盛岡南11 薔薇の花にあ青嵐薫り。

テーマ:

イバラのハナにカゼカオり


時は過ぎ、高校二年の初夏。部活動・応援団共に世代交代の時期となっていた。何度も言うが応援団は応援委員会だからして、団長=委員長なわけで


【生徒会選挙】に出馬


しなければならない。この頃はとにかく人前に出るのが嫌で嫌で仕方なかった。しかも予め団内では時期団長が選ばれ、出来レースのように選挙に出る仕組み。前団長からずっと声がかかっていて


どうにか回避できないか?


と、考えている最中にボクシング部の県民体育大会を迎えた。まぁ国体予選だと思ってもらえればいい。前月の高総体(インターハイ)予選を体調不良で欠場していた俺の一回戦の相手は、その高総体予選で優勝した岩手県チャンピオン。しかも、いつもスパーリングでボコボコにされる同級で南高校ボクシングの和友先輩(新人戦県チャンプ)を倒しての優勝


勝てるはずがない。。


対戦相手はバンタム級から階級上げて来たというのに恐ろしくパンチ力が強い。先輩が屈した理由もわからなくはない…けど、負けたくなかった。ダウンを取られ…逆に取り返しのパンチの応酬が続き、結果は判定に持ち込まれた。

{67E4878B-A92A-4B4E-ACD9-457682A3B0D1}

勝っちゃった(笑)


人生何が起きるか本当にわからない。ただ、最後まで諦めなかったこと、練習を繰り返していたのは事実。そのまま危うい試合を何度か繰り返し大会最終日


決勝戦を迎えた


対戦相手はもちろん和友先輩。。同門対決の決勝戦なんて会場はまったく盛り上がらずそれが先輩vs後輩の試合ならば尚更結果は見えていて、


フルボッコだよね(苦笑)


その証拠に普通はありえないんだか、ヘッドギア越しにも俺の左目は黒く痣になっていた。大会後にボクシング部も世代交代を迎えることとなり時期主将(キャプテン)を決めることになった。ボクシング部の伝統として、主将になるのは


同期で一番戦績のいいヤツ


と決まっていた。県民大では二年生ながら決勝戦に残ったものの公開処刑されたし高総体予選を棄権していた俺には実績らしい実績もなく関係のないことだと思っていた。


「お前が主将やれー」


突然顧問に言われる。どーやら岩手県チャンプに大金星をあげたことが影響してるらしいえ~やだぁ


めんどくさい。。


そもそもボクシングを選んだのは個人競技だからだ。小中でやっていた少林寺拳法は【組手演武】、中学部活のソフトテニスは【ダブルス】オンリー。入賞するもしないも勝つも負けるも


相手ありき


なんだよね。元々チームプレイが得意ではなかった。負けた時は著しく思う、


もっとできたんじゃないか?!


一人だけ練習しても限界があるし、同じ目標同じ意識を持つ仲間とはほとんど縁がなかった。それに仲間のせいにしてしまおうとする自分も嫌だった。だったら一人でやれる競技をやろうと思って始めたのがボクシングだった。主将なんかやった日には色々気を配らなければならなくなる。いやだー


俺は一人でいい


もちろん、色んな観点から見ると「一人で」ってのは無理な話なんだけど、セコンドだっているわけだしさでもその時の俺はできるだけ人とは接さずに内へ内へ


陰へ陰へといく傾向にあった。



続く。


AD

盛岡南⑩ 春繚乱の光清か。

テーマ:

盛岡南高校は必ず部活動に在籍しなければならず、俺は仮入部を経てボクシング部の門をくぐっていた。しかし、応援団に入団させられたせいで、入部したてなのに毎日30分以上遅れての部活動参加となり、基礎練の大事な時期なのに周りの新入部員からは遅れをとっていた。


なんなんだよ応援団って


5月、けっこう離れた場所に位置する郊外の球場で野球部の公式試合があり応援団が出動することとなった。当日はボクシング部を休み、慣れない電車を乗り継ぎやっと辿り着いた球場には南高校の応援団の姿は見当たらず間違えたか?!と思ってウロウロしていたが、三年の先輩が一人、二年の先輩が一人現れた。


「今日は三人だ


ええええ!!?逃げたな確実にあいつら逃げたなぁーー!しかし、二年も三年も一人ずつとはどういうこだ?!しかし、三人しか団員がいないから


三人で応援するしかない


普通はありえないのだが、新一年生の俺は学帽ではなくハチマキと白手袋を渡され、最前列に立って応援歌を歌った。


まぁ三人だからね。。


試合の結果は覚えていない。翌日、応援団全員がセンターガーデンに集合をかけられた。昨日のことでみんなこっ酷く叱られている。


「一年は哲平、二年は◯◯しか来ないとはどういうこだぁー?!!」


一発で名前覚えられたよね(笑)しかし、三年生はいいのか?


「全員腕立てーー!!」


まぁそうなるわな。つーか部活か?!一応委員会なんだけどなぁ。


「◯◯(昨日来た二年)と哲平も!!」


は?


