コーギーのポポと穏やかに暮らしてた



オイラ仮名NAOです。



2004年 長男マリオ  出産。



こりゃあもう大変な乳幼児期でしたよ。


泣くわ甘えるわ暴れるわ。


どないやねーんヽ(;´Д`)ノとつっこんだこと数知れず・・・


そんな長男も


ちこっと手が離れてきたころ



2008年 次男ルイージ  出産。


菩薩のような乳児期を終え


気づけば長男と似たような状況におちいっております。


が、


そこは2人めの余裕で


ぶっかましているこのごろです。



気がつけば


オイラの周りって男だらけ。ハーレム。






根本的にダメ子なんで


育児・家事・結婚・女・すべての分野において


決して参考にはなりませんので


ご了承ください波平




波平似の父にさらに似てきたといわれる このごろ。


30すぎの♀に波平って(((( ;°Д°))))





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マリオ当ブログ内の画像はたいていクリックで拡大表示されますルイージ

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2011-12-13 08:42:20

3月11日あれこれ。その後。

テーマ:ごあいさつ的

幸いにも翌日は土曜日。

休日なので家族一緒だった。

休日の間にいろいろと話し合った。

災害伝言の確認、買出し、

これから東京にも新たな地震が起きる可能性を

テレビでは騒いでいたから

まったく安心できなかった。

お風呂の水を貯め置きしておいたりもした。


買出しに行くと少しずつ物資不足が騒がれ始めていた。

あのころ

買いだめを批判する声をよくテレビでも聞いた。

ワタシもそう思っている。

けれど

あのときその現場にいれば

買いだめする気持ちもわかると思う。

家族のためだったりすればなおさらだ。





週明けには卒園式だった。

余震がおさまらない中だったが

お隣さんが次男を預かってくれて

夫婦で参加することができた。

お隣さんには本当に感謝ドット



入場のときに大き目の余震があり、騒然となる。

例年よりも短縮され

式後に予定されていた謝恩会も中止となる。

けれど

一生心に残る卒園式となった。

無事に生きていることをありがたいと

心から感じた。

子どもたちもそれぞれ感じるところがあったと思う。



長男

最後の1ヶ月は骨折した足だった。

ケンケンで通い

イベントの欠席など悔しい思いをしていた。

けれど

この日は

ワタシの付き添いもいらないといい

片足をひきずりながら

ひとりで入場し、卒園証書授与もひとりで臨んだ。

立派だな、と親ばかながら感じた。

3月11日にたくさん動いたために

それまで怖くて下につけられなかった足を

つけられるようになり、ずいぶんと歩けるようになっていた。




その後は放射能のもんだいでまた東京は揺れることになる。



我が家は3月の22日に

辞令がでると

長男の入学式にまにあわせるために

1週間ほどで引越しすることになる。


ばたばたと荷造りをし

ばたばたと住み慣れた町を離れた。

泣きながら電車に乗った。

きっと忘れられない長男の泣き顔。

友だちと別れるまではがんばってこらえた。

最後まで笑顔だった。

駅に向かいながら

友だちの方をふりむくことができなかった長男。

泣いていた。

抱きしめると声をあげて泣き出した。

ワタシも泣いた。





3月11日

我が家は卒園・引越しという節目と重なって

一生忘れられない日となったと思う。


たくさんの人が泣いたし

今でも泣いていると思う。

神様は何を思ってこんなにひどい災害をもたらすのか

まったくわからない。

亡くなった多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。



いろいろと感じることはあるけれど

文章化することはワタシには難しい。

とりあえず

3月11日のことは

これで終わりとします。

次はなんだろう。

・・・・骨折話かな。。。

2011-12-08 08:55:57

3月11日あれこれ。に。

テーマ:家族的

さあてと。再開あひる







揺れている最中に電話がなりだす。

近くにあった電話がとりあえずとる。

ダンナの声。

大丈夫か?

