カエル的考察

テーマ:
カエルが大好き。

カエルとかミミズになりたい。


地球から生まれて地球に還っていく。


ただそれだけ。





生き物はみんな同じ。


ヒトも。


脳みそがデカイということは便利なんだか、不便なのだか。。。。


シンプルに生きるという命題をもってヒトという生物は生かされているんだろう。

シンプルとは抵抗しないという生き方。

自然に抵抗するというベクトルがヒトを人間として進化させてきたかもしれない。

そして、便利さによって人間は退化しているかもしれない。

自然のサイクルから離れて進化させ続けることが命題だと思い込んでいる。


ヒバカリという小さな山蛇を飼っていた時、
私は生きたカエルを食べる様子をみつめていた。


カエルは顔色ひとつ変えること無く飲み込まれていたったのだった。
諦念とはこのことだなと感動したけれど、
その様子は目に焼き付いて思い出すことすら苦しい。

カエルはそんなワタシを不思議に思うに違いない。

命のくりかえす営みの中で恐れを持たずに生きる
カエルやミミズに私はなりたい。

東北の地に暮らす方がたは文句も言わず淡々と愛する土地で生きていかれようとしている
その精神の深さはリスペクトである。

そしてまた、言いたいことを言う方々にもリスペクトである。

状況判断をするための情報公開と受け皿だけは公平に。

ヒトは『蛇ににらまれて動けないカエル』ではない。

カエルだって蛇からは逃げる。
逃げてもみる。つかまって食べられてもみる。

生まれることと死ぬことは自然の一部だから。
AD
政権交代があって、経済主流のいけいけ原発組はニコニコしている。


そして、これまでならTVでニュースになってもいいような

福島の農家、漁業関係の方々が2500人も

東京電力の前に押し掛けていると言う昨日の情報も流れていない。


管政権の末期、山本太郎が殴り込み!みたいなノリで

人びとのガス抜きをして矛先を変えたとしか思えない。

どじょうや雪だるまというわかりやすそうなアイコンが流れ続けるのは不思議であるよ!


何もなかったかのように置き去りにする感覚。。満州からの引き上げの人達の時代みたいだ。

逃げられた人達は真っ先に情報を得ていて、帰って来たのだよね。

後の人達は赤ちゃんや幼児を現地の人に託して命からがら逃げたの。

でも、帰ることが出来なかった人達は戦車に押しつぶされ

そこは白骨街道と後に呼ばれることに。。。。
(インパール作戦の白骨街道は有名だけど、
満州の引き上げの時も最後は白骨街道・・・と聞きました)

白骨になるのは信じた人達。。不思議でしょ?

まさか見捨てるなんてことはないと信じた人達よ。

どじょうやゆきだるまの語りはわかり易いけど、

リスクを隠して社会を温存する手法は、次世代につけをまわすだけだから。

民主主義じゃないことを理解出来ないオバカな国民はもういない!!

飲んだり食べたりも安心出来ないのに、どんどん、安心料は高くなる。。

その安心料は税金になるわけ?

電気が足りないキャンペーンのうえに、核武装だとY新聞が書いてるんだけど、

あきれてものもいえな~~~イ!!!!

低能な山師と信念を金で売っちまう俺等だが・・・
動かしてる世の中さ
良くなるわけがない
あきれてものも言えない

清志郎の歌詞にあるように
山師と私達の責任は五分五分だよ。

言わなければ!
黙っていれば山師の籠を担ぐだけだ!!!
AD

八月の終わりに

テーマ:
すべての人が安心と喜びで満たされますように。

健康と笑顔で次世代を迎えることが出来ますように。



そうなります。

ありがとうございます。



私はシニカルなひとなので不安の材料をみつけることが得意であるけれど

みつけた不安を解消への糸口にしていくことにしよう。


ピンチがチャンスになることを信じよう。


絶対安寧の境地を見つめていよう。 やっぱり私はリトマス紙~~でした! ありがとうございましたっ!!
AD

ツリー・オブ・ライフ

テーマ:
のんびりと感想を書きたい。。けれど、まだ少し熟成時間を楽しみたい気分。

2001年宇宙の旅を越える映画だったな~~

すべてのワンカットの美しさにため息がこぼれる。

人の生きる時間と地球の息づかい

大きな視点と内なる視線


ブラッドピットのリバーランズスルーイットから本作へと巡り来る時間の流れさえも
ワタシの中で馥郁とした香りとして立ち上ってくる。


ショーンペンだけが時空を彷徨う私達と同じ空気の中にいた。


こんなに映画で癒された実感はこれまで体験したことがない!

