシンヤ君の泣くのは、彼の言葉ではないかと思います。泣くことで、何かを訴えているのでしょう。生まれてから今までに、何か母と子のつながりが細くなったようなことはありませんでしたか。お母さんは覚えておられないかもしれませんが、シンヤ君の心には、何か、こだわりというか、傷のようなものが残っていて、泣かずにはいられないのではないでしょうか。泣いた時、何を伝えたいのか、ちょっと心に寄り添ってみてください。」お母さんは、「思い当たることはないのですが、何とか心を聴きます。」と言ってくれました。

 一週間ほどして、シンヤ君のお母さんからまた電話がありました。「先生、これで3日、泣かずに学校へ行けました。物でつるのは邪道かもしれませんが、あの子から、『泣かないで学校行ったら、欲しいゲームソフト買ってくれる?』って言ったんです。」その時、お母さんは、こうも言っていました。思いがけず優しい声で、「いいよ。」と言ったんです。」その時、お母さんは、こうも言っていました。思いがけず優しい声で、「いいよ。」と言っていたそうです。「それは、先生から母子のつながりの問題と言ってもらったからです。今まで、この子が悪い、この子が私を苦しめるとばかり思っていたのが、ちょっと変わったんです。私にも何かがあるんだ、自分を見つめて、母子のこととして考えようと思ったんです。そうしたら、泣いているあの子を見ても、今までのように腹が立たないで、手を握ったり、背中をさすったりしていました。」それから数日もたたず、ゲームソフトの話が出たのでした。


 お母さんの心に生まれた変化は、いち早くシンヤ君の心に届いたようでした。そう簡単に問題解決という訳にはいかないとは思います。でも親が変わると何かが起こる・・・私は改めて、そう実感したのです。


(平成22年6月 第214号)





全家研静岡支部 教育対話主事

佐藤 郁


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 つい半年前まで、お母さんの背中に頬をつけて「お母さん。大好き。」と囁いていた可愛い息子。

その息子の口から、

 「うるせえぞ。ばばあ。ばかやろう。」

 という言葉が飛び出した時、広君のお母さんは、立っていられないほどのショックを受けたそうです。広君の最初の反抗期は、小学校5年生になって間もなく、突然やってきました。

 反抗期というものは、子供の成長にとって欠くことのできない大切な節目だと言われています。

2,3歳頃の体の自立、思春期からの心の自立、その真ん中にあって、家庭から仲間社会へ出て行く時、そのいずれもが、自己主張を強くすることで親と衝突しながら自分の存在をアピールし、自己を形成していくものです。親は、その過程を承知しているものの、いざ子供の変化に対面してみると、あわてふためき、戸惑い、そして悩みます。

 

 それまでが、お母さんの「よい子」であればあったほど、母親の受けた衝撃は強く、嘆きも深くなるものです。また、第1反抗期・中間反抗期がなく、いきなり思春期に現れる時は、とりわけ強烈に来ると聞きます。

 親の敷いたレールを拒否し、親が知らず知らず求めた「よい子」の殻を突き破って出ようともがくからなのです。大人に近づく第1歩として・・・。

 広君のお母さんは、悩みを抱えて相談に見えました。いろいろ伺ってみると、いくつかのことが見えてきました。まず、これが初めての反抗期だということ、今まで傍らに付ききりで勉強させてきたこと、お母さんも、お祖母さんも、結構口数が多く、指図することが多かったことが分かってきました。

 これは、まさに広君の自立の叫びだと、私は確信しました。大人の求める「よい子」に合わせていたら、もう自分の存在価値がなくなってしまうと、広君の深層にある心が声をあげたのです。


 私は、広君のお母さんに、こんなことをお願いしました。まず、できる限り、命令的な言い方や指図をしないこと。勉強も、向こうから尋ねないかぎり、自分でやらせること。どうしても注意しなければならない時は、こうしたほうがいいと思うよと意見を言い、広君の考えを求めるようにすること。つまり、広君が自分で考え、行動する範囲を広くすることをお話しました。

 広君のお母さんは、私のおすすめを実行することを迷っていました。特に勉強については、納得しかねるようでした。しかし、人間として大きなハードルを越えようとしている広君のために、家族みんなで話し合ってみると言ってくれました。

 今、幼い頃から、あれもこれもと身に付けさせようとし、ベルトコンベアに乗せ、親の思い通りの「よい子」に仕立てようとすることが、あまりに多過ぎはしないでしょうか。我が子のためにという大義名分のもとに、子供が自ら考え行動すること、つまり自分を創造していくことを、親が妨げてはいないでしょうか。反抗期の激しさの遠因がここにもあるような気がします。

 反抗期は、子供が一人の独立した人間であることを、親に再認識させる大切な機会であると、私は考えています。


(平成8年5月 第44号)



全家研静岡支部 教育対話主事

佐藤 郁


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「先生。毎月書いてこられて、書くことがなくて困るということ、ありませんでしたか。」