と聞かれるけどまったく大丈夫な感じがしない。

何を話したのかあまり覚えていないけれど

むこうは落ち着いた様子だったのだけ鮮明。

揺れがおさまり、とにかく次男のいる寝室

すやすや寝ている。涙



すぐにまた揺れだす。

今度は先程の大きさではないが

すっかりおびえてしまったワタシと長男。

とにかく上着を着せ、暖かい格好にさせる。

次男も無理やりおこして同様に。




さて。

ここで長男


2月に足を骨折して、全治1ヶ月の診断。

幼稚園はケンケンで通って

3月の9日にやっと

「少しずつ足をつける練習をしていきましょう。」

て言われたばっかり。

当然1ヶ月ケンケンしてたもんだから

片足の筋肉はおちてるわ

精神的にもダメージうけてるわで

まったく足をつけることができない状態。

だったんです。


そして。

ここで避難対策。

新潟中越地震のときから

常に非難バッグは準備してあった。

けれど

当時別居していたポポの犬グッズははいってるし

会社にいってるだんなの分もはいってるし

重たい。

重たすぎて、

寝起きの次男と片足の長男を連れてはもてなかった。

我が家は5階。

当然エレベーターは使えない。


結局。

いそぎで大き目のリュックに

着替え、オムツ、衛星用品、おやつやパンだけを。

つめて。

外に行く。

その間にも余震。


ケンケンで5階からおりるために遅くなる長男は

「ママ、遅くてごめんね」と

何度も泣きながら謝る。

このときのことは思い出しても泣ける。

子どもなのにそんな気遣い。。。

せつなかった。




無事外に出て自転車にふたりを乗せて公園へ。

町中はざわざわしていた。

公園に行くと

同じように子どもをつれてきていたママたちと

たくさん遭遇。

余震は何度も続いていたけど

みんながいるので少し気持ちが楽になった。

おびえていた長男も

お友達と会ったから落ち着いてきた。



携帯がまったく通じず

ダンナはどうしているのか気になる。

大きな余震もある。

電池残量に不安はあったものの

ワンセグをつけてニュースを見ると

恐ろしい津波被害の映像。

「東北」の文字。

あんなに揺れたのに震源は関東ではなかったらしいと

初めて知った。

小さな画面にうつるわけのわからない凄まじい映像。

みんなで怖さと哀しさで震えた。




ここから。

お友達の家に身を寄せようという話になる。

けれど

うちのとなりさん

また後日書くけど超仲良し。

ネコちゃんを飼っていたためそのことが気になっていた。

非難前に何度かピンポンしたがでない。

電話は通じないし。

で、家に帰ってみることにした。

怖いけど。


食事を作る気にならないし、

もしかしたら断水、停電なども考えられる。

コンビニによることにする。

電気が消えているが営業している。

横の工場は2階部分の壁が崩れてしまったらしい。

パンや飲み物、日持ちしてすぐ食べれそうなものなどを買って

家に帰る。

この翌日から

よくニュースでも騒がれた

コンビニやスーパーでの品切れが問題となる。

あの時コンビニに行ったのはラッキーだった。




何度もチャレンジしてようやくお隣さんと連絡がとれる。

友達のところにいたらしい。

家に帰ったらうちに寄るとのこと。

食べ物あるから心配ないよ、と伝えてほっとする。

やっぱり身近に一緒にいる人って嬉しい。


ダンナからも電話が通じる。

歩いて帰るとのこと。

このあと連絡がとれなくなったが

5時間強かけて歩いて帰ってきた。

実家からも連絡がとれたので

無事を伝えた。


家に戻ってからは

余震におびえながら、テレビに釘付けだった。

ずっとケンケンで動きまわった長男はクタクタだったらしく

お隣さんが到着すると

安心して眠ってしまった。

ダンナが戻り、お隣さんも家に戻った。

その日は洋服を着たまま眠った。

余震が恐ろしかった。


2011-12-07 18:43:37

3月11日あれこれ。いち。

テーマ:家族的

転勤が正式に決まったのは3月22日。

けれど、内々定は1月、内定は3月にはいったころに

なんとなく知らされていました。

まだ正式に決まってないとはいえ、

3月14日は長男の卒園式。


長男に話さないと。

お友達とお別れができなくなる。

そう思いながらものばしのばしにしていた。

泣くのがわかってたから言えなくて。


その日。

卒園式を目前に午前保育で帰ってきた長男。

昼食をとって、次男を昼寝させた。


「大事な話があるねん。」


そう伝えて長男を呼んだ。


パパの仕事の場所が変わること。

家族でついていかなくてはいけないこと。

お友達とは離れること。

引越し先は東京とはかなり離れてしまうこと。

違う小学校に入学すること。

ひとつひとつ順序をおいながら。


長男は真剣に聞いているものの

いまいちリアルではない様子。

「もう○○くんと会えないの?」

そう聞かれたときに私が泣いてしまった。

会えないわけではない。

けれど簡単に約束できる距離ではない。

言葉につまり、長男を抱きしめていた。







ぐらり。






突然体が揺れた。

東京に住んでから何度も地震を経験した私たちは

すぐに机の下に避難。

次男は寝室で寝ていたが、落下物のない安全な場所。

またすぐにおさまる・・・

そう思っていた。



ところが

たてに揺れた直後から

横にぐらりぐらりと揺れ始めた。

その揺れの幅が今まで経験したことのないふり幅。

長男も異常を感じて、泣き出した。

電子レンジの扉がひらきターンテーブルが飛び出した。

何の音なのかはわからないが

がつんがつん、ばりばり、いろんな騒音に包まれる。


あまりにも強く長い。

次男を連れにいきたいが

動くことができないし、泣き叫ぶ長男を置いてはいけない。

何事もないことを祈っているが、

頭の中には子どものときに見た

新聞一面の「阪神大震災」の文字。

「関東大震災」として新聞にでる。

のんきな話だが、そんなことが頭をまわっていた。



ちょいと長いね。

またのちほど。

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