「連帯責任だ!」


ええええ~?それなくない?!!つーか連帯責任だったらお前もやれやぁーー!!二年三年の先輩、そして横で苦い顔しながら腕立てしている同期の連中全員に敵意を覚えた瞬間だった。


こうやって人を信じられなくなっていくんだな


続く。



{9133F7A5-0B1B-46B1-B864-BCC0EAAB9100}



AD

​​一泊二日、専業ダディ。

テーマ:

先週末は珍しく二連休…に合わせて、妻が出産後初のお仕事(ヘアメイク)に出かけた。しかも泊まりで…。

 

■倅(せがれ)3ヶ月

   体重5.5kg 首が座りそう

□ダディ 37年と5ヶ月

   体重64.7kg 目が座りそう

 

 

【一日目】

5:00

妻出発

倅とダディ二人きりになる

再び寝入る

 

7:00

倅の泣き声で起こされる

ミルク100ml

オムツ替え

二人でキャッキャする

ダディ朝飯食べる

 

8:00

眠いとグズられる

3回着地(ベビーベッド)に失敗

せがれがギャン泣きする

ダディ泣きそうになる

鼻がズズズいってたので鼻水吸引する

4度目で着地成功

 

9:00

ダディ哺乳瓶・食器洗う

倅泣き起きる

オムツ替える

 

10:00

ミルク120ml

倅寝る

ダディ哺乳瓶洗う

ダディ掃除機かける

ダディ洗濯機回す

 

11:00

倅起きる

二人でキャッキャする

オムツ替える

ダディ洗濯物干す

ダディ昼飯作る

 

12:00

倅寝ないから横に置いてダディ「炒飯ラーメン定食」食べる

倅に泣き叫ばれる

 

13:00

ミルク70ml

倅とダディソファで寝落ち

 

14:00

二人とも爆睡

起きてオムツ替える

ダディ哺乳瓶洗う

 

15:00

倅とダディ外出

クリーニング屋とスーパー2件回る

色々買った上に米5kgは重い

 

16:00

帰宅してオムツ替える

ミルク100ml

二人でキャッキャする

倅寝る

ダディ哺乳瓶洗う

 

17:00

ダディ明日食べるグリーン風カレー作る

 

18:00

倅起きる

オムツ替える

 

19:00

オムツ替えるもそのまま入浴タイム

風呂上がりにミルク110ml

 

20:00

ダディ夜飯に簡単な湯豆腐を作って食べ始める

倅遊んでくれ攻撃が始まる

夜飯途中にして二人でテレビでさんまさんを見る

 

21:00

倅寝てくれない

倅ギャン泣きする

オムツ替える

鼻水吸引する

倅のギャン泣きが止まらない

ダディ近所に

『幼児虐待してるんじゃないか?』

という疑いを持たれることに不安を覚える

ダディSiriに聞く

Siri使いものにならないことに気付く

ちょっと早い気もしたがミルク40ml

足りなくて泣かれたので+80ml

 

22:00

倅寝る

ダディ夜飯の続きを食べる

ダディ哺乳瓶・食器洗う

 

23:00

ダディ洗濯物たたむ

ダディ最近買った毛玉取り機でアホみたいに毛玉取る

ダディ風呂に入る

 

24:00

倅が起きるのを待つ

ダディPC作業する

倅起きない…

ダディ寝る

 

 

{BD2B68E5-A2C4-445E-BCC0-1406C1EAAE04}

 

【二日目】

3:00

倅泣き起きる

ミルク130ml

オムツ替える

 

4:00

二人で爆睡

 

7:00

倅起きる

ダディも起きる

オムツ替える

ミルク120ml

 

8:00

ダディ哺乳瓶洗う

二人でちょっと寝る

 

9:00

倅泣き起きる

オムツ替える

二人でキャッキャする

倅を横に置いて「関口宏のサンデーモーニング」見ながらダディ昨日作ったグリーン風カレーを食べる

 

10:00

オムツ替える

ミルク110ml飲むのに時間かかる

 

11:00

倅寝る

ダディ哺乳瓶・食器洗う

ダディ洗濯機回す

 

12:00

ダディ洗濯物干す

ダディゴミ捨てに行く(マンション内ゴミ捨て場)

 

13:00

倅泣き起きる

オムツ替える

ミルク80ml

 

14:00

ダディ昼飯食べるの忘れてたのでうどん作る

ダディ哺乳瓶洗う

倅横に置いてうどん食べる

妻が帰宅する!!!!

ダディ泣きそうになる

倅人見知りする

 

15:00

倅笑顔になる

ダディビールを買いに行く


{81B0F652-A3A7-4A71-AEC9-5B441493FF6F}

いやぁ世の中のママ達スゴイよ!これ毎日やってるわけでしょ?叶わないなぁ。。

 

妻の手の指が赤切れ

 

そうになっていて、時期的にまだ早いんじゃない?なんて思っていたが、一日何回も水仕事するんだもんね。クリーム塗ってもすぐにまた洗い物…そりゃなるわよ。。久々に料理したからさ、玉ねぎスライスと一緒に俺の左手の指もスライスしていたみたいで…洗い物してて気がついたわ。買い物も大仕事だね、俺のオフのたびに妻に駆り出され

 

重いものを持つ係で

 

スーパーやらドラッグストアに連れて行かれるのだが…これは率先して行かなきゃダメだ!男の俺でさえ、倅抱っこして両手に荷物を抱えてのハシゴは正直シンドかったもん。。

 

メールの返信

 

もさ、倅抱いたりミルクを飲まして両手塞がってたらそりゃ直ぐにできねーわな!俺いっつも「何で返信遅せぇんだよ?!」とか思っていたけど…猛省、電話も然り。片手でどうにか調べ物をしようとして…

 

あ、こういうときのSiriじゃないか!

