Sportymagsさんの記事より | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

先ほど、やっとSportymagsさんに御承諾いただけましたので、アメ限にしていた翻訳記事をこちらに移動させます。冒頭の箇所の翻訳を寝ぼけ眼で今、追加しましたので、一応完成版です。

泣ける記事です。と同時に、結弦くんへの応援の仕方について、改めて考えさせられる本当に良い記事です。

Yuzuru Hanyu: Skater, Rock Star, and the Price of Fame

ユヅル・ハニュウ:スケーター、ロック・スター、そして名声の価値

スポーツの世界で成功することの恩恵が特別なアスリートたちにとって素晴らしいことであると誰もが知っている。しかし、世界一のフィギュア・スケーターになることの価値とは何なのだろう。オリンピックのスケートの分野で金メダルを獲得した時、何が起こるのだろう?この質問に対しての答えは1つではない。この質問への答えはそのスケーターの出身国によると思う。

もしもそのスケーターがアメリカ出身であるならば、最初にちゃんとしたメディア報道があるだろう。そして、トーク・ショーへの出演など。もしかしたら儲かるスポンサー契約などもあるかもしれない。アイス・ショーへの出演もあるだろう。もし本当にラッキーだったら、ウィーティーズ(ケロッグ・コーンフレークみたいなシリアルですね)の箱を写真となって飾ることさえあるかもしれない(タイムリーなスポーツ選手の写真が使用されている)。

もしカナダ出身なら、まず自分についての記事が新聞に掲載されることもあるかもしれないが、それ以降は公衆の面前から姿を消すだろう。スケート界では有名になって、人気者になるだろうが、それはスケート界に限ってのことのように思われる。日本で熱烈な信奉者を持てば、彼らのアイス・ショーへ招かれることになる。たとえば、パトリック・チャンは3度の世界選手権チャンピオンだが、スケートのファンでない限り、彼が誰であるかを知る人々をカナダで見つけるのは難しい。

北アメリカを周遊するスターズ・オン・アイスのようなショーもあるが、ホームでは日本のアイス・ショーほどエキサイティングなものにはならない。それにテレビ放送されたとしても、本当にまれなことなのだ!さて・・・もしスケーターが日本出身だとしたら、これは全く異なる話となる!!

この1年半あまり、ユヅルに何が起きたかを見てみよう。ユヅはとても人気のあるスケーターからメガ・スターになってしまった。長年にわたる彼の血と汗と涙と懸命な努力に対して、スポンサー契約が素晴らしいご褒美となっている一方で、「アイ・アム・ザ・ファースト?(僕が一番?)」という言葉を口にした瞬間、彼の人生は変わってしまった。

まず最初に、ユヅは他者とは違う何かを「持っている」のである。ユヅは天与の才能を持っている。が、彼は控えめで、優しく、見ていて非常に心地よいのだ!彼はドリーム・マーケターであり、彼の「ブランド」は非常によく形作られており、守られている。

スケーターとして

近年、ユヅのように観客を意のままにすることができるスケーターの名前を私は思い出すことができない。

ユヅがどれほどパワーを持っているかを証明する大きな証拠は、2014年の世界選手権であった。ユヅは得点を待ってキス&クライに一人で座っており、観客たちを両腕の動作で制して静まらせたのだ。というのも、ハヴィエルが次の演技を控えていたから。
これがスターのパワーだ!!テレビの解説者でさえ、若い青年が、両腕のわずかな動きで建物全体を揺り動かすようなざわめきを静かに抑えてしまったことに驚いていた。

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次のいくつかのユヅ・パワーの例は、2015年の世界選手権で見ることができる。
まず、大型モニターに、バックステージでウォーミングアップをするユヅが映し出された。ファンたちはバックステージの彼を見て、熱狂し、歓声をあげた。
次に、2015年の世界選手権でのスモール・メダル・セレモニー。アナウンサーがハヴィエル・フェルナンデスを紹介し、コメントを述べようとした際に、彼は再び指一本で群衆を静まらせたのだ。

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ロック・スターとして

スタンレー・カップやスーパー・ボウルで勝った時にだけ、チャンピオンシップのパレードは、北米でもこれ(仙台の凱旋パレード)に似たようなことになる。その時でさえ、たった一人の人間にこれほどたくさんの人々が群がることはない。

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およそ9万2千人の人々が仙台の通りを列を作って埋め尽くし、オリンピックに勝利した後のユヅを一目見ようとしたのだ。

