今朝は5時半に目が覚めたんだ。

まず水回りを掃除。


で、もう何度も何度もみているオリビアハッセーがマザーテレサを演じている映画を
見始めた。 

 もう何年か前にこのブログでも書いたマザーについての映画。
探せたらリンクしてみるけど。


窮地にいくども陥るマザーが一貫していたこと。

自分のエゴで何かをするわけではないという姿勢だった。


だから、まっしぐらにひたすらに寄付を集めることもできたんだな。





自分の中にある、わけのわからない  ためらい  の居心地の悪さ。

このためらいによる居心地の悪さが宝探しの地図のように

私を本に没頭させ、映画にくぎづけにする。


いつだって自分は精一杯生きてる!
かなりギリギリと音をたてて。。

それなのに、いつだって居心地が悪いのはどうしてだろうか?



いえいえ、不快なわけじゃなく、

日々感謝に震えるほどの幸せに満たされている!それは核心的に。
。。でも、嘘っぽいとだれかに突かれそうだ。地に足がついていないと。

誰かの視線に耐えることを自分に課している。

まだ、誰かの批判や評価を自分の存在の指標にしようとしている。

そういう気がする。そういうことなんだ。


もっとも嫌いなタイプは依存する人だと思っている自分だって依存する人だったんだ。


自分を観ることの出来ない私を許してくださいませ。

依存することを恐れないでお世話になろう。。

依存されることを恐れないでお世話が出来るように。。。


愛されるよりは愛することを
理解されるよりは理解することをーーーーマザーテレサ
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9月19日 の 昼下がり 熱い太陽が雲にすこしづつ覆われ、吹く風が優しい。

人びとが集まる明治公園にはすでに入りきらず、沿道の道も人で埋まっていた。

こんなに多くの人が粛々と静かに待っている。




デモで一緒に歩いていた方は福島からの自主避難の親子で

自主避難にも補償を!と訴えられていた。

福島から参加されている皆さんののぼり旗には「怒 福島隊」と書かれている。

福島の皆さんの声はテレビで知る限りでは美談が中心となっていて

本質的な課題に向き合うことを避けているような風潮を関東では感じていただけに

「怒」の文字に寄り添う形で歩かせて頂いただけでもありがたかった。





私の好きな内橋克人さんの話は帰宅後動画サイトで確認。そして、武藤類子さんのお話を聞いた。


以下はこどもの未来
まとめ:こどもの健やかな成長のために

のHPからです。是非、ご覧になってください。
9月19日に行われた「さようなら原発1000万人アクション」。
大江健三郎さんほか著名人の発言の最後を締めくくった
武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年)の発言を書き起こしました。
動画もぜひご覧ください。
http://www.ustream.tv/recorded/17370482
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 やっぱり私はリトマス紙~~でした! ありがとうございましたっ!!
集まれ5万人! 9・19は「さようなら原発集会」へ


敬老の日 の 明日

私は明治公園にいくよ。


ワタシのテーマは自分の中から沸き起こる自分の声に従うこと。

10年後の日本の子供たちに笑顔を!

一人スローガンを手にして歩きます。


原発の是非も停止も廃炉も核にまつわる問題は日本の独立に関わる根源的な問題です。

これは一人一人が向き合うことです。そして、今、もっとも急がなければならないのは

子供たちの免疫の回復のための疎開や内部被曝を防ぐための情報公開です。

癌になった時子供の癌の進行が早いのと同じだからです。

成長のための細胞分裂と損傷した細胞の分裂を区別出来ないことが被曝の感受性を高めているのです。



デモは平和を象徴するもの。

挑発にのることはなく、感情的になることはなく、自分の存在をもって参加の意義があります。

デモという言葉にアレルギーを感じる人達が増えるようにマスコミは報道しているようにも見え、
こんなパターンに掻き消されていく程リテラシーのない私達だと思われているのかなと思う。




人間削減のために地球人が自らの首をしめるようなことをしていることが不思議。。。。。

・・・・フランスでは先日の核廃棄物施設の事故により原発依存を半減するとの報道がありました。
さて、渦中の日本だけはまだ利権にしがみつくのでしょうか?