 

と思い色々聞いてみたが、見当違いな返事ばかりで…

 

{CE44AD97-02E4-45A6-A2D2-8F758F3A3DC0}

{DE68DD2A-DBBB-4846-A32F-B9D9E634F46F}

{EC5CC445-D620-43C8-A468-F46443F40D4A}

{D1434D3D-FC3F-4E26-8506-71BF0A4C0566}

{CE153EAB-CF08-4E15-AEB6-6AA88FC1B938}


倅抱き続けて眠らせた後、ベッドに下ろした時に初めて気が付いたんだけど…俺の

 

洋服の跡が顔に付いちゃってるんだな

 

パーカーのチャックはダメだしボタンが大きい服もダメ。結局【Tシャツにドテラ】という勉三さんみたいな格好になってしまった。。

 

あと風呂な、

 

一人でゆっくり入る時間は確保してあげなきゃいけないから、仕事終わったら真っ直ぐ家に帰ってはきてはいるんだけどさ。全然飲みにも行けてなくて店長最近倅の首が座りつつあって何かと楽になってきた?!と思っていたから、

 

帰りにちょっと飲んで帰ろうかな?

 

なんて企んでいたが…問答無用だな。まだまだちょっと一杯はお預けだ。ママ達は一日にどれくらい自分ののためだけに時間を費やせるのだろう?1時間もないね?それでも妻は早く日常に…倅に会いたかったと言って足早に帰ってきました。さらに俺に

 

お土産まで買って来てくれた!

 

なんでもいいんだよ、なんか買ってきてくれたという事実が…心持ちが…なにもかにも嬉しかった。仕事で茨城行ったはずなのに仙台の「牛タンジャーキー」でもさ…なんでもいいんだよ!

 

【母は強し】

 

この言葉の真意を深く実感。今年のクリスマスプレゼントは奮発しようか…な(笑)

 

 

がんばれ世界のママ達!!

ふんばれ世界のダディ達♪

 

AD

盛岡南⑨ 雄叫び高き青春譜。

テーマ:

「これからぁ!!応援歌練習をぉぉ!!!始めるぅぅぅ!!!!!!」


悪夢再び…。応援団の一員となった俺はその日のうちから応援団練習に参加しなければならなかった。昼休み、弁当食ってる暇もなく、


忌まわしのセンターガーデンにて


太鼓やら団旗やらを準備して先輩方を迎える準備をする。センターガーデンとは三方を校舎に囲まれているいわゆる中庭である。


「ぜっっっっきょぅぅぅう!!!!!」


間違えたら前に出る方式は全体練習と変わらない。中庭ならではの特徴としてどの校舎からも見通しが良いという利点がある…俺たちにとっては欠点でしかなかったのだが。。


「何中出身?」

「部活決めた?」

「彼女いるの?」

「あのコ可愛いい!」


新入生は初々しさ全開にして甘酸っぱい会話をしながら教室で昼休みを全力で楽しんでいたんだろう。そんな輪に入れない連中も、太鼓の音と共に廊下に出てセンターガーデンを眺める。つい先日まで自分達が受けていた仕打ちを今度はいち傍観者として


無防備に見ることができるのだ


1クラス2名×9組、センターガーデンと言う名のゴルゴタの丘に磔られた18人の精鋭は学帽をこれでもかというくらい深く被り、ただただ応援歌を歌い続けた(女子もいたかもしれないが記憶にない)。別に応援団を見て笑っていたわけではないかもしれない、でもそいつら全部


{B03535B3-5B2A-4422-9CC4-D044673ACEBB}

と、心の中では別の雄叫びをあげていた。昼休みだけが応援団練習ではない。放課後、帰りのHRが終わるとまたもやセンターガーデンに集合させられ


絶叫×絶叫の日々が続いた。


ニヤニヤ楽しそうにしながら部活動に行くんだか帰るんだかの連中が廊下を歩いていた。ホントに


{CE1AA9DE-93F9-4BD2-8D4B-758751650132}


続く。




盛岡南⑧ 南昌東根美麗しく。

テーマ:

入学式直後からの地獄の応援歌練習が終わりを遂げ、やっと訪れた安堵の日。新学年・新学期と言えば何かと


委員決め


が行われる。佐々木は中学の頃、学級委員やら生徒会やらを率先してやっていたが、高校ではそんなことはせず一般生徒を満喫したいと思っていた。生徒会は生徒会で面白いんだけどね、中学とは規模(生徒数)も違うしそんなそんな俺なんかがやらなくても


誰かやりたい奴がやればいいだろう


くらいに思っていた。そんなんだから俺の知らないとこで決まったうちのクラスの学級委員とか覚えてないなぁ。そんな学級委員の仕切りで学校の美化委員とかそれぞれの委員会に何人かをクラスから選出しなければならなかった。そんなものに興味はなく、ただ


何故は俺はフラれたんだろう?