それほどに深く満たされた映画です。


熟成の時間のなかでヨブ記でも読もうかな。。


NHK100年インタビューむのたけじさんのジャーナリスト魂に触れました。

自らをもやしながら世を照らす松明たいまつ。
たくましく、明るいお人柄に勇気と元気を頂きました。

96歳のむのさん。
むのさんの真っすぐな生き方はすごいです。
こんなにカッコいい日本人ジャーナリストが
今なお、現役で66年前の戦争のありようから、平和への道筋を照らしています。

戦争をふりかえり、戦争状態になったときの人間の残酷さ。
一般の人びとの他力依存、自主規制についての話は興味深かったです。


100年後へのメッセージというコーナーでむのさんは語りかけます。

「2111年のみなさん、おめでとうございます。100年後にこうしてあなた方が生きているということは、
第3次戦争をしないで平和な世界を作り上げたということでしょう。」

「人類はこれから40億年は生きる可能性もありますが、
世界中が核爆弾を使用するような戦争がおきていたら、あと人類は40年でしょう。」

「こうして100年後のみなさまに会えるということは、
戦争のない平和な世界を作ることが出来たということです。
いったい、どうやってそのような平和な社会を作ることが出来たのか、
どうぞ、これから先の人びとのためにも、残していってください。」

~~こんな感じのメッセージをおっしゃっていたと思います。


核の問題はストレートに原発問題でもありますね。

核の平和利用という形での転用をワタシ達は他力依存で容認し、
いままた、自主規制という形で自らの運命を委ねてしまってはいないか?

むのさんのメッセージはそんなふうにワタシの胸に響き続けています。




戦争のない時代に生まれて豊かな日本に暮らせていること。
すべてに感謝します。
むのさんの叫びは東北をないがしろにしてきた日本の歴史にも触れていました。

是非、再々放送をお願いします。



東北の子供たち。
お母さん、お父さん。
おじいちゃん、おばあちゃん。
豊かな大地。
を思って私は祈ります。

『変えられないものを受け入れる穏やかさと
 
 変えられるものを変えていく勇気を

そして、その2つ見分ける知恵を与えてください。』

(謙譲の祈り)

見えない世界

ワタクシの脳内を少し記録ね。


ここんところ、みえない世界について考えてる。

放射能も見えないよね、
黒澤明監督の映画には放射能が見えてしまう世界が描かれてるのがあったな。
オムニバスのひとつでね、見えちゃうから
逃げ惑いながら海に飛び込んで皆死んでいくんだよ。。

微生物もまだまだ人間には見えない世界だな。
放射能を微生物によってなんとかしてもらいたいという願望が
期待されまくっている。
もやしもんな私は、醸したい人だから微生物に土下座してでもなんとかしてもらいたいよ。。
一部ネットでは微生物による放射能関連のサイトがガンガン閉鎖されているんだな。
まったくもう・・・。

微生物が放射性物質を移動するとして、そのために線量が下がるとして、
その他の面では、人間の微生物との共生関係において免疫力をあげるなら
何ら問題はないではないの?

微生物との共生関係なんて気にもしてこなかったから、
抗菌や抗生剤をつかいまくって免疫力を下げることが当たり前になってたんだもんな。

私達は見えない世界にかんしてはほんとうに無防備で
本当に良いお客さんになってきたんだと思う。

だからね、権威をもつ人々から???ダメダメって突っ込まれるとビビるんだよ。


見えない世界のもう一つは幸せという概念かと・・・。

原発が再稼働したら幸せかい?
北海道の泊原発のみなさん!知事さん!経済のリーダーのひとたち!

お金がないと幸せじゃない・・・・→産業欲しい→原発でもしょうがない。。→安全だと言われるし

この流れだと土も水も安全を保証されない見えない世界を背負うということなんだよ。


福島の皆さんがもし、全県避難でもしていて、リスクをチェルノブイリに照らして公開していたら
原発の再可動なんてありえないことだから!!

