今日は、快晴。昨日の荒天がうそのように晴れて、気分も爽快。
こんな朝にこそ聴きたい「ヴォラーレ」です。イタリアが生んだ世界的大ヒット曲で、いまやオリジナルのドメニコ・モドゥーニョよりもジプシー・キングスのCMヴァージョンでお馴染みになっていますね。♪青い空の彼方に飛ぼう、という気分にピッタリ。
1958年、昭和でいうと33年。わが国の『三丁目の夕陽』時代には、この朗々たる歌声はどのように受け入れられたのでしょうか。興味深々です。
昭和33年のヒット曲といえば、都会派歌謡「有楽町で逢いましょう/フランク永井」や望郷歌謡「夕焼けとんび/三橋美智也」、また映画の大ヒットでも知られる「嵐を呼ぶ男/石原裕次郎」など、歌謡曲にも新しい波が押し寄せてきたことを感じさせます。
なんといっても翌年には「黒い花びら/水原弘(永六輔・作詞、中村八大・作曲)」が第一回レコード大賞を受賞していますから、音楽においても時代の変わり目だったのでしょう。
当時、イタリアの曲といえばオペラで知られた曲「歌に生き、恋に生き」などとイタリア民謡。「オー・ソレ・ミオ」、「フニクリ・フニクラ」、「帰れ、ソレントへ」など熱い歌が多かったなかでの「ヴォラーレ」。イタリアにはネクラな人はいないんじゃなか、とボクは思っていました。
ドメニコ・モドゥーニョが作詞作曲(作詞は共作)して、1958年のItalian Eurovisionコンテストに出場。このコンテストでの結果は3位だったそうですが、同年のサンレモ音楽祭では優勝し、アメリカや日本でもヒットすることになりました。
そのコンテストの映像です。画質は悪いですが。
この曲をいまに伝えたのは、キリン淡麗生のCM。ご存じジプシー・キングスによる歌唱ヴァージョンがその後繰り返しオンエアされていますので、オリジナルがジプシー・キングスだと思っている方もいらっしゃるかも。
キリン淡麗は1998年発売の発泡酒だそうで(下戸のボクには全く興味がありませんが・・)、CMソングには最初からジプシー・キングスが使われています。YouTubeに上がっているCMヴァージョンの一つです。
次が近年のかれらのライヴ映像です。この暑苦しさこそが持ち味です(笑)。
ジプシー・キングス「ヴォラーレ」
さらにイタリア熱唱の代表選手、ルチアーノ・パバロッティの歌唱です。ヘンリー・マンシーニが指揮したアルバム収録曲なので静止画ですが。
ポピュラー・ソング集~ヴォラーレ パヴァロッティ(T) マンシーニ / ヘンリー・マンシーニo.&cho.
珍しい女性の歌唱は、イタリア人のローラ・パウジーニ(今はラウラと表記するそうですが、ボクにはローラが馴染みなので)とガルー(カナダ出身の歌手が、1番を英語で)のデュエット。2番のローラがハイノートで素晴らしい歌唱です。
わが布施明さんも素晴らしい歌を聴かせてくれます。テレビ出演時の映像です。「ヴォラーレ」
個人的なことですが、ボクが最もイタリアの曲を好きになったのは、マントバーニー楽団によるアルバム『イタリア・ミア』でした。ジャケットがベニスのゴンドラと近辺の美しい風景写真。当時人気があった「ムード音楽」の代表的なオーケストラの一つだったと記憶しています。カスケーディングといわれる“滝が落ちるような”流麗なストリングスにしびれていました。
その後CDで買い直そうと思って探したところ、ジャケットが普通のイラストでガッカリ。買うには買ったものの、やはりゴンドラの写真をフューチャーした見開きジャケットのLPが好きでした。
今も持っているLPジャケットには、発売元はキングレコード(ロンドン・レーベル)、発売は1961年、定価は2000円となっています。もちろん「ヴォラーレ」は入っていませんが、ボクのイタリア好きの原点となったアルバムです。発売から50年以上経っているので、ジャケットはご覧のようにボロボロです。
わが愛聴のマントバーニ楽団『イタリア・ミア』ジャケットがボロボロ