と地獄の一週間を経ても紛れない心のわだかまりを抱えていた。幸いなのかクラスが違ったので顔を合わせる機会は少なかった。けど、たまに廊下ですれ違うんだよね。。同じ高校だからな


こんなはずじゃなかったんだよ、こんなはずじゃ。。


バラ色を描いていた高校生活はあっという間にセピア色になってしまった。高校は4号線からちょっと入ったところにあったが、396号線沿いの我が家近辺と同じく「市街化調整区域」となっており、全くと言っていいほど何もない。


いや何もない(笑)


ウチの高校のためだけにある》裏店】と呼ばれる名もない商店くらいだったかな?!田んぼ田んぼ田んぼの向こうに東北新幹線が走っていてその後ろに優雅に南昌山が佇んでいた。まだ、秋田新幹線も青森新幹線も開通しておらず、本数はそんなに多くなかった。終点盛岡駅を前にちょうど速度を落とし始めるあたりそんなのを教室の窓から眺めていた。


{9CDC0969-94AC-42E8-9AC0-72EA115F4FA8}


委員選出は一向に進まない


そりゃそーだ。誰もやりたがらないし、応援歌練習のせいでクラスの雰囲気すらまともに出来上がっていない。でもそんなこと俺にはどうでもよかった。難航する委員決めに痺れを切らしたのか担任が


「最後の応援委員は、ここまでの生活態度や中学の頃の内申書を元に俺が決める!」


何を言ってるんだコイツは。今時は絶対にいない高圧的な担任だった。


{28F4515C-203D-4B78-88D9-069CE6173BA0}

応援委員とはいわゆる応援団…あの鬼の先輩達の配下になろうとは誰も思わないだろう。


「応援委員は他の委員会とは違って三年間やってもらう!」


クラス内が騒めく。他の委員は半期で交代なのに、応援委員は二学年・三学年となってクラスが変わってもその個人が継続するらしい。


「他のクラスではジャケンで決めているらしいが、俺はそういうの好きじゃない。」


んー、ジャンケンの方が公平だと思うんだけどなぁ。まぁいいさ、俺が選ばれることはない。入学してから約一週間、目立った行動はしてない。むしろ


少し透けてたんじゃないか?!


それくらい覇気がなかったし存在感もなかったはずだ。失恋というものを経験したことはあったが両想いだったコにフラれることは初めてで


「テツ周りの空気が重い」

「カラ元気でもいいから笑え」


事情を知ってるオナ中の連中には毎日言われてた気がする。そうやってみんな大人の階段を一歩ずつ進んでいくんだなー。他のクラスではやはりジャンケンで負けた奴が応援委員になったらしい。後々わかったことだが、応委員には不思議なシステムがあった。


体育科と野球部はそのうち応援委員をやらなくてもよい。


なんのこっちゃ?という話だが体育科の連中は各部のいわゆるレギュラー面子だからして免除。野球部に関しては、全校応援がある唯一の部活だから免除なんだと。なので、年々応援委員は減っていくもう委員会じゃないよねそれ?!次の日、担任より応援委員の発表があった。


「えー、全員の内申書を見せてもらった。決定したら文句なしでお願いしたい。」


内申書でどーやって応援委員決めるんだよ?


「〇〇と哲平!この二人に決定する」


えーと俺の名前呼ばれたのか今?!待て待て待て〜い!!入学して一ヶ月も経ってないのに、何故俺は担任に下の名前で呼ばれているのだ?!そうなんだよ、岩手にはやたら【佐々木】が多いんだよ。


佐々木・高橋馬のクソ


という文句があるくらい多い。確か県内苗字ランキング第1位が高橋で第2位が佐々木だったはず。あーだから俺は下の名前で呼ばれてるのか


いや、そこじゃない!!


入学して間もなく半透明になった俺が何故選ばれる?!


「哲平、お前は中学の頃応援団だったんだろ?」


そうだった俺中学三年間応援団やってたんだった。。


続く。



{2664C8AB-B2F4-4B39-9908-079E27D2B173}





盛岡南⑦ 奥州陸奥武士。

テーマ:

岩手県立盛岡南高等学は1995年当時、県内では二番目に新しい公立高校だった。東北で初めて【体育科】が新設され、他に【普通科】【普通科体育コース】があった。県内外から推薦(入試)でスポーツのスペシャリスト達が集まり、県高総体で優勝旗を最低10本(10部と言えばいいのか?)は奪取してくるほど部活動が盛んな高校だった。


俺は一般入試で普通科へ!


いたって普通の新入生〜穏やかな高校生活を送るはずだった?!入学直後に好きな娘にフラれた俺はボクシング部に入部、練習に没頭しスポーツに青春を捧げるはずだった(笑)


人生の九割は思い通りにはいかない


岩手県の高校は【応援歌練習】というものが他県に比べて盛らしい(上京後に知る)。入学式に笑顔で迎えてくれた応援団の先輩達は翌週には


鬼と化していた


いや、これマジで!まずは全学年通しての応援歌練習が23日放課後行われた。そこで新入生は


校歌

第一応援歌

第二応援歌

第三応援歌

盛南賛歌


の歌詞・音程を覚えなければならない。


{5B13D38D-109C-4629-88F8-A94BA72C5A2B}


そして"見せつけ"のためなのか歌詞を間違えた2年生、声が小さい2年生が全校生徒の前に立たされ


辱めを受けながら歌わされる


これを見た新入生は必死に応援歌を覚えるという悪魔のシステム。そして全体練習が終わると翌日から新入生のみの


地獄の応援歌練習


が始まる。昼休みが12:4513:30までなのだが、13:00になると応援団が1年生の教室がある一階に降りてくる。馬鹿みたいに大きな音を立てながら扉を開けて各教室に雪崩れ込んでくる。