スケートの主催者とユヅのチームの両方は、彼が参加するどんなタイプのイベントも、今となっては特別なセキュリティ対策を必要とすることを知っている。彼がカナダで練習をしているのは幸いである。そこでは彼はすべての狂乱からほんの少し休むことができる。

最も印象的なことは、ユヅが仙台にいるとき、仙台市がすべての狂乱から彼を守り、普通に、彼はファンたちに群がられることもなく、日常生活を行うことができるようだ。

しかしながら、ユヅはインタビューで普通の人間としてショッピング・モールへ出かけられないと言っていた。すべてはコーディネートされ、アレンジされている。想像できないことだ。

名声の価格

このように注目を浴びることは素晴らしいことである一方、ユヅは完全に障害も理解している。アイスショーで演技している時でさえ、また、競技会においてさえ、彼はもはや正常感を感じることはない。

メディアとファンたちの情報への渇望は信じがたいものだ。準備されたインタビューやニュース映像でさえ、ファンたちは余さず捉えようとする。

そしてあらゆる動き、あらゆる言葉、あらゆる微笑、あらゆるウィンクを分析している。見られることで身動きが取れなくなるほどだなんて驚くべきことだ。あるファンは東京のマダム・タッソー・ミュージアムでユヅのウェストをメジャーで測ろうとさえしていた!

彼の練習仲間が投稿してくれる、スケートをするユヅの幸せそうな新しい写真を見る時、ひとりのファンとして、それはいつも素晴らしいものである。これらのことは、瞬きをするより速く、伝播する。

しかし、私は、メディアがいつ線引きをすべきかを、時々は理解する必要があると思う。最近では、衣装のジッパーを締めているユヅの動画がアップされていた。それは彼がバックステージでさえプロテクトされていないことを示している。

医療班が病院へ運ぶために、ユヅをストレッチャーに乗せ込む映像は、同様にちょっと不必要なものだったと思う。

どこまでいったらやり過ぎなのか、という疑問を抱かせるものではないだろうか??私たちはこうした詳細を本当に「知る必要」があるのか??

私たちは今日、このような世界に住んでいるのではないかと思う。ユヅがこの種の責任を肩に背負っていることは、信じがたいことである。

世界がビートルズとエルヴィスに席巻されていた時、インターネットや、インスタグラムや、Tumblrや、ツィッター等が存在していたら、どのようなことになっていただろうと思う。

ブライアンがユヅにソーシアル・メディアから距離を置くことをアドバイスしたことをうれしく思う。何故なら、ファンでない人による意地の悪い投稿がスケーターのソーシアル・メディアのアカウントに投稿されているのを私は目にしたことがあるから。

いくつかの点で、アスリートがあらゆる情報を共有することは、それほど価値があることだとは思えない。

彼のスケート仲間たちが彼のプライバシーをリスペクトし、彼が承認したものに限って、彼の写真を投稿していることに感謝している。(たとえば、ノブナリ・オダとユヅが承認しなかったユヅの追加の壁ドン写真など)

私はファンから2回ほどサインを求められたことがある。それらは二回とも異なる機会で、私は誰か他の人と思われていた。あるファンは、私がミシェル・クワンだと思っていた。
それはとてもこびへつらうようなものだった。

それで、私のあらゆる動きを見ているファンたちを持っていた頃に似たユヅの立場に自分を置いてみようとしたのだ。

私はいつも有名になることは、ある意味かっこいいことだと思っていた。そして事実、私は最初の頃はそれを楽しんだのだ。しかし、その数がしだいに大きくなり、セキュリティに関する懸念が高まった時、それに何の価値があるのかと思った。

スケートから離れて、ユヅは普通の生活の感覚を持つことができるのか??私たちは彼が今なお、競技の世界に身を置き、アイス・ショーに出演している間は、彼が普通の生活を送ることができないことを知っている。

こうしたあらゆる注目について、スーパー・ポジティブなことがひとつある。それは、彼のキャラクターが変わっていないということだ。

ユヅはスターとしてのステイタスとメディアを使い、彼が本当に深く信じている活動、たとえば、東北の彼の故郷の再建や、赤十字社の献血といった活動に世間の関心を向けている。

ユヅは自分の故郷を忘れることはない。彼は他者を助けることで恩返ししたいと思っている。彼は本当に特別な種類の人間なのだ!

頑張れ、ユヅ!