お金と引き換えに後始末もろくにできないお化けを温存する理由がないよ。


見えないお化けが暴れないように命がけで働く人達がいる。
人が人を使い捨てにしないと使えないエネルギーシステムは人間にとって幸福をもたらすことが出来ルトは思えない。

とんでもなくコストのかかる面倒くさい仕組みはプルトニウムを合法的に維持したいだけのこと。


原爆の日に長崎でインタビューを受けたおばあちゃまが

福島について聞かれて泣いていた。

「私達がちゃんと原発に反対してもっとがんばっていれば・・」

そういって、被曝しているおばあちゃんが泣いていたんだ。


見えないからヒバクシャ認定もなかなか進まなかったり、広島や長崎の人達の
うけた差別や偏見やいい知れない苦しみを背負ってきたおばあちゃんが
福島を思って泣いていた。

幸福とか豊とか戦後に栄えた日本のいったい何が豊だったんだろう?

嘘つきを正当化して豊かさに加担する、そのどこが豊なんだろう?


国破れて山河もなし。。そのために妙なコントロールが蔓延している。

それは見えないことが多い。

でも、感じるでしょう?

この嫌な感じ?

自分達の手で未来の命を殺すなんてナンセンス!


見えない相手を知ろうよ。。。


日本の本当の豊かさに気づこうよ。

怖いことなんてないんだ。

世界は変わる

テーマ:
正直に書きます。

変わるということに対応するのが私はとても苦手。

本当に怖くてしょうがない。




これまでの自分の生き方のパターンを手放す時は大局からみればチャンスなのだけど、


大きな波は怖い。




変わることを世界中の人々が意識する瞬間、私と同じように恐れと直面するかもしれない。


私はただただイメージしてみる。

この先に待っている安らぎを。


バーチャルな世界を現実だと信じてきたかもしれない。

皆がそう思ったから、存在しないものに価値を見いだして競争したりもできた。


信じることで存在したエネルギーがもうすぐ大転換する。

具体性にかける内容しか書けないのは言葉にしてしまうと

その恐れにエネルギーを与えてしまうという私の中にはまだ恐れがあるから。

恐れの先に待っている可能性にイメージをシフトして

今を創造することに集中しよう。。




週末、書道家 祥洲さんの作品を拝見する機会があった。

太陽神経叢が拡大する感覚
私の別のルートが歓喜に満ちていた。

この境地へのナビゲーションを祥洲さんの書は体感させてくれた。

はてしない物語の先の光は確かにある。

アートは真実しか存在できないのだ。

深い呼吸の中に
自分の内側に
果てしない可能性の中に


イマジンの英語の歌詞を写経のように書いてみたりもしたこともあった・・・。


そうして、清志郎の作った日本語のイマジンをずっと頭の中でエンドレスに聞き続けていて

そのスゴォオイからくりに気がついて震えてしまいました。。


意識化したものを現実に引き寄せるという無意識にこれほどのパワーはないんじゃないかな?


そして、そのもっとも強力なアファメーションとなる歌詞は


僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~
僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~
僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~


ここの部分だよね~~~~

そう思わない??

作詞をした当時は軍縮がテーマだったと思うけど、その象徴的な軍備の縮小をこの歌詞で表現してしまう
清志郎はすごいなぁ~~と思っていたんだ。

で、今となっては、過酷さが現実となってしまった。。。

それゆえに、僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~というイメージングは
最強なのだと思うのです。。

放射能汚染の実体や汚染地域や食品をどんなふうに管理して内部被曝を防ぐか?
まだまだグレーゾーンのまっただ中で

僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~!!!のです。

過酷な状況を乗り越えて、みんなが「僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~」と
イマジンを歌っている状況を心から喜びに満たされた感覚でイメージするよ!

そうなります!

そうなりました!

安心して畑をつくり、コメをつくり、お魚を食べ,牛も豚も鶏も卵も元気。
地下水も海も河も川もどぶもキレイ。

日本はどこでも自給のできる楽チンな国だよ。

僕らは薄着で笑っちゃう~~あ~あ~笑っちゃう~!!!

自分のからだ

記録の為に書いておきます。


15日の昼に外出して、夜には雨が降りました。

その雨に少しだけ濡れました。

17日ごろから体調が悪くなって、膀胱炎の症状となりました。


リトマス紙的な自分ですが、

この夏のいまいちな感覚は

非日常を生き続けているだれにもある不調かもしれません。


それでも、自分レベルでは十分元気に生活できていると思います。




現実と自分の内側の折り合いのバランスに注目しています。

児玉先生のおかげで、自分の中で抑圧していた怒りを表出することが出来ました。
怒りを内側に抑圧しないで表現しましょう。
恐れないで声にだしてみましょう。

喉や膀胱や耳に私は違和感を感じているのです。

何を恐れて怒りを感じているのか、からだの声を聞きましょう。

ゆっくりと深い呼吸を
すべてを忘れて瞑想にゆだねます。