反戦歌モードから抜け切れず、またまた古い映画と音楽ネタを取り上げました。実はずいぶん前から気になって仕方なかった2つの曲のつながり方についてです。

吉田日出子で人気を博した自由劇場の『上海バンスキング』の中で歌われた「上海リル」と、それより20年以上前の歌謡曲ヒット「上海帰りのリル」の2つの曲に関連があるのかどうか、今となってはどうでもいいこと(笑)ですが、
こだわりオタクなpopfreakとしては、気になって仕方ありませんでした。

調べてみると、これは自由劇場で初めて歌われた曲ではなく、古くは戦前から歌われていたナンバーです。

日本のジャズ・ソングが人気をよんだ時代の歌手のなかでも、日系3世の川畑文子がレパートリーにしていました。昭和10年(1935年)、発売会社はテイチクです。



ボクはもの心ついたころから、宝塚フリークのおばに連れられて、はるばる宝塚大劇場へレビューを見に行きましたが、
次に登場する江戸川蘭子は、宝塚ではなく関東で人気の松竹歌劇のスターでした。グランドレビューでの歌唱がYouTubeに残っています。昭和11年3月。





もちろん戦後生まれのボクは、川畑文子も江戸川蘭子もリアルタイムじゃぁ、ありませんよ(笑)。

川畑文子は、昭和7年(1932年)10月に日本郵船の豪華客船『浅間丸』で始めて日本に来た時は17歳で、ジャズ歌唱とタップダンスでたちまち人気を博したということです。
彼女の売り出し文句は「唄はマルレーヌ・ディートリヒ、踊りはジョセフィン・ベーカー」だったとか(LP『日本のジャズソング』解説書・瀬川昌久)。

その後、彼女がきっかけとなって二世や三世のジャズ・シンガーが全盛を迎えます。ベティ稲田、リキー宮川、宮川はるみ(妹)などが日本語で外国曲を多く歌っています。

さらにその先駆けとなったのは、アメリカ人で日本駐在の新聞記者、バートン・クレーンという異色シンガーですが、上海ネタの本題ではないのでまたの機会に。


さてさて、この曲がフィーチャーされたのが、1933年の映画『フットライト・パレード』。ハリー・ウォーレン=アル・デュービンのコンビ作による曲「上海リル」が、
アメリカの兵士として上海の街に入り、恋人リルを探すという設定でキャグニーによって歌われます。

オープニングと主題歌「上海リル」をフィーチャーした予告編。演出はバズリー・バークレイ。




この映画のハイライトは、酒場で水夫姿のキャグニーがバーのカウンターで当時のタップダンス女王、ルビー・キーラーと共に踊るシーンにも「上海リル」が使われています。

ジェイムス・キャグニーとルビー・キラー




さて、国破れて山河あり。昭和26年(1951年)に津村謙の歌で発売されて大ヒットしたのが「上海帰りのリル」。作詞は東条寿三郎、作曲は渡久地政信(後の「お富さん」でお馴染み)ですね。

どうやらこの歌、『フットライト・パレード』で歌われヒットした「上海リル」のアンサー・ソングらしいのです。

もちろんメロディも歌詞も違いますが、唯一ボクが着目(耳?)したのがイントロ。「上海帰りのリル」のイントロ部分が、「上海リル」のメロディをなぞっているように思えてなりません。




いかがでしょうか、なんて。いまさら60年以上も前の曲の重箱の隅をつつくようなことを言って、何になるのでしょう(笑)。

ましてや、「上海帰りのリル」へのアンサーソングに「私がリルよ」が世に出たことを覚えていたり、またキャグニーの相手方ダンサー、ルビー・キーラーがかのアル・ジョルソンの3番目の妻だったとか、
どうでもいい話が満載でも、読んだ方はリアクションに窮しますよね。

と、自虐コメントでこの戦前記事ネタを閉じたいと思います。次回は反省して、お馴染み曲に戻りたいと思います。



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