こんな朝にこそ聴きたい「ヴォラーレ」です。イタリアが生んだ世界的大ヒット曲で、いまやオリジナルのドメニコ・モドゥーニョよりもジプシー・キングスのCMヴァージョンでお馴染みになっていますね。♪青い空の彼方に飛ぼう、という気分にピッタリ。
1958年、昭和でいうと33年。わが国の『三丁目の夕陽』時代には、この朗々たる歌声はどのように受け入れられたのでしょうか。興味深々です。
昭和33年のヒット曲といえば、都会派歌謡「有楽町で逢いましょう/フランク永井」や望郷歌謡「夕焼けとんび/三橋美智也」、また映画の大ヒットでも知られる「嵐を呼ぶ男/石原裕次郎」など、歌謡曲にも新しい波が押し寄せてきたことを感じさせます。
なんといっても翌年には「黒い花びら/水原弘(永六輔・作詞、中村八大・作曲)」が第一回レコード大賞を受賞していますから、音楽においても時代の変わり目だったのでしょう。
当時、イタリアの曲といえばオペラで知られた曲「歌に生き、恋に生き」などとイタリア民謡。「オー・ソレ・ミオ」、「フニクリ・フニクラ」、「帰れ、ソレントへ」など熱い歌が多かったなかでの「ヴォラーレ」。イタリアにはネクラな人はいないんじゃなか、とボクは思っていました。
ドメニコ・モドゥーニョが作詞作曲(作詞は共作)して、1958年のItalian Eurovisionコンテストに出場。このコンテストでの結果は3位だったそうですが、同年のサンレモ音楽祭では優勝し、アメリカや日本でもヒットすることになりました。
そのコンテストの映像です。画質は悪いですが。
この曲をいまに伝えたのは、キリン淡麗生のCM。ご存じジプシー・キングスによる歌唱ヴァージョンがその後繰り返しオンエアされていますので、オリジナルがジプシー・キングスだと思っている方もいらっしゃるかも。
キリン淡麗は1998年発売の発泡酒だそうで(下戸のボクには全く興味がありませんが・・)、CMソングには最初からジプシー・キングスが使われています。YouTubeに上がっているCMヴァージョンの一つです。
次が近年のかれらのライヴ映像です。この暑苦しさこそが持ち味です(笑)。
ジプシー・キングス「ヴォラーレ」
さらにイタリア熱唱の代表選手、ルチアーノ・パバロッティの歌唱です。ヘンリー・マンシーニが指揮したアルバム収録曲なので静止画ですが。
ポピュラー・ソング集~ヴォラーレ パヴァロッティ(T) マンシーニ / ヘンリー・マンシーニo.&cho.
珍しい女性の歌唱は、イタリア人のローラ・パウジーニ(今はラウラと表記するそうですが、ボクにはローラが馴染みなので)とガルー(カナダ出身の歌手が、1番を英語で)のデュエット。2番のローラがハイノートで素晴らしい歌唱です。
わが布施明さんも素晴らしい歌を聴かせてくれます。テレビ出演時の映像です。「ヴォラーレ」
個人的なことですが、ボクが最もイタリアの曲を好きになったのは、マントバーニー楽団によるアルバム『イタリア・ミア』でした。ジャケットがベニスのゴンドラと近辺の美しい風景写真。当時人気があった「ムード音楽」の代表的なオーケストラの一つだったと記憶しています。カスケーディングといわれる“滝が落ちるような”流麗なストリングスにしびれていました。
その後CDで買い直そうと思って探したところ、ジャケットが普通のイラストでガッカリ。買うには買ったものの、やはりゴンドラの写真をフューチャーした見開きジャケットのLPが好きでした。
今も持っているLPジャケットには、発売元はキングレコード(ロンドン・レーベル)、発売は1961年、定価は2000円となっています。もちろん「ヴォラーレ」は入っていませんが、ボクのイタリア好きの原点となったアルバムです。発売から50年以上経っているので、ジャケットはご覧のようにボロボロです。
わが愛聴のマントバーニ楽団『イタリア・ミア』ジャケットがボロボロ