心に栄養を与えるサプリ

テーマ:

短い詩を書きましょう

 

 

短い詩が書けるようになると

自分が体験した(味わった)感動を

将来簡単に再生(追体験)することができます。

心に栄養を与えるサプリの一粒みたいです。

 

 

 

たとえば、好きな人の瞳に海が映っているとします。

静かなやさしい時間が流れ、久しぶりに気持ちよく笑顔になったとします。

これを、短い詩にして、

未来の自分に伝えたいとおもいました。

 

そんなとき

どうやって詩を書いたらいいでしょう。

 

書き方はいろいろありますが、

一番感動したことを

最後に持ってくると

「おち」がついて

まさに、落ち着きます。

 

好きな人の前には自分がいて

顔をみることがうれしくてたまりません。

とうぜん、好きな人の前に回り込んで

顔をよく見ようとします。

 

海を見ている好きな人の視線を

私が遮(さえぎ)ってしまうことに気づきました。

そういえば、いつもそうであることも思い出してきました。

 

一回きりではないことが

関係が継続していることを伝えてくれるでしょう。

永遠、という感じです。

 

「私」は、いつも、そしてこれからも、

あなたの視界を遮るのです。

 

それをもモチーフに書いてみましょう。

 

あなたの瞳の海を いつも遮る私

 

という1行ができました。

 

青い色彩に包まれた2人だけの濃い世界を

表現しました。

 

でも、もちろんこれだけだと

状況がわかりません。

どうしましょう?

 

そこで、「あなたの瞳の海」のことを書くことにします。

 

海の色は空の青を映してる

 

これで、瞳の海のことを描写して

二人がいる状況が表現されました。

青空のもと、海の見える場所にいるのです。

 

合わせてみます

 

海の色は空の青を映してる

あなたの瞳の海を いつも遮る私

 

短い詩が完成しました

 

ポイントとしては

感動の中心(気づきやはっとしかこと、心がが開放されたこと)を

最後にもってくること

 

ぜひためしてみてください。

 

 

私はこのような短い詩を「10秒の詩」と名付けて

書くことを勧めています。

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インスタ、やってますか。

 

写真を撮ったら、

撮った写真から詩を発想する

ということを習慣にすると

どんどん詩を書く回路ができてきます。

 

回路ができると

見たものから詩を書くことが容易になってきます。

 

では、その書き方をお伝えしましょう。

 

書き方には幾つかポイントがあります。

 

①写真の説明にならないようにする。

②写真に負けないようにする。

 

写真だけでも、詩だけでも

楽しめるように、という気持ちで取り組みましょう。

 

③写真から連想する

 

たとえば、下の写真から詩を作ってみましょう。

連想とは

過去に体験したことや見たもの聞いたこととの

つながりを手繰(たぐ)る

ということです。

 

下の写真をよく見てみましょう。

中央のお花がくっきりとして周りがボケています。

まるで一部分だけが鮮明な記憶のようですね。

 

花びらが白く、線が細く、可憐です

可憐な存在ではありますが、上を目指し

自分を精一杯主張している強さも感じます。

そんな人と出会ったことはありませんでしかたか。

 

空気は澄んでいて

小さな音も聞こえてきそうです。

夜は闇に包まれ、

虫と話をしているかもしれません

 

いつから咲いているのでしょう。

短い命かもしれませんが、来年もここに咲くのでしょうか。

 

この花が何かを話すとしたら

どんな話でしょう。

とても古い、人が気づかなかったことでしょうか。

昔、海からやってきた風が語った、

白い大きな客船の話かもしれません。

 

 

 

そうやっていろいろ連想してみて

材料を出していきます。

 

④花という言葉(花の名)を使わない

⑤タイトルは最後に決める(タイトルはなくてもいい)

⑥気分を決める

喜怒哀楽、とういことばがありますが

この花を見て

どんな気分を味あわせたいかを決めます。

「澄んでいてちょっとさみしいけど愛を感じる」

など、細かく考えてみましょう。

 

⑦書いてみる

連想した言葉やイメージを使って書いてみます。

短くてもいいので、いくつも書いてみましょう。

没をたくさん作るつもりで。

 

⑧書いたものを読んでみる

このとき、読者の気分で読んでみましょう。

読んでよかった! というおもしろさがあったら、

その詩を完成させてゆきます。

 

⑨⑥の気分に合わせてさらに連想し、リズム感や語感を整えていく。

おもしろい、気の利いた言葉を足してみましょう

 