「これから!!応援歌練習を!!!始める!!!!!」


どんだけ仰け反ってんだよってツッコミたくなる先輩が一人、教壇で音頭をとりはじめる。そして教室の前後の扉から幹部であろう三年生応援団がワラワラと入ってくる。中には竹刀を持ってる先輩もいた。体感的には


【魁!男塾】そのもの(苦笑)

{5B292ADF-8F9E-4022-8C74-DE46421430CE}

もちろんそれまでに弁当を食べ終わってなければならなず、急いでかけ込んだ昼飯と緊張が合わさって吐き気をもよおしながら直立で応援団を迎えることとなる。


男子は学帽

女子は白スカーフ


を持っていなければならず、忘れた連中は即


机の上に正座!


そして例によって、歌詞を間違えたヤツや声が小さいヤツも正座!


「小せぇええ!!」


「もっと声出せぇええ!!」


「ぜっきょぅううう!!!」(絶叫)


{54B0B547-3946-44EF-A1FF-C830514A6E64}

怒号が止むのは昼休みが終わる5分前の13:25…。疲れ果てて5時間目の授業を受けることなる。中には殴られてるやヤツとかもいたからなぁ。


今考えると酷いな。。


そんなんで新入生は全ての歌詞を完璧に覚える。そんな地獄が一週間続き、やっと安息の日々が訪れ昼休みは新入生独特の憩いの場となる。


普通の生徒はね。。



続く。


{8A73F6D4-1F2C-4422-9CB2-9EB5DB15B60E}

盛岡南⑥ isとwas。

テーマ:
全国的にもあるのだろうか?【白ゆりテスト】一教科60点満点で五教科(英国数理社)総合300点満点の模擬テストである。岩手県の公立高校の受験にはこの300点満点が採用されている。今の時代はわからないが俺らの時代の

【受験】といえば白ゆりテスト

だった。各高校に大体の合格点ボーダーラインがあり、志望校のそれを目指して中3の頃受験勉強をしたものだ。これまた今の時代は違うのだろうが1994年当時、

盛岡一高 270点
盛岡三高 230点
盛岡四高(しこう)210点
盛岡南高 160点
不来方高 150点

なんていわれてた…気がする(記憶が曖昧、間違ってたらゴメンナサイ)。俺の成績は常に中の上。得意の数学は満点の60点をとったこともあるが

英語が壊滅的だった

苦手科目…なんて生易しいものではない。単語も覚えられないし、ましてや文法なんて未知の世界…。英検4級は受かったが

英検5級に落ちる

という意味不明な学力。クラスメイトはテスト前にちゃんと復習できてなくて

「この教科捨てたわ〜」

なんてよく言っていたが、俺の場合は初めから英語はないものだと考えていた。俺の中では五教科300点満点ではなく

四教科240点満点(笑)

だって英語の点数は軒並み一桁台。最低点は【2点】…。どれだけ俺の英語が壊滅的だったかお判りいただけだろうか?からして、英語を克服すれば四高に合格できたのかもしれない。志望校を決定する最後の模擬テストは冬休み明けに行われた。

207点

微妙…。ケアレスミスを加味すると届かない点数ではなかった。本番までには2ヶ月間もあるしどうにかなるんでは…。兄貴二人も四高に通っていた。

でもね、しかしね、

兄貴がいるというのは確かに心強いが、なんか俺の中では腑に落ちなかった。それはそれで間違いない道なんだろうが…常に兄貴たちの背中を見て育ってきたが、兄貴たちの足跡を辿るのがちょっと億劫になっていた。

思春期だったのかしら?(笑)

あとは部活問題だよね。中学はソフトテニス部に所属していたが、続けるつもりはなかった。
{FD5D5494-00C8-4F6E-A8DA-55C571175373}

盛岡四高なら【体操部】
盛岡南高なら【ボクシング部】

と決めていた。意外かもしれないが、佐々木は中学まで器械体操が大の得意で体育の時間よく模範演技をやらされていたのだ。なのでちゃんとやってみたいと思っていた。

ボクシングはずっと興味があった。

小4から少林寺拳法を習っていたのだが、年齢的に取れる段数は頭打ちだったし試合は行われずあくまでも組手演武。中学のソフトテニス部はダブルスのみだった故に

自分一人の責任で何かやりたかった

ボクシングの名門【水沢工業】という手もあったが、電車で1時間かかるし…とにかく駅までが遠い地に住んでいたのでそれは自ずと消えた。狙おうと思えば行けたかもしれない四高ではなく、(兄貴たちが)誰もいなくボクシング部のある【盛岡南高】に志望校を定めた。

青春には女子がつきものである

最終的に決めたのは好きな子が盛岡南にしたから…という噂もある。冬休みの受験勉強で点数アップしたのはこの子のおかげ。しかも英語!どんな魔法をかけられたかというと…

過去形を教えてもらった

それまでの俺は英語に現在形・過去形があることすら知らなかった。こんな受験生いないだろうと思うだろうが…いた(笑)isとwasは全く別の単語だと思っていた…そりゃ2点だよな。。そんな

勝利の女神を手放すわけにはいかない…

と中坊なりに思ったんだよね。一応滑り止めの私立受験も経験し3月15日の高校入試本番を万全で迎えた。

結果はもちろん合格!

