四十九日法要を無事に終えました

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ようやく蝉の声も静かになって、夜は耳をすませば秋の音色が・・・紅葉

我が家の田んぼも随分色づいて「首を垂れる稲穂かな。。。」の世界になってきました稲 稲刈もそう遠い先ではないような・・・・予感!!

そんなこの9月の中旬、7月末に亡くなった父(舅)の四十九日法要を無事に終えることができて、少し肩の荷がおりたかな。。。と思う今日この頃ですニコニコ

ここからは記憶をとどめておくための回顧録と、もしもお役に立てる情報があれば。。。と書き残すものですが。思い出してつらい思いをされそうな方は読まずにスルーして下さいね。

 

先日のブログでお話ししたように、1年3か月ほど前の昨年6月に体調不良を訴える父を連れて近所のかかりつけ医で診療を受け・・・病院 最初は長く付き合っている前立腺系の病気だろうと思って気楽に入院した父・・・でした汗 検査が進むにつれ状況は変わり、あまりの貧血状態に違う病気が疑われると言われて。。。。いろんな検査を受けましたおじいちゃん そしてわかったのが、末期の胃がんでした。しかも手術の結果転移が進んでいてすべてを取り去ることは不可能な状態で、とにかく食べられる状態を維持できる処置がとられて・・・。

そして2か月ほどの入院生活を終えて、余命数か月と言われながらも夏祭りの花火花火も庭先で楽しみ、誕生日(12月後半)誕生日ケーキを自宅で家族全員で祝うこともでき、お正月は大好きなお餅鏡餅も少しですが口にして・・・ニコニコ このまま穏やかな時間を積み重ねられるのかと思って安堵していた春頃から、やはり状況は変わっていきましたあせる 月の中旬に自宅療養の限界を感じ、泣く泣くもう帰宅することはかなわないであろう入院生活病院が始まり・・・・。最初の数日はもしかしたら・・・と期待を抱くような、落ち着いた様子だった父おじいちゃん しかしその思いは裏切られ・・・汗 入院から10日もするとまったく食べられなくなり、吐き続けることが多くなってきました。すぐに緩和病棟(末期がん患者が終末期を過ごす痛みや苦しさの緩和を目的とする病棟?)に移ることとなりました。緩和病棟についてはいろんな意見があるようですが、我が家は医師や看護師さん、スタッフの皆さんにどれだけ救われたか・・・・。今も忘れられません。感謝の言葉をいくら並べても足りない、家族にも気を配って下さったり、おひとりおひとりのお顔が浮かぶ、本当に思い出深い付き添った時間が今もよみがえります。

父は頑張って自分でできることは最後まで自分なりに頑張ってましたよOK トイレトイレも歩けるうちはまだ歩いて十数歩の部屋の隣のトイレまで自力で行ってましたし・・・。そこまで歩く力もなくなった頃には、部屋のポータブルトイレに座るんだと・・・・フラフラで筋肉も衰えた足で一人で立つことはできなくなっても半ばむきになって頑張ってましたっけ。でもだんだんそれもつらくなり、最後の1週間はもうベッドサイドのポータブルトイレにすら立ち上がる気力も残ってはいなくて。。。しょぼん 紙おむつになった最後の1週間も、自分なりに手伝ってるんだと思うのですが、交換の際にテープを自分ではずしたり・・・腰を浮かせて着替えやすくしたり・・・。どこにそんな力が残ってるのかなと驚くほどでしたっけ!!

 

いろんな思い出が思い起こされて仕方ありません・・・しょぼん 入院から亡くなるまで、妹(娘)と主人と私の3人で24時間付き添ってました。目がほとんど見えないし、吐き気がひどくて急にもどしたりと看護師さんを待つ余裕はない状態でしたし。何より家族が一人で病院にいさせるのはつらいからと・・・・。思い返してもよくあんなに頑張れたなというのが正直な感じですね、あの40日あまりの時間・・・。