⑩推敲

できた作品を読者の気分で読んで、手直しをします。

写真だけ、もう一度見てみましょう。

写真がなくなったときとある時、それぞれの見え方の違いを

感じましょう。

 

 

 

山小屋からニール・ヤングの歌が聞こえてくる

だれが聴いているのだろう

誰が歌っているのだろう(ごきげんだが下手くそだ)

 

森の中でなくしてしまった

父の小さな腕時計のことを突然思い出した

ずっと忘れていたのに

 

そのとき

父は怒らなかった

 

時計

探してみよう

大事なものを

もう一度探そう

 

 

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願い事という詩

テーマ:

願い事、もっていますか。

 

それは、どんなことですか。

 

もし、神様がいて

願い事を言っていいとしたら

なんといいますか。

 

きっとそこには

短い詩が存在します。

 

七夕の短冊の写真を見ていたら

そんなことに気づきました。

 

なになにがどうなりますように。

というのは

願い事のフォームです。

 

定型詩の原型の一つといってもいいかもしれません。

 

 

願い事には

あまり長い言葉は似合いません。

そこは詩と似ていますね。

 

神様は忙しいだろうし

人々はみな、願い事を持っているから

自分だけが長くて場所を占めるのは迷惑

という慎ましさの現れかもしれません。

 

つつましさがないと

つまはじきですからね。

 

でも

ただ慎ましいばかりがいいとも限りません。

 

もし、願い事を詩として完成させられたら

その思いは特別、多くの人の応援を得られるかもしれません。

 

宮沢賢治の雨ニモマケズの詩は

ソウイウヒトニワタシハナリタイという願いの決め台詞がありますが

長い願い事でも

詩になると、共感、つまり応援をしてもらえることになります。

 

日本人は願い事が好きです。

八百万に神々とともにあるからでしょうか。

 

願い事を詩に高めて読んでもらうことで

世間で生きていく勇気が得られるかもしれませんね。

 

 

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心象風景を書く

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心象風景を書くには

自己との格闘が必要です。

この格闘は、すでに行われている必要があります。

 

すでに行われてきた格闘を

延伸して、さらに格闘して決着をつけていくことが

重要です。

 

心象風景とは

心の景色です。

この景色は、当然、自分が見た景色であると同時に

自分を含めた景色を自分が見たものでもあります。

自分の心が見た景色をもう一人の自分が見たものであるともいえます。

 

それを読者が見た時、

詩の中に流れる時間や言葉が

どう機能して、どう見えるかを

計算しなくてはなりません。

 

計算と言っても

数式ではなく、

言葉の響き、意味の積み重ね、

可視範囲、経験則の適正利用など

さまざまに検討して

心象風景が再現されるかを検証するのです。

 

ここに私が先程かいた詩があります。

書き出しはこうです。↓

 

洞窟の入り口には

何も書いていない

暗くて

中のようすは分からない

 

入りたいけど

入ってもいいものか

先程から迷っている

いや

何度もここに来ては

迷っているのだ

 

書きたい心象風景のモチーフを提示しています。

暗めのトーンの景色が描かれていますね。

さらに続きます↓

 

入り口は

突然現れ立ち上がる

鼻先に迫る勢いだ

 

黴(かび)の匂いがして

中から風が吹いているのが分かる

 

どんな入り口なのかがフォーカシングされていきます。

そしてその存在が具体的イメージとして描かれていきます。

 

夕闇のカーテンが覆い紫の煙が立ち込める

人のささやき声が中から聞こえてくる

聞き覚えのある声だ

 

母かもしれない

 

こうして

立ち尽くしてしまうのは

私の癖(くせ)だ

何度 立ち尽くしてきたことか

 

自分との関係性が語られ

自分と強く結び付けられていきます。

母が出てきたのはどうしてでしょうか。

このあたりは、謎として詩に味わいを付加します。

 

心臓の鼓動が聞こえるほど

心?が聞き耳を立てている時

右から左へ

左から右へ

斜めに横切る刃(やいば)の光

 

私は中に入るべきかもしれない

戸惑う理由はないのかもしれない

とりかしのつかないことを

しなければならないのかもしれない

 

いや

きっともうその中に入ってしまった

 

自分という

未来の洞窟

 

最終行は「おち」を分かりやすく書いていますが

分かりやすくしないほうがいいかもしれません。

 

この詩は未完成です。

 

詩を完成させるまで

推敲が必要なことがほとんどです。

 

心象風景の詩は

特に難しいのです。

他人には分かってもらいにくいことを分かってもらうという感じのジャンルです。

 

普遍性というものが

どのあたりにあるか探りながら推敲し

完成させます。

 

ここに生贄にした詩も

たぶん変わった姿になっていくことでしょう。

 

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一流でなくてもいい?