無事に中学も卒業し4月の入学式直後、俺は憧れのボクシング部の門を叩くこととなる。もちろん、勝利の女神も合格しており、楽しい学園生活が始まるはず…だった?!入学して1週間で

女神にフラれた…


続く。

{4C3F572D-4557-460A-885A-B9D9E0E8BE5D}


盛岡南⑤ りんごっこ。

テーマ:
手代森小学校から一番近い店…ワークマン!そんなふざけた地域でも全国に世界に誇れるものがある。あ、ちなみに

てしろもり

と読みます。サッカーU-23日本代表の手倉森(てぐらもり)監督とはちょっと違う(笑)手代森小学校は明治6(1873)年開校で今年で

153年の歴史をもつらしい

そんなに?!まぁ俺が通っていた約2
〜30年前までは木造二階建のオンボロ木造校舎だったからなぁ…。木造校舎なのにさらに【旧校舎】と呼ばれる…もちろん木造のもっとボロボロの校舎?教室?があって、常に南京錠で閉ざされていた。

入ろうと思えば窓から入れるんだけどね(笑)

基本的にはなかなか中に入れず、年に一度しか使わない運動会の綱引き競技の綱や、高さ違いの机・椅子などがしまわれており倉庫みたいな使われ方をしていた。メインの木造校舎は教室数が少なく、一階部分に継ぎ足しで渡り廊下→プレハブ教室→渡り廊下→プレハブ教室と

かなり迷路に近い作りになっていた。

『廊下を走らないでください』

小学校によくある標語だが、手小(以下てしょう)の場合は意味が違う。木目の廊下(板一枚一枚が反っててかなりデコボコ)を走ると

校舎全体が揺れるのだ

かなりの振動…なのでそういう意味で我々は廊下を走ってはいけなかった(笑)でも唯一全力疾走できたのが

廊下の雑巾がけ!

これだけは大義名分があり全力疾走できたんだ。バカだよね〜、でも気持ちよかった!校舎グワングワン揺れるけど(笑)木造校舎のトイレはもちろん

ポットン便所

しかも男女共有のトイレだった…今思うと考えられないな。。唯一男女分かれていたのは体育館のトイレだけか?下まで何メートルあるんだというくらい深いポットン便所で、低学年の頃は怖くてなかなか体育館のトイレには行けなかった。でも基本(校舎のトイレ)は

男女兼用のトイレだべ?

高学年になると女子を意識しはじめてなのか、体育館のトイレに行くようになったので不思議だ。大で個室に入るのも男子便所内なら堂々と入れるしね。

なんだそりゃ?!

と思うかもしれんがこれ、本当の話。そんな、金田一少年の事件簿に出てきそうな木造校舎と埃まみれの旧校舎は俺が小6のときに解体され

鉄筋コンクリートの新校舎

が落成された。もう何もかも衝撃だったよ…まず3階建てだべ!?鉄筋コンクリートだべ!?ベランダあるべ?!教室と廊下の境がねぇべ!?床は正方形が並べられた絨毯だべ!?だから掃除の時間に

雑巾がけしなくていいのよ(笑)

お陰で堂々と走れなくなった。。さらにはトイレは男女別々だし!!んで水洗だし!!もーう、ショックの連続。。掃除の時間と云えば、ローテーションで色々な箇所を掃除するのだが、

外掃除

と呼ばれるポジションがあった。まぁ、校舎の周りのゴミ拾いなんだけど…手小の場合はゴミよりも多く拾われるものがあった。

石器と土器の破片

んなアホな…?!後に大学で考古学を専攻するウチの次兄は、当時これのコレクターで家には石器や土器が入ったカンカン(←お菓子の四角い缶)が数多くあった。それもそのはず小学校のある一帯は

手代森遺跡(縄文時代晩期前葉)

と呼ばれるところであり、国の重要文化財にも指定されている

【遮光器土偶】

{205C6647-E1D4-411E-B453-188B4D91B178}

が発掘された場所でもある。誰しもが教科書で一度は見たことがあるであろう。小学校近くを流れる大沢川の改修工事が行われたのが昭和58年、その時に採掘調査が行われて判明したんだって。遺跡の中に100年間学校があったわけだ…。今もあるわけだけど…

誰か気づかなかったのかな?

土器や石器がその辺に転がってるのが当たり前で、俺たちは石器拾い土器拾いが遊びの一つだった。おかしな環境の中で幼少期を過ごしたんだなぁ(笑)タイトルの

【りんごっこ】

とは手小の児童のことを指します。「りんごっこ集会」とか「りんごっこ活動」とか…何かとりんごっこ(笑)あまり知られていないが岩手はりんごの生産量が1位青森、2位長野に続き全国第3位or4位…山形と競っている。手小の校章もりんごを縦に切った断面がデザインの元となっているようです。まだまだ終わらない盛岡南シリーズ、順番が前後しているが次は盛岡南高校編かな〜


続く。

盛岡南④ 松本商店とコンビニエンスストア。

テーマ:
実家から徒歩圏内にコンビニができる!
 