吐くことで消耗する体力、あまりにもつらそうで・・・医師から鼻から胃まで管を入れてその胃液らしき液体を吸い出すことで吐くことはなくなっていきました。ただやせ細っていくその姿、もう筋肉もない細い腕に栄養の点滴とモルヒネの痛みどめで24時間つながれ、もうろうとする意識の中で時折我を取り戻しながら。。。長い長い時間と感じたかもしれないですよね、父にとっての最期の数日は・・・・・。

亡くなる前の夜に付き添って泊まっていたのは妹で、いつもと違う様子に精根尽き果てた。。。そんな声で今晩は交代してほしいと・・・・。朝はまだ呼吸が荒いものの自力で呼吸していたのですが、血中酸素や血圧が下がっていき・・・・。昼前には酸素マスクがつけられ、夕方私が仕事が終わって5時前に交代した頃には、もう呼吸するたびに声をあげてあごも上がり始めていました。

実家の両親を看取った時の最期の様子を思い起こすと、今晩が峠のような予感がしましたが、主治医の医師が回診に来て下さった時点でもそう告げられました。旦那にすぐに連絡を取ったのですが、信じたくないの半分疲れているの半分で・・・明日の朝早くに行くからとの答え。でも明日はもうないかもしれないよと言っても、返事が重い・・・・。かかりつけ医でもありお世話になってたもう一人の医師からも「後悔しないようにすぐに呼べ!!」と叱られて。。。私ももしものことを考えたら、ここは何としても家族を父に最後に会わせてあげなければ。。。という使命感だけで、夜の8時を回っていましたが、再度連絡を入れました。やっと納得したのか、家族全員でかけつけてくれました。最初は父の変わり果てた様子に戸惑ったりつらがったりしてたのですが、父もみんなの聞きなれた声に包まれて安心したのかな、息遣いが穏やかに・・・・。それを見届けた家族達は私を残して帰っていきました。

 

それからわずか3時間後・・・・、血圧ももう測れず・・・体温は高いのに身体は冷え切り・・・看護師さんがタオルを急きょ巻いて温めてくれました。血中酸素も下がる一方でした。おそらくは日付が変わるまでもたないかも・・・・という看護師さんの声に、旦那と妹だけでも来る??って呼んではみたけど、さっき行ったところだから休みたいと・・・。見届けなくてもいいの?という思いと、亡くなった後の方が家族は大変なのを身に染みて経験してるから少しでも休ませてあげたいという思いの板挟みで・・・。

悩んだ末に父の生命力にまかせようと思いました。父が家族を思って静かに旅立つのを選ぶなら、私が看取ればいいと・・・。ちょうど日付が変わろうとした11時50分過ぎ。。。。父の呼吸が急にゆっくりと途切れ途切れになり始め、すぐにナースコールをしましたが、そのままみんなと父の遺志どおりに自然にまかせて・・・。ただただ声をかけ続け、手を握りしめ、頭をなでながら・・・・最後の一瞬まで見届けました。私一人が見送ってしまって、これでよかったのか・・・今だに悩みますが、父が選んだのだと思うようにしています。

 

そこからは何がどうなったのかあっという間の葬儀、七日参り、そして四十九日・・・。

 

一方では事務処理的なことも山のようにあって、悲しみにひたる暇もなし。町役場が前身の支所に出向くと、同じ自治会の方が勤務しているので親身にアドバイスして下さいました。

名義変更や保険証などの返却、銀行関係・社会保険、年金など・・・・キリがない。書類の束に囲まれながら、引き落とし口座の変更手続きやら遺族年金の申請やら、車で40分くらいの官庁街にも何度か足を運びました。本当にあっという間に時間は過ぎます。しかもお盆にさしかかり、仕事も休むことはできず・・・身体も心も休む間もない・・・。しかも暑かったですよね、今年の8月・・・。畑の野菜たちのお世話もあって、睡眠不足と暑さでもうろうとしてましたっけ・・・・お天気サンサン

 

皆さんよくこんな大変な思いを乗り切りますよ・・・・・。いつかは家族を見送っていくのですから、早かれ遅かれ経験されることでしょう。初めて尽くしの日々は余計に疲れます。

