派遣の功罪

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パート、アルバイト、派遣社員の昨今の多さは疑うべくもない。コンビニなど、顔見知りになったと思うとすぐにいなくなる。ファミレスとて同じ。

個人商店での買い物の際にはちょっとしたコミュニケーションがあったものだが、そんなものはいまどきない。売り手と買い手の接触の希薄さの兆しは、ブティックが出始めた頃だろう。デパートのように店員が付きっ切りでサービスするのが煩わしがられ、以後、客は放っておくというスタイルが主流になったのである。よって店員には専門知識が必要なくなり、見渡せばアルバイトばかりという世の中になってしまった。

そんな中、銀行の派遣社員が客の預金を着服する、個人情報の漏洩に関与するなど派遣社員の不祥事も目立ち始めている。時々派遣社員として働く私としては、派遣社員は玉石混交で、真面目な勤務態度の者が断然多いが、中には時給さえもらえれば仕事はたくさんある、仕事に対する責任感もなく、派遣先の会社に対する忠誠心もなく、楽な職場、楽な仕事と渡り歩いて暮らすフリーターと同じメンタリティの者もいる。それでは不祥事の発生の温床となる面がないとは言えない。それを防ぐにはやはり派遣先の正社員のチェックが必要だが、正社員は正社員で自分の仕事で手一杯で、派遣社員が昼からビールを飲んでこようがパソコン上でゲームをしていようが厳しく対応できない。

30年ほど前には考えられなかった派遣というワークスタイルは大変便利だが、問題点はやはりある。正社員との間にある薄い膜のような断絶感、待遇面の差、それをどうするか考える時期に来ているのではないだろうか。

とりあえずは、学生も社会人も一律の時給というのを見直してくれないものだろうかと思う。勤務態度、成績の上下、経験のあるなしが一切関係ないのでは時々空しくなる。
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ツン読の本が所狭しと、それでなくとも狭い私の部屋でのさばっているのに耐え切れず一念発起して売れる本は売り、寄付できる本は寄付し、読むべきは一冊一冊シラミつぶし(?)に読んでいる最中である。速読できればいいのだが、どうも速読をマスターするには万ガネがかかる模様である。諦めざるを得ない。


最近の読破本「近代史のおんな」(村上信彦著、大和書房)は、タイトルだけ見た時にはきら星のごとき女性たちの心躍る記録かと思ったが、さにあらず、読み進むほどに気が滅入ってくる本だった。


それというのも、明治や大正を生き抜いた女性たちが差別と戦って女性の権利を勝ち取ったというような(やったね!)という達成感を伴う読後感のお話ではなく、差別や偏見、因習の嵐が過ぎ去るのをじっと耐え忍ぶ、またはボクシングのスウェイのように身をかわして生きた女性の話なのだ。「常識」に立ち向かって運命を切り開いたタイプの女性が出てくる話ではない。


例えばドイツ貴族に嫁いだ青山光子という女性は与えられた運命のボウルの中のみで努力をして生きたのであって「自分の妹達が男性の支配する世界と社会の奴隷であり、対象物であるに過ぎない」と喝破しながら、日本に戻って女性の地位向上に尽力したわけではなかった。有島武朗の「或る女」のモデルになった佐々城信子にしても、短刀まで持ってストーカーのように彼女に付きまとった国木田独歩と唯々諾々と監禁同様の結婚生活を送った。今では到底許されない犯罪者まがいの文学者が二人の顛末を「鎌倉夫人」に書いた時にも反論せず、沈黙を守ったという。


明治時代の事とて離婚時、同情は独歩に集まり、彼は「女子は下劣」と女性全体を罵倒、徳富蘇峰というインテリでさえも信子は魔物とまで罵ったのに反論しなかったとはこれいかに。刃物で脅して女を監禁する男の方がよほど品性下劣なのに。


中で私が一番感動したのは高群逸枝である。小学生の頃から「なぜ」「どうして」と教師に質問、自己主張をして遂に教師に疎まれ、師範学校を退学処分の憂き目に遭っている。それでもめげずに超人的な執筆活動を続けた強さには脱帽する。彼女の才能も献身も認めずになぐる、けるの言われなき暴力を続けた夫が最後には良き理解者、協力者と変身し、「婦」唱「夫」随の夫婦となるところなど、小説の「恩讐のかなたに」ばりであが、それにしても監禁はされる、ストーキングは受ける、かてて加えてDVと来ればまるで女性に対する男性の態度が明治から現代までちょっとも前進していないが如くで滅入らない方がおかしいではないか。似た映画があった。黒人男性が黒人女性を不当に扱う話「カラーパープル」である。その後アメリカの黒人女性の地位は大幅にアップしている。それは彼女たちがコンスタントに地位向上を求め続けたからである。

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想像上の動物バクは夢を食べて生き、私は楽しみを食べて生きる。楽しくなくちゃ人生じゃない。しかるに日本人というのはあまり楽しみを重要視しない。楽しみは無駄、悪だと思っているフシすらある。対極がフランス人である。、仕事こそ悪で、彼らは楽しむために仕方なく働いてながーいバケーションを取る。その昔、日本人の楽しみといっては一生に1度のお伊勢参りとか年に1回の祭か湯治。それが1世紀や2世紀でころっと変わる訳がない。

ある中年独身男性の知り合いを例に取っても、仕事に出かけて判を押したように夕方に帰宅、TVを見ながら母親の手料理を肴に酒を飲み、就寝。これの繰り返し。


年末年始には宴会や酒盛りもあり、消防団の旅行などもたまにはあるようだが、彼の母親にしてからが「どこにも行きたくない」というタイプで、この遺伝子は確実に彼に受け継がれている。特技なし趣味なし情熱なし、と3ナイ揃いの彼は当然美味しい店ひとつ知っている訳でなし、たまに釣をしても1日粘ってまずいソ
ウダガツオを2、3匹釣るのがせいぜい。その昔読んだ「ボバリー夫人」の「胸を叩いても火花1つ出ない男」の見本のような男である。実は私は彼をたったの1万円でシャンペン飲み放題のオーストラリア大使館主催のディナーパーティや、無料の券を入手して東京の有名ジャズクラブに誘い出したものだが、「楽しかった」と彼の口から聞いた事がない。また誘おうという気も失せ、最近はどこに行くのも1人である。

その点、ひいき番組『Xファイル』のモルダーFBI捜査官は同僚のスカリー捜査官を実にあちこちに誘う。山にピクニックに行こうと誘ったり(とんでもない結果になるが)、事件が解決したので「今から(フィラデルフィアの)自由の鐘を見に行こう」と行動的で好奇心に満ち溢れている。FBIなんて特殊な職業の人でなく、こういう男性が身近にいたら楽しいのにとため息をつく。

ZEPP TOKYOというライブハウスに1人でファンクミュージックを聴きに行った時も同好の女性の友人は「平日は疲れるから」とNG。彼女、学生時代はブイブイやってたのに。久保田利伸サンやブラザーコーンにトム、パパイヤ鈴木みたいな友人がいたらいいのに、ファンク好きな中年男などなかなかいない。いても40も過ぎると出不精になって仕事場と家と飲み屋の魔のゴールデントライアングルの中に埋もれてしまっている。


私のようなコアな「お1人様」の女が巷に蔓延する訳だ。


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