心躍ったものだ。まぁ大分大人になってからの話なんだけどね。実家は国道396号から一本入った高台…を削った小さなニュータウン内にある。造成した当時はバリバリ都南村だったから市街化調整区域ではなかったのかな?そこから歩いて2〜3分のところにある一番近い商店が、知る人ぞ知る
 
【松本商店】
 
{838FA84A-7196-4DAA-BC77-CAE0AD4EBAED}

である。松本商店はバス停の名前にもなってるし、街で飲んでタクシーで帰るときも運転手さんに言うと大体理解してくれる。うむ、わかっている…
 
ツッコミ処は多々ある!
 
県庁所在地の南に横長に君臨する都南村は盛岡市の衛星村(都市?ではない)だからして、まず…南北に交通が発達している。国道396号然り、国道4号然り!396の我々側すると、北上川を渡った向こうに4号があり、その向こうに東北本線並びに東北新幹線。全て南北に走っている。そして、察しの通り
 
電車とは無縁の地!
 
飲んだ帰りに電車で帰るなんぞ選択肢にすらない。となると後はバスとなるのだが、下りのバスは19時台が最終…ではなかっただろうか?!そもそも、396と4号とでは
 
バスの本数が違う
 
4号はいろんなところに行くバスが常に行き交っているが、396は一本道だし、運行も1時間に一本あるかないか。。しかも、396から橋(北上川)を渡って4号に行く、バスルートが存在しない。つまり前述のニチイ(都南の繁華街)に公共の交通機関を使ってはいけないのだ。あ、乗り継げば何とか行けるのか?前回も詳しく書いたけど、そんなこんなで都南村は
 
北上川を挟んで真っ二つ
 
な訳よ。街で飲んだ夜はタクシーでしか帰る術がない。そんな時に目印になるのが【松本商店】なのである。松本商店は確か俺が小六か中一の時に改装されたような。。それまでは
 
床屋+酒屋
 
さらに、野菜なんかの種子も売ってるし、不思議な商店だった。基本酒屋なのかな?床屋はおばちゃんが理容師免許があったんだろう。2台しか椅子がない小さな床屋スペースだったが近所の子供達で繁盛していた。それもそのはず…わが乙部中学校は俺の1コ上の時代まで
 
男子:丸坊主
女子:おかっぱ
 
という校則があった。信じられないかもしれないが戦後40年以上経っていた1991年当時まで、その校則は存在していた。兄貴たちや先輩らのおかげで校則改正となり、俺たちは初めて髪を伸ばしても良い代として入学式を迎えた。とゆーわけでそれまでは松本商店商店は
 
青ジャージ(乙部中学校のジャージ)の溜まり場
 
で、店前を通ると誰かしらが丸刈りにされている様子を伺えたものだ。そんな松本商店がリニューアルオープンすることとなったのは1992年…?!記憶が曖昧だが
 
1993年のアルペンスキー世界選手権・雫石大会
 
{91E48AE6-23F4-44D7-AF0A-E264E18CBD92}
 
に伴い、396が所々整備されたのだ。松本商店は10メートルほど移動を余儀なくされ、その際にリニューアルしたのだ。雫石町は都南村そして盛岡市の東に隣接する町である。有名なのは盛岡と雫石を繋ぐ国道46号沿いにある
 
【子作り村】だべ(笑)
 
{EE0AF9EE-5AF8-410B-9E43-664DC0314958}
 
これは近くに【手作り村】という工房が集まった施設(体験とかもできるはず)から文字ったもので、町と町の間によくあるモーテルの集まりです。最近全国区になったのは
 
【小岩井農場】
 
{6AE46411-3E4A-4E7A-947E-704AD0001B8A}
 
関東でもここ十年くらい小岩井ブランドが流行っており…いや、流行ってるかどうかはわからんが、普通にスーパーにドリンクやらヨーグルトやら牛乳が陳列されているのを見かける。そして大体の人が
 
え、北海道じゃないの?!
 
{86AB5227-7A74-4C7E-A2B8-3C6701D6F09F}
 
{40728D79-0CA3-4D41-86C5-FFD1E008A758}
 
と言う。農場=北海道とゆー偏見はなんなのだろう。。面積だって岩手は北海道に継ぎ国内第2位である。牧場だってあるさね。ちなみに、高校の自販機の牛乳は全て小岩井牛乳(笑)そして世界アルペンやるくらいだから
 
雫石スキー場
 
があるのが雫石。3〜40km離れているスキー場だがウチからでも見える。夜になるとナイターの明かりも見える(笑)世界アルペンは直接は都南村には関係なかったとは思うんだが…各所で道路整備してたよね。お金が余ったからなのかなぁ〜。松本商店前の交差点は丁字路になっている。ちょっと山に入ると石の採掘場があったりして、うちの近所は
 
10tトラックが常に行き来する
 
子供達にとっては危険地帯であるのだ。それを思うとはばが広くなり歩道が左右にできたり進路変更路線やらができたのはすごくプラスだったと思う。
 
夜10時に信号点滅する
 
のは変わらないけどね(笑)←コレけっこう知らない人がいるんだよね。田舎道は夜の交通量が少ないので、信号が赤点滅と黄点滅になります。交差する道路を比べて黄点滅の方が交通量が多い方(国道とか。松本商店前でいうと396側)、少ない方が赤点滅(砕石場へ進む道)となります。
 
22時〜6時だったような。。
 
暗い中で点滅信号を見ると、夜遅いなぁと感じるし、明るい中で点滅信号見ると…朝早いなって思う。
 
これは田舎者の習性です(笑)
 
