全国的にもあるのだろうか?【白ゆりテスト】一教科60点満点で五教科(英国数理社)総合300点満点の模擬テストである。岩手県の公立高校の受験にはこの300点満点が採用されている。今の時代はわからないが俺らの時代の

【受験】といえば白ゆりテスト

だった。各高校に大体の合格点ボーダーラインがあり、志望校のそれを目指して中3の頃受験勉強をしたものだ。これまた今の時代は違うのだろうが1994年当時、

盛岡一高 270点
盛岡三高 230点
盛岡四高(しこう)210点
盛岡南高 160点
不来方高 150点

なんていわれてた…気がする(記憶が曖昧、間違ってたらゴメンナサイ)。俺の成績は常に中の上。得意の数学は満点の60点をとったこともあるが

英語が壊滅的だった

苦手科目…なんて生易しいものではない。単語も覚えられないし、ましてや文法なんて未知の世界…。英検4級は受かったが

英検5級に落ちる

という意味不明な学力。クラスメイトはテスト前にちゃんと復習できてなくて

「この教科捨てたわ〜」

なんてよく言っていたが、俺の場合は初めから英語はないものだと考えていた。俺の中では五教科300点満点ではなく

四教科240点満点(笑)

だって英語の点数は軒並み一桁台。最低点は【2点】…。どれだけ俺の英語が壊滅的だったかお判りいただけだろうか?からして、英語を克服すれば四高に合格できたのかもしれない。志望校を決定する最後の模擬テストは冬休み明けに行われた。

207点

微妙…。ケアレスミスを加味すると届かない点数ではなかった。本番までには2ヶ月間もあるしどうにかなるんでは…。兄貴二人も四高に通っていた。

でもね、しかしね、

兄貴がいるというのは確かに心強いが、なんか俺の中では腑に落ちなかった。それはそれで間違いない道なんだろうが…常に兄貴たちの背中を見て育ってきたが、兄貴たちの足跡を辿るのがちょっと億劫になっていた。

思春期だったのかしら?(笑)

あとは部活問題だよね。中学はソフトテニス部に所属していたが、続けるつもりはなかった。
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盛岡四高なら【体操部】
盛岡南高なら【ボクシング部】

と決めていた。意外かもしれないが、佐々木は中学まで器械体操が大の得意で体育の時間よく模範演技をやらされていたのだ。なのでちゃんとやってみたいと思っていた。

ボクシングはずっと興味があった。

小4から少林寺拳法を習っていたのだが、年齢的に取れる段数は頭打ちだったし試合は行われずあくまでも組手演武。中学のソフトテニス部はダブルスのみだった故に

自分一人の責任で何かやりたかった

ボクシングの名門【水沢工業】という手もあったが、電車で1時間かかるし…とにかく駅までが遠い地に住んでいたのでそれは自ずと消えた。狙おうと思えば行けたかもしれない四高ではなく、(兄貴たちが)誰もいなくボクシング部のある【盛岡南高】に志望校を定めた。

青春には女子がつきものである

最終的に決めたのは好きな子が盛岡南にしたから…という噂もある。冬休みの受験勉強で点数アップしたのはこの子のおかげ。しかも英語!どんな魔法をかけられたかというと…

過去形を教えてもらった

それまでの俺は英語に現在形・過去形があることすら知らなかった。こんな受験生いないだろうと思うだろうが…いた(笑)isとwasは全く別の単語だと思っていた…そりゃ2点だよな。。そんな

勝利の女神を手放すわけにはいかない…

と中坊なりに思ったんだよね。一応滑り止めの私立受験も経験し3月15日の高校入試本番を万全で迎えた。

結果はもちろん合格!

無事に中学も卒業し4月の入学式直後、俺は憧れのボクシング部の門を叩くこととなる。もちろん、勝利の女神も合格しており、楽しい学園生活が始まるはず…だった?!入学して1週間で

女神にフラれた…


続く。

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