このお尋ねは、今まで何度となくいただいています。私はいつも、

大丈夫、書きたいことがたまっているんですよと、冗談半分にお答えしています。

これは、嘘ではありません。「ねっこ」の種帳にも、私の頭の中にも、1つ2つ、3つの

書きたいことが待っているのです。


 教師として歩いてきた道、全家研の教育対話主事として、数えきれないお母さんや

子ども達と触れ合ってきた場面、妻として母として、祖母として、また舅姑を看取ってきた嫁として、

家庭の中で生きてきた私の毎日。私が歩いてきた日々には、心を揺さぶられる人々の姿が、

無数に煌めいているからです。

 「ねっこ」という題名は、実は、静岡支部の先代の対話主事先生が名付けられたものなのです。

私は、お会いすることも、お話することもなかったのですが、引き継いで支部だよりとして、

書かせていただくことになりました。


 「ねっこ」・・・この名前からいろいろ考えました。100年以上生きてきたと言われる巨大な古木も、

風にそよぐ若木も、また今、芽を出したばかりの双葉も、みな根に支えられています。

植物でさえそうなのですから、私は人にも必ず根のように支えるものがあるに違いないと考えました。そしえ、それは、「心」そのものであろうと、自ら納得したのです。そして、この「ねっこ」を書く時、私自身が心を動かされたことを書こう、読んでくださる方々の心に迫るように書こうと、決意したのでした。

 筆を執り始めてから、早20数年が過ぎ、号もに275を重ねました。でも読み返してみると、書き足りなかったとか、もっとよい表現はなかったかと、後悔しきりです。


 「今月、とてもよかった。」とか「『ねっこ』楽しみに読んでいます。」とか、過分なお言葉を戴いています。でも、それは私の筆の力ではありません。読んでくださる皆さんのお心に届いているのは、「ねっこ」に登場される人々の、真摯に生きる姿そのものに他なりません。なぜなら、私が書いてきたものは、すべて事実に基づいているからです。勿論、多少の変更や添加はあります。個人情報として抵触してはご迷惑をかけてしまうおそれがあったらと、心配したのです。

 今、「ねっこ」を冊子としてまとめていただくに際して、これらの方々に心からの感謝の思いをお伝え致します。

 末筆ながら、全日本家庭教育研究会の皆々様に心から御礼申し上げます。有難うございました。そして、さらに書き続けることができたなら、どんなに幸せなことだろうと、しみじみ考えています。



全家研静岡支部 教育対話主事

佐藤 郁


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 「勉強しなさいよ。」「そんなことしていて、いいと思うの?」「受験生なんでしょう。」・・・これらは、

中学生が親から言われたくない言葉の上位にあるものです(NHK調査)。どこのお母さんも日頃よく口にする言葉ですので、どきっとしてしまいます。中学生たちも、何をしなければならないか、わかりすぎる程わかっているのです。わかっているけれども、なかなかできにくい悩みをかかえた胸に、これらの言葉はぐさり、ぐさりと突きささっているのです。


 これだけは言ってほしくなかった言葉・・・そんなことを考えているうちに、私は一人の男の子のことを思い出しました。それは、小学校卒業も間近な、6年生の時でした。保(やすし)君が日記にこんなことを書いてきました。「ぼくは、母がいやでたまらない。いつもいつもいやという訳ではないが、この言葉と、この言葉を言う時の表情がいやだ。」その言葉というのが「ほらごらん。お母さんの言ったとおりでしょ。」だったのです。熱心で考え深そうなお母さんと、よく努力する真面目な子というイメージで見ていたので、私は意外でなりませんでした。

 

 どうしても気になるので、保君に詳しいことを尋ねてみることにしました。重い口を開いて、彼が話してくれたことは、実に考えさせられることでした。

 

保君のお母さんは、一年生の頃からよく勉強の面倒を見ていたそうです。それは、高学年になっても続いていました。それどころか、テストの前などでは、一層激しさを増していたということです。しかし、6年生になり、保君にも自立の芽生えが出てきました。彼はお母さんの言うなりにテストの準備をすることを拒否したのです。

 

 当然ですが、やはりいつものいい点数には届きませんでした。テストを見せた時、保君の耳に強く響いたのが、この言葉だったのです。

 その後保君は、自分でもテストの点が奮わなかったことが気になって、自ら努力をしました。しかし、彼は再び同じ言葉を耳にすることになりました。

 以前のような点数を前にして、お母さんは勝ち誇ったように言いました。「ほらごらん。お母さんの言ったとおりでしょ。」と。保君は、私に「どっちにしても、お母さんの言うとおりってことじゃないか。ぼくの努力はどこにいってしまったのかわからない。結局お母さんはぼくを思いどおりに動かせばいいと思っている。」と言いました。とても口惜しそうで、そして、哀しげな表情でした。


 テストの点数にこだわりすぎることも問題なのは勿論です。それ以上に考えなければならないのは、親がいつまでも子供を自分の思いどおりにさせようとする姿勢です。日本では、まだまだ子供は親の言うとおりにしていれば「よい子」で安心だという風潮が根強くはびこっています。どんなに小さくても、子供一人一人は、それぞれの人格をもった固有の人間です。ましてや、自立期にさしかかった子供は、大人への反抗という形で、依存の殻を脱ぎ棄てようとしているのです。自立の叫びに親はしっかりと耳を傾けなければなりません。

 

 また、親は我が子可愛さのあまり、あるいは親子であることに甘えて、つい言葉を選ばず感情をぶつけてしまいます。その言葉が子供の耳にどう響いているかなど、少しも考えないままに。私たち大人は今、親子であるからいいのではなく、親子であるからこそ、互いの心を細やかに考え合うことを大切にしなければならないと思うのです。


(平成11年7月 第83号)


全家研ポピー静岡支部HP

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