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自分のこと、特別な人間だとおもいますか。

 

私は、ある性格分析によると

特別な状態でいないと、満足感がないタイプ(タイプ4)です。

人からも、一目置かれたいと思ってるタイプ。

 

周りの人に訊いてみると

そういえば、人と違うことをしている

変わっている、と言われます。

私は昔からそう言われてきました。

 

46歳で北京に一文無しで逃げるようにう北京に留学したことなども

確かに普通ではりまあせん。

そんな普通じゃない自分に、私はよしよし、とほくそ笑んでいるのでしょうか。

ひじょうにおぞましい限りですが。

 

意識するにせよしないにせよ

ひとには性格というものが備わり

良きにつけ悪しきにつけ

それに影響されて生きています。

 

そういえば、

2枚目、3枚目という分類もありましたね。

私は確実に3枚目ですが、

2枚目気取りをしてそのギャップで

見るものの注意を引くという

自虐的な性質もあります。

 

では

1流、2流、3流というのはどうでしょう。

私の周りには

世間から1流とか神とかいわれている人が数多くいます。

1流の人は何かをもっています。

そして不思議と自慢しません。

とても謙虚です。

 

そのひとが「持っている」ものを探るのはおもしろいことです。

とても興味深い。

真似できる部分はあるでしょう。

でもただ真似しても1流にはなれません。

 

私は何流でしょうか。

世間は3流と烙印を押すでしょう。

うだつがあがらないのは小さい頃からの「性格」といってもいいくらいです。

 

しかし、私はいつも1流に憧れ

亜流から1流を目指しています。

正面から1流を目指すことが出来ないことを感じ取ってきたのでしょう。

そして1流に横から近づきます。

 

1流とはそおれほどまでに、

憧れてしまう存在なのです。

 

3流でいいと割り切って生きることも可能ですが、

それでは私には寂しいのです。

 

1流はなぜいいのでしょうか。

それは生きることを肯定する美しさを

我がものにしているからではないでしょうか。

 

ただし、1流の人が幸せかどうかは

人それぞれです。

不幸な人も大勢いるのです。

 

1流でなくてもいい。

3流の人にも、かっこいい人が沢山います。

それは自分にとっては1流なのですが。

 

つまり世間の評価より

自分の評価が大事です。

1流の人はやはりいいものです。

 

世間ではなく、自分にとって1流の人に

私もなれたらいいな、と

これを書きながら気づいている私です。

 

パリにて

 

 

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10秒の詩

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想像力を加えて書く

テーマ:

 

詩人には

微細なものを感じ取る力が必要です。

 

たとえば同じものを見ても

詩人は他の人が見ていないもの

(正確には見ていて気づかないもの)を

見ます。

 

角度というのも重要です。

詩人は想像力で、対象に接近し

回り込んで観察することもあります。

 

例えば

葉っぱが風に揺れ、滴が落ちてきたとします。

そのとき詩人はその滴に接近して

そのかすかな音を聴きます。

落ちた滴は地面にしみて土の香りを強くします。

土から立ち上る湯気を、草木の足元から見上げます。

想像力を働かせて書いていきます。

 

葉が風に揺れ

滴が落ちる

 

滴は虫たちにしか聞こえない

かすかな音とともに

地面に達する

 

そして

夏の匂いを放ち始める

 

という具合にです。

 

何でもない日常の中から

季節の移ろいや気持ちの動きの機微を表現するわけです。

 

もちろん

これは基本であって

そういったベースに

思想、見識(世界の見方)から芽吹いた

世界のありようを

提示していくわけですが

直接的に説明するわけではありません。

 

詩にするための

魔法がいつも存在するのです。

それは想像力で「ひとっとび」するような

跳躍的な表現を獲得していくということです。

 

作文ではないのですから、

詩にするための工夫が必要なのです。

 

 

 

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言葉少なに語りたい

テーマ:

詩と絵本の境界線は?