さて、そんな時代の移り変わりにリニューアルオープンしたニュー松本商店には床屋コーナーがなくなっていた。坊主の需要もなくなったからね。今まではおじちゃんが店頭にいることが多かったのだかおばちゃんもちょいちょい店番に立っていた。このおばちゃん床屋時代からそうなんだけど子供に対しても
 
愛想ないんだよね(笑)
 
まぁそれが味だったんだけど。そんな松本商店はそこから10年しないくらいで閉店に追い込まれる。早すぎるおばちゃんとおじちゃんの他界と跡継ぎ問題。最後の方は息子が店番に立っていたが、常に商品数が少なく…商店として機能しなくなっていった。駄菓子も買わなくなったし、足は遠のいていき、俺が上京した後知らぬ間に閉店していた。けど
 
【松本商店前】
 
というバス停の名前は未だ健在…不思議(笑)徒歩で行ける範囲にちょっとした買い物ができる店がなくなった。松本商店が閉店した後か前か忘れたけど、そんな時に
 
松本商店と小学校の間
 
(距離にしてい300m?!)に店舗のようなものが建設され始めた。道路整備のおかげで松本商店だけではなく、396沿いの村営住宅の家屋が移動、取り壊しになったり、田園として利用できなくなった土地がある。そこが何年も微妙な空き地になっており、
 
区画調整地域とはいえ
 
そこに店舗を作ろうという算段だ。市に吸収合併され、何年も放置されていた土地にやっと近所にコンビニができる!チャリンコで15分かけていくか、
 
北上川を渡るか
 
しかなかったコンビニが、ついに…!!松本商店がコンビニになれば一番良かったのかもしれないけど…まぁ家庭の事情があるからねぇ。歩いて行けるとこにコンビニあるって
 
もう都会じゃんー!!
 
山と森林と田園風景しかない396沿い手代森小学校前にコンビニエンスストアー!!イェーイ♪徒歩圏にコンビニある人は旧都南村…いや、盛岡市内のだって割合としたらそんなにないだろう?いやぁ、楽しみだなぁ♪LAWSONかな?サンクスかな?デイリーストアでもありだし…キャメルマート(←東北限定)はやだなぁ。
 
{FA09B116-312F-41E0-8FB2-B87BADB2170F}
 
ホットスパーでもいいぞ
 
{A11CDCA0-772E-49E1-9BBD-28CB28D90993}
まさか、
 
セブンイレブン?
ファミリーマート??
 
↑当時はまだ岩手進出をしていなかったから想像は膨らんだ。そして、いよいよ店舗か完成!おや…様子がおかしい?コンビニのオープンってもっと華々しくないか?駐車場付き、一階建て平屋の店舗、掲げられた看板は
 
ワークマン
 
{612E8912-ABF6-4BBB-96D4-EF4E8CCDAB0E}
マジか?!!ま、まじかー!!うそだろ?ええ〜??!でもまぁわかる…需要は間違いなくある。田園地帯で農家や林業の方々もいるだろう。砕石場も近くだからなぁ。。あー、ああ、あ"〜〜!!!二十代の頃、
 
「哲平君ってドライだよね〜」
 
なんてよく言われた。自分ではよくわからなかったが…そういうことなんだと思う。期待するから落差が激しい。きっと、人生に期待を抱いてはいけなことを知らず知らずのうちに学習したからなんだろう。なんだかなぁ。。
 
 
 
続く。

雨男の敗北。

テーマ:
いつもより早く蝉の声で目が覚めた。寝直したがすぐに起きてしまったのでテレビをつけ早朝のニュースを見ていた

関東梅雨明けしたのか!!

そーか、寝苦しい訳だ。。そういえば10日ほど前にアクアラインを通り、千葉山奥のバンガロー村でお泊まりをした(第28回よくわからない会)。都心でやるBBQより断然美味くて、

格別に気持ちいい空間

だった。虫たちの奏でる旋律は何重層にもなっており、森林たちの呼吸の中で仲間たちと一夜を過ごした。

{DB1F0C2E-DC12-4ED9-B52A-86DA368CA6AA}

自然に触れるとパワーをもらえる

と言うのが山育ちの俺の勝手な持論である。しかし翌朝、偏頭痛で目覚め最悪の状態で帰京した。まぁデトックス効果といことで。いつもなら

雨男

と称され、俺がイベント企画すると8割方雨が降るのだが…今回は俺がそんなんだったし一滴も雨が降らなかった。珍しい(笑)キレイな水洗トイレもあったしバンガローも広かった。

リネン(布団やシーツ)

も完備されていたので、雑魚寝ではなく一人一組布団があった。が、後日みんながその布団のダニにやられたことを知る。。なかなか世の中美味くいきませんねぇ。

さて、夏が始まる!

今年は渚のDJやらないんだよね〜。その代わり副業のイベント業でほぼ毎日六本木付近にいるので近く来た人は教えてね!

{FF69B188-7591-45E9-B2C9-D77A4E751347}

{E40E32AD-30C9-4035-89C1-7D6CA4B7A88A}

{D796E615-23A9-42C7-A2AE-CA304DF404FD}

{58F70F57-6016-436B-B58D-89A14032F7DE}

{4D2103F1-0006-48A7-BFB4-9873DADE44E0}

{135BE4C8-7B79-4321-8B60-66121A4048AF}