「先生。卒業して28年、子ども達40歳になったんですよ。
お母さん達が先生に会いたいんですって。」
当時のPTA役員さんからのお声がけで出かけて行きました。
懐かしいお母さん方のお顔が揃っていました。
当時の子どもたちのことが次から次へと語られていきました。
やんちゃでいたずら坊主だったシンヤ君のお母さんが話し始めました。
「シンヤは学校でのできごとを逐一話す子で、
それを聞くのがとっても楽しかったですよ。
でも、一度だけ息が止まるくらいにびっくりしたことがあったんです。
ある日、学校から帰ってきてシンヤがいきなりこう言ったんです。
『お母さん。ぼくを十箇月も【子宮】の中で育ててくれて、
そして産んでくれてありがとう。ほんとにありがとう。』
私は耳を疑いました。
『シキュー・・・シキュウ・・・』【子宮】という文字が
頭に浮かんでくるまで、随分時間がかかりました。
ええっ。子どもがなんでこんな言葉知ってるの・・・。
でも、シンヤの顔があまりに真剣で、
思わず抱きしめて『生まれてくれて、ありがとう。』って、言ってしまいました。
「私も、本当に驚きました。」
学級委員でしっかり者のアキコちゃんのお母さんも、口を開きました。
「『お母さん。先生がね。
女の子のお腹を叩いたり、蹴ったりしちゃいけないんだって言ったよ。
なぜかと言うと女の子のお腹には、【子宮】っていう
赤ちゃんが育つところがあるだからだって。
子どもの宮殿っていうように、温かくて柔らかくて
赤ちゃんが気持ちよく安全でいられるようになっているんだって。
だから、小さい時から大切にしなきゃいけないんだよ。
私も、お母さんの【子宮】の中で大きくなって生まれたんだよね。
私、女の子でよかった。』
私もびっくりしましたが、幼いながらも
命の誕生に心を動かしている娘が成長しているように思えて、嬉しかったです。」
この話には実は、前提となる出来事があったのです。
当時プロレスが大流行で、子ども達はよく教室や廊下で
体をぶつけ合っては戯れていました。女の子もよく加わっていました。
また喧嘩して口の方が達者な女の子が男の子を言い負かしそうになると、
男の子が手や足を出してしまうことがきになりました。
お腹を叩いたり蹴ったりすることが、どうしても許せなくて
「子宮」の話をしたのです。
言葉も漠然とでなく、はっきり言おうと思いました、。
「子宮」という言葉を卑猥なものと感じるのは大人の汚れた偏見で
こんなに美しく清らかなものはないと確信していたからです。
子ども達はみんな身動ぎもせず聞き入っていました。中には
「十箇月もお母さん大変だったんだね。」と涙ぐむ子もいました。
兄弟の多いミツオ君は一番下の妹がお母さんのお腹にいたことを覚えていました。
「お母さんのお腹はほんとに大きくてぱんぱんだったよ。お母さんがさわらせてくれたとき
中で赤ちゃんがぐいぐいって動いたよ。」
子ども達の心が大きく揺れた一時でした。
それ以降、少なくとも暴力的な喧嘩はなくなったと記憶しています。
お母さん達は子ども達が母親に優しくなったと言ってくれました。
シンヤ君のお母さんが「近所の若いお母さん方が子供から『死ね』だの『死んじまえ。』
と言われて本当に気が悪いとよく言いますよ。
その子たちに『子宮の話』をきかせたいと思いますね。」としみじみ話しました。
これは、28年前の話です。現在は当時よりはるかに命の重さが減っているような
気がしてなりません。
いじめによって自ら命を絶つ痛ましい子ども達、人を傷つけ追い詰めても
何ら心の痛みを感じない子ども達が何と多いことでしょう。
私達大人は、生命の誕生について、
もっと真摯に語りかけていかなければならないと考えています。
(平成24年11月 第241号)
全家研静岡支部 教育対話主事
佐藤 郁