そして、国民が政府を信用しなくなるという構図をもっとも必要としているさらにおおきな構図が
みえてくることはないでしょうか??

不思議なのです。いろんなことが。
国民を守っているのか見捨てているのか?
良心というものがあるのかと。
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カエル的考察

テーマ:
カエルが大好き。

カエルとかミミズになりたい。


地球から生まれて地球に還っていく。


ただそれだけ。





生き物はみんな同じ。


ヒトも。


脳みそがデカイということは便利なんだか、不便なのだか。。。。


シンプルに生きるという命題をもってヒトという生物は生かされているんだろう。

シンプルとは抵抗しないという生き方。

自然に抵抗するというベクトルがヒトを人間として進化させてきたかもしれない。

そして、便利さによって人間は退化しているかもしれない。

自然のサイクルから離れて進化させ続けることが命題だと思い込んでいる。


ヒバカリという小さな山蛇を飼っていた時、
私は生きたカエルを食べる様子をみつめていた。


カエルは顔色ひとつ変えること無く飲み込まれていたったのだった。
諦念とはこのことだなと感動したけれど、
その様子は目に焼き付いて思い出すことすら苦しい。

カエルはそんなワタシを不思議に思うに違いない。

命のくりかえす営みの中で恐れを持たずに生きる
カエルやミミズに私はなりたい。

東北の地に暮らす方がたは文句も言わず淡々と愛する土地で生きていかれようとしている
その精神の深さはリスペクトである。

そしてまた、言いたいことを言う方々にもリスペクトである。

状況判断をするための情報公開と受け皿だけは公平に。

ヒトは『蛇ににらまれて動けないカエル』ではない。

カエルだって蛇からは逃げる。
逃げてもみる。つかまって食べられてもみる。

生まれることと死ぬことは自然の一部だから。
政権交代があって、経済主流のいけいけ原発組はニコニコしている。


そして、これまでならTVでニュースになってもいいような

福島の農家、漁業関係の方々が2500人も

東京電力の前に押し掛けていると言う昨日の情報も流れていない。


管政権の末期、山本太郎が殴り込み!みたいなノリで

人びとのガス抜きをして矛先を変えたとしか思えない。

どじょうや雪だるまというわかりやすそうなアイコンが流れ続けるのは不思議であるよ!


何もなかったかのように置き去りにする感覚。。満州からの引き上げの人達の時代みたいだ。

逃げられた人達は真っ先に情報を得ていて、帰って来たのだよね。

後の人達は赤ちゃんや幼児を現地の人に託して命からがら逃げたの。

でも、帰ることが出来なかった人達は戦車に押しつぶされ

そこは白骨街道と後に呼ばれることに。。。。
(インパール作戦の白骨街道は有名だけど、
満州の引き上げの時も最後は白骨街道・・・と聞きました)

白骨になるのは信じた人達。。不思議でしょ?

まさか見捨てるなんてことはないと信じた人達よ。

どじょうやゆきだるまの語りはわかり易いけど、

リスクを隠して社会を温存する手法は、次世代につけをまわすだけだから。

民主主義じゃないことを理解出来ないオバカな国民はもういない!!

飲んだり食べたりも安心出来ないのに、どんどん、安心料は高くなる。。

その安心料は税金になるわけ?

電気が足りないキャンペーンのうえに、核武装だとY新聞が書いてるんだけど、

あきれてものもいえな~~~イ!!!!

低能な山師と信念を金で売っちまう俺等だが・・・
動かしてる世の中さ
良くなるわけがない
あきれてものも言えない

清志郎の歌詞にあるように
山師と私達の責任は五分五分だよ。

言わなければ!
黙っていれば山師の籠を担ぐだけだ!!!