 

絵本というものは詩とよく似ていて

言葉少なに語ってくる。

 

言葉が少ないのは、

絵に描いてあるからという意見もあるが、

それは僭越というももである。

 

仮に絵がないとしても

言葉はそれほど増えはしないからだ。

(むしろ減ることのほうがおおく、

 絵本の文は、詩になってしまうことがほとんどだ)

 

それほど

絵本と詩は近い関係にあるのに

それに気づいている人は意外と少ない。

まあ、気づく必要もないのかもしれない。

 

絵本を沢山読んでいる人は

あるいは読み聞かされている人は

詩にも馴染みやすいはずだ。

もちろん、現代詩といった高尚で偏屈なものは例外としておいて、

普通の詩には馴染みやすいはずだ。

 

そこには、リズムがあり、

波が打ち寄せるような繰り返しがあり、

峠を超えるような喜びと苦しみがひそみ、

広がる眺望や満足感がある。

詩と絵本の共通点だ。

 

ポエムファクトリーで、生徒さんの詩作品を見ていると

そこに絵があればそのまま絵本になるような作品とよく出会う。

 

え、これ、絵本にしたらいい!

と本気で思うことがある。

それは詩として書かれているのだけれど

きっと、作者が子どもと接して書いているうちに

子どもを対象としたど作品になってしまうのだ。

子ども向け、ど真ん中ストライクの。

 

これは擦れた大人にはわからない。

子どもは知っているのに、大人になると見えなくなるものだ。

そこには理屈がなく、感動がある。

 

だから、それは詩でも、絵本になってもかまわない。

人を育み、人に命を持つことの楽しい感覚をもたらしてくれるから。

 

それは、創作者の思いが、

形になった瞬間。

永遠の語りべが生まれた瞬間でもある。

 

 

絵本ワークショップ! 札幌・俊カフェ

 

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死んだほうがマシ

テーマ:

よく私は「死んだほうがマシ」と思う。

「死んだ」ことはもちろんないので、

これは、具体的なイメージをいだいていっているのではなく、

心が「勢い」で叫んでいるものだとおもう。

だが、そう知ってはいても、やはり私はしょっちゅう「死んだほうがマシ」と言う。

たまに「生きてる価値ねえ~」というセリフになることもある。

声に出すことも出さないこともある。

声に出すのは特定の親しい人物の前か、一人のときである。

 

「死んだほうがマシ」というのは

「嘆き」であるということができようが、あまりレベルの高い嘆きだとはいえない。

(まあ、嘆きというのは負の感情グループの「愚痴」さんの友達なので、

レベルがどうこうだ、ということではないだろうが)。

 

「死んだほうがマシ」というのは、当然

「生きているより」または「こうして生きているより」という

比較の対象が省略されている発言である。

省略されているのはそれがただの嘆きだからである。

比較する意味はないということだ。

速く結論のみを吐き出してしましたいだけだからだ。

まごまごしていると支障があるからだ。

 

なにか小難しい主張や、説得をしたいのではなく、

単に「死んだほうがマシ」と吐いて

絶望や苦しみを表出して捨ててしまいたいだけなのだろう。

 

よくよく考えれば

自分を生かしているのは「命」であって

または命があって自分が思考したり認識したりするのであって、

命の上に乗って「死んだほうがマシ」というのは

成り立たない方程式である。

発言しているのは命ではなく、自我とか意識と呼ばれるものなのだから。

 

この自我が自我を否定したり

悲鳴を上げているだけだということに

本当は感づいているのだ。

 

命はいつも「生きたい」と望んでいて

生きる道を探り続けていると思う。

生きることが苦しければ

命は勝手に死を選ぶこともある。

 

命があること事自体が

私にとって、生きたいということと一体で

生き続けることを最上の価値としているに違いない、と私は思う。

 

しかるに、「死んだほうがマシ」という私の自我は

本当は何かから逃げたいだけで

逃げることで生きやすくしたいだけなのかもしれない。

だから「死んだほうがマシ」という自我を

私は適当に無視する。

 

「死んだほうがマシ」という私の言葉を聞いたら

がっかりする人や怒る人もたぶんいるだろう。 

人は、人に、生きて、貢献や罪滅ぼしをしてほしいと願っているのではないか。

 

そういう私も「死んだほうがマシ」と言っている友人がいれば

がっかりしたり、怒ったりするだろう。

励ましたりすると思う。

 

私はよく自分を「万死に値する」と思う。

それくらい人に迷惑をかけてきたと思う。

迷惑をかけたり、人にいろいろとしてもらったり、

そういうものを全部お金で返すとしたらどうなるか。

このあいだ計算してみた。

 

計算したら30億円を超えていた。

もちろんお金には代えられないものは除いた数字だ。

 

生きているということは借りを作ること

生きているということはその借りを返していくこと

誰かに借りたら誰かに返そう

誰かにそうしてもらったように誰かにそうしてあげよう

 

これはうろ覚えだが、永六輔さんの歌詞。

中学生の時に一度聴いて鮮明に記憶に焼き付いた。

 

死んでる場合じゃない!

