3月11日あれこれ。その後。
テーマ:ごあいさつ的幸いにも翌日は土曜日。
休日なので家族一緒だった。
休日の間にいろいろと話し合った。
災害伝言の確認、買出し、
これから東京にも新たな地震が起きる可能性を
テレビでは騒いでいたから
まったく安心できなかった。
お風呂の水を貯め置きしておいたりもした。
買出しに行くと少しずつ物資不足が騒がれ始めていた。
あのころ
買いだめを批判する声をよくテレビでも聞いた。
ワタシもそう思っている。
けれど
あのときその現場にいれば
買いだめする気持ちもわかると思う。
家族のためだったりすればなおさらだ。
週明けには卒園式だった。
余震がおさまらない中だったが
お隣さんが次男を預かってくれて
夫婦で参加することができた。
お隣さんには本当に感謝
。
入場のときに大き目の余震があり、騒然となる。
例年よりも短縮され
式後に予定されていた謝恩会も中止となる。
けれど
一生心に残る卒園式となった。
無事に生きていることをありがたいと
心から感じた。
子どもたちもそれぞれ感じるところがあったと思う。
長男
最後の1ヶ月は骨折した足だった。
ケンケンで通い
イベントの欠席など悔しい思いをしていた。
けれど
この日は
ワタシの付き添いもいらないといい
片足をひきずりながら
ひとりで入場し、卒園証書授与もひとりで臨んだ。
立派だな、と親ばかながら感じた。
3月11日にたくさん動いたために
それまで怖くて下につけられなかった足を
つけられるようになり、ずいぶんと歩けるようになっていた。
その後は放射能のもんだいでまた東京は揺れることになる。
我が家は3月の22日に
辞令がでると
長男の入学式にまにあわせるために
1週間ほどで引越しすることになる。
ばたばたと荷造りをし
ばたばたと住み慣れた町を離れた。
泣きながら電車に乗った。
きっと忘れられない長男の泣き顔。
友だちと別れるまではがんばってこらえた。
最後まで笑顔だった。
駅に向かいながら
友だちの方をふりむくことができなかった長男。
泣いていた。
抱きしめると声をあげて泣き出した。
ワタシも泣いた。
3月11日は
我が家は卒園・引越しという節目と重なって
一生忘れられない日となったと思う。
たくさんの人が泣いたし
今でも泣いていると思う。
神様は何を思ってこんなにひどい災害をもたらすのか
まったくわからない。
亡くなった多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
いろいろと感じることはあるけれど
文章化することはワタシには難しい。
とりあえず
3月11日のことは
これで終わりとします。
次はなんだろう。
・・・・骨折話かな。。。


出産。
出産。
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