でもね、身体が悲鳴をあげたら素直に従ってあげてくださいね。私たち家族はむきになって突っ走って、結果交通事故にあったり(自分の落ち度はないが、なぜか呼び込んでしまう)わからない不調を感じたり・・・。結構後から来ました!!2カ月かかってようやく落ち着きつつあるのかもしれません。

 

最後に少しグチに付き合ってもらってもいいですか?父をしっかり見送りたいと、身体の弱い母が半ばむきになって?ずっと仕切ってくれていました。。。。。最初は妹がすることは全部肯定して120%以上で応援するのに、旦那や私がよかれと思って進めていくことすべて否定されておかしくなりそうでした、正直・・・・あせる 嫁いで初めて家を出たいと思うところまで行きかけて・・・・考え方見方を変えてみようと、踏ん張ってみました。

よくその時期に母が使ってた言葉をまず思い返してみた・・・。「私が目の黒いうちは・・・」「お父さん(父)が残してくれたものは私(母)も一緒に作り上げてきた歴史・財産」「おまえたちの時代だから、責任を持ってやれ、でも勝手は許さない」「娘(妹)がかわいそうで心配で仕方ない、何かしてやらなければ・・・」

あげたらきりはないですが、私たちができるのはまずは妹や姪っ子を大事に一番に考えることであったり、母がこうだと決めたことは全力で支えること。

 

母にとっても父が先だったことは予定外で、心臓もあまり強くなくインシュリンを打っている身なので、いつ何があってもおかしくない覚悟をしていたのは母の方でした。それがあれよあれよという間に父が病に倒れ、1年で先立ってしまった・・・・。そんなはずじゃなかった・・・・そういう思いがつのるんだと。

近くにいて病気に気が付かなかったことや、末期胃がんということで食生活にあれほど気をつけていたのになぜ・・・・という思いが湧いてくるんだとも思います・・・・。きっと自分を責めた時間もあったことでしょう。誰より父を大事に思っていた母だからこそ、余計につらいはずですよね。その苦しみを乗り越えるには、一緒に抱えてほしいという思いがそんな形で現れるのでは・・・・。父が一番に大事に思っていた妹のことを母が全力で守る思いがあふれてくるのは自然な話・・・私はまだ耐えられますが、旦那はおかしくなりそうだと泣いてましたガーン

私はまずは旦那を守り支える、ひいてはそれが家族のため・・・。そう思い込むことにしました・・・・。

 

疲れがピークの時期にこんなことが重なってすさんでいたうちら夫婦でしたが、無事に四十九日法要も終えて、肩の荷が下りたのか、だんだん家族も以前の生活を取り戻しつつあります。ただ違うのは会話の中心にいていつも笑ってくれてた父がいないこと・・・。大きな存在でした・・・・。身に沁みます・・・・。

 

父が病床で心配してた稲刈。。。まずは無事に終わらせましょう・・・!!

 

そしてお世話になったり心配して見舞ってくださった親戚のみんなにも、感謝と思い出を届けましょう・・・・!!

 

日々の生活の中で父を思い返しながら過ごしましょう・・・ラブラブ

 

そんな時間を積み重ねながら、また新しい家族の歴史を作っていくのですよね・・・

 

いつかは自分たちもこの世とはお別れする日が来ます。父が教えてくれた残された家族への優しさ・・・穏やかでかわいい顔で旅立っていった・・・それが父の人徳であり、人生の証です合格 遺された者が笑顔で見送れた・・・それってスゴイこと!本当にありがとう!

 

そんな父の思いを絶やさないよう、私たち家族はまた前を向いて歩きだしましょう!!

 

皆さん、こんな長い文章に最後までお付き合いくださって、ありがとうございます。

中には気分を害される内容も含まれてますが、それも含めて私たち家族です。ごめんなさいね。読む立場によっても受け止め方が複雑な内容もありますが、お許しくださいね。

 

今日は敬老の日、長い歴史を歩んできた人生の先輩でもある両親、来年もまた父を思いながら何かつぶやいてるかなあ・・・・。皆さんの身近な方たちの健康と幸せを祈りながら、閉めたいと思います。

 

台風も直撃しそうな様子、どうか被害がありませんように・・・。台風一過、涼しくなってくる季節の変り目、ご自愛くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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