 

命さんが生きようとしている限り

嘆きを発しつつも

返していくという苦行は続けなければ。

苦行の果てになにもないとしても。

 

それが生きることかもしれない。

思いがけずいいこともあるかもしれない。

 

南武線の踏切

生きていくことをつらく感じる時

 

自分の命が悲鳴を上げている時

 

このようなときは詩を書くチャンスでもあります

 

感性のアンテナがに日常生活モード(平穏モード)から

違うモード(探求モード)にきりかわっているからです

 

そんな時はおいしそうな食事も、かえって自分を責めるものに感じられたり

風景のきらめきや素敵な人も

手の届かないよそごとのように思われるかもしれません

 

孤独に隔離された自分が

自分以外を分離して見てしまうからなのでしょう

 

そんな時

詩を書くというのは、どんな効果があるのでしょうか。

 

まあ、なぜそんなものを書かなきゃいけないか、とはここでは考えないでください

 

いい詩を書くチャンスがやってきているのですから。

 

詩を書くと、それは自分の外に自立して

自分の味方になってくれる効果があります。

ときには、自分の前に仁王立ちして、ときにはひっそりと

自分を守ってくれるのです。

 

孤独に苛(さいな)まれているとき、

自信を失って生きている意味がわからないと感じれれる時

その理由を書き出してみましょう

 

思い当たることを

次から次へと吐露していきましょう。

 

そこには普段、感じていながらも、めったに見られない

新参者の言葉がでていることがよくあります。

 

そして、その新参者の言葉は、

他人にとっても新しい発見をもたらすものであるに違いありません。

 

詩人が孤独の沼の水を汲み出し、

そこから初めて出てきた泥は

虹色に光っているかもしれないのです。

 

虹色に光る泥は

この世に生きるすべての人の魂の中にも在って

それは呼び合い、語り合います

 

詩人の知らないところで。

そんなことがおこるのです。

 

そしてその言葉は

将来、書いた詩人自身にも語りかけ

いろんなヒントを与えてくれるでしょう。

 

 

詩でラブレターを書くと…

テーマ:

詩のラブレター

 

ラブレターという言葉。

随分直截的(ちょくせつてき)で情緒ありませんが、

きっとこの単語が作られたとき、

甘美でロマンティックな響きを

人々は感じていたでしょう。

 

ラブレター、書いたことがありますか。

それは、好きな人に向けて、

たぶん、私は貴方が好きだという告白と、

自分を知ってもらいたい、よく見せたい、という意図が

ミエミエの文章だったかもしれません。

 

私も、詩を連ねてラブレターを出したことが何度かありますが、

のちに「あのときは引いた」と

打ち明けられたこともありました。

 

表現には目的がある

 

ラブレターは告白する、という目的が第1ですが

それを渡すこと自体で告白になりますから、

ラブレターの第1の目的は、

儚くも無意味となっていることがほとんどです。

 

ですから、重要なのは「その他の」目的ということになります。

つまり

1 自分(と、愛するあたなに努力)を知ってもらいたい

2 自分はいい人間で、あなたにとってオトクな人であることをわからせたい

3 具体的に次のアクションにつなげたい

こんなことであろうと思われます。

 

実は、こんな時

理屈っぽくない、さりげなく自慢話を盛り込めむのに

詩は最適なのです。

 

愛する相手を唯一の読者として、

相手を包み込む宇宙を、その時間と恩恵までもを

詩人の手によって手渡すことも可能なわけですから。

 

詩を書きましょう

 

詩でラブレターを書くという目標が設定できたら

あとは企画を考えて書くだけです。

「なんとなく恥ずかしい」と思う方も

大勢いると思いますが、

愛する人を前に恥ずかしくないはずがありません。

 

恥ずかしければ恥ずかしいほど

それはだれにも真似出来ないものなのです。

 

ということで、

ドン引きされることもよしとして、

詩で告白しましょう。

 

日本最古の文芸も

「相聞」という恋の歌でした。

平安の貴族たちも

詩歌でラブレターを書き、送りました。

 

よく読むと、赤面することも書かれていますよ。

それを言うか、ってなことを

平然と、

むしろ堂々と言っています。

 

ある意味、この開き直ったパワーは

人に感動を与える基本かもしれません。

 

恥ずかしがっていては

カラオケだってそうでしょ!

 

表現の基本は

恥を承知で言い放つこと、と心得てください。

それがスタートラインといってもいいでしょう。

 

 

 

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